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あたしは、猫。  作者: 碧檎
第四章 優しく残酷な魔法
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40 だってそれが人間だから


 僕はその日シャルルに呼び出された。まだ体は所々鈍く痛む。椅子を勧められて、沈むように腰掛けた。

「アリスの事だけど」

 あれからもうひと月ほど経つけれど、まだ慣れない。この渋い紳士が……シャルルってことに。

 食事を持って僕の部屋に現れた彼を見て、僕は本当に腰を抜かした。それは、アリスに聞いていた外見とあまりに違っていた。もっと、その、怪物めいたものを想像してたんだけれど。

 彼は書斎の椅子に深々と腰掛けて、パイプなど吹かしている。それがまた絵になるのだ。

「……あなたこれからどうするの?」

「ああ……」

 その話か。僕は開けられた窓から外を見る。そこではアリスが庭の花に水をやっている。白いワンピースと銀の髪が風に揺らめく。手入れをさぼった濃い原色の庭の中で、そこだけふんわりと別世界が漂っていた。僕が攫って来た、僕だけの花。

「アリスを攫ったあのままでいいと思ってないでしょうね? 仮にも侯爵家のお嬢様よ? その上、公爵まで敵に回しちゃってる。そのうちここにいる事もバレちゃうわ。それなりに手を打たないと、ここでは生きて行けなくなる」

 それは分かっていた。だから……体が治ったらアリスを連れて、どこか遠くへ出ていくつもりだった。そう言うと、シャルルは少し意地悪そうに微笑む。

「でもお父さんはどうするの」

 ぐっと詰まる。色々問題がある中で、特に気がかりだった。父はこの結婚にうんと言わないだろう。一緒に逃げてもくれないはずだ。

「もっといい方法があるでしょう。――正式に、申し込めばいいのよぅ」

「だって……僕は、その、身分が」

 悔しいけれど、僕はアリスを正式に嫁にもらえるような身分も、財産も持っていなかった。粉屋とパン屋で稼いだ金じゃ、支度金さえ用意できない。もともと駆け落ちしか手段は無いのだとようやくこの間気がついた。アリスはそれでいいと言うけれど、贅沢は出来なくてもせめて人並みには幸せにさせてあげたいと思っていたから……情けなかった。

 シャルルはさらに言った。

「私ねぇ……あなた達はここに留まった方がいいと思うのよぅ。アリスのためにもね。あんな母親でもアリスにとってはただ一人の肉親なんだもの。そう簡単に割り切れないわ。本当は……母親と向き合えたら一番いいと思う。当然、今すぐには無理だし、そんな日が来るかは分からないけれど、完全に諦めてしまわない方がいいと思うのよぅ」

 僕だって、そう思う。でも――現実的に考えて、とても難しい。簡単に行くならば、最初からこんな風にこじれてはいないのだから。

 やっぱり問題は山積みだと肩を落とす僕の前で、シャルルが合図をすると、後ろからジョアンが現れて一枚の書類を机の上に置く。

「まずは、これ」

 そう言うと、シャルルは胸のポケットから王の手紙を出した。あの、人身売買の事件の後、王が僕に送りつけて来た例の致命的な手紙。

「公爵の件は、この手紙を使って破談にさせなさい」

「……どういうことだ?」

「公爵は弟なの。王のね」

「そういう事か」

 確かに、あの醜聞を持ち出せば、あの王は渋々ながらも希望を聞いてくれるはずだ。だいたい、二十も年下の少女を後妻に迎えようっていう事自体、あんまり褒められた事じゃないのだから。――それにしてもこれがこんな風に使えるなんて思いもしなかった。やっぱり、シャルルは先を見通す力があるのかもしれない。

 僕がそんな風に考えて感心していると、「切り札は最後まで取っておくものよぅ」彼はそう言ってにやりと笑う。そして机の上の書類を指差した。

「あとは、ここにサインを」

 僕は机の上の書類を見つめて目を見開く。

「え、これって」

「そう、このユペールの権利書よぅ」

「なんで!」

 あまりの話に頭が働かなくなる。

「あなたに爵位を譲ると言ってるの」

 爵位? って……聞き間違いか?

