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あたしは、猫。  作者: 碧檎
第一部 第一章 あたしは、猫。
3/71

3 猫と人食いとおとぎ話

 魔法使いの人食い――その情報とお伽噺にあるひらめきを得て、あたしは作戦を練った。

 数日後、人食いの城に出かけるため、小さなパンと水を背負うと簡単な旅支度をした。そして丁寧に毛並みをそろえ、首に綺麗な赤いリボンをつけ、前足に例の銀の腕輪を嵌める。

「どこに行くんだよ? そんなにおしゃれをして。しかも、その荷物――」

 リュシアンが不審そうに尋ねたけれど、あたしはそれを振り切って、北のユペール自治州へ向かって駆け出した。

 城はユペールの北部にあるとだけ聞いていた。そしてそのユペールはこの王州サンクレールのすぐ北にある。行き交う人に道を尋ね、オーランシュから川を渡って北へ、小麦畑が広がる土地をひたすら駆け続け、丸一日掛けてようやくそれらしき場所に辿り着いた。

 あたしは近くの小川で水を飲み、渇きを潤しつつ城を観察する。

 随分と立派な城だった。造りだけならば王宮にも匹敵するくらいだったけれど、城の手入れが行き届いているようには見えず、城壁には蔦がまとわりつき、格子の間から見える広々とした庭は荒れ果てて、うっそうとした茂みの中から今にも何かが飛び出してきそうだった。

 人食いの城、その名にふさわしい、おどろおどろしい雰囲気が辺りに漂っていた。

 門番もいない無人の門を前にして、さすがに恐れで足が震えた。人食いは、人だけでなく猫も食べるかもしれない。

 それでもここまで来て逃げられない。怯んでしまいそうな自分を励まして、門を叩く。


 反応が全くなく、不安がどんどん大きくなって、心がくじけ出直そうと思いかけた時、ようやく人影が現れた。ひどく貧相で影のような男があたしの姿を見て訝しむ。

 魔法の猫だと知ると、悲しげな顔のまま、でも、身振りだけでしっかりと追い払おうとする。

「帰るわけにはいかないの。カラバ侯爵のお使いで参りましたとお伝えください」

 震える声を必死で抑えながら、にこやかに微笑んだ。

 男はしばらくして戻って来ると、哀れむような視線をあたしに向けて、付いて来いと手招きした。

「突然の訪問にもご対応いただきまして、ありがとうございます」

 あたしは通された部屋に入るなり、そう言って頭を下げ床にしっぽを垂れる。

「あらまあ、これはこれは、綺麗な猫だわねぇ。私、美しいもの、ダアイスキなのよぅ! 魔法の猫はたくさん見たことがあるけれど、あなた、特に美しいわ。きっと素材がいいのよね!」

 その低いネバネバした声を聞いた瞬間、一気にぞわっと毛が逆立った。あたしは顔を上げるのが心底怖かった。恐ろしいものが目に入る気がしたのだ。

 そして、その予想は外れなかった。

 ――あ、あんたはいったい何モノよ!

 あたしは人食いの姿に卒倒しそうになる。肉厚の横長の顔に、ぎょろりとした目、大きな口に大きな鼻。顔の部品がそれぞれひどく大きく、その一つ一つに丹念に化粧が施されていて、余計に強調されている。体も大きく、そのお腹の中にはあたしが十匹くらいは入りそうだった。性別も年齢も不詳。人であるかどうかも怪しかった。

 こ、これは、こいつが人食いでなくても近寄りたくないかも……。

 吐き気さえ催したけれど、必死でそれを堪えつつ笑顔を見せる。

「主人からお噂は常々聞いておりました。偶然城の前を通りかかりましたので、ご挨拶だけでもさせて頂かないと失礼かと思いまして」

 ――疑われたらおしまいだわ。びくびくしながら主人の従者の真似をする。

 幸い人食いはあたしを珍しそうに眺めてみるだけで、その目に疑いの色は浮かんでいないように思えた。それどころかさっきあたしを案内してくれた男――どうやらこの城には彼しか侍従がいないみたいだけど――を呼びつけると、あたしを盛大にもてなすように伝えている。

