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――由、Liar&Fire-Drier&...。

崩れたなら、また建て直せばいい。

倒れたなら、また立ち上がればいい。


過去の上に人は立つ。

崩れた瓦礫の上、蹌踉めきながらも立つしかない。

そうやって、誰もがギリギリで未来に繋いでいく。



――第7章「再起」

「どうして、相談したのが亜依さんだったんだろうって、未だに後悔してる。桜高にクスリが蔓延してるのは桜高の問題なんだから、部外者である亜依さんに相談するべきじゃなかったのにね」


 自嘲的な乾いた笑い。しかしそれはすぐに苦虫を潰したような表情へと変わっていった。


「それで……姉さんはどうしたんだ?」


「とても真摯に相談に乗ってくれたわ。栗原――生徒会長のやつはクスリ以前に男として最低だ! なんて言って、励ましてくれたっけな。きっと私、亜依さんがいなかったら潰れてしまっていたと思う」


 と、イズミの目尻から一筋の涙が落ちる。


「でも――――亜依さんはいなくなってしまった」


「――――っ」


 いなくなった、というのはつまり。


「交通事故、だって。私がEPDに関わる相談をした二日後よ。……私、新聞を読んだ時『ばっかみたい』って思った。あり得ないもの、あんな事故」


「俺も、今日その記事を読んできた。ふざけてる、あんなの……!」


 思い出すだけで腹立たしい。人の姉の死を一体なんだと思っているのか。


「……お察しの通り――――亜依さんは“大人(ライヤー)”によって殺されたのよ。私に相談を受けた亜依さんが学校側にそれを伝えようとして、危うくEPDの存在が明るみに出てしまうところだったから……亜依さんは、見せしめに殺されたのよ」


 見せしめ。警告。力の誇示。


「前に話したでしょう? 数年前、生徒からEPD 関連の相談を受けた教師が――」


「見せしめに……派手に(・・・)殺された」


 ……まさか。それがイズミから相談を受けた姉さんのことだったなんて。


「そ。……私は直接は見ていないけれど、亜依さんのご遺体は……それはそれは凄惨な有様だったって……」


「くっ……!!」


 今まで。俺は姉の死を受け入れられていなかった。あまりにも現実味が無さすぎたからだ。俺が出かけている間に死んでしまい、次に会った時には既に骨になって壷に納められていた。交通事故だと聞かされていたけれど、彼女の死をイメージすることができなかった。

 だから、勝手に彼女の死が安らかなものであった気でいた。――――本当に、愚か。


 姉の遺体――死に化粧を施した姿さえ、俺が拝むことができなかったのは。


 とても俺に見せられるような姿など、留めていなかったからだ。



「はぁ……っ、はぁ……っ」


「だいじょぶ!? 由利也クン!」


 呼吸が落ち着かない。身体中の毛穴という毛穴からドロドロとした汗が噴き出る。頭が万力で絞められたように痛み、歯がガチガチと音を立てている。


「……ごめん。ショックなはずだよね。だって、由利也クンはそのことを――」


「続けてくれ」


「ぇ?」


 床に座り込み、無理やり呼吸を落ち着ける。今この動悸を認めてしまったら、俺は毎晩この感覚(くるしみ)をリピートすることになる。


「……わかった」


 ちょうど視線を落とした時だったので俺の視界にイズミの姿は無いが、彼女の深呼吸の音が微かに聞こえた。


「私にその事実を教えてくれたのが、私が小学生の頃に亡くなった私のお母さん――水元(みなもと) (るい)の旧知を名乗る男。……それが植草だった」


 水元 涙? その名前、どこかで……。


「“彼”は最初から不親切だった。名前が偽名であることは最初から断りを入れていたし、教えてくれたのも“彼ら”が警察の一部で、“大人(ライヤー)”を撲滅するための組織であるということくらい。EPDや“大人(ライヤー)”、“溺者(ドランカー)”についての知識も、“彼”が教えてくれたのは今まで貴方に話したものが全てよ」


