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――窺、is he 何者だ?

 濃緑色のコンクリートの庭の上を、黄緑色をした小さな球が跳ね回る。

 がむしゃらに、ではない。右から左へ、返されては再び返され。小気味の良い音を立ててコートを往復している。

 しばらく眺めていると、規則正しい間隔で響いていた音が、突如そのリズムを乱した。失態や乱調では断じてない。俗に言う「昇り調子(ライジング)」と呼ばれる技巧によって、永劫に続くかのように思われた往き交い(ラリー)に終止符が打たれたのだ。


「ふぅ……。なかなかやるじゃん、あんた」


 手の甲で額にかいた汗を拭っている久留米 珠月。往年の有名選手を思わせるショットを決めてみせたのは、他でもない彼女だ。本当にテニスをやっているのかさえ疑わしいと思っていたけれど、今のラリーを見せつけられてしまってはもう何も言えない。いやはや、たじたじといったところだ。

 しかし、同じく彼女らのプレーを見ていたというのに、俺の隣に居るイズミの関心は久留米には向いていないようだった。


「先輩こそ……っつーか手加減してくれませんかね?」


「したした。超手ェ抜きまくりだよ、キミぃ」


「……嘘つけよ」


「あぁ? なんか言った?」


「いえ、何も」


 イズミが一瞬たりとも目を逸らさず注目しているのは、ネットを挟んで久留米と反対側に立っている、ジャージ姿の男子生徒。長いラリーが終了し、ラケットを握るのと逆側の手でヘアワックスで固められた黒髪を気怠そうに弄っている。

 言うまでもない。この男こそが例の“丹羽 烈人”だ。



「珠月、丹羽。そろそろ時間だ。ネットを片付けよう」


 審判をしていた杉山から号令が入り、練習に参加していた部員、総勢四名での後片付けが始まる。見学していた俺たちも手伝うべきかと思ったのだが、部員たちがあまりに手際良くネットを片付けているのを見て、出る幕でないないことを悟る。ちなみに、練習中に散乱したボールは既に全て回収済みだ。それをしたのは俺でもイズミでも、ましてやテニス部員でもない。


「それにしても鬱陶しいわね」


「まったくだ」


 コートの真ん中に張られていた緑のネットを丸めて担いでいる丹羽の周りには、およそ十名ほどの女子生徒が群れをなしている。ボールを回収したのは彼女たちだ。

 いわゆる親衛隊というやつらしい。なるほど、久留米がヤツに反感を持つのも納得できる。


 久留米、杉山、木戸、そして丹羽。四人のテニス部員が部室棟へ向かい、丹羽の親衛隊たちはどこかへ散り散りになっていった。



「で、何かわかったか?」


 中庭を横切り校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下で、できる限り(ひそ)めた声でイズミに尋ねる。

