――故、空転による焦燥。
駅前のシャッターの樹海。寂れた商店街には、活気も人気も感じられない。
ここJR津久山駅は、休日であるにもかかわらず利用客はほぼゼロに等しい。
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[件名]Re:イズミの居所
[本文]泉先輩なら、今日は部長のおさぼりの付き合いです。
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[件名]ネズ子?
[本文]はて?〓
なんのことでしょう?
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俺の元に届いた二件の返信メール。……どちらを信用するかは言うまでもない。
イズミは午前中――部活時間中から――角さんと行動を共にしていたようだ。
ケロちゃんは今も二人が一緒に居ると考えているようだが、俺がこの場所でイズミを目撃した以上、それは考えづらい。まさか傷心気味の友達を墓参りに付き合わせるわけもないだろう。
となると、二人とも心当たりが無いのだとみるのが順当。やはり探して回る他無いようだ。
ケロちゃんにはお礼とお茶濁し程度の慰みメールを送り、イズミのプライベートに詳しいであろう角さんに協力を要請してみよう。
『相談したいことがあるんだけど、今から会えないかな?』
返答。
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[件名]や
[本文](本文なし)
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……これは。
『「や」?』
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[件名]Re:
[本文]嫌って言ったんだけど伝わりませんでしたかね?
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……これはこれは。
『えっと、ごめん』
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[件名]Re:RE:Re:
[本文]謝られる筋合いは無いですなぁ
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……どうしろと。
こっちはまた別の問題として解決させなきゃならないとして……こんな様子の角さんには、イズミの捜索の依頼なんかできそうにないか。
まいった。ケロちゃんとのメールは途絶えてしまったし、イズミの家の場所を知ることさえままならないぞ、これじゃ。
『イズミのことだけど、何かわかったら連絡してくれ』
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[件名]Re:
[本文]はぁ、まぁ
期待しないでいてください
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イズミが自分から訪ねる可能性がある人物を、俺は角さんしか知らない。はっきり言って、期待しないでほしいというのはなかなか難しい話だ。
「さて……」
どうしたものか。まるで当てが無い。
イズミが行きそうな場所……「アル・フィーネ」しか心当たりがないな。他には野口に遊びに行ったくらいだし。
とりあえずは古宮に戻ってみるか。
午後四時半の電車内は、やはり伽藍としていた。
野口駅で学生や若者がいくらか乗り込んできたものの、未だ空席がちらほらと見受けられる。
窓の外に厚く張り巡らされた雲は夕日を完全に遮断し、そのため天井では白色電灯が耿々と照り、窓ガラスには車内の様子と俺の不安げな情けない顔が映し出されている。
――――俺は、イズミのことを何も知らない。
今になって思い知らされた事実。俺は彼女の、好きな人好きな食べ物好きな音楽好きな場所、嫌いな人嫌いな食べ物嫌いな動物嫌いな言葉、楽しかった思い出辛かった思い出、趣味特技経歴長所短所、どこに住んでいて今どこにいるのか――――!
「何も……知らない」
唖然とする。イズミと知り合ってから一週間。俺は彼女に何も尋ねなかったのだ。
彼女のことを何も知らないのに、一緒にいるだけで安心できた。どうして、あんなにも。
対する俺は、いくらか自分の話をした気もする。だけどやっぱり、俺が今彼女について「知りたい」と思ったようなことは教えていない。
何故だか彼女が、俺のことなど何もかも全て知っているように思えたから。
『次は古宮、古宮。お出口は右側です。開くドアに……』
一度、しっかりと話をしたい。“大人”と戦うための協力関係としてではなく、一クラスメイトとして。友人として。
そうだ。だからこそ俺は、笑われながらも明日の日曜日どこかへ出かけようなんて誘ったんじゃなかったのか。
二時間前俺が見たイズミの背中は、朧げで、弱々しくて。
――――もう、二度と会えないんじゃないか。
そんな印象を俺に与えた。
「……会いたい。会って、話をしたい」
自分勝手、わかってる。独り善がり、百も承知。
悪いけど、俺はいつだってそうやって生きてきたんだ。そんな俺を、彼女は嫌うだろうか?