「あなた、爵位をなんだと思ってるわけ。領地を持つってことは、爵位を持ってるってことでしょ」

 そう言えばそうだ。いや、でも、あの、ネズミと爵位っていうのが……全く結びつかなかったわけで。

 愕然とする僕にシャルルは口を開く。

「このユペールの侯爵領をあなたにあげる」

「侯爵領……? ここって自治州じゃなかったのか?」

 そう問うとシャルルは、

「二十年前、あの王が即位するまでは王家とも仲良くしてたのよぅ。例の魔法の利権でいろいろあって今は縁を切っちゃってるけどねぇ。一応税だって払ってるし、まだ爵位も有効よ」

 とけたけた笑う。

「とにかく! 領地を委譲すれば、当然爵位も委譲されるのよぅ! この国では一般的に世襲なんだけど、うちには子供がいないからちょうどいいのよぅ!」

 彼は続けざまにとんでもない事を言い続ける。頭の回転が追いつかない!

「ま、まってくれ……分かったけど、なんで? っていうか、そんなのありなのか?」

 なんでそこまでしてくれる? こんな莫大な財産を軽々しくやり取りするってのが……何か裏がありそうで。

「ヒヒヒ、警戒してるわね。いい傾向よ! この土地って実は色々面倒なの。あなたもよく知ってると思うけれど、広いばっかりで、何も無い土地よぅ。今は麦が順調だからいいけれど、管理も異常に大変だし、駄目になった時のために本当はいろいろ考えないといけないし。でも、私も歳だからそういうのも面倒でね。もうそろそろ引退したかったのよぅ。あ、そうそう、誰かが文句言って来たら、またさっきの手紙で王を使うなり何なりすればいいわ。ほんといいお土産置いて行ってくれたわよねぇ」

「……」

 ポン、ポンとそう言われて、どことなく腑に落ちない僕にシャルルは微笑む。

「当然色々問題は多いと思うのよぅ。でも、あなたなら、後を任せられるんじゃないかって、そう思ったの。しっかりと乗り越えるものを乗り越えて来た、あなたにならね」

 初めてまともに褒められてくすぐったくなる。でも――僕は自分の身の程を知っていた。身に余るほどの財産は結局身を滅ぼす。

「でも僕には粉屋がある」

 だいたい父とあの小さな店をどうすればいいんだ。せっかく育てて軌道に乗ったんだ。何もかも捨てるつもりだったけど、そんな話を聞くと急に色々なものが惜しくなる。

「あなたは……もっと伸びるわ。適材適所っていう言葉があるでしょう? ……マリー」

 その呼びかけにマリーが扉から現れる。

「はい」

「仕事って言うのはね、何も自分の手で全部しなきゃいけない訳じゃないのよぅ。頭を使って『人』を使うのも仕事のうち。人を雇いなさい。信用できる人物を。あなたが経営者になればいいわ」

 マリーが一歩前に足を勧めて、丁寧に腰を折った。この間の扱いを考えると、まるで別人のようだ。

「雇っていただけますか? 『旦那様』。『奥様』の了承は得てますけれど」

「え?」怪訝に思って首を傾げると、シャルルがくるりと丸まった髭を引っ張りながらニタニタ笑う。

「事実上はそうでしょ。誤摩化したって無駄よぅ! アリスが夜、自分の部屋に帰ってない事はもう知ってるんだから!」

「――――!」

 一気に頭に血が上る。シャルルとマリーは顔を見合わせてニヤニヤしていた。

「ああ、領地を委譲するのって、半分は厄介払いだけど、実は半分はご祝儀よぅ! あとは早く子供の顔がみたいわぁ! ……私が帰ってくる頃にはたくさん産まれてて欲しいから、頑張ってね!」

 頭がクラクラする。子供って、気がはや、くないか。それにしても――

「帰って来るって?」

「旅に出るわ」

 彼はさらりとそう言うと、机の下に隠れていた大きな荷物を持ち上げる。ふと馬のいななきが聞こえて窓の外を見ると、馬車が表で待っていた。その荷台には応接間の絵が薄い布に包まれて乗せられている。

「え?」

 今日はとにかく驚かされてばかりだ。なんだって? 旅? 絵まで持って?

