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――故、追想による検証。

 四年前の五月十六日。二十一歳の誕生日を目前にして、俺の姉――名執 亜依(あい)はその短い生涯を終えた。

 正直な気持ちを言ってしまえば、未だに俺は姉が死んだという実感を持てずにいる。



 当時十五歳の中学三年生だった俺が最後に彼女の顔を見たのは、その年の五月十四日の明朝。いつもと何一つ変わらぬ様子の姉にしばしの別れを告げ、三泊四日の修学旅行へと出発したのだった。

 俺としては三年次に修学旅行に行くなんていうのには乗り気ではなかったのだけど、姉に言いくるめられ渋々参加することを決めた。

 そういうわけで、出発の日のあの明朝にも「楽しんできなさいよ」と念を押された(・・・・・・)ことを憶えている。



 修学旅行三日目の昼前、班別行動で著名な寺社を退屈纏わせ巡っていた俺の元に担任、そして班長を介して、叔母である三佳さんからの電話が届いた。


 それはあまりにも唐突な、名執 亜依(あね)の訃報だった。



 ホテルの宿泊をキャンセルし、最寄り駅まで担任に付き添われながら古宮の実家に飛び帰った俺を迎えたのは、喪服を着た三佳さんと、既に平静を取り戻した家宅。


 姉さんがいない。

 母さんがいない。


 状況をまるで飲み込めずただただ混乱に立ち尽くす俺を、三佳さんはそっと抱きしめ、そして双の眼から一滴ずつ涙を落とした。

 後にも先にも、あの人の涙を見たのはその時限りだ。

 「箪笥の匂い」が染み込んだ固い喪服に包まれて。

 憶えていないけれど、俺はその時、きっと原因不明の涙を枯れるまで垂れ流した。



 名執 亜依は五月十六日の未明に生命活動を停止し、数時間後の明け方に死体として発見されたそうだ。

 死因は、曰く交通事故。現場は勤務先の高校の近くだったと聞いた。

 第一発見者は――――名執 汀。俺の母さんであり、当然ながら名執 亜依の母でもある女性だ。

 母さんが帰宅した俺を迎えてくれなかったのは、彼女が相当深刻な心的ショック状態にあったからだと、後に三佳さんが話してくれた。

 それは、


『どうして、未だに母さんに会えないんですか』


 事故から一週間以上が経過した五月二十四日に、家宅から締め出された俺が問うた時のことだ。


 母さんが負った精神的なダメージは尋常ではなかったらしく、事故直後に失神で倒れてから一週間もの期間、精神病院に入院。数日の仮退院を経て、再び入院。結局、一年以上もそうした生活を繰り返していた。


 その間俺は三佳さんと共に実家暮らし。母さんが仮退院してくればその間ホテルへ一人で避難という生活を余儀なくされた。



『アレはね。自分に子供がいたという事実を力ずくで忘れようとしたらしい』


『……子供がいたことを?』


『ああ。我が子の死を受け入れられないがために、その子の存在そのものを忘れようとした、と。主治医の先生から聞かされたよ。挙句があの幼児退行――――いや、幼児というまでではないな。あれは……そうだな……』



『――十七、八歳。なるほど、あの男と出逢う前だな。咄嗟の生理にしちゃ、随分と筋が通ってるじゃないか』


『……えっと、母さんは人格に障害を来たしている?』


『そう仰々しいものではないと思うがね。心配しなくてもいずれ元通りになるさ。そうだな……遠くても、十七、八から今の四十までの二十余年。それだけ待てばキミの知っているお母さんに戻るだろう』


 そう言って、三佳さんは俺に笑いかけてくれた。



 三佳さんがもたらした楽観も真とはならず、母さんの様態(・・)は少しも安定を見せなかった。

 その代わりに、今まで痴呆を徐々に悪化させていた婆ちゃんの病状が改善されていった。


『娘の若返りに釣られたか、はたまた親としての庇護欲を刺激されたか。どちらにしても、あのバアさんはまだまだ先が長そうだ』


 蓮っ葉な物言いに反して、その顔は満足気な笑みを顕していた。



 婆ちゃんが独りで暮らしていけるようになり、母さんも長期の入院が決まったということで、前触れも無しに独り身になった俺の世話を、三佳さんが診てくれることになった。

 長いようで短かった、アパートでの二人暮らしだ。


『ここは私が学生だった頃に借りていたアパートでね。馴染みが大家をやってるんだ。そうそう、私の部屋とキミの部屋は分かれているが(・・・・・・・)別ではない(・・・・・)から、安心してくれ。お互いの距離感はそれで十分保てるはずだ。さすがに十五年上のおネエさんと寝床を共にするなんてのは、キミも色々と辛いだろう?』


