――篭、requieм in crаdle...at мidn!ght。
闇に降り注いでいた霧雨は、泣き疲れたのか――――いつしか止んでいた。
俺たちはこの建物に万が一にも人を寄せ付けぬよう、軒下で“彼ら”の到着を待っていた。
「……終わった、のかな」
俺たちは“溺者”と化していた綿貫を沈黙させた。
FDの“銃撃”を受けた“溺者”の体内のEPDは時間と共に消滅していき、脳にダメージは残すものの、人体の免疫機能によって完全に取り除かれるらしい。
“溺者”だった者は、目を覚ます頃には正常な体に戻っているとのことだ。
目を覚ますまでは、数時間から数日と個人差が大きいらしい。
「――さあね」
十分前。FDの“銃撃”を受けた綿貫は、今はトイレの個室内に敷かれた毛布の上で眠り続けている。
言うまでもないかもしれないが、毛布はイズミのカバンから取り出された物だ。
同じくハンカチによる止血処置で、腰からの出血は収まった。
そして、横たわった彼女の口腔内からは――――噛み砕かれた、大量の氷が見つかった。
「高峰 真美・布施 悠二・綿貫 麻実を巡る一連の事件は、終わったと言えるわ」
“溺者”を経て“覚醒者”となり、職業として“大人”となった高峰 真美が布施 悠二にEPDを投与。自らの“従者”として“溺者”にした。
そこにどういう意図があったのか、感情があったのか、――――それとも無かったのか。
今となっては知る術は無い。
だが、その行為は布施 悠二本人、そして綿貫 麻実の人生を大きく狂わせてしまった。
それだけは疑いようのない事実。
「だけど、これで振り出しね。僅かな可能性に賭けてみたけど、綿貫 麻実はこの学校に巣食う大本の“大人”ではなかった」
そう。俺たちが探しているのは大本――つまりこの古宮高校にEPDを持ち込んだ人物。
そいつこそが、真の悪。
布施と綿貫、そして忘れてはいけない「もう1人」。彼らを破滅へ追い込んだ高峰もまた、大本の“大人”に人生を狂わされた被害者なのかもしれない。
「私はまた別のルートで探りを入れてみる。校内で見つかったEPDは小さすぎて指紋などの情報は一切残っていなかったけど、あれを残したのが綿貫 麻実ではないということがわかったのは、今回の大きな収穫よ」
「さて」と、膝の関節を伸ばしているイズミ。
あの時、幸いにも彼女は足首をほんの軽く捻ってしまっただけだったそうだ。
とはいえ、極限の状況でそんな隙を作ってしまうことは死に直結する。俺の乱入が少しでも遅れていたら、イズミはどうなっていたかわからない。
「そろそろ貴方はここを離れた方がいいわ。もうすぐ、悪趣味な黒いセダンに乗って“彼ら”がやってくるから」
「……警察じゃなかったっけ? その“彼ら”って奴らは」
「パトカーなんかで堂々とここに近付くわけないでしょう。あくまでもEPD関連はレベル『5』相当の極秘事項、全てが秘密裏に行われていることなんだから。――――だからね、貴方は“彼ら”に見つかっちゃマズいのよ」
……なんだって?