 しかしだ。あれだけ丹羽を注視していたイズミだが、その最中、とうとういつものあの不敵な笑みを浮かべることはなかった。それはつまり。


「いいえ、何も。一番判断材料になりやすい身体能力だけど……ダメね。全力を出し切っていないわ」


 思ったとおりの返答を受け取る。だが、少し気になるフレーズがあった。


「全力を、出し切っていない?」


 どういうことだろう。俺にはヤツが久留米に圧倒されていたようにしか見えなかったのだが。


「ええ。どうやらあれでも先輩を敬う気持ちはあるみたい。多分、本気を出したらその実力は久留米さんよりはるかに上よ」


「――驚いた。よく見てるな」


「……っ!!」


 第三者の思わぬ闖入(ちんにゅう)に、声のした方向へ即座に振り向く。


「おっと、悪い。驚かすつもりはなかったんだが」


「あ、間野(かんの)先生」


 目の前に立っていたのは、ぼさぼさの黒髪をした眼鏡の男――国語教師だった。そういえばこの男、テニス部の顧問だったっけ。


「や。こんなところで何やってんだ、君たち?」


「先生こそ、どうしたんですか? 朝練担当のくせになかなか練習に来ないって、三人がよく愚痴ってますけど」


「ぐ……。いや、いつも来いと言われてるからこうして見に来たんだが……また間に合わなくてね」


 ふむ。この男もこの男で苦労しているようだ。


「そうですか。それで、さっきの……」


「ん? ああ、二年の丹羽君の話か。まともにプレーを見たのは初めてだが、彼は巧いね。手の抜き方でわかる」


 イズミが僅かに表情を堅くする。


「先生はテニス経験者なんですか?」


「いや? まったくのド素人だが……」


「では、他に何かスポーツを?」


「学生の頃、嗜む程度にいくつかね。何をやったかなんてのはもう覚えちゃいないけど」


「なるほど。それで目がよろしいんですね」


「いや、哀しいかな動体視力なんかは人並みだ。その類いで誇れるのは観察眼くらいなものかな」


「観察眼?」


 訝しむ表情を隠そうともしないイズミ。


「そう、観察眼。曲がりなりにも教師をやっていると、人が秘めたあれやこれが見えるようになってくるものさ。哀しいことに、女の子の考えていることはちっとも読めんのだけどね」


 対し、自嘲気味に笑ってみせる国語教師。意外な表情だ。案外彼は気さくな男なのかもしれない。


「例えば君の彼氏…………うん、いけ好かない野郎だ。優柔不断で流されがち、興味が湧かないことには一切関わろうとしない類いの男だね。血液型はB型だろう?」


「なっ……!」


 イズミが小さく噴き出している。……俺はイズミにさえそういう人間として見られているのか。しかし、反論を述べようにも否定材料が――


「でも、そうじゃないんですよ」


「え?」


 散々忍び笑いをした後で、イズミがそれを否定する。


「確かに、見方によってはそう見えるかもしれない。だけどそれは逆に、見方を変えればそうは見えないということです。彼は柔軟で包容力があり、興味の湧いたことに対して一意専心な人。そういう風にも見ることができますよね?」


 俺をぼろくそに貶した国語教師の言葉の裏返しなのだから当然だが、あまりのべた褒め加減に、当の俺さえたじろがざるを得ない。国語教師も、虚を突かれたような顔をしている。


「……ははは。やっぱり女の子の気持ちというのはわからないものだな」


 それじゃ僕はこれで、と職員室方面へと去っていく国語教師。

 呆然としたままでは空気を悪くしてしまうと思い、当たり障りの無いと思われる話題を持ち出す。


「なんか、見た目より良い人そうだったな、あの国語教師」


「そう? 私は嫌い」


 言うや否や、踵を翻し教室へ向かおうとするイズミ。慌ててその後を追う。

 「嫌い」。あまりにもストレートな感情表現だ。あのイズミにそこまで直球な感情をもたらすなんて。倒錯しているとは思うものの、少しだけ羨ましく感じる。




 午前中の授業は退屈なものだった。俺より先にそう呟いた男に「退屈じゃない授業なんてあるのか」と尋ねたところ、彼は遠い目をして「一年次の家庭科とか、小学校の頃の図画工作とか」などとぼやき始めたので、その坊主頭に手刀を一発浴びせてやった。

 「理不尽だ」と抗議を暴力に乗せて返してくるヤツに対し、俺はローキックをかました。


「うぃー、ネズ子はいるかね?」


「目の前にいるってば」


 臙脂色のジャージを着た長身の少女が勢い良くドアを開け、教室に進入してくる。

 厳密には、角さんの「目の前にいる」のは脛を抱えて転げまわる芳邦なのだが、彼はもはや教室の空気と一体化しているため眼中に収まらないようだ。


「失礼します」


 角さんの後に、ベージュ色のふんわりとした髪を携えた女の子が続く。

 はっきり言って、この世のものとは思えない美少女。人の目を引く鮮やかな髪色。整った目鼻立ち、大きな眼にたわわな睫毛。イズミにも引けを取らないほどの、透き通るような肌の白さ。