 傷心で、かつ名執 亜依の死に疑念を抱いていたイズミに、「君の母の旧知だ」と言って近付いてきたわけか。


「……怪しすぎるな」


「ええ。私も初めは警戒したわ。偽名しか名乗らないから、本当に母の知り合いなのかさえわからなかったしね。……そんな時、彼は私にある提案をしてきたの」


「提案?」


「そう。『君に憎き“大人(ライヤー)”を倒す力を授ける。だから我々に協力してほしい』と」


 協力してほしい、か。求めるリターンを(ぼか)して伝えるとは、フェアな取り引きとは言えないな。


「当時の私には、血の繋がっていない父――立松 洋三(ようぞう)との家族関係以外には……亜依さんを殺した“大人(ライヤー)”への憎悪しか無かった。信用ならないと思いながらも、私は“彼”の口車にあえて乗ったのよ。

 まず、学校を辞めた。そしてそれからの二年間は……信じられないかもしれないけど、とある紛争地域に身を置いていたわ」


「紛争、地域……!?」


 つまり戦場だ。


「銃弾の飛び交う戦場で、ひたすら生き延び続けるの。人間を超えたヒトである“覚醒者(スレイヤー)”と戦うための訓練、と彼は言ったけれど……本当に、いつ死んでもおかしくはない日々だった」


 力をやる、と言って与えたものが戦場での決死の日々だと? ……ふざけるな。それじゃ、ただの人(さら)いじゃないか。しかも、か弱い女の子を戦場に送り込むなんて正気の沙汰じゃない。


「持っているのはせいぜい英語のスキルだけ。もちろん武器など無し。何度も争いに巻き込まれたわ。時には人を殴ることもあった。でも、殺しだけは絶対にしないで、ひたすら自分の命だけを守り続けた。遠い日本に想う人がいなければ、絶対に耐えられなかったと思う」


 そう言うイズミは、一瞬、恥ずかしげに笑った。俺にはその意味がわからない。どうして、そんな辛い体験を思い返しているのに……笑えるんだ?


「日本に戻ってきた時、“彼”は私に“溺者(ドランカー)”や“覚醒者(スレイヤー)”と戦うための武器を授けたわ。貴方もよく知っている、ファイアー・ドライヤー。私が戦場に揉まれている間に開発したそうよ」


「なあ、イズミ。それってやっぱり立松電器の……」


「――知らない。私、義父(あのひと)のこと何も知らないから」


 冷たく言い放つ。そういえばイズミの家、規模を見る限り同居しているようなのに、父親の生活感は全くと言っていいほど見られなかった。実の親子ではない上、二年も離れて暮らしていたとなると、やはり二人の間には大きな溝があるのかもしれない。

 ……しかし、イズミの態度からはそれ以上に何か深い都合の存在が見受けられる。


「とにかく。それで、帰国してすぐに私は『水元 泉』から『立松 泉』になった。……義父(ちち)の苗字を名乗るのは気に入らなかったけど、そうしなければ“大人(ライヤー)”に怪しまれずに高校に入学することができなかったから、仕方なく」


「それで、最初は桜塚に入学したのか?」


「ええ。でも、既にもぬけの殻だった。……“彼ら”はそのことを知りながら、念には念をと私を送り込んだみたい。次に彼らがEPDの温床となっている場所として突き止めていたのが、古宮高校よ」


 ……もしかして、三年前のあれがきっかけなのか?

