――疑、余地のあり過ぎるあれやこれ。
「……両方ゼロ?」
まず、『バスケ部以外に冷蔵庫を所持している部活動はいくつあるか』。これがゼロなのは、まあ予想通りと言えなくもない。
そもそも、部室棟に冷蔵庫などという巨大な家電製品を持ち込むのは至難の業だ。
というのも、生徒がテレビやオーディオ機器、はたまたゲーム機やパソコンなどを持ち込んで部室を私物化――というよりは共有娯楽空間化――する部活が一時期続出したらしく、毎学期の初めの定期調査や生徒会主導の抜き打ち調査などが行われるほど、活動に不要な物の持ち込みが取り締まられるようになったからだ。現生徒会長――三島 徹、さすがの手腕であるといえる。
しかし、不要物といえど多岐に渡る上、「それが不要か否か」の判断は至極際どいものだ。
例えばパソコン。「部の会報を作る」という名目で持ち込まれたそれに、ゲーム等不要なソフトウェアが含まれていないかどうかを確かめるのには骨が折れる。ショートカットを隠しファイル化、インストール済み外付けHDDの持ち込み、挙句ポケットに忍ばせ持ち込んだUSBメモリからインストーラを転送するなど。
……どこぞの茶髪デクメガネがそうやって生徒会と果てしないイタチごっこを繰り広げた結果、冷暖房や掃除機を含む『家電製品』や、トランプUNO花札トレーディングカード等アナログホビーを含む『娯楽用品』といった計七つのカテゴリに大分された『不要物』の持ち込みは全て禁じられるようになったという。
そう。バスケ部だけが特別なのだ。
「バスケ部が冷蔵庫の持ち込みを『黙認』されてたのは、遠東さん世代の功績を認めてのことだもの。当たり前よね。バスケ部の冷蔵庫の持ち込みをあえて黙認して、他の部活動に『同等の待遇が欲しくば同等の結果を残せ』って、無言の圧力をかけてるのよ。ほんとあの男、憎たらしいったらないわ」
憎々しげに三島への不満を語るイズミ。彼女がヤツを忌み嫌っているのは、単に彼女が昔ヤツからアタックを受けたからというだけでなく、彼女が桜塚高校に在籍していた時代の生徒会長――イズミに言い寄ってきた男の面影をヤツに重ねているからなのかもしれない。
それでなくとも嫌味な奴だというのは俺も知っているが……しかし同時に、生徒の実情を把握し、利便性のために部室の鍵の複製をあえて黙認するなど、生徒会長としては格好だけでない確かな器を持っているのだということも周知の事実だ。
って。それにしても、遠東さんか。前々から若干の違和感は覚えていたけど、「先輩」と呼ばないのがまさかヤツより年上だからだったなんてな。無意識なのかもしれないけど、ちょっと面白い。
「ごめん、愚痴った。――それで、二つ目ね。今日登校した男子生徒を全て確認したところ、ボタンの取れた学ランを着てきた生徒はいなかったそうよ」
「全て確認って……用務員一人でか?」
「それはトップシークレットよ。私にも知らされてないわ。なんでも、『女性には秘密の一つや二つあるもの』……とかなんとかって、うまくはぐらかされたの」
うまく……ねぇ。というか、女性だったのか、用務員さん。それを聞いてしまうと、その気になればすぐ特定できてしまいそうなものだが……野暮だ。余計な探りは入れるべきじゃない。
「――おかしいわよね」
俺の前の席、普段陸上部だったかの男(虎だか何だかと物騒な名前をしていたはずだ)が座っている席をずずずと引きずってきて腰掛けているイズミが、弁当箱の横辺りに左の肘をつき、頬杖をついて言う。
「ん? 何がだ?」
「だって、相手は自分から『自分は古宮の生徒だ』ってアピールしてくるような奴よ? それなのに、翌日自分の身を案じてその証拠を隠すなんて……納得いかないわ。きっと何かの間違い」
ぱくり、と頬杖をついていない右手に持った箸で、色の良い卵焼きを口に運ぶイズミ。
「警告を加えることには成功したんだから、その後はむざむざ目立ちにいく必要は無いだろ」
「すき焼き味」のふりかけの乗ったご飯をつまむ。弁当箱から漂っていた良い匂いの一端をこいつが担っていたのだとしたら、少し哀しくなる。
「むぅ……。でも……」
むくれてみせる。どうしても納得がいかない様子。
つまり、目の前のお嬢様はこう言いたいらしい。「男なら堂々としろ」と。
……まったく。そうしてきてくれたらどれだけ楽なことか。
「イズミから受けたダメージがでかくて学校を休まざるを得なかったとか」
卵焼き。見た目通り、美味い。そしてすごく甘い。