 和輝のやつも人並み以上には整った顔をしているが、それでさえ兄妹だと疑わしいほどだ。


 それが今日はどこか、つーんとした澄まし顔を浮かべている。


「あれ? ケロ子ちゃんもしかして機嫌悪い?」


「こんにちは泉先輩。いえ? 断じてそんなことはありませんが」


 拗ねたような調子を含んだ甘い声。これほどまでに堅い口調の似合わない声を俺は知らない。本人が好んで敬語を使っているようなので言うに言えないのだけど。

 って、ケロちゃんの不機嫌は十中八九俺のせいだろう。一昨日、せっかく俺を起こそうとしてくれたのにその優しさを無下にしてしまったことがあった。


「あの……ケロちゃん。その、一昨日はごめん」


 しばしの沈黙の後、ケロちゃんはぷいとそっぽを向いた。これは機嫌を直してもらうのに少々時間がかかりそうだ。




「いずみちゃーん、今日とか明日の放課後も来るのー?」


 四人で昼食を摂っていると、その机に三人の女子がぞろぞろと歩み寄ってきた。そのうちの一人、木戸 つばめが唐突に要件を告げる。


「ええ。お邪魔じゃなければ、だけど」


 嘘つけ、と心の中でツッコミを入れる。「邪魔だ」と断られたくらいで折れるイズミではない。


「そうか。今日に限ってはそれで構わない。だが……」


 言い淀む杉山に、不穏な空気を感じ取る。イズミも同様なようで、珍しく表情に焦りの色を浮かべている。おそらくは、何か特別な事情に割り込めるほどまだテニス部と打ち解けられていないことへの焦りだろう。


「ごめんね、立松さん。明日の放課後はちょっと難しいかも」


「――そう、残念。何かあるの?」


 宣告者に向けられる焦りは、受け取りようによってはもはや敵意にも近い。久留米が鈍いやつで良かった、と心から思う。心中察したらしい杉山は申し訳なさげな表情。木戸はいつものニコニコ顔だが、もしかしたら感情を顔に出していないだけかもしれない。


「明日はOB・OGが来て、大会や体育祭の打ち合わせとか、一、二年の後輩への指導とかをしてもらう日でさ。OGにはちょっと昔ながらの排他主義な人とかもいて、部外者はちょっと近寄れないかもなーって」


「……そっか。なら仕方ないわよね」


 広い人脈と高い人徳を持つイズミといえど、それは主に同級生の中での話。広く見ても在校生相手に限る。卒業生(OB・OG)に出てこられてしまっては立つ瀬がない。


「ごめんねー? 今日の放課後、待ってるから」


 木戸がそう告げ、三人娘が揃って去っていく。と、


「あ、ちょっと待って」


 イズミがそれを呼び止める。特に言えば、呼び止めたのはその内の一人、杉山 零をだ。


「ん? 何だ?」


 きょとんとした表情をした杉山の元にイズミが駆け寄り、耳打ちをする。顔と顔との距離が近い。その光景から良からぬことを連想し顔を赤くしていたところをケロちゃんに見られ、侮蔑の色を込めた目を向けられる。……踏んだり蹴ったりだ、まったく。


 しばらくして、イズミが席に戻ってきた。


「何を話してたんだ?」


 イズミがまるで何事もなかったかのように食事を再開しようとしているので、一応尋ねてみる。


「……秘密っ」


 はて、杉山とイズミはそんなに親しい間柄だっただろうかと一瞬思ったものの、もし丹羽 烈人に関する何かを訊いていたのであれば、それをこの場で話すはずがないだろうと気付く。迂闊だったことを反省しイズミに視線を送ると、微かにその口角が上がった。まったく。



「泉先輩、最近はテニス部の方に行かれてるんですか?」


「そ。ちょっと体を動かしたくなったから」


「ああ、バスケは素人には厳しいものがあるからねぇ。慣れるまでは突き指とかしょっちゅうだし」


「だからお前の指はそんなにふとゴフッ――!?」


 いつの間にか教室に戻ってきていた芳邦が、余計なちょっかいを出したがためにその腹に強烈な肘打ちを受けている。馬鹿か、こいつは。


「く……ぁ……貴様ヤスジロウ、俺様の席無断拝借しておきながらなんつー仕打ちだ……!」


「いや? これネズ子の席だけど? あんたの席使ってるのはケロ子」


「嘘つけい! その防災頭巾は俺のだ! 立松嬢たる者がそんなファンシー趣味であってたまるか!」


「ほぅ、これですかい」


 角さんが椅子に括りつけられていた防災頭巾を取り外し、手に持ってそれをまじまじと眺めている。青地に可愛い仔犬のキャラクターが描かれた、確かにファンシーな一品だ。それを見つめるイズミが満更でもない様子なことに、残念ながら芳邦は気付いていない模様。そもそも防災頭巾て、なあ。高校三年生にもなって……。