 今思えば。三佳さんが俺を実家から離したのは、俺に母さんのことを忘れさせるためだったのかもしれない。



「しかし、まいったもんだな」


 蚊らしき羽虫が寄り付く後頭部を右手で掻く。


 そう。姉さんには本当に申し訳ないのだが……以上の通り、俺は姉さんの死をまるで知らずに生きてきたのだ。



『キミのお姉さんが亡くなった。交通事故だった。詳しい話はキミがこちらに着いてからする。無理はしないでいいから、少しだけ急いでこちらに戻ってきてくれ』


 レンタルPHSのスピーカーを通じて送られてきた、三佳さんの落ち着いた声。簡素な連絡。

 彼女はその中で、俺に一つ嘘をついた。詳しい話は、俺がこちらに着いてからも聞かせてくれはしなかった。

 憶えている。

 色を失う視界。慈照寺観音殿。貼られていた銀は剥げ落ちてしまったのだ。

 担任の教師が俺を(なだ)める。そういう先生の方こそ、明らかに取り乱していた。

 剥がれ落ちた銀は、どこへ散っていったのか。

 答えは、どこにも散っていってなどいない。

 あの寺には最初から銀など貼られていなかったのだと、何年か前に証明がなされた。


 俺は少しと言わず急ぎ、こちらへ戻った。姉が亡くなった。交通事故で。


 交通事故。発見時に死亡を確認。それを見た母さんが発狂するほどの、凄惨な現場。

 交通事故。俺が家に着くまでの半日強の間に火葬までもが済まされてしまっていた。

 交通事故。三佳さんは何も語ろうとしなかった。俺に、姉の存在を忘れさせようとしていたかのように。

 交通事故。交通事故。交通事故。一体、どんな交通事故だったんだ?

 県立高校の通学路、夜更け。何が起こった? 俺は――――何も知らない。

 交通事故、交通事故交通事故交通事故交通事故。


 それは。ほんとうに、交通事故だったのか?



 白い百合の花束を名執 亜依の墓前に添えた立松 イズミ。

 姉さんがこよなく愛した白百合。俺が、供えるのを躊躇った白い花。

 だってほら、この花。あの花にそっくりな色をしてるだろ? 白よりも、あんたの墓にはこれが似合う。


 ……立松 イズミが名執 亜依と何かしらの関係を持っていた。いつから?

 間違いなく、生前から。彼女が百合を愛していたことを知っているのは、俺と三佳さんくらいなものだ。あとは俺が認知していない姉の友人たち。

 そう、友人。


 立松 イズミは七つ年上の名執 亜依とどこかで偶然知り合い、親交を持った。

 イズミが十四歳の頃に名執 亜依は死去し、以来今年までこうして彼女の誕生日に墓前に花を供え続けている。


 ほんとうに?



「くっ……!」


 自分のあまりの無知さ加減に、頭蓋を引き裂かんばかりの頭痛が駆けずり回る。

 姉さんはほんとうに交通事故で死んだのか?

 イズミは都合の良いただの友人なのか?


 ほんとうは、姉さんが死んだのは交通事故なんかじゃなくて――――




 イズミを追おう。今はそれが一番てっとり早い。加えて、こんな大きな荷物を置いていってしまったんだから、届けないわけにもいかないだろう。

 プライバシーに関わるから中身は確認しないが、少なくともイズミの携帯がこの中に入っていることはわかった。きっとFDファイアー・ドライヤーも入っている。

 こんな物を置き去りにしてしまうほど、先程の彼女は取り乱していたのか。


 不安が募る。心配で心配で、心配で心配で仕方がない。

 彼女がどこへ向かったのかが見当もつかない。家の場所さえ知らない。

 それでも、イズミを探さないと。

 イズミと名執 亜依の関係を訊く。そのことが俺にとっても、今の彼女にとっても必要なことだ。


 物言わぬ姉を見据えて、腰を上げる。

 イズミの姿を見失ってから、もう一時間が経とうとしている。それだけあれば、もうどこか思う場所への移動を済ませていることだろう。

 まずはイズミと関わりの深いあの二人に接触を取ることにしよう。



 と、その前に。


「ほら、おみやげだ」


 五月十六日、あの金曜日にカバンの中に入れっぱなしにして危うく恥をかきそうになった「あれ」を取り出し、墓前に供える。


「姉さん、好きだったよな?」


 スイスの野山を元気に駆け回る、天真爛漫な少女のキャラクター。そのぬいぐるみ。

 高山には緑とヤギと高いブランコと、それから姉さんの好きな百合の花があって――――。


「それじゃ――――俺、行くから」


 また来年の五月十六日。命日。あるいは五月二十四日。誕生日。俺はここを訪れるだろう。

 だけど。来年か再来年か、それとももっと先の話かもしれないけれど。

 いつか。ここにあの人を連れて。


「また、来るよ」


 ヤギと白い百合の花を抱えた、赤い服を着た少女のぬいぐるみが笑う。

 少女の向かって右には桃色をした三本の百合が。左には白百合の絢爛な束が添えられている。

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