――虚、「立松 泉、17歳です」。
「な、何者って……どういうこと?」
「とぼけないでくれ。――――イズミ。お前、本当に桜塚高校に通っていたのか?」
「……え?」
イズミは「自分は桜塚高校から転校してきた」と言っていた。しかし、今のところイズミがかつて桜塚に居たということを知っていた人間は一人としていなかった。
そして、先日彼女はこう言った。
「校門の桜が綺麗だった、って。言ってたよな。あの場所に、桜は無いのに」
「由利也クン、寧子の応援に――」
「今それはどうでもいいだろ。……どうして、そんなことを言ったんだ?」
そんな、嘘を。
「……えっと…………」
イズミが言葉を詰まらせ、ただただ沈黙ばかりが流れる。
嘘をついた。自分が桜塚から転校してきたのだと。でも、どうして?
嘘をついた。桜塚の校門には桜の木が植えられているのだと。桜塚に行ったことがある人間なら誰でもすぐに嘘だと判るような、そんなちんけな嘘を。……でも、どうして?
わからない。イズミが何を考えてそんな嘘をついたのか。何から何まで理解できない。単なる虚言癖? いや、きっとそうではない。イズミがそんな薄っぺらな人間だとは到底思えない。
何か、理由があるはずだ。
「桜塚の校門の桜が最後に咲いたのは、四年前の四月だ。イズミが一年生の頃、桜が咲いているはずがないんだ。だってあの桜は名執 亜依の“事故”の際に――――」
「ううん。……由利也クン。私が一年生の頃、確かにそこに桜は咲いていたんだよ」
「なに――――?」
鈴の音、風鈴、風信子の囁き。小さいけれど、頭の中まで染み渡るような透き通った声が鼓膜を揺らす。
「ばれちゃ、仕方ないよね。……由利也クン、私――――」
イズミは毛布をよけ起き上がり、ベッドから両足を垂らす格好になった。
「私……“嘘つき”なんだ」
「――――!!」
liar。嘘吐き。普段俺たちの間で、本来の意味とは異なる、特別な意味を持っている単語。今イズミの口から紡ぎだされた“それ”は、一体何を意味している?
「ね、由利也クン。私の告白、聞いてくれるかな? ……“嘘つき”の戯言だけど、信じてくれるかな?」
いつかイズミが言っていた、「信じて」。
「……聞かせてくれ。俺は――――」
――今信じてやらないでどうする?
「――――信じるから」
「――ありがと。……ええと、何から話したらいいかな」
照れくさそうに笑みを零すイズミ。はっきり言って、場違いな笑顔。
「そうだ。由利也クン、気になってるよね? お姉さんのこと」
「……ああ。どうしてイズミが、姉さんの墓に花を手向けていたんだ?」
しかも俺と母さん、そして三佳さんくらいしか知らないはずの、百合の花を。偶然とは思えない。
「私ね。由利也クンのお姉さん――亜依さんと知り合いだったの」
まあ、やはりかといったところだ。
「知り合いっていうのは……」
「亜依さん、教育実習で桜高に来ていたでしょ?」
「ああ。高校のとき通っていたからとか何とかで……」
待て。
来ていた?