 と、俺の表情を読み取ったらしく、イズミが片側の口角を吊り上げた。


「お察しのとおりよ。貴方があの事件を起こした時、古宮高校内にEPDの存在が確認されたの。桜高に“大人(ライヤー)”の残党がいないことを確かめた後、私はすぐに古宮高校に送られた」


「じゃあ、イズミが転入してきたのは角さんや芳邦が一年生の時の――――」


「そ。夏頃ね。……由利也クン、ボケてるつもりならつまらないからやめてね」


「……? 俺は至って真面目だけど……」


 まったく。何を言い出すんだ、急に。


「……そう。ならいいわ。私はまず、同じクラスだった寧子と仲良くなってコネを築いた。……勘違いしないでね。寧子と仲良くなったのは百パーセント打算じゃないんだから」


「ああ、わかってる」


 角さんには類まれな人徳がある。イズミはそれを利用しようと近付いたのではなく、彼女の人柄に惹かれたうちの一人だということだ。


「古宮に転入してからは、何人もの“溺者”を相手にしてきたわ。でも、肝心の“大人(ライヤー)”はまったく姿を現さなかった。私が遭遇した“大人(ライヤー)”は、実は高峰が初めてだったのよ」


「え? ……前に聞いた話と食い違ってないか?」


「……ごめんなさい。その時は……その……嘘、つきました。なんていうか……見栄(みえ)?」


 ちろっ、とサーモンピンクの舌を覗かせるイズミ。悪びれる様子が感じられないのがむしろ潔い。


「それでね。私の目の前で“大人(ライヤー)”である高峰を圧倒してみせた由利也クンが、私には白馬の王子様(ヒーロー)に見えたの。――あ、これは前にも話したよね」


「あ、ああ……」


 王子様(ヒーロー)、とまでは言ってもらえた覚えがないけど。


「由利也クン。……由利也クンはあの時、“大人(ライヤー)”が怖くなかった?」


 途端に、か細い声。


「……怖い、か。あの時は色々と切羽詰ってて、戦ってる時は必死で……怖いとは思わなかったかな」


 自分でも不思議だ。高峰と対峙した時は、今よりもよっぽど精神的に余裕があった気がする。


「由利也クンは強いよね。――――私は……“大人(ライヤー)”が怖い」


「イズミ……?」


 イズミは、震えている。


「怖かったんだ、昨日、“大人(ライヤー)”に襲われた時。FDも無くて、由利也クンもいなくて……私、怖くて、心細くて……」


 小さな体が震えている。片腕片脚に包帯を巻きつけたままの、小さな体。


「私、ダメだった……! 由利也クンがいないと私、戦えなかったの……!」


「……イズミ、それは武器であるFDが無かったからじゃなくてか?」


「違うのっ!!」


 イズミがベッドから腰を下ろし、その場で立ち上がった。


「由利也クンがいないと、私……! ううん、由利也クンがいてくれるから……!!」


 震える声を張り上げるイズミ。

 と、包帯を巻いている左脚が揺らぐ。


「あ――――」


 咄嗟に立ち上がり、上半身で倒れるイズミの体を受け止める。


「大丈夫か? ……まだ横になっていた方がいいんじゃないのか」


「……うん。そうする」


 ベッドに寝転がり、もぞもぞと毛布に(くる)まるイズミ。小さな体躯は、茶色の毛布にすっかり収まってしまった。




「――ねぇ、由利也クン」


 話が一段落した後、しばしの沈黙を挟んで、イズミがぽつりと呟いた。


「ん? どした?」


 毛布から頭だけを出しているイズミ。俺は化粧台の前にあった椅子をベッドの横に置いて座っている。


「私、不安だよ」


「……俺が、イズミの不安を和らげるよ」


 今にも泣き出してしまいそうな声。俺は、虚勢を張って励ましてやることしかできない。

 だけど。それこそが俺にしかできない役割なんじゃないかって、思う。


「私、怖いよ」


「怖くない。大丈夫」


「ねぇ、寒いよ」


「俺の部屋にもう一枚毛布がある。取ってくるよ」


 立ち上がり、隣の部屋に繋がるドアに手を伸ばす。と、


「待って! ……行かないで」


 制止を受ける。


「でも、寒いって……」


「そうじゃないの。そうじゃ……ないの……」


 唇が微かに震えている。その血色は決して悪くはない。


「由利也クン。……入って、きて。……昨日みたいに」


「……っ!」


 あの時。やっぱり……起きてたのか。


「由利也クンはすぐに寝ちゃったけど、私……ドキドキしてずっと寝られなかったんだから」


 寒さを訴えていたはずのイズミの顔が赤く上気している。

 ドクン、と。心臓が高鳴る。俺は……誘われてる、のか?


