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――赤、朱に染まる追憶。

  ――桜の夢を見る。今は中庭にある、あの満開の桜の樹を、俺はその目の前に立って見上げている。


   やはり立派な樹だ。力強さと、同時に柔らかで包みこむような優しさを感じる。


     ――でもそれは生まれながらにして持ち合わせたものじゃない。


   わかってる。優しさは“彼女”から受け継いだもの。


   それで、ここはどこだ? 中庭じゃない。辺りには、見渡すかぎり蒼い草原が広がっている。


   と、視界が崩落を始める。蒼い草原に、そこではないどこかの風景が重なる。


   コンクリートが敷かれている。土は樹の根元だけ。朝の日の光が樹を照らす。冷たく。


   周りに人はいない。 『周りじゃない場所に人がいる』


   桜が泣いて花を散らす。風は無い。だから根元へとゆっくりと滴ってゆく。


   鮮やかなパステルピンクは、地に落ちてしまえば時間と共に濁った赤、そして黒へと――





 意識を取り戻す。白い光、発熱灯。カーテンの隙間から入る光は(あか)。天井は廊下よりも横に広い四角。


「目、覚めた?」


 女性の声が聞こえる。俺はまだハンブンを微睡みの中に置いてきてしまっている。


「名執くん?」


 ああ、そうだ、ハンブンは、今は必要ない――――


「名執くーん」


 視界一杯に、よく知った顔が映る。手のひらで、俺の頬をぺしぺしと叩いている――――


「――――福住せんせい?」


 瞬間、意識が戻り、思わず勢い良く上半身を起こす。って、あぶな……あれ。先生、かわした?


「やっと起きてくれましたね。外傷は見当たらないから心的ショックからでしょうけど……名執くんならへっちゃらでしょう? なのに目を覚まさないから、心配してたんですよ?」


 まだ頭がうまく働いていない。なにいってんだ、この人? “名執くんなら”って、何だ。


 そもそも、馴れ馴れしくないか?

 俺と福住先生って、せいぜいあいさつを交わすくらいの仲のはずだ。違和感が拭えない。


「名執くん?」


 覗き込んでくる、まるで同級生かと錯覚するほどの童顔。

 だんだんと意識がはっきりしてきた。ここは――――


「先生、ここ、保健室?」


 わかりきったことを尋ねてみる。


「そうですよー。この学校には、保健室以外にベッドが置いてある教室なんて無いですから」


 どこかズレた返答を頂く。

 ああ、そうだ。この人が三年間俺の担任をやってる福住先生だ。

 二度目の一年生から今まで三度も担任してくれてる先生なんだ。

 いくら会話を交わす機会が無くたって、これくらいの親しみを持って接してくれていてもおかしくはない。


「名執くん、見たところ大丈夫みたいですね、よかったですー」


 待て。大丈夫なものか。


「俺は――――」


 あの光景を思い出す。

 慣れ親しんだ廊下が、男の体から噴き出す血に赤く染まった。あの光景。


「――――俺はあの後、どうなったんですか?」


「“あの”、後?」


 先生は首を傾げる。


「名執くんと布施くんが廊下でぶつかって、名執くんのペンが布施くんに刺さっちゃって……」


「――――え?」


 それ、だけ?


「刺さっちゃったのがヘンなところだったらしくて、血がいっぱい出ちゃって。それで名執くんが軽くパニックになっちゃって。今、布施くんの方は病院に行ってます」


 「パニック」。そうきたか。

 確かに、間違いなく俺は混乱していたが……。


 ……いつから?

 先生の言う通り、ぶつかった時から混乱していたのだろうか?

 布施とかいうバスケ部員が俺を殺そうとしたことも、シの臭いも、


  アノ、アカく染まったセカイも、


 全て混乱した俺が創りだした妄想だったっていうのか?



「名執くん?どうしました?」


 気分が悪い。吐き気。頭痛。フラッシュバックする。


 落ち着け。

 あの出来事が“無かった”のであれば、それは俺にとっていいことだろ?