――――何も知らない俺には、わからない。
右肩に二つ、カバンを背負う。空っぽなのが俺で、たくさんの何かがぎゅうぎゅうに詰まっているのがイズミ。
その中身はわからないけれど。空っぽで、何を入れるべきかもわからない俺に、それを分けて貰えたなら。
背後で自動ドアが閉まり、人ごみが慌しく階段を下っていく。
ホームに吹きこむ風は湿っている。急がないと、今日も――――
改札を抜け、階段を下り、駅舎を出る。大通りの歩道を少しだけ学校方面に下り、青信号と共に横断歩道を渡る。
そこには見慣れた喫茶店の看板が…………置かれて、いなかった。
「あれ……?」
鍵の閉められたドアから覗き込むと、いつも置かれている店名の書かれた看板が暗い店内に仕舞われているのが確認できた。
「あー。その店、今日は休みだよ」
背後から声を掛けられる。振り返って見ると、そこに立っていたのは三十代くらいの男性。髭を生やした黒髪でサングラスをかけ、スカイブルーのアロハシャツにカーキ色のハーフのチノパン。足は裸足にビーチサンダル。
……怪しすぎる。何者だ、この男。
「もしかして、土曜日って定休日だったりします?」
「いや、定休は無いよ。バイトの女の子が来れない日は休みなのさ」
男が少しにやけた顔で答える。見ようによっては得意気にも見える表情。この人はおそらくこの店の常連客といったところだろう。いたんだな、そんな存在。
「なるほど。ありがとうございます」
「礼には及ばない。休みだというのは、見れば誰だって一目でわかるからね。そうだな……。明日の午後なら多分開いているはずだ」
オーバー気味に、思慮を巡らせるポーズを取る男。
……俺にはそれが、寒さを堪えているようにしか見えなかった。
「明日の午後、ですね。ご親切に、どうもありがとうございます」
「いやいや。この店にとってお客は貴重だからね。それじゃ、僕はこれで」
ぷらぷらと振った手をポケットに突っ込んで、駅とは反対方向に去って行くアロハの男。
……俺にはやはり、その姿が寒そうに見えた。
「――悪い。明日の午後じゃ遅いんだ」
さて。ここが開いていない以上、いよいよ本当に心当たりが無くなってしまった。
それこそあとは学校くらいしか――――
「学校……」
わが古宮高校は、土曜日は午前中だけしか校舎を開放していない。だがそれも、生徒に対しては、だ。
ポケットから携帯を取り出し、電話帳から古宮高校職員室へとダイヤルする。
スピーカーから呼び出し音が流れ、そして……
『――――はい。古宮高校職員室です』
やはり、居てくれた。
「こんにちは、福住先生」
『……名執くん? どうかしたんですか? 休みの日に学校に電話なんかかけてきて』
電話の相手が俺だとわかると、先生は途端に普段のほんわかした声に変わった。
「はい。ちょっと先生に教えてもらいたいことがあって」
『ほぇ? なんでしょう?』
「実は……立松さんの家の住所を教えていただきたくて」
沈黙。驚も嘆も無し。一切のリアクションが伝わってこない。
電話の向こうで先生がふぅむと唸る声も、呆れて溜息を吐く音も、一切聞こえない。
それに対し俺も何も応えることができず、二機の電話機の間を沈黙だけが流れた。
やがて、先生からの答えが俺に返される。会話の空白は、おそらくはほんの数秒。まるでそうは思えなかったけれど。
『――――いいですよ。本当はダメですけど、特別です。ちょっと待っててくださいねー』
快い承諾。……まったく。なんでこの人、こんなにも俺に甘いんだろう。
電話からは保留音――滝廉太郎の荒城の月のメロディーが流れている。
『っと、お待たせしました。メモの用意はできてますか?』
「はい、オッケーです」
本当は紙もペンも持っていない。聞いて覚えておくだけで十分だろう。不安なら携帯のメモ機能に残しておけばいい。
『えーと、区からで大丈夫ですよね。古宮区中杉町…………』
ふむ、と頭の中で反芻する。……これ、中杉の駅の近くじゃないか。
中杉は古宮から一駅。ここからでもそう遠くはない。俺の家から自転車でも十分に行ける距離だ。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
『……ちょっと、いいですか?』
あわよくばそのまま電話を切ってしまおうとした俺に対し、ほんの少しくぐもった声での制止が入る。
