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ライアー・ファイアー・ドライヤー  作者: 安里真裕
第4章「歪み」 - 休
36/74

――風、混じり合うウィンド・シア。

 ――――電話が鳴っている。


 誰だろう? また三佳さんか、それとも福住先生か。いや、あの三人か、はたまた和輝か。

 ……俺の電話番号を知っているのは、以上六名なのである。


 紫の光が一秒間隔で照らす、すっかり真っ暗になった部屋の中。ベッドの上でバイブレーションの鈍い駆動音が響いている。


「っと、あった」


 手探りの闇の中で光の発信源(ケータイ)を見つける。背面ディスプレイを確認すると、そこに表示されていたのは、


「……イズミ?」


 何の用だろう? って、もしかするととんでもない用事かもしれない。というわけで、そのまま上半身だけを起こし、眠い目を擦るのも忘れ早急に電話に出る。


「もしもし!」


『ザザ、、、あ、、、ザザ、、もし、、、ザザ、、、ザ、、』


「うわっ、なんだこれ」


 受話器の向こうではゴウゴウと、雑音(ノイズ)というには度を超えた音が絶え間なく鳴っていて、相手の声が細切れにしか聞こえない。しかし、辛うじてイズミがそこにいることはわかる。


『ザ、ザ、、な、、、、よ!、、、ザザ、ザザザ、、ザ、、、、』


「イズミ、ノイズが凄くて全然何言ってるか聞き取れない」


『ザザザ、、、ザザ、、、ザザザザ、、、、、、――――あめんぼ、あかいな、あいうえお』


 しばらくして、急にノイズが無くなり、イズミのおどけた脳天気な声が鮮明に聞こえてきた。


「浮き藻に小エビも泳いでる」


『聞こえるみたいね。ごめん、いつの間にか“集音モード”になってたみたい』


 なんだそれ。俺の携帯にもそんな機能付いてたっけ?


「それで、何か用か?」


『あ、うん。ごめん、遅くなったけどこれから行くわね。今、『アル・フィーネ』を出たとこ』


 『出たとこ』と同時にカラン、という鐘の音が聞こえた。どうやら本当に今まさに「出たとこ」らしい。


「って、『行く』?」


 明確に質問を投げかけたつもりだったのだが、スルー。というのも、おそらくイズミの愛車のものであろうバイクのエンジン音によって、俺の声が掻き消されたからだ。


『二十分かからないと思う。切るね』


「あ、おい――」


 切られた。『これから行く』。てことはつまり。


「……ここに?」


 だとしたら、俺は訪れたイズミを迎え入れるために起きている必要があるってことか。

 ……説明は不要かもしれないが、そんなことをわざわざ考えるのはそれだけ俺が今強力な睡魔に襲われているからだ。

 起きてなきゃ、起きてなきゃと思いつつも、体は何故かベッドの上から動こうとしない。


「あ、やべ……」


 無意識に再び横になってしまった。

 こうなってしまえばもう手遅れ。後はそのまま眠りに落ちるだけ――――。









 目を覚ますと、天井の色が変わっていた。


「あれ……?」


 辛うじて輪郭の掴める漆黒から、電灯の照り返しを受けたアイボリーへと。


「でんき……点いてる……?」


 それだけじゃない。誰かが家の中に居る。――というか……台所で、まな板をトタトタと鳴らしている。


「――って、おいっ!!」


 暑苦しい掛け布団を跳ね除け、跳び上がる。


「あ、おはよ。よく寝られた?」


 さも当然のように許可無く他人(おれ)の家に上がり込んでいるのは、もちろんこの人、立松 イズミ。


「ああ、寝たよ。そりゃもう飽きるくらいに。――って、それはいい! ああもう! 昨日は夢うつつ状態だったからツッコミ損ねたが、なに平然と合鍵使って不法侵入してるんだよ! まさか昨日勝手に鍵を持ち帰ったりはしてないだろうな!?」


