Junction Line 'propose.
Just one of those things that is. 'just on "Lilly-4."
あれは……俺が古宮高校に入学したばかりの頃の話。
ここから少し遠い、都内の片隅にある無名の私立中学に通っていた俺は、当然のごとく大きな不利を負っていた。つまるところ、俺は県立高校というものをナメてかかっていたわけだ。
周りは皆、近所の市立中学出身で、入学当初から既に仲良さげに打ち解けあっている集団が各所でちらほら見受けられた。同郷のよしみ。それだけならまだしも、その集団の同士が今度は同じ小学校出身だとかいう者らを架け橋にくっつき合う。
実のところ、俺と同じ小学校に通っていた人間もいなかったわけじゃない。だけどまあ、中学三年間異郷の地に行っていたという罪の意識にも似た何かが、俺にそいつらに話しかけることを躊躇わせた。
向こうから話しかけてこなかったことをみるに、その内の誰も俺のことなど憶えてなどいなかったようだ。それも仕方ない。元々仲が良かったわけではないのだし。当時俺と仲が良かったあの子は、残念ながらそこにはいなかった。ま、小学校の頃の記憶は曖昧なうえ、成長期を経てしまっては、もし近くにその子が居たって俺はそれに気付けないかもしれない。
――っていうのが俺の入学当時の状況。さて、ここで質問。
順当に行って、俺は早々に孤立したのだと思うだろ?
「……まあ、うん」
……はっきり言われると傷付くな。だがなんと、実際はそうじゃかった。多分、ただのラッキーなんだけどさ。
十五歳の俺は逆境にめげなかった。「ならば孤高に生きてやろう」と誓ったのさ。
「……変な向上心」
……つまらないならやめるけど?
「ううん、続けて」
まったく。
で。言い忘れてたのだけど当時の俺はちょっと荒んでた、というより放心状態に近いものだった。姉さんが死んでからまだ一年も経ってなかったからさ。
ずっと唯一の話し相手だった姉さんを失ってしまい、俺が頼れるのは一緒に暮らしていた三佳さんだけ。心を病んでしまった母さんよりはマシだけど、気丈を装っていた三佳さんだって辛いに違いなかった。三佳さん、姉さんと仲良かったから。
「…………」
……ごめん、そんな顔するなよ。
それで、俺は困惑した。俺だけが「姉さんの死を受け入れない」という方法で心を守っていたから。実感の無い「名執 亜依の死」で苦しむ母さんや三佳さんの姿が、その時の俺には本気で理解しがたいものだったんだ。
俺だけが無事で、「俺の周り」だけが完全に崩壊してしまった。そんな心地だった。
っと、前置きが長くなっちゃったな。
そういうわけで、はっきり言って俺は、やれ「友達を作ろう」だとか、やれ「部活に勤しもう」とか。要するに「高校生活を楽しもう」とか、その類の気持ちは一切湧いていなかったということ。
高校に入ることで何か変わるかもしれないという淡い期待は……うん、全く無かったわけじゃないけど、入学式に出席するだけに終わった初日を振り返ったら、「まあこんなものか」と思っただけだった。
次の日、事態は一変した。
「近寄り難いヤツ」になるべく適当に長文を取り繕った自己紹介が、あろうことかある一人の人物の心の琴線の竜角すれすれの所にぺぃんと引っかかってしまったらしく。
「今の琴のモノマネ、ちょっと上手かった」
……それはどうも。
俺と同じく都内にある私立の中学に通っていたというそいつは、その日の放課後になるなりいきなり俺に話しかけてきたわけだ。
「ふつーのことじゃない」? そんなわけあるか。自己紹介が異性を惹きつけてしまった経験はお有りか? むちゃくちゃドギマギするんだぞ。まったく。
……さて。イズミさんの茶々のせいで早々にネタばらしとなってしまったわけですが、「何よ、ひとのせいにしてー!」、そいつの名は加納 沙耶香。あろうことか女子だったわけだ。
純粋無垢の権化だった小学校時代。はっきり言って空白の時間だった中学時代と、俺はまあ周りのイケイケの男子たちみたく女の子と喋ったことのある野郎ではなかった。
「小学校の時も?」
「うーん、記憶にないな」
「……そっか」
はい。ですからそんな俺はまーまー取り乱した。COOL装ってた自己紹介シーンが嘘のようにさ。
そんな俺を見て、加納は笑った。教室に残ってた連中も、一同揃いも揃って笑ってた。嘲笑じゃなくて、同等に見てくれている。そんな温かい笑いだった。
「由利也クン、もしかして中学時代は辛い思いを……?」
「いや。別にいじめられてたとかそんなんじゃなかったけど、基本的に単独行動の人だったからさ」