「――よし。ほら、取ってこいワン公!」


 ブーメランの要領で、開け放たれた教室のドアに向かってそれを投げる角さん。奇怪なUFOの如く高速回転する青い防災頭巾が、そのまま廊下へと抜けていく。


「あ、このネコキチ! 覚えてやがれ!」


 それを追って教室を去る芳邦。その姿や憐れ。ま、入ったきりドアを閉めなかったお前が悪い。


「やれやれ。あんなのが幼なじみってんだから三次元(この世)は残酷だよ」


 そうは言うものの、楽しげにくすくすと笑う角さんのその笑顔のどこにも、暗い感情は見当たらなかった。




 午後の授業が退屈だったかどうか、俺には判断できなかった。


「おはよ。よく眠れた?」


「……ん。おかげさまで」


 腹に詰め込まれたイズミの手作り弁当。連日俺が想定外の時間にそれを食べていたため、今日こそはと約束したその今日の分は、驚くほどのボリュームを誇っていたのだった。肉、揚げ物、肉、肉、もう一つおまけに肉、肉、肉。とにかく大量のタンパク質を摂取した俺は、昼休み終了のチャイムと共に満腹感から来る眠りに深く落ちることとなった。


 薄いレモン色の陽射しの差し込む教室には、例の如く俺とイズミだけ。先ほどうっかり尋ねてしまったことを、今一度問うてみる。


「さっき、杉山と何を話してたんだ?」


「そうそう。それもあるし、早く中庭行こ?」


「……だから、それ(・・)って何だよ」


 ぽかん、と一瞬固まった後、ようやくイズミはさっき自分がその質問の答えをはぐらかしたことを思い出したらしい。頬に仄かな赤が灯る。


「別に大したことじゃないの。ちょっと丹羽 烈人に一戦挑むってだけ」


 一戦? って、まさか。


「テニスで?」


「そ。あんまり自信はないけど、なんとか丹羽 烈人が人間の範疇を超えた運動能力を持っていることを証明できたらって思って」


 確かに、それができれば丹羽が“大人(ライヤー)”――あるいは“溺者(ドランカー)”――であることが確定したも同然だ。ただ、奴らの人外的運動能力をスポーツの中で曝け出させるのは至難の業だとは思うが。


「わかっていると思うけど、明日は大々的には動けない。明後日は体育祭前日準備。丹羽 烈人が“大人(ライヤー)”であるのかどうか、今日中に見切りを付けないと厳しいことになるわ」


「……そうだな」


 厳しいといえば、もう既に十分厳しい。丹羽 烈人が“大人(ライヤー)”であるのかどうか。

 “大人(ライヤー)”でなかったら。新たに疑わしい人間を探しその調査をするには、体育祭まであまりに時間が無さすぎる。

 はっきり言ってしまえば、ここまで楽観視できているのは丹羽 烈人が“大人(ライヤー)”ではない可能性と同じくらい、“大人(ライヤー)”が体育祭の混乱を利用して何か企んでいるというのが杞憂である可能性があるからだ。


「もし私との試合で彼が“大人(ライヤー)”だと断言できる材料が見つからなかったら、ちょっと手荒い手段を使おうと思ってる。その時は貴方にも協力してもらうことになるけど、大丈夫よね?」


「ああ、もちろん」


 確定している事実はたった一つ。校内でEPDが発見された。その、一つだけ。

 イズミは、この学校にはまだ大元となった“大人(ライヤー)”が潜んでいるという。発見されたEPDも、もしかしたら植草らによってそれが最近のものであると断定されたのかもしれない。

 ……俺は確かに、流されっぱなしで優柔不断な男だ。なぜなら、未だに全てが間違いであってほしいと願っている。



 イズミの後を追って教室を出る前に、もう一度教室を振り返る。

 窓の向こう、葉桜の大樹の枝々の向こうには、コンクリートのコートを二つに隔てる緑の網を張る大勢のテニス部員たちの姿が見える。当然朝は見なかった顔ばかりだ。


     ――それじゃない。


 図らずとも整理されてしまった、混濁(ふういん)した記憶の端々。

 こことよく似た教室で、意識を失い、学ランを着た男子生徒に抱きかかえられていた少女――加納 沙耶香。

 その首元に宛てがわれていたもの。


 整頓(シャッフル)された記憶の中では、それが緑色の輝きを放っていた。

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