12 瑠璃色と緑色の視線の中で
王の一行はこの城にしばらく滞在することとなった。十人ほどの従者にも部屋をあてがい、にわかに城は騒がしくなる。
王と姫がどうせなら静かな場所でゆっくりしたいと滞在の延長を申し出たので、いつ結婚の話を出せばいいのかびくびくしていた僕は、彼らの滞在を快諾した。さすがに知り合って一日でそれを申し出てよいのか、分からなかったのだ。
せめてもう少し姫のこともその父である王のことも知らないと。
王が僕を利用して城を手に入れようとしているなんてこともシャルルは言っていたし、さすがに慎重にならないといけないのかもしれない。
王が利用しようと言うのなら、それはそれでいい。僕もアリスを忘れるために彼らを利用しているのだから。今の僕には、そのために手段を選ぶ余裕も無かった。とにかく、アリスの問うような視線から逃げるのが精一杯だった。
聖典には嘘をついてはいけないとあるけれど……黙っているだけでもそれは罪なのだろうか。僕は侯爵ではありません。実は雇われ城主でしかありません。僕を婿にとっても、あなたたちが得るものは、本当は何も無いのですと。
でも……僕がアリスに対して求めるものに比べると、比較できないほど小さな罪のような気がした。
――僕は一体どうすれば良いのですか――
古ぼけた聖典に向かって尋ねても、返事はもちろんなかった。
「侯爵殿?」
かわいらしい声に我に返る。
「ああ、すみません。ぼうっとしていました」
僕はぼうっと眺めていた中庭の噴水から目をそらすと、姫に向き合った。
応接間の中は暖房が効いて暖かく、ジョアンの焼いたマドレーヌの匂いが柔らかく漂っている。王は「後は若い人だけで」と微笑むと、従者とともに領地の視察に出かけていった。
そして――部屋の隅にはアリスがなぜか不敵な笑みをたたえたまま、人形のようにぴくりとも動かずこちらを見張っている。それに気づいてから、あまりに怖くてそちらを見ることが出来ずにいた。背中がじりじりと視線で焼かれているような気がする。
一体どういう心境の変化なんだろう。僕は彼女が何を企んでいるのかさっぱり分からず途方に暮れる。マドレーヌが欲しいのなら、全部持っていってもいいから、部屋を出て行ってほしかった。昨日の一件に懲りて、ケーキ類には手を付けないことにしていた。あんなことされたら、心臓がいくつあっても足りない。
話題を探して頭を働かせようとするけれど、こういったことに慣れていないため、すぐには会話の種を思いつかない。焦っていると、姫はふふと柔らかく微笑みながら助け舟を出してくれる。
「この間頂いたお手紙ですけれど、とても素敵な布に包まれていらして……。ああいったものってどこで手に入れられるのです?」
「ああ、あれは」
僕はその布について知っていることを話す。確かシャルルが南方の国に旅をした時に買って来たと言っていたはず。美しい布に包まれた手紙をもらったのだから、返事もそうしたほうがよいとそう思ったのだった。
「まだございます? 珍しいものでしたから、出来れば見せていただきたいの」
「ああ、ではお持ちしましょう」
姫は少し首を傾げて困ったように笑う。「私も付いて行ってよろしいかしら?」
「ああ、でも……」
僕がシャルルとの約束を思い出して断ろうとすると、姫はそれを遮る。
「お部屋の前までで構いませんわ? せっかくですし少しこのお城の中を案内していただける?」
……部屋の前までなら構わないだろう。
僕はそう思うと、頷いて、姫を廊下へと誘った。
胸の内ポケットから鍵を取り出すと書斎の鍵を開ける。カビ臭い、古い本の匂いが一気に廊下へと流れ出した。
姫は興味深そうに中を覗き込むけれど、足を踏み入れることはなかった。
痛いほどの視線を感じる。それは姫のものではなく――なぜか付いて来たアリス。
もう一つ小さな視線を感じて、よく見ると、そのエプロンのポケットからシャルルも僕を睨んでいる。いないと思ったら、そこにいたのか……。
別にいいだろう? 部屋に入れていないのだから。
そう思いながら、机の引き出しから華やかな花の刺繍が施された色とりどりの布の束を取り出し、部屋を出ると扉に鍵をかけた。
僕はローズ姫の背後から放たれる燃えるような二つの視線をかわすと、姫に向かって微笑む。
「この布です」
姫は何か考え事をしていた様で、上の空でその布を受け取った。僕が不審に思ってじっと見つめると、彼女は少し慌てたように顔を輝かせる。
「ま、まあ、本当に綺麗。……ありがとうございます!」
にっこりと微笑まれ、僕は少し顔が赤らむのを感じた。だいぶん耐性が付いて来たけれど……まだまだ慣れるのには時間がかかりそうだ。
ふと顔を上げると、今度は刺すような視線の直撃を受けた。その緑色の瞳がギラギラと輝いている。
ああ、もう……痛い……。あれだけ言って嫌ってくれないのなら僕はこれ以上どうすればいいんだよ。
今度は見張るような視線ではなく、――明らかな嫉妬の視線だった。




