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――虚、「何も変わっちゃいないさ」。

 交差点の赤信号に足止めを食らい、足を地面に着き一呼吸。

 区立図書館は自転車なら家から一時間もしない所にある。……駅から遠いというのは本当に不便だ。一応最寄り駅は野口なのだが、駅からはいくらか歩くことになる。バスならもう少し早いかもしれないが、休日ダイヤだと待ち時間もかかるため、結局のところ自転車の方が小回りが効いて良い。


 学校の近く。実は県を縦断する大きな街道である大通りを走る、色とりどり形さまざまな車の群れを眺める。

 黒いボックスワゴン。古めかしい白のツードアセダン。アメリカンなオートバイに、バスタブのようなビッグスクーター。


「ねえ」


 白いワゴン。赤いミニバン。白い軽トラ。青いトラック。銀のワゴン。黒いセダン。黄色の軽。


「……ちょっと」


 セダン。ワゴン。セダン。セダン。トラック。軽。スクーター。トラック。ワゴン。軽。オートバイ。軽。セダン――――


「無視すんなっ!!」


「うわっ!?」


 突然、目の前にライトブラウンの髪をした制服姿の女の子が飛び出してきた。


「危ないじゃないか。何してんだ」


「え、別に危なくなくない? 信号青だし」


 女の子の体は歩道ぎりぎりの所にあるが、見るとその後ろでは渡ろうとしていた信号はいつのまにか青に変わっていた。

 女の子の顔には見覚えがあった。


「ええと、久留米(くるめ)さんだっけ」


「あれ、あたしの名前知ってたんだ? ……意外」


「うーん。まあ、話したことさえ無いもんな」


 いわゆる「テニス部三人娘」の一人、久留米 珠月(みづき)。芳邦のおかげか、なんだかんだで「三人娘」の顔と名前が完全に一致するようになった。


「それで、あんたなんでこんなとこにいるわけ?」


「はい?」


 出会い頭、いきなり汝は何故ここにと問われても反応に困る。


「だからー。あんたバスケ部の角さんと仲良いんじゃないの? バスケ部今日桜高で試合じゃん。何で行ってあげないの?」


「あー……」


 そうだ。すっかり忘れていた。角さんやケロちゃん属する古宮高校バスケ部は本日県立桜塚高校と練習試合の予定なのだ。そんな日の前の晩、角さんをあんな時間まで寝かせてやれなかったのは俺の失策とも言える。

 それより、試合に出るメンバーは結局ケロちゃん一人で決めたのかな。だとしたらあの子、すごく怒ってるんじゃなかろうか。


 今まで一切頭から消えていた分、気にしだすと止まらなくなってしまった。


「ちょうど今から向かう予定だったんだ。それじゃ、また」


 ああ、嘘だ。たしかに俺はこれから桜塚方面に向かうが、目的地はあくまで野口区との境にある古宮区立図書館。ま、図書館と桜塚高校とはそれほど離れていないので、ついでに寄るくらいはできそうだが。

 赤である時間が長い大通りの信号が変わらないうちにと、偶然会ったクラスメイトに別れを告げて自転車を漕ぎ出そうとする。


「あ、ちょっとちょっとちょっと! 待って。あ、こら。待て待て!」


 と、何やら必死の引き留めを食らう。信号がちかちかと点滅を始める。……ああ、もう。


「……久留米さん、俺に何か用事でも?」


「や、あんた個人に用事があるわけじゃないんだけどさ」


 本当に心底興味なさげな顔をしている。何だって言うんだ、一体。


「あたしも今から行こうと思ってたの、応援。ちょうどいいから道案内してくれない? 場所知らないんだよね」


 ニカッと八重歯を見せ笑った後、そのまま「自転車取ってくる」と駆けていってしまった制服の少女。引き留めるどころか、まだ返事さえしていないというのに。まったく、古宮の女子はみんなどこかおかしい気がしてならない。


 ……にしても、完全にマズった。これじゃ、本当に桜塚に行くしかないじゃないか。イズミを勝手に家に置き去りにしてしまった以上、手早く用事を済ませてさっさと家に戻りたかったのに。

 そもそも俺は桜塚高校の場所も知らないので、自転車を取りに帰った彼女がここに戻ってくる前にそれも調べなくてはならない。

 はぁ、と溜息を吐き、ジーパンの狭いポケットから携帯を取り出しナビソフトを起動した。




「お待たせ。じゃ、先導よろしく」


 五分ほど経ったところで、ピンクのママチャリに跨った久留米が俺の前に現れた。私服には着替えなかったようだが、先程までのカーディガン姿の上に制服の黒いブレザーを羽織っている。


「随分早かったね。久留米さんってもしかして学校の近くに住んでる?」


「すぐ近くだよ。ていうかあのマンション。見えるでしょ?」


 そう言って、大通りに面するマンションの群れのうちの一つを指差す。はっきり言ってどれも同じに見えるので、彼女がそのうちのどれを指を差しているのかまるでわからなかった。