「それは無いわ。そんなダメージは与えられてないもの」
口を尖らせ、ぷいとそっぽを向いてみせるイズミ。否定もダメ、褒めるのもダメか。まったく。
と、ここでイズミが唐突にいつもらしい不敵な笑みを浮かべ始めた。
「由利也クン。貴方、家に制服は何着持ってる?」
「制服? スラックスは夏用と冬用一着ずつで、学ランは入学する時買ったこれ一着だけだな」
昔から俺は好んでよくこの学ランを着ているが、着られなくなるほど傷んだりはしていない。
在学中に身長が伸びたとしても、確かプラス三十センチくらいまで裾の調整が効いたはずだ。……悲しいことに俺の身長は入学時からほとんど変化しなかったため、その深い懐は無用の長物に終わったのだけど。
俺の返答を聞き、イズミは僅かに口角を上げる。
「由利也クン。貴方、家に制服のボタンの替え、持ってる?」
「……む。いや、多分無いはずだ。そうそう無くす物じゃないしな」
ボタンの取り付けは、女子のはプラ製、男子のは金属製のフックによってなされている。どちらも簡単には壊れたりしない。
もし不意に外れてしまっても、大抵の場合すぐに落としたことに気付き、足元辺りでそれを見つけるだろう。
「そうね、私もよ。――それじゃあ、もしボタンを無くしたとして、それを補充するのに同性の友達からボタンを貰う?」
想像してみる。「芳邦、お前の制服のボタンをくれ」…………ダメだ。ああダメだ。それはアブナい。絵面的にヤバい。そういうのは勿論のこと取り扱っておりません。
「……それは無いな。無くしたら素直に売店で買うだろ――――あ」
イズミが何を言わんとしているのか、大体理解できた。
「でしょう。偽造でもしない限り、古宮の制服のボタンは古宮の売店でしか手に入らない。だったら、たとえ『学ランの“大人”』はすぐにボロを出すはずよ。だって、今週末の体育祭の前日には、全員制服着用の前日集会があるんだもの。それまでに、必ずそいつはボタンを調達する。あそこにある売店で、ね」
そう言って、窓の向こう――中央棟の一階を指差す。売店は、昇降口から目と鼻の先にある。
「つまり、売店の売上を監視する?」
「そ。さすが、理解が早いわね。今朝以降、売店で学ランのボタンを購入した生徒を徹底的にマークする。それが今後の私達の行動。いい?」
「なるほど、了解」
少々博打的要素が大きい気もするが、それは気にしないでおこう。前回の“綿貫 麻実”の一件だって、結局イズミの見通しが全て正しくて、俺の直感や希望的観測は的外れもいいところで、イズミのやり方で万事うまく事が進んだ。今回もきっと大丈夫だろう。
「――――で」
午後三時前。
作戦会議が終わり、弁当を食べ終わると共に三年四組の教室を出て、
「ん? なに? 由利也クン」
長い廊下を歩いた末に俺たちは、
「……もう、帰るのか?」
昇降口で外靴を履いていた。
「そうだけど……何か?」
きょとん、とした顔で俺を見つめてくるイズミ。さっきまでの凛々しさは再びどこかへと消え去ってしまった。
「何か、じゃない。今日できることは何も無いのか?」
「何一つ無いわけじゃないけど……私たちには目下最重要視すべき事項があるじゃない」
「へ?」
“大人”の調査より優先するような事柄? ……何だ?
「……もう。――ヒント。今は非・部活組の生徒が皆帰り終えて、部活組の生徒は絶賛活動中の時間です」
「ふむ」
……なんて偉そうに唸ってみたものの、ヒントを貰っても見当もつかない。
だとすると、やっぱり“大人”関連なのか?
「えーと……出口調査? 学ランの」
溜息で返される。まったく。仕方ないだろ、以心伝心じゃないんだから。
「その問題はさっき解決したでしょ? ――貴方、朝のこと覚えてないの?」
朝…………って、まさかとは思うが……。
「…………人が少ないうちに一緒に帰る?」
「そ! ふふ、由利也クンもなかなか私の考えがわかるようになってきたじゃない」
……まったく。それが「最重要事項」か。
『由利也クンは、皆の態度にちょっとびっくりしちゃっただけだよね? いかにもああいうのに慣れてなさそうだもの』
下駄箱から運動靴を取り出すところで、ふと、さっきイズミが俺にかけた言葉を思い出す。
……ああ。確かに俺はそういうのに慣れてない。元々人に囲まれたりなんだりとは遠い人間なんだ。慣れられないさ――いくら二度目でも。
イズミは既に革靴を履き終え、昇降口の外に置かれている自販機で何か飲み物を買っているようだ。
――――でさ。そういうイズミはどうなんだ?
