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――解、ザ・マン。

 それから俺たちは、三年四組の教室で二人きり、実にぎこちなく時間を過ごした。

 クリーム色のカーテンを透った陽射しだけが光源だった室内に蛍光灯の光が点るまでに三十分。体育祭実行委員の集会での連絡事項について話始めるまでに、そこから更に三十分。それをきっかけに日曜日のバスケ部の練習試合の結果のことやイズミの作るお弁当や俺の作る夕飯の話――いわゆる他愛もない会話を展開し、ようやく約束の五時半となった。


「さて、そろそろ移動だよな」


「そうね。念のため(・・・・)戦う準備はしておいて」


「ああ、了解」


 念のため、か。イズミはFDファイアー・ドライヤーを仕舞っているカバンを肩に担ぎ、俺はカバンの中に入れてあったプラスチックのケースから長さ十センチのネジを数本取り出し、制服の上着のポケット三箇所にそれぞれ二、三本ずつ忍ばせた。ネジはズボンのポケットには入れないようにしている。いくら大量に入れられるとはいえ、万が一ポケットの中で脚に刺しでもしてしまったら洒落にならないからだ。


「絶対に気を抜かないで。この学校の校舎内にいる以上、何が起こってもおかしくないわ」


「――了解」


 取り留めのない会話で和ませた空気とも、ここでお別れだ。これ以降、“大人(ライヤー)”と接触するのだという気持ちで臨まなければ、有事の時に命は無いと思っていい。



 廊下では、既に傾きつつある太陽によって木の床がオレンジ色に染められていた。

 ここ東棟は、古宮高校創立当初からずっと使われ続けている校舎で、一階部分の廊下のみ床材が木製という何とも奇妙な構造をしている。教室や後発の他の棟は余所の学校と変わりないのだが。

 ……などと、入学した時以来ほとんど気にしたことのなかったことを何故か考えつつ、無言のイズミの後を追って廊下を北階段方面へと進む。目指す二年三組の教室は、この棟の三階だ。



 カツン、カツンと、階段に貼られたリノリウムの床材が俺とイズミの足音を増幅させ校舎中に響かせる。校舎に俺たち以外の生徒の気配は無く、その無機質な音だけがただ静かに何度も(こだま)している。

 やがて階段が三階へと辿り着き、俺たちは階段と同じく冷たい音を奏でる廊下を進んだ。幅が小さく奥に長い廊下の壁に、長方形の白い表札が等間隔で設置されている。

 曰く、「一年六組」。その奥には「一年七組」。続いてようやく「二年一組」。それらがゆっくりと右手を流れていく。



「……当たり前だけど、まだ来てないようね」


 俺より数歩先に目的の二年三組に行き着いたイズミが、閉じられた教室のドアに付けられた四角形の小窓から室内を覗き込んでいる。


「先に入っておきましょう」


「あ、ああ」


 イズミが静かに引き戸を開ける。その後姿たるは堂々としているものの、隠し切れない緊張はその語調からも感じ取れる。


 無人の教室内は、夕日のオレンジでいっぱいに満たされていた。列を成しているはずの机が、教室後方にまとめて並べられている。その前には高く積まれた椅子の山が四つ。おそらく、移動させやすいようにだろう。生徒の席は全て、体育祭当日「生徒席」として校庭に置かれる。移動させるのは明日の午前中の準備時間だが、三階から校庭まで椅子を下ろすというのは、それだけでかなりの労力を要する。少しでも明日の苦労を軽減しよう、というこのクラスの担任の判断と思われる。


 イズミは窓際に立ち、そこから外を見下ろしている。真下にあるのはテニスコートのある中庭だ。微かに生徒たちの声が聞こえてくる。ということは、テニス部はまだ活動中か、あるいは今練習を終えたくらいか。


「由利也クン、悪いけど電気点けてきてくれる?」


「ん? ああ、わかった」


 夕日の差し込む教室は、今はまだ読み書きに支障が出ない程度には明るい。イズミは日が暮れるまでここで話し込むつもりでいるのだろうか。

 教室の電気のスイッチは廊下の壁に取り付けられている。窓際に居るイズミよりは俺の方がはるかに近い位置にいるため、二つ返事でスイッチを入れに向かった。


「――ありがとう」


 再び教室に戻った俺に一言礼を告げると、イズミは窓の外を一瞥したのち、さっとカーテンを閉めた。


「……イズミ? 多分、テニスコートからはここの室内の様子はよく見えないと思うぞ?」


「テニスコートにはもう誰もいないわ」


「じゃあ……」


「由利也クン。中庭を挟んだ向こうには何がある?」


「あ――」


 テニスコートのある中庭は、この東棟と、職員室や調理室などがある中央棟――通称「管理棟」を隔てている。東棟三階の窓の向こうには、管理棟三階の窓がある。つまりイズミは、管理棟からこちらを見られることを警戒しているのだ。

 この教室――と、三年四組――だけカーテンが閉まっているというのは少しばかり不自然な光景だが、それにしたって教室内の様子が筒抜けなよりはマシか。



「ねぇ、由利也クン――」


 消え入りそうなくらい小さな声で、イズミが囁く。寂しげでいて、どこか艶のある、甘い声。


 と、教室のドアがコン、コンと軽い音を鳴らした。


「立松先輩、いるんスよね?」


 丹羽の声だ。慌てて目立たない教室の隅へ移動しようとすると、イズミがジェスチャーで「そこでいい」という指示を出してきた。イズミは依然、ドアから一直線上に位置する窓の前に立っている。