「へえ。そりゃ、便利で良いね」


「ま、近いから古宮選んだわけだし」


 だろうな、と思った。よく知らない相手に対し失礼だけど。


「って、そんなことどうでもいいでしょ。さっさと行こ、名執さん(・・)。日ぃ暮れちゃうよ」


さん(・・)って……」


 クラスメイトにさん(・・)付けは……はっきり言って堪える。この子の場合、ナチュラルに言ってそうだから、余計に。


「それと、日は暮れないだろ。まだ朝の十一時だぞ」


「む。徹夜明けだから感覚狂ってるっぽい」


 再び白い八重歯を覗かせる。

 この人、思った以上にフリーダムなのかもしれない。





「これ、登んの? ってムリムリ。どっか自転車停められるとこ無いかな、名執さん?」


 狭い路地や墓地の近くなどを通っても文句を言わなかった久留米さんが、ここにきてついに坂の麓で弱音を漏らす。


 傾斜……何度くらいだろう? 数学は苦手なのでいまいちピンと来ないが、かなりの傾斜。

 桜塚高校は山の上に建てられた学校だとは聞いていたが、まさかこれほどの坂を登る必要があるなんて。

 「通学路」とペイントされた目の前のコンクリートの坂を、自転車で登る気など更々無い。


「適当にその辺に停めよう。チェーンかけときゃとりあえず盗まれはしないと思うし」


「そうね、賛成」


 広い歩道、いくつか先客が見られるガードレール際に自転車を停め、鍵をかける。


「さって。行きますか」


「行きましょう。何だかんだで久しぶりだなぁ、ハル君に会うの」


 ハル君? 誰だ? 久しぶりっていうくらいだから、うちの高校のバスケ部員のことではなさそうだ。だとしたら、


「その人、桜塚のバスケ部員?」


「違うけど、彼氏」


 ……親しくもないクラスメイトに彼氏がいたというだけの事実が、こんなにも俺をもどかしい気持ちにさせるのは何故だろう。

 結局、俺は長い坂道をその公方(きみかた) 三重治(みえはる)という男に関する惚気を延々聞かされながら登る羽目になった。



 ……待てよ?

 坂を登り切った辺りで、足を止める。


「どしたの、名執さん?」


 今日、角さんに会うのはマズいんじゃないか。

 角さんは、手負いのイズミの世話を俺に託した。俺がイズミをほったらかして自分の試合などを観に来たと知ったら、恐らくは怒ることだろう。

 やっぱり、角さんに会うわけにはいかない。


「悪い。俺、ちょっと用事思い出した」


 そう乱暴に言い捨てて、登ったばかりの坂を駆け足で下り出す。


「あ、ちょっと! いいの? 試合ー」


「申し訳ない。角さんには悪いから、ここまで来たってことも黙っといてくれ」


「……? わかったけど」


 校門の傍らで独り棒立ちになり、不思議そうな顔を浮かべている久留米さん。はっきり言って何の言い訳にもなっちゃいないからな。頼むから不審には思わないでくれ。

 転びそうになりながら、急勾配の坂を下る。

 何しろ俺にとって早く用事を済ませてイズミの元に帰ることが最優先事項なのだから。




挿絵(By みてみん)



 実家近くの見慣れた道を辿り、図書館に到着する。

 古宮区立図書館。建物が小さいため蔵書は図書館としては比較的少ない部類に入るが、小さい頃迷い込んだスペースで棚いっぱいに敷き詰められた大量の新聞を見た覚えがある。古い記憶のため定かではないが。

 まあ、ここでめぼしい情報が手に入らなければ電車を使って遠くの市立図書館に行ってみるまでだ。



 自動ドアが開く。途端、懐かしささえ覚える、本の密集した独特の匂いが鼻を撫でる。

 休日だというのに、図書館には人影が一つとして見当たらない。職員がいるはずのカウンターにさえ。

 まさか今日は休館なんじゃないかと思ってしまうほどの静けさ。とりあえず、職員には声を掛けておくべきだろう。


「すみませーん。誰かいらっしゃいますかー?」


 カウンターの奥、職員スペースに向かって呼びかける。

 と、少し間を置いて返事が得られた。


「少々お待ちください」


 落ち着いた、女性の低い声。けど、多分若い女性だ。ある程度年を取った人の声というのは、やはり聞けば判るものだから。


 奥のスペースから職員の女性が姿を現す。


「お待たせいたしました。どういったご要件でしょう」


「ちょっと新聞のバックナンバーを読ませてほしくて――――」


 ……って。


「――――なんで、キミがこんな所にいるんだ?」


「……それはこっちの台詞なんですけど」


 途端に態度を変える若い女性職員。

 少し傷んだ様子の黒髪。前髪は伸ばされていて、先日までの俺の髪型に近い。短めに切り揃えた後ろ髪はゴムで一つに縛られている。

 端正な目鼻立ち。そこに掛けられたフレームの無い眼鏡はそれをより一層際だたせるためのアクセントとして機能している。

 背丈が女性にしては高く、職員であることを示す名札を付けた、胸元の大きく開いたシャツを着ている。


 俺がこの人を、よもや見間違うはずもない。

 呆気に取られている俺の目の前で、一流の有名企業で課長職を務めているはずの三佳さんが、やれやれといった仕草で憂鬱そうに煙草を咥えた。

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