――桜、さよなら転入生。引き続き憂鬱。
今年度三人目の転入生が、教壇の上に立ち自己紹介をしている。
癖の激しい傷んだ黒髪の、眼鏡を掛けた男子生徒。背丈は高くも低くもなく、顔も悪くはないがパッとしない。
残念ながら、俺の興味はその「高橋なんとか」君ではなく、中庭、校舎すれすれに植えられている一本の巨大な樹に注がれていた。
あれは、何だ? いや、何の木かは見ればわかる。問題はそこじゃなくて、つまり……。
何故――――今、桜が満開なのかということ。
だって、おかしいじゃないか。桜は春に咲くもんだ。今は……もう春じゃない。
それに、あの木の存在自体は俺も知ってる。俺が入学した時には既に中庭にああして立っていた。三年間、花も葉も一切付けなかった。昨日まで、そうして見窄らしい枯れ木としての姿を晒していたはず。
もう一度、冷静に桜の木を眺める。中庭の彼――彼女?――は、あまりにも堂々としていて。
不覚にも、「あれでいいんじゃないか」と思ってしまった。
高橋君が教室で唯一の空席に腰を下ろす。その席の元の主は、たしか先週この学校を去った。
代わって、壇上では先生が各係への連絡事項などをやたら丁寧に伝えている。
福住 梓先生。うっかり噛みそうになる名前のこの女の先生が、この三年四組の担任教師だ。
年齢は知らないが、見る限りせいぜい二十代半ばといったところ。肩までの長さの黒い髪を、たまに縛っていたりする。同じくたまに、眼鏡を掛けたりもしている。
福住先生は、担任を持ちながら、授業を担当する代わりに「保健室の先生」を兼任している。部活動・委員会ではこの学校で一番忙しいと思われる生徒会の担当になっていて、やたらと多忙な先生である。
この学校には俺と同じ年度に来て、次の年からは三年間担任を受け持ってもらっている。
次の授業の予鈴が鳴ったのを聞き、福住先生はあたふたと慌てて教室を出て行った。
近くに座る坊主頭の生徒が転入生に話しかけている。頭を見るだけで「部活組」と判るのは便利なものだ。
対する転校生高橋君は、パンフレットのような物を読みながらカバンに詰められた教科書を並べ替えている。あのパンフレットはたしか生徒会が作成した物で、転入生向けにこの学校についてのあれこれが書かれているとか。あまりの転入生の多さに生徒会長が作成を決めたらしい。
転入生が多いのは、言うまでもなく転校していく生徒が多いからだ。
この辺り一帯には色々と良くない噂があり、そのせいでこの辺りを離れる家庭が多いそうだ。
その噂というのは、やれ「夜の街を物騒な凶悪犯が徘徊している」だとか、「高校生がクスリに手を出している」だとか……はっきり言ってどこにでもありふれているような、根も葉もないものばかりなのだが。
一方、この古宮区はここ数年の駅周辺の開発で住宅地としての人気が高まり、不釣合いな高層マンションが駅前に立ち並び、さらにそれに合わせて駅も新たな路線に接続されるなんてこともあったりなんかで、住宅地としての人気が沸騰中。人が立ち去れば間髪入れず人が越してくるという現象が起こっている。
人気の理由である古宮駅が様々な大学へのアクセスに優れているため、高校三年生を連れた家庭がわんさか引越してくる。はっきり言って、俺には理解できそうにない。
そういった事情と、それに乗じた生徒会の転入生誘致政策の相乗効果で、席が空けば代わりは即座にやってくる。
そして、悪い噂を受けて追われるようにまたこの町を出て行くこともしばしば。
ちなみに。
この生徒の激しい入れ替わりは、忘れもしない三年前。ある女子生徒の転校から始まった。
こっ恥ずかしいことに、俺はその女の子にお熱だった。それでまぁ、あんなことをしてしまったわけで。
今となってはいい思い出――――では……ないな。
ふと教室に意識を戻すと、国語教師が黒板の前でかつかつと音を立てそれを白く染め上げていた。いつの間にか1時間目の授業が始まっている。
教師が手を動かすのをやめ黒板の前を去ると、生徒たちの約半数くらいは前を向き、ノートに内容を写し始める。残り半数は教師の挙動などに元々全く興味を持っていない。
――――見慣れた、いつもの授業風景がそこには広がっていた。
授業に参加するのは「部活組」。残り半数の「ガリ勉組」は、初めから学校の授業などには興味すら抱かない。自前の勉強道具でひたすら受験勉強をしている。
三年生ともなると、こうした「ガリ勉組」は一層勢力を増した。それでも半数が“ガリ勉”じゃない辺り、うちの学校はどうやっても進学校にはなり得ないのだろう。
わが古宮高校には、「ガリ勉組」曰くまともな学校からの推薦が来ていないとかで、受験は生徒たちの中では完全に一般受験一本化。
結果、こうなる。
残る「部活組」は、去年のバスケ部キャプテンのようなスポーツ推薦を夢見て夏が終わるまで部活動に打ち込んだり、夏や秋から勉強を始めそれなりの大学に入学したりする。
そっちの方が何倍も高校生活を満喫しているといえる気がするのだが……。
いやはや、「ガリ勉組」の気持ちはわからない。
そういう俺は、どちらにも属さない帰宅部・無勉。
何にも気を病まずに済む、一番気楽な生き方だ。
ノートを書き写し終えた時、既に教室に国語教師の姿はなく、彼は廊下に出て隣の小学校の校庭を駆けまわる眩しい笑顔を見て何か思うことがある様子でいた。
生徒に不人気なのが不満か、国語教師よ。眼鏡よ。浮浪者よ。
……そう思うならこの授業形式を改めたらどうだ。
いや、俺にとってはこの形式はヒジョーに楽ちんで素晴らしいのだが。
一方、教師のいなくなった教室では「部活組」の中でも一際騒がしい女子たちがある話題で盛り上がっている。
そう。二週間後に迫った体育祭だ。
とにかく人手を必要とする文化祭と違い、体育祭は生徒の半数強程度である「部活組」だけの参加でもいくらかの盛り上がりを見せる。
生徒たちは赤と白の組に分かれ、綱引きやら騎馬戦やら――ぶっちゃけ小学生でも本気でやらないような競技に全力を注ぎ、文字通り血で血を洗うような争いを繰り広げる。
……生徒の半分強しか参加しないのでやはりイマイチ盛り上がらないということに触れてはいけない。
そんな体育祭がもう二週間後まで迫ってきているということで、先週決めた体育祭実行委員と生徒会役員を中心に、その準備には日に日に熱が入ってきている……らしい。
まあ、運動神経が鈍い上に「部活組」の生徒とも特に交流の無い俺にとっては、それもどうでもいい話。競技を観戦するのは嫌いじゃないけどさ。
てなわけで。俺という人間はそんな調子で二分されているこの学校の生徒たちの、どっち側にも属さない人間だったりする。
だからこうして、学校にいる間は大抵机に突っ伏して眠っているのだ――――。