「……なんでしょう」
『ごめんなさい。やっぱり理由を聞かせてください。なんで立松さんの家の住所が必要なのか』
まあ、至極当然の疑問だ。規則を破ってまで教えてくれたのだから、それくらいは応えてさしあげるべきだろう。
「カバンの落とし物を拾ったんです。それが偶然立松さんの物で。携帯電話も入っていたんで、きっと困ってるだろう、と」
ところどころぼかしはしたが、嘘は言ってないよな。
『カバンの中に住所の書いてある物は入っていなかったんですか?』
「プライバシーに関わる物ですから、カバンの中は見てません」
……あー、しまった。思わず本音をそのまま口に出してしまった。
「ありませんでした」の一言で済む話を……。今ので怪しまれたら、だいぶ面倒なことになる。
『……そうですか。――――うん。名執くんは本当に偉い子ですねっ!』
「へ?」
『そこまで他人を思いやれる人なんて、そうそういないです! 先生、感心しちゃいました』
「はぁ、それはそれは……」
うん、まぁ、結果オーライといったところだろうか。
「それじゃ先生、そろそろ切りますね」
『あ、はーい。くれぐれも立松さんには私が住所を喋ったこと、黙っておいてくださいねー』
「了解です。それじゃ、仕事頑張ってください」
『はーい。ありがとうございます』
「えへへ」と声が聞こえた後、電話は先生によって切られた。
「――さて」
忘れないうちにイズミの家の住所の番地をメモする。ええと中杉町三丁目の…………。
間違いない。三丁目といえば駅からせいぜい数百メートルの辺りだ。
「中杉町三丁目、イチのサンの――――って、ここ……だよなぁ、やっぱり」
グラッドガーデン中杉。
今俺の目の前に聳え立っている、天を貫くツインタワーの超高層マンション。
古宮駅と中杉駅のほぼ中間に位置し、古宮駅周辺地区再開発の先駆けであり象徴でもある。
数年前に完成し、販売開始から一週間と経たず全部屋完売御礼を発表した、超が付くほどの人気マンションだ。
地上四十数階という巨大さは、元々低い民家が多く立ち並んでいたこの古宮区の中では強烈な異彩を放っている。
福住先生から受け取った「立松 イズミの家の住所」は、間違いなくそのグラッドガーデンの西棟「プライムタワー」を差していた。
「こんな所に住んでたのか、イズミのやつ……」
先生が読み間違えたか、俺が聞き違えたか。そのどちらかではないだろうかと疑いつつ、意を決してエントランスに入る。
広がっていたのは、オレンジがかった電飾に照らされた、あまりにも広すぎるエントランスホール。
しかし、高級ホテルのようにその豪華さや高価さを前面に押し出したものではなく、石英らしき石で作られた壁や木のフローリングが敷かれた床など、落ち着いた配色、落ち着いた配置を心がけて作られているのがわかる。
ホテルが非日常の象徴であろうとするのと同じように、あくまで居住のための施設であるマンションは日常の象徴であるべきということだろうか。そこには真の高級マンションというものを創り上げる人間たちの矜持のようなものが感じられる。
……ただ、それでも俺のような平凡な一般人にとってはこれでも十二分過ぎるほど高級感丸出しに感じるのだが。
さて。ここに本当にイズミが住んでいるのか確かめるのには、まずあれを探さなくてはならない。
だだっ広いエントランスホールをぐるぐると回り、あちこち物色し続けて五分。
「あった……」
「201」から「4512」まで、五百をゆうに超える数の部屋番号が割り振られた銀色の蓋のカプセルホテル、すなわち郵便受け。
それは、アパート住まいからすれば異世界に他ならないこの空間がマンションであることを改めて強調していた。
「2405号室は――――」
セキュリティのためか郵便受けに表札を付けていない家庭も多く見られるのだが……残念ながらそこにははっきりと「立松」という苗字が記されていた。
「……本当にここに住んでるんだな、イズミ」
逸る気持ちを押さえ、エントランスホール中央エレベーター前、オートロック設備の所へ向かう。
……頼む、出てくれ。
「2」「4」「0」「5」、「呼び出し」。ドアホンと同じ呼び鈴がスピーカーから聞こえる。
――――反応は、無い。
もう一度、「呼び出し」。ぴんぽん。
――――やはり反応が無い。