 その様子に胸を撫で下ろし、あたしは遠慮なくもてなしを受けることとした。だって持って来たパン以外何も食べてなかったんだもの。お腹が悲鳴を上げていた。

 しばらく豪勢な食事を味わった後、そろそろ、と、人食いの様子をうかがった。人食いは酒を飲みすこぶる機嫌が良いようで、歌でも歌いだしそうだった。機を逃さずにあたしは話を切り出す。

「あなた様は、変身の魔法がとてもお得意とか。ぜひその技を見せて頂きたいのですが」

「それは余興としては面白いわねえ」

 うんうんと頷くと、人食いは侍従に言いつけて、小さな壜を持って来させる。

 彼はその中から一粒、月の光ような色をした粒を取り出すと、一気にそれを飲み込んだ。

 一呼吸後、彼は獅子に姿を変え、あたしはその姿に目を見張った。

 ――す、すごい!

「それが魔法なのでしょうか?」

 あたしがびくびくしながら尋ねると、一呼吸して元の姿に戻った人食いは、再びテーブルの上の食事を摘みながらにこやかに説明してくれる。

「ええ、そうよ。本当は魔法陣を描いて正式に呪文を唱えてって手順があるんだけど、いちいちそうやるのも面倒だから、こうしてこの粒に魔法を封じ込めてるのよ。だってねえ、この間だって、あの王ったら突然兵士を送り込んで来たりするんですもの。宣戦布告も無しに卑怯ったらありゃしないわよね。いちいち呪文を唱えていたら命が危ないわ」

 緊張で人食いの言い分は半分くらいしか理解できなかった。あたしは適当に相槌を打つと声が震えないように注意しながら続けた。

「噂では、小さなものにも変身することが出来るとか? さすがに……その大きなお体で、それは無理でしょう?」

 わざと疑いの眼を人食いに向けるのは作戦のうちだけど、ここで機嫌を損ねたらと思うと、全身に変な汗が湧いて来る。

「なあに? 信じられないって言うの? わたしの素晴らしい魔法が」

 ただでさえ膨らんだ頬をさらに膨らませると、彼は月色の粒を一気に飲み込んだ。蛙のようになったその顔が、見る見るうちに縮んでいく。

 変身が終わった頃には、彼は小さな、しかし、太ったネズミになっていた。

 素早く人食いに近寄ると、前足から銀の腕輪を外し、太ったネズミの首にぐいとそれをはめ込んだ。肉に腕輪が食い込んで、まるで紐で結ばれたハムの固まりのよう。

「すっごくお似合いよ!」

 本当にうまくいっちゃった! あたしは、緊張の糸が解け、朗らかに微笑んだ。

「何のつもりよ! これじゃあ、元に戻る時に首が絞まっちゃうじゃない!」

 ネズミは高くなった声でそう叫ぶと、焦って首輪を外そうとする。でも、太りすぎてそれはびくともしない。ふわりと体がゆがみ、魔法が解けかけて、ネズミは慌てて床に彫られた魔法陣の上で呪文を唱え出す。

「食べちゃってもいいのよ。でもあたし、舌が肥えてるから、さすがにこの頃ネズミを食べようとは思わないのよね。せめてお魚とかに姿を変えてくれれば良かったのに」

 うふふと笑いながら、屈み込んでネズミとなった人食いの目を覗き込む。人食いの慌てぶりが愉快で堪らなかった。

「何よ、何よ! さては王の差し金ね! あのゴウツク親父!」

 はて? 話が見えず、戸惑う。そういえば、さっき卑怯とかなんとか言ってたような。

「王の差し金? あなた悪いことしてるんじゃなかったの? 人を食べたり、とか。あたし、そう聞いたんだけど」

「はあ? 優しい私がそんなことするわけ無いでしょう? あの王様ったら、私の財産が欲しいものだから、あらゆる手を使って、ユペールから私を追い出そうとしてるのよ! 辟易して縁を切ったら、悪質な噂を流したり、兵を送り込んだり! あんなやつに誰が渡すもんですか!」

 ネズミはキーキーと叫びまくる。そのつぶらな瞳が怒りでメラメラと燃えているように見えた。

 そのあまりの剣幕に焦る。どっちの言い分が正しいかなんて分からないけど、早いところ機嫌を取らないと、魔法でどうにかされてしまうかもしれない!

