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――由、we are...。

 タントンタン、だとか。ジュウゥ、だとか。とにかく騒がしい音で目を覚ました。


「おはよ、由利也クン。――あ、ごめんね。これ(・・)が終わったら起こそうと思ってたんだけど」


 鼻をくすぐるのは、焼けたベーコンの匂い。火を通した根菜の匂い。それから卵と砂糖の混じった甘い匂い。

 声のする方向からは、絶えずワンワンワンと換気扇の回る音が聞こえてくる。


 ……そうか。俺はイズミと同棲を始めたんだっけ。


 いくら互いに別の部屋を寝床にしようと、風呂やテレビや食卓、イズミが今使っている台所などは(こっち)の部屋にしか無い。結果こうして俺が寝ているその部屋でイズミが食事を作ることもあれば、昨夜のように風呂を順番に使ったり、あまつさえ一緒のソファーに腰掛けてテレビを見ることもあり。

 つまるところ、言い訳のしようが無いまでに完全なる同棲生活なのだった。


「イズミ、朝食(あさ)はどうする?」


 昨日の取り決めの通りなら、イズミが今作っているのは弁当――つまり朝食ではなく昼食の分ということになる。

 先週がむしゃらに買い込んだ食品がまだ大量に残っているとはいえ、考えなしに食べ漁ってしまえば在庫はすぐに底を付いてしまうだろう。なにせ、あれは一人分のつもりで買い込んだものなのだから。


「由利也クン、何食べる? 私はバナナでいいや」


「バナナぁ? なんだそれ、昔流行ったダイエットか?」


「う、うるさいっ」


 と、イズミが顔を赤く染める。フライパンから上がる蒸気のせいではなさそうだ。……となると、冗談のつもりがドンピシャ言い当ててしまったわけか。

 まったく、なんでまたダイエットなんて。あの軽い体のどこをこれ以上軽量化(にくぬき)しようというのだろう。


「じゃ、俺もバナナで。健康に良いらしいからな、バナナ」


 ……あれ? フォローのつもりだったのだが、イズミが何故だか微かに顔を引き攣らせている。


「貴方……その細い体のどこをそれ以上細くしようっていうのよ」




「いただきます」


「っと、いただきます」


 どこまでもお行儀の良いイズミ。遅れて俺も続く。

 それにしても、これは端から見たらかなり奇妙な光景だ。食卓に置かれた木目調のテーブルを挟んで、制服を着た俺とイズミがそれぞれバナナの皮を剥き剥き、なんてことをしているのだから。

 少々黒点の増えすぎたバナナの皮をイズミは「ダルメシアンみたいね」と笑ったが、その時俺は某宇宙怪獣を連想していたため、「あ、ああ」と無駄に挙動不審な返ししかできなかった。

 それを見て、イズミは不思議そうに笑った。


 テーブルの隅には弁当箱が二つ並んでいる。赤の物と黒の物。お揃いのそれは、小さいながらも、正月の重箱じみた荘厳な雰囲気を漂わせている。漆塗りなんじゃないかと錯覚するほどだ。

 もちろん俺の持ち物ではないし、三佳さんの趣味とも少々ズレている。二つともイズミが家から持ち出してきた物だ。赤の方がイズミので、黒い方はイズミの父親用の物だろうか?


「――ふふふ。お弁当、待ちきれない?」


 俺が皮を向ききったバナナを尻目に弁当箱を眺めていたのに気付いたイズミが、顔を綻ばせて言う。

 弁当箱からはつい先程までフライパンの上を踊っていたベーコンの匂いや、甘い卵焼きが少し蒸れたような匂いが微かに漂っている。……はっきり言って、ものすごく食欲をそそられる。まさにイズミの言うとおり、待ちきれないというやつだ。



「……そういえば」


 和やかな朝食風景、誠に至福のひと時なのですが、わたくし大変マズいことに気が付いてしまいました。


「ん? どしたの?」


 ぱくぱくと、クリーム色をしたバナナの身を齧っているイズミ。彼女はまだ気付いていないのだろうか。


「お前、どうやって学校行くんだ? バイクは無いし、歩きならもう間に合わないぞ?」


 そのことをすっかり忘れていた。今の今まで、時間については俺一人が自転車に乗って間に合うような計算しかしていなかったのだ。現在時刻は八時の二十分前。着替えはもう済ませたし、残りの準備をしてから家を出ても、十分に間に合う時間だ。

 ただし、自転車ならばの話である。


 と、イズミは飽きれたようにも見える表情を浮かべてみせる。


「そんなことも考えてなかったの? ほんと、考えなしなんだから」


「……う。申し訳ない、初日から遅刻させるなんて」


 ――って、待てよ? イズミは前にもこの家から登校したことがある。その時は突然の訪問だったはずなのにきっちり徒歩での登校にかかる時間まで計算して来ていたはずだ。なら――――