「ごめん、由利也クン。……ごめん。でも……今だけ……」


 目尻に涙を溜め、紅潮したイズミの顔。イズミは……何を、求めている?


「由利也クン。……私、不安だよ。不安で、不安で、怖くて、怖くて……。……ねぇ、由利也クン」


 熱を帯びた声が、やがて甘く蕩けるような声に変わっていく。たちの悪い、悪戯……じゃ、ないのか?


「抱きしめて。ぎゅ……って。ぎゅー……って。……お願い、抱きしめてよ。……抱きしめて、忘れさせて? 怖いこと、ぜんぶ。……ね?」


 ドクン。


「お願い。お願いだから……」


 ドクン。


「……由利也クン。私のこと、嫌い?」


「そ、そんなわけあるかっ!」


 好きだ。ああ、大好きだ。出会った時から今までずっと、絶え間なく大好きだ。

 イズミは体が小さくて、しっかりしてるようで実は色々と幼くて。……可愛い。そう、可愛いんだ。すごく、可愛い。保護欲が掻き立てられる。守ってあげたいと、ずっと思ってきた。

 だからこそ、怖い。


 そんなイズミに対して、確かな性的欲望を抱いてしまっている自分が、怖い。


「由利也クン……」


 信じられないことに、イズミは学年で言えば俺より一つ上なのだと言った。俺と同じ十九歳? もしかしたら、もう成人しているのかもしれない。


「……来て」


 イズミは、毛布に包まったまま体を横にして、俺の顔をじっと見つめてくる。

 はっきり言って、中学生と言っても通じるような幼い外見。童顔。小さな体躯。発達途上の胸。

 でも、彼女が十九歳だとしたら? 二十歳だとしたら?


 ……もしかして、彼女も明確な性欲をもって……?


「……イズミ」


 姿勢を低くして、イズミの髪を撫でる。すると、イズミは目を細めて熱っぽい吐息を漏らした。

 その淫靡な光景に、俺の体の熱が上がっていくのがわかる。

 体をベッドに預ける。もう、このまま――――




 ――がちゃり。

 遠くで、錆びた金属の軋む音がした。……遠く? いや、違う。間違いなく、この部屋の端の方から。


「由利也クン、今の……」


「――鍵だ」


 この部屋の、玄関の鍵が開けられた。だが、鍵は確かに俺の部屋の鍵箱に仕舞われているはずだ。なら、どうして――――



 ――ぎぃ。

 ドアの開く音。間違いない。外部から、誰かがこの部屋に侵入した。


 ――とつ、とつ、とつ、

 静かな足音が、それ以上に静かなこの部屋中に響き渡る。


「ゆ、由利也クン……」


 今のイズミは無防備すぎる。心も、体も。

 くそっ。こんな時に武器である螺子(ねじ)を持ち合わせていないなんて、パートナー失格だ。

 せめてもと、身を呈してイズミを庇う姿勢を取る。


「由利也クン、だめ……」


 ――とつ、とつ、

 足音がゆっくりと近付いてくる。もう、すぐそこまで来ている。



 ――とつ。

 足音が止まり、暗がりの中に侵入者のシルエットが浮かび上がる。




 と、突如電灯のスイッチが入る。眩しさに目を眩ませながらも、シルエットでない、侵入者の顔そのものがはっきりと見て取れた。


「これはまた……最悪のタイミングで帰ってきてしまったようだな」


「あ…………」


 声の主は、部屋の主。


「それで、私はここでどういった行動を取るべきなのか。……教えてくれないか、色男くん」



 侵入の正体は、三年ぶりにこの部屋に戻ってきた家主――名執 三佳さんの凱旋であった。

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