「ご、ごめんなさい……あたし勘違いしてしまったみたい」

「分かったら、早くこの首輪を取ってちょうだい!」

 あたしは、必死で首輪を引っ張るけれど、猫の手では嵌めるのは出来ても引き抜くのはなかなか難しい。

 こ、この肉が邪魔なのよ! いっその事、削いでしまいたいわ!

 思わず爪を立てると、ネズミが悲鳴を上げる。

「ぎゃっ! 爪が刺さる! もっと優しくやってちょうだい!」

「そんな事言われても! だいたい、こんな細かいことって人の手でもないと出来ないわよ!」

 あたしが文句を言うと、ネズミはさっきの魔法の薬を指差して叫んだ。

「埒があかないわ、その壜の中身を飲みなさい!」

 ザラザラと壜から粒を出し、言われるままにそれを飲むと、体が突如変化し始める。

 ――うわわわわわ!

 視界が歪む。目の前の風景がぎゅっと縮んだかと思うと、それが大きさを一気に変えて、ゆらゆらと揺れ、やがて固定される。目眩を堪え、ゆっくりと自分の姿を見下ろす。

 ――いつの間にか、あたしは人間の姿となっていた。

「ほらっ早く!」

 急き立てるようにネズミが足元で大騒ぎしている。あたしは呆然と手の指を握ったり開いたりしていたけれど、慌ててネズミの首の輪を外しにかかった。――でも、食い込みがきつくてやっぱりとれない。

「あなた、太りすぎよ!」

 細かい作業にイライラして、ネズミのしっぽを思いっきり引っ張る。

「痛ててててて! 乱暴は止めてちょうだい! しっぽが抜けちゃう!」

 しかし、どうも力加減がよく分からない。

「痛い! 痛いってば! ……もういいわっ」

 ネズミはそう叫ぶとあたしの手の中から抜け出す。

「ご、ごめんなさ、い……」

 湯気が出そうな顔で睨みつけられて、あたしはさすがに謝った。謝りながらも、悔しくって、悲しくって、視界が涙で一気に歪む。

 ――せっかくの作戦だったのに最初が間違ってたみたい。こんなに頑張ったこと、今までに無かったのに。結果がこれじゃあ、またリュシアンに呆れられちゃう……また嫌いって言われちゃう……。

「なんであなたが泣くのよ。泣きたいのはこっちよ」

 ネズミはしっぽの付け根をさすりながら、涙目になってあたしを見上げる。そしてあたしの様子を見て取ると、少し表情を和らげた。

「なにか事情があるのね?」

 いたわるような言葉にあたしは我慢できずに、リュシアンのことを話した。

「……ふうん、助けてもらったお礼ねえ。あの王様に取り入ったのは気に入らないけど……。わたし、そういうの好きよ!」

 ネズミは感心したように言うと、ため息をつきつつあたしを眺める。

「それにしても、なかなか元の姿に戻らないわね。あなたいったいいくつ飲んだの、あの粒」

「慌ててたから、手に出したの全部飲んじゃったの。五つぐらいだと思うけど」

「え、そんなに飲んじゃったの? ……勿体ないわね……。じゃあ、そうね、一日は戻らないかも――ああ、でもやっぱり人間の姿も綺麗だったわね」

 あたしは自分の姿を改めて見下ろす。肌を覆っていたはずの毛は無くなり、白いすべすべの肌が銀色の長い髪の毛と真っ白な服に包まれている。服と肌の隙間がなんだか肌寒くて落ち着かなかった。

 ネズミはしばらくあたしをうっとりとした目で眺めた後、顔をしかめる。

「あーあ、それにしても、どうしようかしら。こんなことばれたら王にこの城あっという間に奪われちゃうわ。――しっかりと、責任は取ってもらいますからね!」

「え? どうやって?」

 ネズミはにたりと笑うと、あたしの耳にそっとある事を囁いた。


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