「ええ。どうぞ、入ってきて」


 ガラ、とドアが鳴った後、失望の溜め息が教室中に響いた。

 それも当然だ。ドアからすぐ近く、丹羽の真正面。教壇の上に俺がいるのだから。


「……騙したんスね。今度こそ確認しましたよ、オレ。二人きりなのかどうか、って」


 学校指定のジャージを着たままの丹羽。制服に着替えもせず、イズミとの約束を優先して急いでここを訪れたのだろう。受けたであろうショックは計り知れない。


「ごめんなさい。騙したわ、あなたのこと」


 口では謝罪の文句を述べているものの、イズミはまるで悪びれる様子も無くくす(・・)と笑っている。

 今までの俺ならば、それを見て「味方ながら恐ろしい女だ」と思っていたことだろう。しかし、今はそうは見えない。虚勢、とまで言うつもりはないが、イズミのこういった仕草は自らを調子付ける意味合いも持っているのかもしれない、と漠然と推測できる。

 丹羽が俺をきつく睨みつけてくる。俺がイズミにそう指示したのだとでも思っているのだろう。生憎、俺の方はお前など恋敵とさえ思っちゃいないんだが、まだそれに気付かないか。……待てよ? これはある意味チャンスかもしれない。


「それで、何の用ッスか。名執先輩(・・・・)?」


 俺を睨みつけたまま、教室に足を踏み入れずい(・・)と体を大きく俺の方に寄せ、後ろ手にドアを閉める。


「あなたにどうしても訊いておきたいことがあるのよ」


 そんな様子の丹羽を挑発するように、俺に宛てられた質問に答えてみせるイズミ。それを受け、丹羽は小さく舌打ちをする。


「……何スか?」


 意中の人相手とあっては極力不機嫌を隠さん、とするような口調の丹羽。イズミの挑発は、どうやら術者の想定外の効き方をしているようだ。


「丹羽。お前さ、クスリに手ェ出してたりしないか?」


 丹羽の顔に苛立ちが灯る。素直な反応が表情から見て取れない、というのは挑発の弊害だったか。後ろから、イズミが微かに息を呑む音が聞こえた。


「……どういう意味だよ」


「そのままの意味だ。俺はさ、お前が麻薬やってんじゃないかって疑ってる。ヤる側というか、お前が売る側やってるんじゃないかって疑ってんだ」


「っ……!! 何を……!!」


「証拠掴もうと躍起になって、わざわざイズミを利用してまでお前に近付いてみたけど、お前がなかなかボロを出さないから困ってんのさ」


「……!! たりめーだ! 誰がヤクなんか……!!」


 怒声を上げる丹羽。姿は見えないものの、窓際で呆然としているであろうイズミ。それも仕方ない。これは脚本に無かった筋書き、完全に俺の暴走なのだから。

 こうすることにより、このまま丹羽の件が何事も無く終わった場合に、イズミに余計な悪評は付かない。そう考えての、本当に身勝手な行動だ。

 逆上した丹羽が俺に殴りかからんとする。しかし俺はあくまで冷静に(・・・)、逆にその襟首に掴みかかる。


「……っ!!」


「――お前、本当に“大人(ライヤー)”じゃないのか?」


 出来る限り凄んだ声を出す。ここまでやると、丹羽がかなり気の毒になってくるが、そう思ってやるのは俺の背後に控えているイズミに任せよう。俺は、今は非情に徹すべきだ。


「なん、だよ……その、ライヤー、って……! 嘘つき(liar)、だ……? 知るか、よ!」


 丹羽が体を大きく振って拘束から脱する。顔が真っ赤に高潮し、喉を圧迫されていたことと興奮から、息を荒らげている。


「ゼェ……ハァ…………!! て……めェ! いきなり何しやがる!」


 肩を大きく揺らしていた丹羽が、その落ち着きと共に拳を振るう。しかし、不思議だ。それほど集中を高めているわけでもないのに、その軌道がよく見える。俺がその拳を右の手のひらで受け止めると、パシと快い音が鳴った。振るわれる速度が遅かったわけではないようだ。


「くっ……てめッ………! 殺す! 一発殴らせろォ!」




「――――丹羽。その辺で退いとけ」


 突如。ドアの向こうから男の声がした。まるで聞き覚えのない声だ。

 間もなくガラリとドアが開かれる。現れたのは黒いジャージを上下に着た、中肉中背の黒髪の男。この校舎にいる私服の人間で、丹羽の知り合い――テニス部のOBか。


「黒川先輩!? どうしてここに!?」


「いいから。後のことは俺に任せて、お前はとっとと帰んな」


 男の眼光が俺を刺す。知れず、俺の額から汗が滴る。

 厄介なことになった。俺がやったことはほぼ美人局に等しい。イズミを庇うためあんな演技をかましたのが、逆に仇となってしまったかもしれない。

 丹羽が俺に一瞥くれた後、走って教室を出て行く。黒川と呼ばれた男が後ろ手に閉めたドア越しに聞こえる音から、丹羽がそのまま廊下を駆けて去っていったことがわかる。


「さてと――」


 男がそう言いかけた直後だった。

 ダン、と耳を(つんざ)くような衝撃音が俺のすぐ近くから発せられた。あわてて音のした方向を振り向いた俺の視界の中で、赤と黒のチェック柄のスカートの裾がひらりと舞う。


 響いたのは、爆ぜるように男へと跳びかかったイズミによって教卓が踏み台にされた音だった。

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