「ぎくっ」


 やはりか。全くの根拠なしだったが、彼女ならやりかねんと思った。


「ぃ、いーじゃないよ、そのくらい……」


 しょげてみせるイズミ。誤魔化されるな、俺。相手は悪魔だ。人の純情を弄ぶ悪魔だ。誤魔化されるな、誤魔化されるな、誤魔化されるな――――。



「……いつも新聞受けに入れとく。持って行きさえしないなら、使ってもいいから」


 そこは俺、超弩級の甘ちゃんなのであった。


「ほんと!?」


「ああ。万が一って時があるかも知れないだろ? 誰かに教えたりしなきゃいいからさ」


 これも、イズミを信頼しているからこそできること。むしろイズミになら、寝込みを襲われて殺されたとしても文句は言わないだろう。


「寧子とケロ子ちゃんはもう知ってるけど?」


「あー……」


 忘れてた。そもそも発見したのはケロちゃんだったっけ。


「それは別にいいよ。二人のことも、十分信頼してるから」


「へぇ……? 意外だわ」


 へ? ……いや、お前さんの言う事の方が意外なんだけど……。


「さ、出来たわ。由利也クンが今日も炊き忘れてたので、またもご飯は無しです」


 あー、そういやそうだ。昨日もパックのお粥出されたっけ。最近、米の無い生活にすっかり慣れてしまった気がする。

 それで思い出した。普段は学校から帰ってきた時に炊飯器のスイッチを入れていたのだけど、これからは朝学校を出る前に炊いておかなければ夕飯に間に合わないかもしれない。うーん、忘れそうだ。



 イズミが作ってくれたのは、スパゲティー・カルボナーラ。調理には二、三十分はかかるはずだ。そうなると、俺は電話を受けてからそれなりの時間眠っていたことになる。


「ていうか、ごめん。もう俺、体調も良くなったし夕飯くらい自分で作れるのに」


 俺の言葉を聞き、テーブルを挟んで向かいに座っているイズミがやれやれ、という仕草をする。


「もしそうなら、電話の後慌ててすぐにでも作り始めてるでしょ? と思いきや、来てみたらぐーぴーだったしね」


 う……。確かにそうだ。もしかしたら、これだけ寝たっていうのに体調はまだ万全ではないのかもしれない。


「さ、召し上がれ。今日は遅くなってごめんね」


「それが、朝からずっと寝てたから時間の感覚さっぱりなんだよなぁ。いただきます」


 麺類。独りで食べる時は何の遠慮もいらないのでズルズルと音を立ててだらしなく食べるのだが、イズミが居る手前、久方ぶりにスパゲティーをフォークに巻きつけて食べてみる。