「魔法使いの仕事を果たしに行くのよぅ! 正義のヒーローは忙しいのよぅ!」

 それだけ言うと、彼はさっさと部屋を出て行ってしまう。僕は動かない体を叱咤して玄関を出て行く彼に追いすがった。「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 僕はまだ礼を言ってない!」

「お礼を言いたいのはこっち! ――アリスと、私を救ってくれてありがとう! 幸せにね! 喧嘩もいいけど程々にするのよぅ!」

 シャルルが乗り込んだとたん、馬車は風のように駆ける。そしてあっという間に見えなくなった。竜巻のようだ、そう思ってしばしぼうっとする。


「行っちゃったのね……」

 アリスの声が後ろから聞こえて振り向いた。手にじょうろを持ったアリスが寂しそうな笑みを浮かべて馬車の行った方向を見つめていた。

「知ってたの?」

 彼女は頷く。「昨日、シャルルが謝りに来たの。全部話してくれて、『私のせいでごめんなさい』って」

「そう、か」

 シャルルの旅は……『魔法使いの仕事を果たす』というのは――

「シャルルはあたしみたいな猫を救いに行くんだと思うわ」

 僕は頷く。彼をここに縛りつけていた罪の鎖はきっと壊れたのだ。

 彼の旅、それは、いつ終わるとも分からない奥さんへの贖罪の旅なのだろう。だから、城なんか邪魔だったんだ。彼に必要なのは、あの馬車の背に乗せられた一枚の絵だけ。

「アリス。僕は、侯爵になるんだってさ」

「うん」

「君の両親に挨拶に行くよ。君を貰うって。文句は言わせないつもりだよ」

「うん」

 緑色の瞳に影が現れる。彼女の傷は簡単に癒えるものではない。きっと、嵐の夜に夢を見てうなされる事もあるだろう。でも、その時には隣に僕がいる。一番近くで僕が支える。

 僕は彼女の手を取り、庭を歩き出す。


 広い広い城はシャルルが出て行ったことに戸惑いを隠せず、輝きと威厳を失った。庭の木々は寂しそうに項垂れ、噴水はその勢いを落とす。

 その様は、魔法が解けたようだった。実際、魔法がかかっていたのかもしれない。シャルルの言う面倒という意味が分かって、がっかりすると同時にほっとした。

 この調子じゃ、もしかしたら来期の麦も期待できないかもしれない。となると、城にある蓄えは支度金だけで消えてしまって、それで無に戻る。

 つまり、あとは僕が『魔法』をかけ直さなければいけないのだろう。シャルルが築き上げたものに頼る事無く。

 僕に残されたのは、どうやら恒久的に続く財産ではなく、アリスを手に入れるためだけの爵位と広いだけの領地。でも、それで十分だった。シャルルにもそれが分かってたんだろう。だから僕のどうしても欲しいものだけ置いて行った。

 そうだ……僕は、きっと上手くやれる。アリスが傍にいてくれるなら。

「どうやら僕は侯爵になっても結局貧乏みたいだよ、アリス。それでも僕と結婚してくれる?」

 冗談めかすとアリスは笑った。

「だから、貧乏でもリュシアンならいいって言ったでしょ。それを言うなら、あたしだって、無邪気なだけの女の子じゃなくなっちゃったわよ。多分たくさん落ち込んじゃうと思うし、汚い事だって考えちゃうと思う。……それでもいいの?」

 きっとそうなんだろう。――だってそれが人間だから。僕は彼女のすべてを受け止める。

「その方が君らしくて好きだ。だから、いいんだ」

 多少照れながら言った言葉に、アリスの頬が染まる。その少女らしい姿に心がどこまでも暖かくなる。


 いつの間にか庭を一周していた。日の光が背中にあたり、長い二つの人影が僕たちの一歩先を進む。影の先には城の玄関が現れた。

「僕たちの家だ」

 僕が改めて彼女に手を差し出すと、彼女は微笑んでそこにそっと指先を乗せる。

 歩調を合わせて、僕たちは、その長く続く道へと一歩足を踏み出した。



〈第一部 完〉


第一部、ひとまず完結です。

お付き合いありがとうございました!

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