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あたしは、猫。  作者: 碧檎
第三章 魔法薬のレシピ
19/71

18 魔法薬の材料は

「アリスったら意外に着やせするみたいよねぇ」

 僕の手からすり抜けたシャルルがニヤニヤ笑いながら僕を見上げる。廊下は薄暗く、その二つの小さな瞳だけが窓から差し込む光を受けて怪しく輝いていた。

「それ以上思い出すな。今すぐに忘れろ!」

 激してそう言いつつも、自分もさっき見たアリスの残像を瞼の裏から消せない。彼を踏みつけようと足を上げる。シャルルはわざとらしく震えると、ちょこまかと僕の足を避けて前を走って行く。「いいじゃなぁい。別に減るもんじゃないし」

「減る」

「なんなのよぅ。そういう事はちゃんと自分のものにしてから言いなさいよね! ……アリスにまだ何も言ってないくせに」

「……う」

 ふてくされるシャルルに僕は言い返せない。


 ――あの事件。

 お姫様の求婚から始まり、アリスが人身売買の組織に捕まって売られそうになったあの事件。あれから半年ほどが経ち、僕たちの生活はようやく穏やかなものに戻りつつあった。

 結局、王は裏で金を積んで警官を買収しようとしたらしいけれど、そこはシャルルの方が一枚上手だった。記者に一連の情報を漏らしたのだ。王の悪評は風の日の火事のように一気に広まり、王は世論に王位剥奪を囁かれ、噂をもみ消すのと、民のご機嫌取りに必死だった。

 もちろん姫との縁談どころではない。まあ、あの様子ではもともと縁談自体がでまかせで、魔法書さえ手に入れたら、僕は寝首をかかれ闇へと消されていたのだろうけれど。

 という訳で、あの話はしっかりと破談となった。そしてはた迷惑な客人が次々と僕を黙らせようとやって来たけれど、それらは全部シャルルの華麗な魔法によって撃退された。

 どうやら『王が兵を派遣したけれど、領地から戻る者は居なかった』という人食いの城にまつわる話は全くのでたらめではなく、確かに『人の姿で』城から帰っていく者は一人としていなかったのだ。

 それでも僕の口を塞ぐことを諦められない王は、焦った末にとんちんかんな行動に出た。人身売買のことや僕を殺そうとしたことをこれ以上持ち出せば、王への傷害と身分詐称で訴えるぞ――と丁寧な手紙が届いたのだ。さすがに唖然とした。なりふり構わないその態度に開いた口が塞がらない。その手紙自体が致命的な事にも気がつかないらしい。

 これ以上相手をしても面倒ごとが増えるだけのような気がしたのでそれを受け入れたふりをして放置している。シャルルに相談しても、同じ意見だった。

 そんなこんなで、僕は結局出て行く理由を失って相変わらず城に居座っているのだけど、あれ以来、シャルルは僕とアリスをくっつけようと躍起になっている気がする。それに僕がまったく乗らないものだから、こんな風にふいに僕を焚き付けてくるのだ。

「勝手よねぇ。彼女の将来に責任を持つ訳でもないのにそんな風に束縛しちゃって。アリスもいい迷惑でしょ。他にいい出会いがあるかもしれないのに、全部形になる前にあなたがつぶしちゃうんだから」

 たしかにここ数ヶ月、僕はオス猫退治に明け暮れた。彼女に目をつける来客は問答無用で追い出した。王のような人間は結構ありふれているようで、金を積んで譲ってくれという輩が結構居たのだ。

 その事が仕事にさしさわろうが、シャルルに呆れられようが、どうしても止められなかった。

「あなたがアリスと今の関係のままずっと一緒にいたいっていくら思っても、彼女がそうとは限らないのよぅ。家庭を持つことは別ってそう思っても不思議じゃないわ」

「家庭……」

 どう考えてもそれは無理だった。猫と結婚など出来るわけが無い。

「アリスだってもう大人なんだから、そう思っても当然なのよぅ? あなたが駄目って言うなら、それができる相手を捜すかもしれない。それは嫌なんでしょう? じゃあ、そろそろ覚悟を決めたらどうなの? 何をそんなに悩んでるか知らないけれど、あなたがこのままの関係を続けたいなら、アリスを説得するしかないわよぅ? うまく行ったとしても、私はそんな不自然な関係続かないってそう思うけれどね。まあ……そんなこと私が言わなくても十分分かってるでしょうけど」