「よっぽど体力を消耗してたのね。もし一昨日までの状態のまま戦闘を行っていたら、大変なことになってたかも」


 ……恐ろしいことを言ってくれるなぁ。


「ここ数日色々あったからかな。それで、今何時?」


 『色々』に触れてほしくないので、故意に素早く話を逸らす。


 『色々』。布施・高峰の戦闘の他は、ただイズミに振り回されていただけな気がする。ああ、あと、あれがあったか。一昨日の夜――――、


「今? もう二十時過ぎよ」


「え、マジで?」


 俺、正午前に寝たんだよな。それでさっき――七時頃に一度起きて……。

 この二日間で何時間寝たんだ? 俺は。


「うん。えーと、二十時十二分。ほんとごめん。寧子に付き合って『アル・フィーネ』に行かなきゃならなくなってさ」


 イズミがスパゲティーをつるつると(すす)る。


「あー、うん。それはいいんだけど」


 角さん。彼女はもう大丈夫なんだろうか? あれ、確かさっきもイズミと角さんたちの話をしたような……。


 ――――――。




「イズミ。角さんたちを信頼してるのが『意外』って、どういうことだ?」


「あ、その話続けるんだ?」


 イズミの声に若干の冷たさが混じる。


「ケロ子ちゃんはともかく、寧子なんてここ数日の付き合いじゃない。そんな人間を貴方は『信頼』できるっていうの?」


 ケロちゃんとの付き合いはかれこれ二年。角さんとも同じくらい前に知り合っている。――――彼女の話を信じるなら。

 しかし、イズミにそれを話すのは(はばか)られる。だって今まさに、俺と角さんが『ここ数日の付き合い』であると断言したのだから。


「……彼女が悪い人間じゃないことくらい、見てればわかる」


 冷めた、感情の無い目で見つめてくる。視線を外したかと思えば目の前のスパゲティーをつるつると啜り始めたので、俺もフォークにスパゲティーを巻きつけ口に含んだ。

 しばらくそうして沈黙が保たれた後、再びイズミが話し始めた。


「『見てればわかる』って、ずいぶん自分の審美眼に自信があるようね」


 フォークを動かす手を止め視線を上げると、目の前のイズミが作り物の挑発的な笑みを浮かべていた。

 俺の言うことが、そんなにも気に入らないのか。それとも単に興味を持っただけなのか。仕方がないのでその挑発に乗る。


「どうだろうな。一目じゃわからないけど、数日も素振りを見ていれば裏表がある人かどうかくらいはわかるつもりだ」


「へぇ……大きく出たわね」


 イズミの口角が妖しく持ち上がる。細められた目が意味しているものが、怒りかそれとも嘲りか、判断がつかない。


「裏表がある、ねぇ……」


「あ、言っとくけど、表と裏で全然別人、みたいな場合のことだからな。こう、平気な顔で人を騙すような……」


「それはわかってるわ。裏表は在って当たり前。真実だけで構成されてる人間なんかいないもの」


 くすり、と笑ってみせる。明らかに普段のイズミとは違う。


「じゃあ、良い眼を持った由利也クン。――――私はどっちだと思う?」


 『どっち』。それはつまり、立松(・・) イズミに裏表があるか(・・・・・・・・・・)ないか(・・・)


「素振りを見ていればわかるんでしょ? ね、どっちだと思うの?」


 妖しく笑うイズミ。悪戯をした時とはまた違った妖艶な微笑。

     ――惑わされるな。

 元気で明るいイズミ。高峰(大人)を狩る時の高揚したイズミ。

 人懐っこい小動物のようなイズミ。敵について語る時の憎しみの篭った鋭い眼を持つイズミ。

  ――俺はよくしっているはず

 意外と引っ込み思案で恥ずかしがり屋だったりするイズミ。虎視眈々と期を待ち続けるイズミ。

 友達思いのイズミ。目的のために生徒たちとの関係を道具とするイズミ。

                      ――答えはひとつしかないだろう?

 ――ああ。だけど、自信が持てない。




「由利也クン。一つ忠告しておくけど、人の中身(こころ)なんて誰にも知ることはできないのよ」


                      ――タイムオーバー。残念でした。


「じゃあ、イズミはいつも俺に嘘を喋っているのか?」


 本人が真実を喋ってくれるのなら、俺は彼女の中身(こころ)だって知ることができるはずだ。あの時何を感じたとか、今何を思っているんだとか。嘘をつきでもしなければ、それは俺にそのまま真実として伝わる。違うんだろうか。