「……くっ」
イズミは、家に帰ったわけではなかった。俺がなんとか手に入れた最後の希望の芽は潰えた。
手詰まりだ。もはやどうしようもない。
ここや、マンションの外でイズミの帰りを待つことはできない。
警備員や常駐のフロント係がいない代わりに、このマンションの至る所には監視カメラが設置されている。警備会社の人間に通報されてしまったら、一巻の終わりだ。
仕方なく「プライムタワー」を出て、古宮駅に向かう。
小雨のパラつき始めた午後十一時半。
気を紛らわすために久しぶりのゲームセンターで散財し、夕飯をファストフード店で摂った俺は「さて帰るか」と古宮駅から、中杉駅方面と逆方向、俺の住むアパートに向かって歩いていた。
駅から家に向かう細く暗い路地。こんなところからでも、皓々と無数の光を放つあの巨大な二本の塔がよく見える。
あの後もう一度家を尋ねたが、結局イズミ含め立松家の人間は誰もあの部屋に帰ってきてはいなかった。
「イズミ……どこへ行ったんだ?」
こんな時間になっても家に戻っていないというのは、はっきり言って異常だ。夜遊びなら、ちょっと度が過ぎている。
「って、言える立場にないか俺は」
まさに今、夜遊びと言って差し支えない時間の潰し方をしてきたのだから。
再び、遠くに輝くグラッドガーデン中杉を眺める。
明日もう一度イズミの家を訪ねてみよう。そこで彼女に会えなかったら……諦める。そうなったら、イズミが俺を避けているというのは明白だ。学校からも、忽然と籍を外し去っていってしまうかもしれない。あの時の彼女のように。
「まさか。古宮高校から“大人”を追っ払うんだろ? お前――――いや、俺たちはさ」
頼む。俺の考え過ぎであってくれ。イズミは――――
突如、携帯の着信音が鳴り響く。ポケットから携帯を取り出すが、俺の携帯は平然と待ち受け画面を映している。
――――鳴っているのはイズミの携帯だ。
イズミのカバンを肩から下ろし、中身が濡れないよう背中を丸めた体で庇いながら携帯を探し出す。
「あった……!」
依然として着信は続いていてくれている。さて、誰からだ? まさかイズミが自宅の電話から――――
[ 着信 : 角 寧子 ]
「……角さん?」
意表を突かれる。いや、むしろ拍子抜けの部類に入るか。
着信音は止むことを知らず鳴り続けている。
やむを得ない。こうなったら電話に出るしかないだろう。
「――もしもし。えーと、俺だけど……」
『あ! な、名執せんぱい、ですよね?』
一瞬「誰だこいつ」と思ったが、よく聞いてみると確かに角さんだ。
名執先輩、か。『なっちゃん』じゃなかったのか、俺は。
「そうだけど……どうし――」
『よかったぁ――――! やっぱり名執せんぱいが拾ってたんですね!』
興奮気味の、上擦った声。
明らかに様子がおかしい。なんというか、気が動転しているようだ。
「どうした角さん、ちょっと落ち着いて――」
『名執せんぱい、あ、あの……イズミが、イズミが――――!!』
……っ!?
「イズミがどうしたって!? 見つかったのか!?」
『は、はい! えぇぇっと、それで……! そのカバンの中に、ほ、包帯、入ってますよね?』
包帯?
「悪い、ちょっとわからない。ここじゃ暗くてよく見えないんだ」
『えと、でも、入ってるはずなんで……! あと『くすり』も……!』
くすり?
『と、とにかくっ! 今からイズミの家に来れますか!? あ、えとっ、中杉のでっかいマンションです!』
「あ、ああ。場所はわかるよ。角さん、ちょっと落ち着いてくれ。イズミは見つかったんだよな? 一体、何があったんだ?」
『は、はい――――』
電話越しに、彼女が深呼吸をする音が聞こえる。その呼吸はがたがたと震えていて、とてもじゃないけど落ち着けてはいないようだ。
対する俺も、電話に出てから加速度的に心臓の鼓動が速まっていっている。ドク、ドクと。
何があったんだ。イズミの身に、一体何が――――
『お、落ち着いて、聞いてください』
ドク。
「あ、ああ。落ち着いているさ」
ドク、ドク、
『イ、イズミが――――』
ドク、ドク、ドク、ドク、
『イズミが……お、』
ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、ドク、
『襲われて、怪我を――――!!』
ドク。