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あたしは、猫。  作者: 碧檎
第二章 花嫁がやって来た
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15 魔法書と古ぼけた鍵

 眠い目を擦りながら食堂へと向かう。

 昨夜はひどい雷雨だったけれど、今朝はだいぶん収まり、城内には薄い霧が流れ込んでいた。髪がしっとりと湿り、冷たい空気が頬にまとわりつく。

 ……シャルルの奴、どこへ隠れたんだろう。

 昨夜、夜中探したけれど、見つからなかった。ただでさえ小さいのだ。夜の闇にまぎれてしまえばとてもじゃないが見つからなかった。

 それでも僕はいろんなことから逃げたくてシャルルを探し続けてしまった。

 部屋にはとても戻れなかった。アリスがまだ居るかと思うと、無理だった。それに……姫にも顔向けできない。あれじゃ、もうこの縁談は破談になってもおかしくなかった。

 だとしても……城に残るのは、もう無理かもしれない。あんなものを見てしまった後に、アリスと一つ屋根の下で暮らすなんて、自信が無かった。僕はもう、墓穴に半分くらい足を突っ込んでしまっている気がしていた。

 それにしても、どうしてあそこまでして妨害したがるのか理解できない。無理はしてたけれど、笑って喜んでくれていたはずだろう? やっぱり疑ってるのか? でも王はともかく、姫はあんなに優しそうなのに。いくら何でもあんな顔で悪事を働くなんて考えられない。多分アリスは何か誤解してるか、――それかただの嫉妬か。思い上がりかな、でも――

 答えが出ずに、ため息をつきつつ、中庭を横切ろうとした。

『じゃあ……失敗したのか?』

 ふと声が聞こえ足を止める。見ると、中庭で王と姫が話し込んでいた。円形の中庭の壁にその声が反射し、籠った調子で廊下まで響く。そのいつもとは違った調子の声に、思わず柱の陰に隠れる。

『昨日、探したけれど掴まらなくって。とんだ骨折り損よ。もう面倒だし、色仕掛けでもなんでもやってみせるわ』

 ――色仕掛け?

『お前の手にかかればすぐだろう。――頼むぞ?』

『昨日も惜しかったんだから。邪魔が入らなければすんなりいったと思うわ。でも、あの子さえ居なければ大丈夫よ。そうね……もう手っ取り早く襲ってもらった方が良いかもしれないわね。そうすれば間違って消してしまっても大義名分が出来るし』

 消す? 大義名分? いったい――この姫は何を言っている?

『……それにしてもなあに、その顔。あのあとあの猫ちゃんにいたずらしたのでしょう?』

『ふん、暴れ猫にな』

「――――何だって」

 僕は隠れていたことも忘れ、思わず叫んでいた。

「アリス、……アリスに何をした!」

 そういえば、この時間なら、もう彼女は起きて仕事をしているはず。その辺を駆けずり回っているはずだった。なのに廊下も部屋もまったく彼女の気配がしない。

「おや」

「まあ」

 王と姫は、互いに顔を見合わせ、肩をすくめる。

「聞かれてしまいましたの?」

 姫はいつも通りに何事も無かったかのように微笑むけれど、笑顔の効果は既に無い。

「……どういうことだ」

 低く呟くと二人を順番に睨んだ。

「アリスは……どこだ」

 ひどく嫌な予感がしていた。王は眉を上げるとふうんと納得するように頷いた。

「 ああ、あの暴れ猫ね。アリス、というのか。いやいや、勝手をして申し訳ないが、彼女、あんまり行儀が悪いからね。ほら、見てごらん、この傷。殺してしまっても良かったけれど、美しいし高く売れそうだったからよそに売りに出したよ。売れた代金を慰謝料としていただこう」

 王のその頬には三本鋭い傷が生々しく残っていた。

 その目を怪しく光らせ僕を観察するように眺めると、王はにやりと面白そうに笑う。

「それにしても侯爵殿が気に入るのもよく分かる。――なかなか美味だったからね」

 次の瞬間、僕は王に殴り掛かっていた。

 拳に熱い衝撃が走り、はっと我に返る。目の前では、床に転がった王が、殴られたというのに嬉しそうに僕を見上げていた。

「ふん……ようやくこれでお前をとらえる大義名分が手に入った。理由も無く〈英雄〉を虐げると悪評が立つ。それは困るのだよ。賢君として売ってるものでな。――不敬罪だ。……ひっとらえよ!」

 どこから湧いたのか、バラバラと侍従が集まる。その身のこなし、皆、訓練を受けた兵士のようだった。僕は後ろに腕をねじり上げられ、苦痛のため前屈みになる。

 姫がニコニコ笑いながら僕に歩み寄ったかと思うと、僕の胸のポケットに手を突っ込んだ。

「うふふ、これこれ。ようやく任務完了! じゃ、お父様? 約束よ、これを手に入れたら新しい宝石を買ってくださるって」

「分かっておる。いくらでも買ってやる。小遣いも増やしてやろう」

 ――任務だって?

