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あたしは、猫。  作者: 碧檎
第三章 魔法薬のレシピ
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17 猫のアリスと少女のアリス

 視界全てがまぶしかった。

 あたしは中庭の池の中に飛び込んで、中で泳いでいる魚を追いかけていた。頭の上からは噴水の水が淡い虹を帯びて落ちて来る。水面も光の波を作って、時折目に刺さるようだった。

「暑いわねぇ」

 シャルルが芝の上に敷いた布の上でけだるそうに転がっている。彼は日光浴中みたい。どうも減量の一環らしいんだけど。こんな日にわざわざご苦労だわ。

 でも……ほんとに暑い。……今はまだ春だっていうのに。

 中庭は春を彩る花と若葉で優しい色に包まれている。その色だけを見るとふんわりと穏やかな気分になるはずだった。

 でも実際は、城の中はまだしも、外はうだるような暑さだ。

「なんなのかしら、この暑さ」

 あたしは水面を叩き、跳ねる水を顔に受ける。

 ああ……気持ちいい。

 見上げると二階の窓からリュシアンがこちらを見下ろしていた。あたしは彼に向かって大きく手を振る。


 リュシアンは、お姫様との縁談が見事に破談になって、以前と同じようにこの城に居続けている。相変わらずシャルルが痩せるまでっていう期限付きの城主だった。仕事も随分慣れて、もう半分は一人でこなせるようになってるみたい。

 カサカサという音に視線をおろすと、シャルルが菓子の包みを開けている。中からはキツネ色のカップケーキ。傍らには同じ菓子の包み紙が既に十個以上は転がっていた。もう何も言う気にはならない。首が絞まらないだけいいという事にしてる。

 シャルルは取り出したケーキを丸呑みにすると、隣に置いてあったミルクで流し込む。そして汗をかいたカップの水滴を嫌い、手をカップごとぶんぶんと振る。

「異常気象ね。ここ何年か少しおかしいと思ってたけど、ここまでおかしくなるとはねぇ。今年の収穫が不安よぅ。干ばつでもきちゃったら終わりだし。祈るしかないわぁ」

「祈る?」

 リュシアンならともかくシャルルの口からそんな言葉が出るとは思わなかった。

「あらやだ。私だって神様は信じてるわよぅ?」

「……」

 普段のシャルルからはとてもそうは思えない。あたしは疑いの眼を彼に向けた。

「――神様はいるわ。そしていつも私たちの事をちゃんと見守っている。本当に信じていれば恐れるものは何もない」

 神妙な口調に少し驚く。一瞬別人かと思う。

 大体、シャルルにも恐れるものがあるの? 尋ねようとして彼を振り返ると、城の入り口からリュシアンが現れた。なぜか血相を変えている。

「どうした」

 の、と最後までいう前にリュシアンの怒鳴り声に遮られる。

「アリス! 何やってるんだ!」声とともに頭からすっぽりタオルがかけられた。

「何って……水遊び。ほら、魚も捕れたんだから」

 あたしは庭の掃除をしてたんだけど、あんまりに暑かったから、仕事をさぼって池で遊んでたのだ。魚を追ってるうちになんだか熱中しちゃったけど。

「ああ、もう、猫じゃあるまいし」

 リュシアンは地面の上でぴちぴちと跳ねる魚をつまみ上げると、池の中に放り込む。

「……猫だけど」

 そう言うと、リュシアンはげんなりした様子で、あたしを睨む。

「『今』は、違うだろう」

 そういいながら視線を下に降ろし、突然ぼっと火がついたかのように真っ赤になった。

 そして慌てたように目を逸らすと、シャルルに向かって文句を言う。

「なんで注意しないんだ!」

「何を? せっかくいい眺めなのに?」

「いい眺め?」あたしは周りを見渡す。花は色とりどりに咲き誇って綺麗だった。さっきあたしが飛んだり跳ねたりしたから、周りの芝もその水を受けて青々と輝いている。――うん、たしかにいい眺め。

 頭を拭こうと肩にかかるタオルをとると、リュシアンがそれを押さえて妨害した。

「ほ、ほら。着替えておいで。まったく、びしょぬれだろう?」

 あたしがスカートの裾を握るとかなりの量の水が地面に染みを作った。

 ブラウスも体に張り付いて、所々肌の色が透けていた。体温と外気で暖められてなんだか不快になって来る。なんで怒られてるのかようやく合点がいった。

「そっか。脱いで遊べば良かったのね?」

「……ちがう。それはもっと駄目」

 リュシアンはなんだか泣きそうな顔をしている。

「リュシアンったら、変」


 ここ何ヶ月か、リュシアンは変な事で怒るようになった。

 そうそう、最初は例のあの事件の後。夜に捕まって、朝ご飯も、お昼ご飯も貰えなくってお腹が空いてたまらなかったから、そう訴えたら、やっぱり今みたいに泣きそうな顔をしてからむっつり黙り込んじゃった。

 なんだか怒ってるみたいだったから理由を聞いたけど、ちっとも教えてくれない。

 他にも、もうお昼でもリュシアンの部屋に入ったら駄目だとか、ジョアンやシャルルの部屋も駄目とか、暑くても部屋の窓は締めて寝ろとか、薄着をするなとか。細かすぎて覚えてられないくらい。しかも理由をはっきり言ってくれない。

 そんな事ばっかり増えて、なんだかその度に嫌な気分になる。

 はっきり言ってくれたらいいのに。っていうか、はっきり言ってもらわないと分かんないわよ。

「変でも何でもいいから。ほら、早く!」

 あたしがぐずぐずしてると、リュシアンはとうとう怒って室内へと戻ってしまった。その手にシャルルを握りしめて。


 そうして中庭にはあたし一人ぽつんと取り残される。

 置いていた箒を拾って、それを引きずりつつ城へと戻った。ザザザと乾いた音があたしを追いかけて来る。それを倉庫にしまって扉を閉めると、とたんに溜息が出た。

 リュシアンは……あたしのことどう思ってるんだろう。

 シャルルが言うには、「もう遠慮はいらないわ!」らしいんだけど、あたし、そんな風にはとても思えない。

 あの時、リュシアンがぎゅって抱きしめてくれて、あたし、びっくりするくらい嬉しかった。直前まで食べ物の事しか頭になかったのに、お腹がすいてるのも忘れるくらいだった。

 あんまりに気持ちよかったから、この間もう一回してって訴えたら、すごく困った顔で断られた。猫の姿なら普通に「おいで」って言って抱っこして撫でてくれるのに。

 きっとリュシアンは『猫のあたし』を飼い主として好きなんだと思う。この間部屋を掃除してたら、猫の世話本も置いてあったし。それは変に読み込んであって、もうぼろぼろだった。どれだけ熱心か伺える。

 その上、リュシアンは、あたしが猫の時には穏やかな顔しかしないのに、あたしが人の姿になるととたんに苦しそうな顔をするんだもの。それに怒ってばっかり。どっちの姿が好きかなんて明らかだった。

 ――いっそのこと、もう変身しない方がいいのかも。そうして平和に過ごせるのなら、その方がいいのかもしれない。

 あたしはいつの間にかそんな事を考えるようになっていた。


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