「先生。その布施って生徒が行っている病院を教えてください。見舞いに行きます。彼は、入院するんですよね?」


「どうして、それを?」


 一瞬、背筋が氷を感じる。


「――え……っ?」


「布施くんは刺さった場所が悪かったので検査をするために入院することになりました。でも先生、名執くんがツラく思わないように、それを言わないでおいたの」


 一呼吸。


「なんで、名執くんにはそれがわかったのかな?」


 乾いた喉から、言葉が生まれない。落ち着け、俺。


 なんでヤツが入院すると思ったのか? そんなの、理由は一つしかないだろう。

 俺の見たあの怪我は、普通じゃなかったからだ。あの深さまでペンが刺さって、ただで済むはずがない。


 だけど、言えない。そもそも、あの出来事を記憶してちゃいけない。

 俺はただ、“布施とやらとぶつかって、その時偶然持ち物のペンを刺してしまって、予想外の大量出血を見てパニックになった”だけだ。

 ――――決して、“ペンは体を貫通しそうなほど刺さった”のではない。


「……なんとなく」


「――――ほぇ?」


「なんとなくです。俺、血を見てパニックになったでしょう? だから彼がものスゴイ量の血を出したイメージがあって。だから、」


「……そーですかぁ」


 福住先生が、柔らかい表情を取り戻す。ようやく俺も肩の力を抜く。


 だけど、俺はまだ混乱している。

 残留する、あの(たかぶ)りにも似た吐き気。あの時の記憶。あの時の感触。

 それらとの付き合い方が……わからなくて。


「で、ほんとに入院するんですか。彼には一応謝っておきたいんで、場所を教えてもらえます?」


 あの布施とかいうヤツが、平然としているなら。

 俺とヤツを繋ぎ合わせるあの記憶が、嘘だったと断言できる。


「名執くんはえらいですねー。ちょっと待っててください」


 福住先生は自分の机に戻り、そこに貼ってある黄色い四角形のメモ用紙を見ながら真新しい白い紙にその内容を書き写し始めた。

 いつものようにニコニコしていて、鼻歌なんて歌っている。



「ここです。布施くんは、しばらくはここにいると思いますよー」


 だいぶ時間がかかったな……と、メモを見ると、病院の名前・住所の下にやけにほんわかした雰囲気の地図らしきものが書かれていて、病院の場所には「▼ここ!」なんて印が付けられている。

 ……まずい、不意打ちだ。この人、可愛すぎる。


「ぁ、ありがとうございます。お世話になりました」


 なんて、ニヤける顔を隠すようにそそくさと保健室を出ていこうとする俺に、


「名執くん」


 制止が入る。


「今までのが、保健室の先生としてのお話です」


 ……そうきたか。


「騒ぎを起こしてしまった生徒の担任としては、私はまだ名執くんとお話をしていません」


 仕方ない。観念するとしよう。


「――――していませんけど、名執くんだから大目に見ちゃいます」


「……へ?」


「私がとやかく言うまでもなく、名執くんはいい子ですから。それに、私個人の意見として、今回の件で名執くんが悪いことは何もないと思ってますし」


 驚いた。何かいい事でもあったんだろうか、先生。


「ただ、親……じゃなかった、保護者の方には必ず連絡を入れておいてくださいねー」


 それだけで済むなら安いもんだ――――なんて言いたいところだが、実は俺にとってそれはわりとキツイことだったりする。


「わかったよ。……さよなら、先生」


「はい。さようなら、名執くん」


 ニコニコ顔の福住先生に見送られて、俺は保健室を後にした。




 ふと、両手が空いていることに気づく。――――しまった、カバンを忘れた。

 急いで保健室に戻ったが、既に部屋の電気は消され、施錠がなされていた。


 ということは別の場所にあるのか? 心当たりがあるのは、あの廊下と教室くらいなものだ。



 ――――もしもあそこに血塗れのカバンなんかが置いてあったら、俺はどうにかなってしまうんじゃないか。

 そんな不安を抱えつつあの場所に行くと、カバンも、血痕も、最初から無かったかのように消えていた。


「やっぱり、あれは――――」


 保健室のベッドで俺が勝手に見た悪夢だったんだ。

 胸を撫で下ろす。そうだ、そうでなきゃオカシイ。

 ほら、もう記憶が曖昧だ。忘れよう。その名残も、全て。それが俺にとって一番良い。



「ふぅ……」

 

 ……さて、ここに無いとなると、カバンは教室に置きっぱなしなんだろうか?

 それがあの出来事を否定する材料であるのに、どうにも釈然としないまま俺は教室へ向かった。

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