 呆然とする僕に、切れた口を拭いながら立ち上がった王が笑いかけた。

「書斎にな、あるだろう? 古い魔法書が。あれは金になる。知らなかっただろうがな?」

 ふふふと笑うと王はその古ぼけた鍵にキスをする。その恍惚とした表情を見ていると腹の底から怒りが込み上げてくる。

「領地が……目的じゃなかったのか。民を救おうとするんじゃなかったのか!」

「領地も頂くよ、もちろん。これだけ豊かになった土地の自治など認めるわけがない」

 王は笑い、姫が続けた。

「でも、小麦なんて、管理が大変な割に、あまりお金に成らないんですもの。その上、そういう分かりやすいお金ってすぐにお母様に取り上げられちゃって懐には入って来ないんだもの。それより、『あれ』を使った方が、楽に、それもたくさん秘密のお金が手に入るわ」

 姫は歌うようにそう言った。うっとりと目を細めるその様子は同じ顔をしているはずなのに、妙に卑しく見えて別人のようだった。そうだ、この顔――あの馬車の中で見た――一瞬別人かと思ったあの時の顔と雰囲気が同じだった。

 僕は――やっぱり最初から騙されて?

「僕のことは、……僕を騙していたのか?」

「あら? あなた、どっちにしろあの猫ちゃんの方がいいんでしょう? 私と結婚する気なんか無かったくせに。お互い様でしょ? あなたを落とせなかったのは面白くないけれど、――まあ、あなたにもあの子にももう会うことも無いでしょうし、忘れてあげるわ」

「アリスを……どうしたんだ」

 姫は笑うばかりで答えない。飛びかかろうとして再び侍従に押さえつけられる。王が上から見下ろしてため息をつく。

「あきれたな、本気なのか。相手は魔法の猫だぞ? 慰みものの人形だぞ?」

「――アリスは、アリスは人間の女の子だ! 少なくとも、お前たちより、ずっと人の心をしてる!」

 王も姫もニヤニヤと笑うだけだった。そして王は僕を押さえている侍従を鋭く睨むと、吐き捨てるように言った。

「こいつを処分しておけ」


 *


 王と姫の背中が廊下の暗がりに消えてゆく。

 僕は手を後ろで縛られ、床に転がされる。頬に冷たい廊下が押し付けられた。

「あーあ、面倒だな。やっぱり尻拭いばかりじゃないか。今回は全く良いとこなしだ」

 少しだけ顔を上げると服がはち切れそうなくらい太い足とがりがりに痩せた骨のような足が目に入る。

「今回に限ったことじゃないだろう。いい加減慣れろよ」

「あの魔法の猫も、結局独り占めされちゃったしさぁ」

「まあ、あれだけお転婆じゃ、俺たちには手が負えないだろうよ」

 野太いすねたような声と、冷めた調子の乾いた声が頭の上から降り掛かる。

 ――アリス、アリス……アリス!

 胸が苦しくてたまらない。命の危険が迫っているというのに、頭が全く働かなかった。

 ――よくも!

 今なら、眼力で人が殺せるんじゃないかと、そう思った。そのくらい王が憎かった。僕が、欲しくてたまらなくて、でもどうしても手に入れられなかったもの。それを横からかっさらわれて、しかも壊された。

 こんなことになるなら……手に入れておけば良かった。あんなやつに傷つけられるくらいなら、彼女を突き放さずに、しっかり守っていれば良かった。

『全て獣と寝る者は必ず死刑とする』

 聖典の一節が蘇る。線を引きすぎて、ついには破れてしまったその文言。そうして目に見えなくなっても、心には刻み込まれ、僕に大罪という足かせをつけた言葉。死を前にして、今はもう、その足かせは意味をなさなくなっていた。

「そらよ、嫌なことはさっさとやっちまおうぜ」

 目の前で長剣がぎらりと光ったかと思うと、いったん持ち上げられて姿を消す。

 堪らず目を瞑ると、アリスの柔らかい笑顔が瞼の裏に浮かび上がる。最後に見たのは泣きそうな顔だったというのに。

 こんな風に死ぬのなら……好きになるのを堪えなければ良かった。逃げずに恋をすれば良かった。

 ――アリス――

 振り下ろされる死を目前としても、僕の頭の中にはもう彼女しか居なかった。



「――――――――?」

 いつまでたっても降りてこない衝撃に、僕がおそるおそる目を開くと、目の前にあったはずの四本の足は消えていた。

「?」

 どう、いうことだ? いったい何が起こった?