「イズミ、まさか……」
「ごめん。由利也クンの協力を依頼したのは、完全に私の独断。“彼ら”は私が貴方にEPDのことを話したことを知らないわ」
ちょっと待て。
「つまり。俺がEPDの存在を知ってるってことが“彼ら”に知られたら、俺は“彼ら”に消される――?」
「……さすがに“彼ら”も警察の端くれだから、そう手荒な真似はしないと思うけど――――それ相当の仕打ちは受けるかもしれない」
……そういうことは先に言っておいて欲しかった。
「わかった。見つからないうちに帰ることにする。後はよろしく、イズミ」
「ええ、任せといて」
カバンを担ぎ、自転車の停めてある駐輪場へ……って、駄目だ。
校門はとっくに施錠されてるから、自転車を置いて徒歩で帰宅するしかない。
仕方ない、裏門を乗り越えて外へ出よう。
「どしたの由利也クン。歩き出したと思えば急に立ち止まって」
「ああ、いや。なんでもない」
再び裏門に向かって歩き出す。
「――――イズミ」
で、なんだかんだでもう一度足を止めてしまう。
「ん? 何?」
「“彼ら”は……本当に信用できるのか?」
「綿貫のことが心配なのね。大丈夫よ。さっきも言ったけど、“彼ら”は一応警察だから」
「手帳を見せてもらっただけだけどね」と、イズミは付け足す。
「その後の生活とか、辻褄合わせとかさ。全部、きっちりやってくれるんだよな?」
「ええ。心配ないわ。安心して」
“彼ら”が信用できないからといって、突如一定期間の記憶だけを失った一人の女子高生のケアなんて、俺やイズミにできるわけがない。
胡散臭かろうと、信用するしかない。きっと、イズミはもうずっと前から割り切れているのだろう。
「……わかった。それじゃ、また明日」
俺がそう告げて立ち去ろうとすると、イズミは表情を曇らせた。
「明日……土曜日ね。私、由利也クンには会えないと思う」
確かに、これで俺はバスケ部に顔を出す必要も無くなったし、イズミが新しい方針を打ち出すまでは特に何をすることもできない。
だけど、会えないってどういうことだ?
……はっきり言って、俺は四六時中欠かすこと無く、いつだってイズミと一緒に居たいのに。
「今回の事件のケアよ。ほら、私にできることが1つあるでしょう?」
ああ、そうか。布施 悠二の“溺者”化を巡る問題で、傷付いたのは綿貫1人ではない。
「わかった。……じゃあ、日曜日。どこか遊びに行かないか? 当のイズミだって、今回のことは色々と堪えただろ。俺なんてもう体はヘトヘト、心はズタボロだよ」
直前の綿貫との接触。あれは…………後になってから、俺に心臓が抉られるようなダメージをもたらしている。
「それは由利也クンが慣れていないから――――ううん、ごめん。何でもない。わかった、明後日ね。まだ空くかわからないけど、予定がわかったら連絡するわ」
「よろしく。それじゃ、今度こそ――――また明後日」
「もう、気が早いってば」
あきれた様子で溜息をつかれた。
それからのことは……よく覚えていない。
俺は確かに徒歩で家まで帰ってきて――バスを使えばいいものを……――、体の疲労のままにベッドに倒れこんだ……のだろう。
午前四時、俺は目を覚ます。
頭が少し、軽くなったような気がする。きっと睡眠を取ったことで記憶が整理されたからだ。
携帯電話の小さなライトが点滅を繰り返しているのが見える。
受信メール、二件。どちらもイズミからのようだ。
[5/23 23:56]
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[件名]お疲れ様
[本文]ほんっとーにお疲れ様!
今日のユリヤ君の働きは、
明らかに私が望んだ以上のものでした
点数にすると……150点!かな?
疲れてるって言ってたし、ゆっくり体を休めてください
あと、心も疲れてるって言ってたね
悩まなくて大丈夫だよ あなたには私がついてるから
今日あなたがしたことは、誰からみても正しいことです
綿貫さんだって、あなたに感謝してたでしょ?
だから、悩まないで
もしかして今日の昼に話したこと、気にしてるかな?
意地張ってごめんね
結局、ユリヤ君の言ったとおりだったね!
綿貫さんはライヤーじゃなかったし、普通の女の子だった
『……あれは普通なのか?』
彼女、恋心がちょっと行き過ぎちゃったんだね
実はね 私、彼女の気持ちがちょっとわかるの
・・・恥ずかしいから人には言えないけどねっ
『……む。恋敵の予感……』
それで ちょっと考えられないことが起こったわ
さっき、寧子の元に連絡があったの
綿貫さんから
『――――なに?』
寧子が転送してきたメールがあるから、送るね
私はいいって言ったんだけど・・・
じゃあ、ちょっと待っててね
─────────────
そして、二件目。
[5/24 0:02]
─────────────
[件名]Fw:Fw:スミ先輩へ
[本文]>>こんばんわ。夜遅くごめんなさい。
>>届くかな?