「ぇ? 今からなら間に合うでしょ? 普段もっと早く出てるの?」


「普段? 普段は大体このくらいか、もうちょっと遅いくらいだけど……」


「なら、だいじょぶじゃない。あーびっくりした」


 ……彼女の言わんとすることが、悔しいことに理解できてしまった。

 まったく、無茶苦茶だ。


「つまりイズミ、お前は――――」


「そ。由利也クンの自転車の後ろに乗っけてもらうわ。さっき整備しておいたから、多分二人乗りにも耐えられるはずよ」


 にこやかに。屈託の無い笑顔で言ってみせる。……ああ、もう。

 そんな笑顔を見せられたら、無茶苦茶だろうが道路交通法第五十七条違反だろうが、どうでもよくなってしまうじゃないか。




「忘れ物無いか?」


「うん、オッケー」


 玄関で俺の後ろに立つイズミは黒地にラインの装飾が施された制服のブレザーを羽織り、肩からいつもの紺色の通学用カバンを提げている。その中には学校指定の教科書類や文房具、それからFDファイアー・ドライヤーを含めた様々な彼女の私物が収められている……はずだ。詰めているところこそ見ていないけれど、持っていく物を選び出している姿は見たのだから、間違いない。

 ……何故あれだけの量が、この小さめのバッグにすんなりと収まってしまうのか。本当に不思議でならない。いずれ古宮高校の七不思議の一つとして申請してみたいものである。


「……由利也クン?」


「あ、いや。なんでもない。行こうか」


「うん。せっかく早く起きたのに遅刻しちゃう」


 『いつも何か考え事してて、凄いと思うと同時にちょっと近寄り難いって思っちゃうな』

 俺の印象としてそんなことを言ったのは、加納 沙耶香だった。

 ……大抵はさっきみたいなくだらないことばっかり考えてるのにな。色々と勘違いさせて本当に申し訳なかったと、今更ながらに思う。



 戸締りをし、俺たち以外誰もいない廊下を歩き、錆びた鉄の階段を下り。その下に、塀に乱暴に立てかけたはずの自転車があることを確認し、「整備しておいた」というイズミの言葉を思い出した。

 生粋のバイク乗り――免許はいつ取ったんだ……?――であるイズミは、自転車の整備くらい文字通り朝飯前なのだろう。

 本当だったら、彼女は俺を愛車のストリートファイターの後ろに乗せて――免許はいつ取ったんだ?――登校したいのかもしれない。


 ……くそ、気になって仕方ない。


「どしたの? 由利也クン」


「あー、あー……なんでもない」


 イズミがバイクの免許を持っていても何もおかしくはない。今彼女は十九、もしくは二十だ。だったら免許取得可能な期間は三~四年もあったわけで――――


 ……あ。

 戸籍を弄ったとか言ってたっけ。ならイズミは今十七歳であるわけで、取得可能な期間は一年のみだ。疑わしいにもほどがあるが、生年月日のみを変更したというのなら免許取得日が十四歳の夏とかになってしまったら怪しさ全開どころか余裕でアウトだ。


「あのー……由利也クン?」


 しかし、それでもおかしい。

 去年一年間はそれこそ“溺者(ドランカー)”退治に追われて大型二輪免許の取得などやっている暇なんて無かったんじゃないのか?


「もしもーし……」


 だとしたら、まさか? まさか! まさかそんなことはあるまい。いくら違法に戸籍を弄ったとはいえ――――


「もうっ! 早く学校行こうよ! 既に遅刻ギリギリよ!?」


「おわっ!?」


 耳元で怒鳴り散らされ、ようやく辺りの情景が目に入る。全身で苛立ちを表現しているイズミ。ボロ――もとい整備され若々しさを取り戻した我が愛車。取り付けられた荷台。……まさか、これも持参デスカ?


「……悪い、考え事してた」


「それはわかってます! もう、絶対に運転中に考え事なんてしないでよ? くれぐれも100点満点の安全運転でお願いしますっ」


「……肝に銘じておきます」


 勢いの乗った敬語というのはやけに迫力があるものだなぁ、とまたもくだらないことを考えてしまう。


 いつものように自転車に跨る。いつもと違う感覚が一つ。腰に回された小さな両手。


「ちょっ、イズミ……」


「気にしない気にしないっ。出発進行っ!」


 ……まったく、どうしたものかな。

 ゆっくりペダルを漕ぎ出すと、二人分の体重を乗せた自転車が、いつものようにキイと軋んだ。

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