「……そっか」
「さっきからどうした? 自虐話にしんみりされると、はっきり言って反応に困る」
「私が見てない間に由利也クンが辛い思いをしてたら……って」
「なんだそれ。イズミは俺の親か何かか?」
「……むぅ。ちょっと心配しただけじゃない」
「わかったわかった。ありがとな。じゃ、話続けていいか?」
「うん、お願い」
オーケー。
その時は緊張でぶっ倒れそうになりながらも、何とか平静を装って加納と話をしたよ。
色々と加納の話を聞いた。それで、自分に語れる思い出の量の少なさに唖然としたっけな。
まず、加納が通っていた中学はかなり名の知れた学校だったということ。そして、ほんの気まぐれでそんな上等な私立からこんな寂れた県立高校なんぞに進学したということ。
加納が入学二日目にして既に男女別け隔てない交友関係を築けているのは、俺はてっきり彼女の容姿のおかげだと思ってたけど、実は小学校の頃の同級生伝いに出来上がったものなんだとも聞いた。
「加納さん、美人なの?」
……うーん。美人というか、垢抜けてるというか。入学した時から髪は明るい茶髪に染めてたし、うっすらと化粧もしてたし。これはその後の話になるけど、春が終わる頃にはファッション雑誌の読者モデルだとかをやり始めてたし、多分美人なんだと思う。
「なんか、釈然としない言い方。由利也クン、加納さんのこと好きだったんでしょ?」
「ちょい待て、勝手に話を早送りしないでくれ。……そりゃ、はっきり言ってしまえば……好き……だったさ」
「ふぅん……」
(加納を美人だと断言できないのは、目の前に居る少女があまりにも完璧に「俺にとっての美人」を体現しているからだ。本人にはっきりそう言ってやって照れされてやろうとも思ったけど、それは俺自身にとってもあまりに照れくさいことなのでやめておく)
「あのー……もしもーし?」
「っと、ごめん。続ける」
加納が話してくれたのはそのくらいかな。後は、何故か俺の話をやたらと聞きたがった。俺はあんまり思い出らしい思い出も無かったし、これで結構流されるように生きてきた人間だから、「うん、わかる」「うるさい」、語れるようなことも特に無くてさ。
……何を話してたんだろ、あの頃の俺は。ぜんっぜん思い出せない。
ただ加納やその友達たちが俺の話を聞きたがったから、その期待に応えようと色々なことを喋ってた気がする。多分、くだらないテレビのこととか、懐かしいゲームのこととか、当たり障りのない話。ある意味当時の俺はイケイケだったってわけだ。今じゃそんな当たり障りのない話さえできるかも怪しいけどな。
「たしかに」
…………、コホン。
理解しがたいことに、加納は随分と俺に入れ込んできた。同性の友達はもちろん有り余るほどいたし、異性にしたって俺と比べものにならないほど顔が良いやつが向こうからアプローチしてきていたりしてたっていうのに。
加納はさも有り難いお言葉かのように俺の話に聞き入り、神社に祀られた土着神のごとく俺を高く評価した。
「照れ隠し、下手っぴだね」
……うるせ。
誰からも好かれた加納がそんな調子だったから、道理として俺の周りには不釣合いなほどの取り巻きが発生した。正直なところ、戸惑いはすれど悪い気はしなかったな。
気付けば、俺は加納と共にクラスの中心的存在になっていた。
「……ごめん、想像できない」
だろう。俺だって信じられなかった。当時の俺は、それが幸せなことだとは気付かなかったのだけど。
四月はそんな調子で過ぎ、憂鬱な五月さえあっという間に過ぎて行った。雨降りの六月が終わるまでには、俺はいつの間にか加納に惹かれていた。
「気付くの遅くない? っていうか言い訳でしょ。照れくさいから。ほんとは最初から好きだったくせに」
……さあな。
それで、七月の頭のある日、俺は加納に告白したんだ。
「……………………ぇ?」
告白。プロポーズ。好きです、とさ。
「……………………うそ」
本当だ。
「……由利也クンから?」
俺から。その頃の俺は完全に彼女にお熱だったからな。……今思い返すととんでもなく恥ずかしい思い出だから、できればさらっと流したかったんですが。
「……………………」
「……イズミさん?」
「……………………」
「もしもし?」
「……………………」
「続けていいっすかね」
「………………どうぞ」
それでは。
えーと、結果はNG。「考えさせてほしい」とのことだった。玉砕とまではいかずとも、バッドエンドほぼ確定の絶望的な返事にしか思えなかったな。
(どうしてイズミ、急に不敵な笑みを浮かべだしたのだろう?)