>>先輩には今までメール送ったことなかったけど。
>>
>>突然ですが・・・ほんとうに突然ですが。
>>わたし綿貫麻実は遠くへ引っ越すことになりました。
>>驚きますよね?わたし自身すごいビックリしました。
>>
>>お医者さんと両親の話によると、
>>わたしはどこかに頭を強くぶつけたみたいです。
>>それだけ聞くと笑い話みたいですけど・・・
>>なんだか脳にシンコクなダメージがあるとかで。
>>遠くの病院に通うがてら、お引越し。
>>言われたのはついさっき。もうビックリでした。
>>まーそれより、自分の頭の異常に驚いたんですけど。
>>
>>わたし、なんと。ここ2ヶ月ほどの記憶がないんです。
>>今が5月だって聞いたとき、全然信じられませんでした。
>>わたしにとって、今日は3月の中旬ですから。
>>部長決めのミーティングをして、ちょっと布施先輩が不利で。
>>スミ先輩、そこまでキツく言わなくてもいいのに!
>>・・・って思ったのをはっきり覚えています。
>>わたしにとってはほんの数時間くらい前の記憶なのに、
>>それは今から2ヶ月も前の話らしいんです。
>>
>>先輩。わたし、こわいです。
>>記憶が無いのももちろんですけど・・・
>>思い出す記憶の中のわたし、
>>すごいこわい人なんです。
>>スミ先輩の悪口ばっかり言ってるんです。
>>なんで怒ってるかっていうのは、
>>やっぱり布施先輩のコトみたいです。
>>布施先輩がスミ先輩のコト好きだから・・・
>>カレがわたしを好きじゃないのを逆恨みしてる。
>>バカみたいです。てゆーかバカです!
>>今のわたしには、怒ってるわたしがわかりません。
>>お医者さんが言う脳へのダメージって、このこと?
>>
>>だから、謝ります。ごめんなさい!
>>その日から2ヶ月も経ったなら、
>>わたしきっと先輩に色々ヒドイコト言ったと思います。
>>それを言ったわたしはもういないけど、
>>代わりにわたしが謝ります。
>>ほんとうにごめんなさい。
>>
>>引っ越すにあたって、
>>それまでのことは全部忘れなさいって、
>>両親とお医者さんに言われました。
>>ムチャクチャですよね!
>>でもまあホンキみたいなんで、ガンバってみます。
>>
>>ですから。
>>ほんとは先輩に連絡とっちゃダメなんです。
>>このメールを送ったら、電話帳と履歴は全部消しちゃいます。
>>アドレスもすぐ変えます。
>>というか新規でケータイ買うみたいです。
>>それはちょっと嬉しかったり。
>>
>>・・・話がそれちゃいました。
>>このメールを送ったのは、
>>どうしても先輩に謝りたかったから。
>>目が覚めたとき一番強かった感情が、それだったんです。
>>・・・ほんとうにごめんなさい。
>>
>>それじゃ、すごい長くなっちゃったけどこのへんで。
>>スミ先輩、今までありがとうございました。
>>意中のヒトとヨロシクやってください。ヒヒヒ。
>>あ、布施先輩にも一言伝えといてください。
>>ガンバレ!って(笑)
>>それでは、さようなら。
>>
>>古高バスケ部1年 綿貫麻実
>
>てな感じ
>どうしたらいいんでしょうね私は
どうしたらいいと思う?ユリヤ君
っていうのは冗談で
まぁ・・・ある種の奇跡みたいなものなのかな
私、このメールでちょっと救われちゃった
ユリヤ君もそうだといいな
夜遅くにごめんね
おやすみなさい
─────────────
その長い手紙を読み終わった時、俺は――――胸を締め付けられる思いだった。
ある人間と、もう二度と会えない。それは死別にも似た――――。
くそ。苦手なんだよ、そういうの。
ああ、もう……。
イズミ、本当に悪いけど……ちょっと余計かな、今の俺にはさ!
メールに添えられた日付が、今日が五月二十四日であることを思い出させる。
今日は……五月二十四日。
五月二十四日。
今日が、五月二十四日だったのか。
胸が悼む。
油断をすると張り裂けてしまいそうだ。
今年も百合の花が咲く。五月に百合の花が咲く。
俺は――――その場所に行かなくてはならない。
自覚めたら、すぐにでも。
朝。目を覚ましたなら。
行こう。すぐにでも。
――――彼女の待つ、あの場所へ。