 ふと、腕の上に何かが乗る。そして腕を戒めている縄をかじる音が辺りに響いた。

「……シャルル?」

「世話が焼けるわねぇ、まったく」

 縄が緩み、僕は一気に跳ね起きる。シャルルをつかむと強く揺さぶった。

「何処に居たんだ! ――アリスが!」

「うふふ、ようやく認めたみたいねぇ? 命の危機にさらされてたのにアリスのことを最初に聞くなんて。死ぬと思ったら自分に正直になれたのかしら?」

「……」

 否定する気にもなれず、気まずくて俯くと、なぜか足下に太った蛙と、がりがりに痩せた蛇。蛙は小さな釘みたいなものをその手に持って僕を威嚇するように振り回していて、蛇は頭を隠すように蜷局を巻いていた。その下には芸術的とも言える古い文字と文様がチョークで書かれている。

「ほぅら、魔法が解ける前に捨てて来ちゃってよぅ」

 シャルルは手に着いたチョークを払うと蛙たちを指差して僕を促し、自分は廊下を駆け出そうと城の入り口を目指す。

 僕は促されるまま、蛙と蛇をつかむとポケットに突っ込んで立ち上がり、前を駆けて行くシャルルを追う。一人と一匹の足音が廊下を駆け抜けた。

「魔法って、まさか今のが?」僕はポケットを押さえながら尋ねる。シャルルのネズミの姿とその変態ぶりに、彼が偉大な魔法使いだということをすっかり忘れていた。

「あーあ、無駄に体力使っちゃったわ。魔法を使うのって大変なんだから。痩せちゃったじゃない」

 シャルルはそう言うと少しだけ緩んだ首の輪を持ち上げる。が、途中で肉に邪魔されてやはりそれは抜けなかった。

「シャルルって……」

 本当はすごいのか? そう言いかけて、やめた。調子に乗せるとその後が怖い。

 それに――

 霧の合間から薄い光が差し込む城の入り口で立ち止まると、シャルルに再度尋ねる。

「アリスは?」

「居場所は知ってるわ。今のところは無事よぅ。ジョアンに追ってもらったの」

 ――無事――!

 その程度が気になったけれど、とりあえず、彼女の命があることにほっとする。王にあんな傷を付けているんだ。僕が殺されかけたことを考えると命の心配があった。体から力が抜けるのが分かる。でも、ジョアンが頼りになるとは到底思えない。

「どこ?」

「ある組織」

「ある組織?」シャルルは珍しくかなり不快そうだ。

「……人身売買の斡旋組織よぅ」

「それって……」

 そんなこと、確実に法に触れる。僕が顔をしかめると、シャルルは頷いた。

「そう、違法の組織よぅ。でも……表向きは魔法の猫を売買してる合法のお店。でもその裏ではね、人を猫に変身させて、魔法の猫だと偽って売るの」

 シャルルは相変わらず不快そうで、それ以上の説明を嫌ってその後を省いた。

 そうか……猫を人に変身させることが出来るのなら……その逆も可能ということか。シャルルなんてその典型じゃないか。

「でね、その大元って……」

 この話の流れから言うと――「王、か」

 そういえば、彼はアリスを見てすぐに魔法の猫だと気がついていた。そういうことであれば、事情に詳しいはずだ。

「あたり!」

 シャルルは嬉しそうに顔を輝かせた。

 僕はもう一度頭をひねる。

「じゃあ王が欲しがってる本って……」

 書斎にある、僕の読めないあの本、あれは。

「魔法書よ……変身のね。あの鍵を欲しがったから分かったわ。ほら、魔法薬――そうアリスが飲んでるやつね――って貴重でしょ。あれって、王家が魔法使いに研究費を出さなくなったせいで、魔法使いが開発費欲しさに高額で売るようになったからなのよ。自業自得なのに、馬鹿よねぇ。で、懐が淋しくなって自分で作ろうと思ったんでしょ。それか事業を興そうと思ってるのかも。それで、魔法使いのいない城を狙ったって訳よぅ。魔法書があれば作れるとでも思ってるのかしら。魔法使いを舐めてるわ。ほんと、王様のくせに小者でケチでゴウツクで……おまけにお馬鹿で嫌になっちゃう」

 シャルルは丸々した腰に手を当てると鼻息も荒く言う。だけど、それだけ大事なものだというのに、放っておいて良いのだろうか。

「いいのか?」

「大丈夫よぅ、もう一つ鍵をかけておいたから」

「鍵?」

「あの鍵はリュシアンしか使えないようにしてあるから。だからあなたが部屋に入れない限りは大丈夫」

 ああ、それで、僕が姫を部屋に入れようとしたら怒ったのか。

 ――事情は分かったけれど、僕がやるべきこと、出来ることは、結局一つだけ。

「ともかく今はアリスを助けないと」

 シャルルは頷いて南を指差した。

「お姫様の救出ね! ロマンスだわ! わくわくしちゃう」

 不謹慎ににやつくシャルルを横目で睨むと、僕は薄い雲を分けて輝きだす太陽に向かって駆け出した。


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