 シャルルはいつもの彼からは考えられないほど真剣な表情でそう言い募る。

「まずはちゃんと気持ちを伝えなさいよね。あれじゃ、アリスは誤解しちゃうわ。心変わりしちゃっても知らないから」



 書斎の扉の前で足を止め、深い息をつく。生温い空気が胸の中に流れ込み、余計に胸が重くなる。

 想いはきっと通じるだろう。それが自惚れでないくらいはさすがに分かる。でも……伝えて、そして想いが通じても……どうしようもない。

 心が手に入っても、体は手に入らない。僕は彼女のすべてが欲しいのに、いくらそう望んでも、それは手に入らない。

 結局――今となんら変わりはないんだ。それを耐えられそうになかった。

 この間、アリスは無邪気な顔をして僕に抱きしめてほしいと言った。あったかくて気持ちよかったから、もう一回って。でもそれだけで済むはずがない。今度彼女を抱きしめたら、それは地獄に向かって飛び込むも同然だった。そんな確信があった。

 想いが通じれば……彼女はもっとそんな風に求めて来るかもしれない。それが怖い。

 勝手だろうか? ――勝手に決まってる。

 でもそう分かっていても、僕はアリスを手放せない。きっと彼女が痺れを切らして自分から去って行くまで、僕はそのぬるま湯につかり続けるのだろう。

 彼女を手に入れても待つのは地獄。手放しても地獄だった。僕は色の違う二つの地獄の上にかかる細い細い綱の上を、サーカスのピエロのように作り物の笑みを浮かべて渡っているようなものだった。



 部屋に入るなり全身から汗が噴き出す。書斎は南側にあるせいで、ひどく暑いのだ。廊下の方が随分過ごしやすかった。扉を明けっ放しにしたまま、僕は窓へと近寄った。

 さっき、あまりの暑さに窓を開けようとしたら、アリスが中庭で水浴びをしてるのが見えて、直後僕は部屋を飛び出した。

 遠目でも分かるくらい、体のラインがはっきりと浮かび上がっていたのだ。

 勘弁してほしい。彼女はたまにああいうことをやらかすから、その度に僕はぴりぴりしてしまう。

 今夜はまたアリスが夢に出てきそうだった。そして僕はきっと夢の中で彼女を腕に抱く。訪れる幸せな夢の終わり。アリスは僕の腕の中でその姿を猫へと変える。僕は断罪への恐怖に怯えながら目を覚ます。朝の光の中、僕は一人姿の見えない神に向かって、その罪を許してくれと乞い願う。――そんな事の繰り返しだった。



「そうそう」

 その声に顔を上げると、汗が一粒ぽとりと窓の桟に落ちて黒い染みを作った。

 僕は相当にふさぎ込んだ顔をしていたのだろう。シャルルはそれを気にしてか、わざとらしいくらい明るい声で言う。

「ちょっと頼まれてほしい事があるのよ」

「なに?」

「ほら、アリスの飲んでる魔法薬ね、あれもう材料が底をつきかけてるのよぅ。ちょっと買って来てほしいの」

「材料があるの、あれ」

「そりゃそうよ。ちょっと特殊だから、その辺で簡単に手に入るものじゃないんだけどね。バルザックの魔法専門店まで行って来てくれる? 私、暑くって行く気にならないのよぅ」

 僕だって暑いんだけど。そう呟いてみるけれど、シャルルは気にする事もない。

「痩せるつもりで行って来たら?」

「ひどい! たどり着く前にひからびて死んじゃうわ!」

 シャルルはそのつぶらな目を潤ませた。

 大げさだな……。でも、まあいいか。ちょっと出かけるのも気分転換になっていいかもしれない。僕はそう思い、彼の頼みを軽い気持ちで請け負った。



「え? そんなに高いんですか?」

 シャルルに教えてもらった路地裏の店の中。僕は思わず高い声を上げる。

 店内は妙にカビ臭い。古ぼけた棚の中にはイモリだかヤモリだか分からないが、そういった類いのぬめっとした動物が薬液漬けにされておいてある。他にも極彩色の鳥の羽やら、変色した動物の骨や、妙な色合いで発光する怪しげな石など、見た事のないようなものばかりが並んでいた。なんだか気味が悪くて、でも怖いもの見たさでそれらを凝視してしまっていたのだけど――金額を聞いて周りの景色が吹っ飛んだような気分だった。

「すまないねぇ。この頃急に流通が滞ってね。原因はよく分からないんだが……。とにかく在庫もない事だし、十粒で金貨一枚。これ以上はまけられないね。あ、でも早く買っとかないと、きっとすぐに売り切れちゃうよ」