俺が昨日聞いた、イズミのこれまでの話。その中には、浮いた話は全然出てこなかったよな。
高一の時に悲劇に巻き込まれて、それからはずっと“大人”への復讐のための生活。
ひょっとして、イズミの方こそああいうのに不慣れなんじゃないか。だから、今も「早く帰ろう」なんて取り乱してる。
「――なんて、勘ぐりすぎか」
「ぇ? 缶の方がよかった?」
ジュースの入ったペットボトルを二本抱えたイズミがこちらに戻ってくる。酷いボケだ。
並んで、昇降口から校門までの道のりを歩く。
イズミはこれだけ端麗な容姿を持っているのだから、高校以前でああいうのを経験してきたのかもしれない。
……なんでだろう、まるで想像できないのは。得意の希望的観測からか?
「なあ、イズミ」
「ん? なぁに?」
思い切って尋ねてみる。
「その……イズミは小学校や中学校で異性と仲良くしてたことって、あったのか?」
「……ぇ?」
二人の歩みがはたと止まる。イズミが急に足を止めたからだ。
一瞬間を置いてから力いっぱい否定したりとか、言い淀んでまごまごしてみせたりとか――――そんな様子は一切見せず、イズミは無言無表情のままその場に立ち尽くした。
「えっと…………ごめん。どうしたの? 急にそんなこと……」
イズミが浮かべている、困っているような/可笑しそうな/俺を蔑むような/嬉しそうな/その表情からは、はたしてどんな感情を読み取るのが正しいのだろう。
「どうしたわけでもないんだけど……ちょっと気になってさ。なんていうか……うーん、もしイズミが男と今みたいな関係になったことがあるんだったら、俺は嫉妬するだろうなー……とか」
と、解氷。イズミが表情らしい表情を取り戻す。
「あはは、“今”みたいな関係にはなり得ないでしょ?」
「あ、いや、“大人”がどうこうとか、協力関係がどうとかじゃなくて……!」
「――うん。わかってる」
透き通った黒い瞳で真っ直ぐと俺を見つめて、麗しい唇でゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……でも、内緒。ごめんね」
「あ…………」
それは、希望も絶望も内包した言葉。開けるまでは中身の定まらない、仮定の中だけに存在する匣。
だけど、だからって確率は律儀に半々じゃない。机上の理論を外に持ち出せば、そこには必ず歪みが生じる。
後は哲学でも心理学でもない。「男による女の子の気持ち理解術」という低俗極まりない手法で、その匣の中身を推し量るだけであって。
肯定すれば俺がショックを受ける。しかし、否定するならば即座にしてしまってもデメリットは無い。彼女は返答を放棄した。ならば。
……まあ、そういうことだ。
「……そもそも自意識過剰だよな、俺」
ふと、思っていることをそのまま口に出してしまった。
再び隣を歩き始めたイズミがクスと笑っている。
「――そうね。間違いないと思う」
「……言ってくれるな」
まったく。色々と都合が良すぎるんじゃないか、この子は。
俺の言う事を全て聞き入れるつもりは無いくせに、自分の言う事を俺は全て聞き入れてくれるのだと、完全に信じきっている。ああ、もう。まったく。
まったくその通りで、加えて俺は、そういう彼女が好きなのだ。どうしようもない。
だから、ささやかな抵抗。教えてやらないほうが彼女のためだと思っていたが、あえてギリギリで教えてやろう。
月曜の放課後。二時開始、六時前終了の、部活動の半ばの時間帯。角さんやケロちゃんは体育館で日曜試合の反省会でもしてるのかもしれない。テニス部三人娘は中庭のテニスコートで練習中か? 部活が定休の芳邦はもう帰ったんだろうな。
「さて、見えてきたぞ」
――校門? それはさっきからずっと見えてただろ。まったく、鈍いなあ。
――ああ、そう怒るなって。あ、いや。騒ぎ立ててくれた方が良いかな。ん? まだわからない?
俺は知り合いなんて一人もいないけどさ。イズミにはやっぱりいるんだろ? 知り合い。
あそこから部員ほぼ総出でこっちを見てる、休憩中のサッカー部にもさ。
ほら、イズミが噂の男子と帰ってるーって、騒いでる子がいる。
俺は恥ずかしくないのかって? 俺の羞恥心なんて、朝でとっくに吹き飛んでるさ。ま、これも慣れの一種かな。
って、そろそろ逃げよう。下手したら学校外まで追ってきそうだ、あいつら。