で、俺はその当時わりと仲の良かったクラスメイトにそのことを相談した。そしたら返ってきたのが衝撃の事実。隣のクラスの何とやらが加納に言い寄ってるとのことだった。だからこその「考えさせてほしい」じゃないか、とそいつは言った。
しかし俺は納得がいかなかった。そんなよく知りもしないやつからのお誘いなんて、二つ返事でさっさと追っ払ってしまえばいいのに、と。
……ツッコまれる前に言っておくが、ただの自信過剰じゃないぞ。
雑誌のモデルとしても人気を博し始めていた加納は、それこそ数多の男共にプロポーズを食らっていて、そのどれもを今まで容赦なく切り捨ててきていたからだ。今度のその男は今までの男とは何が違うのかと、疑問視せざるを得なかった。
数日後、事件は起きた。
俺と加納は大抵いつも学校の帰りには駅前のファストフード店に寄って、ドリンクを飲みながら他愛の無い会話をしていたのだけど――ん? 二人きりだったり、最大五人ほどの取り巻きがくっついてきたりだったり――、その日は珍しく「先に帰って」なんて言われたわけだ。
そこは怪しいと睨んだ俺。ははぁ、これは例の奴に会って話をする気だなと思い、昇降口で加納の帰りを待ち続けた。
しかし、待てど暮らせど加納は来ない。部活の終了時刻―― 一応の最終下校時刻を過ぎても、加納はそこには現れなかった。
何か不穏な予感を感じ取った俺は、放課後の教室を訪れた。そしたら案の定そこに居たんだ。加納と――――男が。
教室に入るなり、固まったよ。加納は完全に体を男に委ねていたんだから。
「それってもしかして……」
俺も最初はそうかと思ったんだ。だから固まった。でも、よく見るとそうじゃなかった。
男が興奮した面持ちだったからそう見えたんだけど、その腕に抱かれた加納は目を瞑りぐったりとしていて、完全に意識を失っている様子だった。腕には大きな痣を作ってて。
これはそれどころの問題じゃない。合意の無い、暴力的なものだと悟った。
後は…………俺が馬鹿なことをしただけさ。
ただひたすら、体力を消耗しきるまで男を殴り続けたんだ。
「止められ、なかったんだ」
「ん? ……ああ、そんな感じ」
頭ん中が空っぽになって、勝手に体が動いた。気が付いた時には、男は床に倒れていて、血塗れになって動かなくなってた。その傍らではいつの間にか意識を取り戻した加納が酷い声で泣き叫んでたよ。
「…………」
後はお察しの通り。それ以降加納は俺とは一言も口を聞かなくなって……いや、俺が顔を合わすことを避け続けたからか。クラスメイトからは汚い獣を見るような目で見られるようになった。
親代わりの三佳さんは何も言わず俺の頬を引っぱたいて、俺を一人アパートに残して実家へ帰って行った。
その後俺はカウンセラーだか精神科医だかに「異常あり」と判断され、学校からはしばらく休学したほうがいいと勧められた。俺が殴った男の病状も、俺だけには伏せられた。危険だからとさ。
はっきり言って、生きた心地がしなかったよ。
結局、クラスメイトからの蔑みの視線に耐え切れなくて、それから数日で学校には行かなくなった。
事件の翌週、加納が転校していったことを、俺は次の年度になってから知った。つまり、その年はもう二度と学校には行かなかったってことさ。休学は学校からの勧めだったから、除籍にはならず留年することになった。
然して名執 由利也は高校一年生を二度経験することになったのでありました。