 僕がいくら値切っても、店の店主は頑として譲らなかった。年齢不詳の彼はその禿げ上がって光る頭を、それ専用なのか古ぼけた布に油をたらして磨き上げる。客などまるで居ないかのようなその態度。

「十粒で金貨一枚……」

 それだけあれば、家族が半年は余裕で食べていける。シャルルが言うには、百粒で金貨一枚と言っていたのに。

 なんだか足下を見られている感じだった。必要経費とはいえ、さすがに僕の独断で買う訳にいかず、とりあえず買わずに店を出る。

 他の店でもそうなのかな。

 僕はもう一軒教えてもらっていた店に向かったけれど、そこでも同様に価格が高騰していた。

 仕方ない……出直すか。さすがに十粒で金貨一枚だ。ぼったくりもいいところだし、そんなにすぐ売り切れはしないだろう。

 僕はそう考えて、その日は帰路についた。



 戻って早速シャルルに報告すると、彼はその目が溢れそうなくらい目を見開いた。

「十粒で? なんでそんなに高いのよぅ!」

「今はもの自体が流通してないらしいよ」

「うーん……もしかして」

「何?」

 僕が尋ねると、シャルルは一瞬考え込む。しかしすぐに首を横に振って曖昧な笑顔を浮かべた。

「……とにかくね、材料がないと薬も作れないし。そうなるとアリスは変身できないんだから、こっちも困るのよぅ。もうすぐ麦は収穫期で、ただでさえ忙しくなるんだから。新しく人を雇うのも、私がこんなだから……今はちょっと嫌なのよねぇ」

 ふと嫌な予感が胸をよぎる。それが何なのか考えようとしたが、その前にシャルルが次の言葉を発した。

「そうだわ、直接採りに行けばいいのよぅ! 昔は皆そうしてたんだから!」

「直接? 採りに?」

 そう言われて僕は材料について何も知らない事に気がつく。

 シャルルがタタタと軽やかに棚を駆け上ると、一番上の棚においてあった小さな壜を抱える。重そうに抱えるので、途中で僕はそれを受け取った。

 机の上にそれを置くと、シャルルがその壜のふたを開け、中に手を突っ込む。

「あら? もうなかったかしら? ……ああ、あった、うそ、あと一粒?」

 シャルルは不満げに壜を覗き込み、壜をひっくり返す。しかしシャルルが持っているその白い実が最後の一つだったらしい。

「ほら、この粒よぅ。……ちょっと欠けてるけど」

 彼の小さな手の上に真っ白な小さな粒が乗せられている。いつもアリスが飲んでいるのとは色と艶が違った。

「これ?」

「そう。これ、月食エクリプスっていう木からしか採れない実なのよぅ。月の雫の欠片っていうの」

「エクリプス?」

「月の満ち欠けに反応して実をつけるから、そう呼ばれてるんですって」

「ふうん」

「魔法ってすごく繊細なのよぅ。丈夫で相性のいい容れ物じゃないとすぐ壊れちゃうの」

 その言葉でふと前から思っていた事が口から飛び出した。

「ねえ、その薬使わなくても、アリスに直接魔法をかけることって出来ないの?」

 そう言うと、シャルルは俯いた。

「出来ないわ……今の私じゃね」

 僕は当然出来ると思っていたので、多少驚く。だって、シャルルは毎日自分に魔法をかけてるはずで……。

「どういうこと?」

「まぁ、いいじゃない。そんなことは」

 珍しくその小さくも丸い顔に影が出来てるように見え、僕は少し心配になり、伺うように顔を覗き込む。すると、そのつぶらな瞳と目が合った。


 ――やばい。


「あ、あらぁ? 心配してくれるの? もしかしてっ」

 一気にその顔が輝き、僕は思わず後ずさる。間一髪でその小さな両腕が空を切り、僕はその熱い抱擁を避ける事が出来た。

 ……油断も隙もないな。

 僕は安堵の息をつくと椅子の影に回り込んで防御を固めつつ、さっきの話を頭の中で整理する。

 え、つまり、じゃあ、万が一その粒がなくなったら、アリスは変身できなくなるって、そういう事なのか? ひょっとして、さっき、店にあるだけ買い占めるべきだったのか――?

 僕は急にひどい焦燥感に駆られて、慌てて口を開く。

「じゃあ――その実を採ってくればいいんだね? どこにあるの?」

 ニヤリ、とシャルルがその口を歪ませる。

 何かとんでもない罠に引っかかったような、そんな気がした。


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