「私、居たの。――――その時亜依さんが担当したクラスに」
「な――――!?」
馬鹿な、四年前だぞ!? その時俺は中学三年生で、そしたら一個下のイズミは中学二年生のはずで――――
「四年前、私は桜塚高校の一年七組に居た。……ごめんね、由利也クン。私、貴方より一つ年上なのよ」
「う、嘘だ。だって、芳邦や角さんはイズミが転校してきた時のことを知ってたぞ。一年生で二回留年したって言うのかよ。そんなのあり得るのか、公立の高校でさ!」
「混乱させてごめんなさい。確かに私は今、芳邦くんや寧子たちと同じ十七歳。……戸籍上ではね」
「……悪い、何を言ってるのかさっぱりわからない」
「ごめん」
ひとまず情報を整理しよう。
イズミは四年前、桜塚高校の一年生だった。その時点で俺より学年が一つ上。つまりは現在十九ないしは二十歳ということになる。
だが、彼女は今十七歳として古宮高校で三年生をしているという。戸籍上は十七歳。確かに今そう言った。
「だとすると、『立松 泉』というのは偽の戸籍なのか?」
「ううん。私は生まれた時から『泉』だったわ。ただ、『水元 泉』から『立松 泉』に変わる時に一緒に年齢も変えられてしまったみたい」
「そんなの、あり得るのかよ。年齢だけ弄るって。詳しくは知らないけど、戸籍ってそんな簡単に書き換えられちゃうもんなのか?」
「ごめん、私もよく知らないの。元々私の戸籍には色々とややこしい事情があって、正式に今の父の子供になった時に、弄るチャンスがあったんだって……“彼”が言ってたわ」
“彼”……。まさか。
「代表の、植草って男か?」
「そう。“彼ら”には戸籍を容易に書き換えられてしまうだけの力があった」
四年前に、既にイズミは“彼ら”とやらと接触していたのか。
「じゃあ、そろそろいいかな? 順を追って説明させてもらっても」
「……ああ、頼む」
思考が追いつくかわからないけれど。
「四年前、私は桜高に入学したわ。当時十五歳ね。この頃はまだ、他の皆と変わらない、何の変哲もない高校生だった。背は見ての通り低いから、中学の頃やっていたバスケットボールを高校でも続けるか悩んでいたり……してたと思う。結局マネージャーすらやらなかったんだけどね。
五月になって、教育実習生として亜依さんがクラスにやって来た。中学からの知り合いもいない上に帰宅部で友達も少なかった私は、しょっちゅう亜依さんといろんな話をしたりしてたわ」
ああ、実に姉さんらしい。俺も友達に構ってもらえない時、しょっちゅう姉さんに話し相手になってもらっていたっけ。
それにしても、イズミに友達が少なかったというのは意外だ。今の彼女の様子からはとてもじゃないが想像できない。
「ちょうどその頃ね。学校内で、あろうことがクスリが広まっているというのを知ったの。私は部活に入っていなかったから遅れて知ったけど、他の皆は入学したての頃から知っていたみたい」
「まさか……EPD!?」
「……そ。校内に蔓延していたクスリのうちの一つが、EPDだった。あり得ないわよね。その頃の私はまだそれがどんなものかわかっていなかったのだけど」
深く、溜息を吐く。
「……私、入学当初から一人の男からずっと誘惑され続けてたんだ。二個上の先輩。今思うと吐き気がするけど……あいつは生徒会長で人徳もあって、顔も良くて女子にもててたし……馬鹿みたいだけど、当時は悪くもないかも、なんて……思ってたんだ……」
イズミの声のトーンが沈んでいき、ボリュームも消え入る寸前まで落ちていく。
「それは、まあ……仕方ないんじゃないか?」
くやしいけど、そいつは俺よりもよっぽど人としての魅力に満ち溢れているのだと思うし。
「……うん、ありがとう」
に、してもだ。その男のスペックは、まるでどこかの誰かと瓜二つなように聞こえるのだが……。
「それでもやっぱり、断り続けてたの。どうしてもそいつに心を許すことはできなくて……。そうしたら、五月。あいつは私を脅し始めた。――――EPDをチラつかせてね」
「EPD……ッ」
生徒会長がEPDに手を出していたのか。無論、他のクスリのように愉しむのではなく、完全に売人側――“大人”的な立場に立っていたのだろう。むしろ、そいつが“大人”であるとしか思えない。当時のイズミがそんなことを知っているわけがないけども。
「『このクスリを使えば、お前の意思とは関係なくお前を俺のモノにすることができる。だが、できることならこれを使いたくはない。良い返事を待っている』って。私、怖くて。だからかな、今もこうして一語一句間違えず暗唱できちゃうのは。
……聞いてたの。あいつは何人も女を囲っていて、その誰もがまるで彼に服従しているみたいなんだって。もしあのクスリを使われたら、私も自分の意思とは関係なしにその“従者”たちのうちの一人になってしまうかもしれないと思ったら私……ほんとうに怖かったんだ」
「それは……怖いよな」
話しを聞く限り、当時の桜塚は既にEPD――いや、“大人”の支配下に置かれていたように思える。
「うん、……うん。ほんとに、怖かった」
イズミの声は震えている。唇も青い。それほどの強烈な心的外傷ということらしい。
「脅迫に返事を返す期日がだんだん迫ってきて……とうとう私独りじゃ抱え切れなくなっちゃったの。だから、相談してしまった」
そうか。それは、学校で一番親しかった――――
「名執、亜依さんに」