「真実を喋るのと中身(こころ)を見せるのとは別。喋る人にとっての真実だって、口から出てしまえばこの世界の一部なの。この、嘘で成り立ってる世界のね」


「つまりイズミは、こう言いたいんだな。『自分自身以外は誰も信じるな』と」


「――私だけを信じて」


「……え」


 俺の目を真っ直ぐに見つめて言い放たれたイズミのその言葉が、ただ真っ直ぐに俺へと伝わる。


「ほら、これがそう。私にとって、『私だけを信じてほしい』という気持ちは真実。だけど、口から出てしまえば、貴方を取り囲む不確かな要素の1つでしか無くなってしまう」


 なるほど、そうか。確かにイズミの言っていることは何も間違ってはいない。だけど、俺の言い分だって間違っちゃいなかった。


「言いたいことはわかったよ。だけど、俺の答えはこうだ。いくつもの不確かな要素の中からイズミの『信じて』を選んで、信じる」


 真っ直ぐに語られた真実を、真っ直ぐに受け止める。それだけでいい。それだけで、イズミの不安を掻き消すことができる。


「貴方は……私の言葉を全て信じるっていうの?」


「ああ。疑う理由が見当たらない。イズミの言葉はいつも真実だ。俺にはわかる」


 根拠は、ただなんとなく胸に絡みつく、よくわからない感情だけ。その感情が、俺に『彼女の言葉を全て信じろ』と告げている。


「嬉しいけど……優しすぎるよ。そうやって今まで、ずっと人を信じ続けてきたの?」


「まあ、信頼できると判断した人に対しては」


 イズミは――――哀しそうな顔をしている。


「いつか……裏切られるよ」


「その時はその時で構わない。俺が勝手に信頼しただけなんだから」


 哀しそうな顔を少しだけ歪ませ、口を微笑ませる。


「イズミ。それで――――」


「寧子のこと、だよね」


 そう。そもそも事の発端となったのは、『俺が角さんを信じている』ということ。それは今までの有象無象を信じてきたのと同じ、根拠の無い信頼。だけど――――


「寧子は――――」


 根拠のある信頼を捧げられるこの人の口から告げてもらえば――――


「――――良い子だよ」


 それは、疑いようのない真実となる。


「――ああ、知ってる」





 二人がそれぞれの皿を空にし終え、夕食の時間が終わる。


「ごちそうさま。今日のも美味かったよ」


「ありがと。今度由利也クンの料理も食べさせてね」


 満面の笑み。やっぱりイズミにはそっちの方が似合っている。


「人に食べさせる自信は無いな……。あ、昨日は皿洗わせて悪かった。今日はちゃんと俺が洗うから」


「え、いいよ。手伝うよ?」


「いいから、大丈夫」


 俺の使っている食器洗い洗剤は、肌の強い俺に合わせてキツめの酸性のものだ。透き通るように白く、きっと弱いであろう肌のイズミには、あまり使わせたくはない。


「……そ。じゃあ、そろそろ帰ろうかな」


「そうだな、それがいい。」


 気がつけば、もう時刻は九時半を回ろうとしていた。




「由利也クン」


 帰り支度を済ませ上着(ブレザー)を羽織ったイズミが、靴を履いたところでこちらへ振り返る。

 振り向かれた俺は、依然皿洗いを続けていた。


「ん? どした?」


 イズミは神妙な面持ちで、言いづらそうに口を開いた。


「…………明日は、学校来るよね? そろそろ……来てくれないと困るかも」


「え……? それってまさか――」


「ん。気にしないで。――髪、似合ってるよ。……可愛い」


 じゃね。そう言って、そのまま急ぎ気味にドアの向こうへと消えてしまった。


「お、おい!」


 追おうにも、もう追いつけはしないだろう。そうして立ち尽くしている間に、アパートの外からバイクのエンジン音が遠ざかっていくのが聞こえた。

 洗剤を洗い落とした手で前髪を触る。……ちょっと切りすぎたかもしれない。





 イズミが残した、意味深な言葉。


『そろそろ……来てくれないと困るかも』


 まさか、この二日間で学校に潜む“大人(ライヤー)”の正体に目星が付いた?

 そうだとしたら……ついに来るべき(たたかう)時が来たということになる。

 待て。俺の武器、ネジは一昨日――――――。




「………………ある」


 鍵を閉めたついでに覗いた、玄関に放りっぱなしになっていた通学用カバンの中。

 あの時と同じ、直方体のプラスチックのケースいっぱいのネジが、確かにそこにあった。


「あれは……夢だったのか」


 その時の疲労感を思い出すだけで吐きそうになるというのに。

 あれがただのリアリティーが篭っただけの夢? にわかには信じがたい。


 ――だけど、あの夢を見ることができてよかった。

 あれのおかげで俺は完全にネジの投擲を自分のものにすることができた。今なら自信が持てる。

 あの夢と同じようにネジを投げることができるなら、俺は誰であろうと一撃で仕留めることができるだろう。


 しかし、実際は一撃で仕留め(・・・)てはならない。イズミのバックに立っている連中が信用し切れない以上、絶対に相手を殺してはならないからだ。

 もし人を殺してしまい、連中からのフォローが何も無ければ、俺もイズミも取り返しの付かないことになる。


 だから俺がネジを相手に向かって投げていいのは、確実に「致命傷にならない部位」に当てる自信がある時だけ。実際の戦闘になれば、そうやたらと投げられるものではないだろう。

 俺はネジを一本相手に当てるだけでいい。それにより相手に隙を作れば、イズミが一撃で勝負を決めてくれる。それだけで俺たちの勝利になる。……それで合ってるよな、イズミ。




 三日ぶりのシャワーを浴び、歯を磨き終え、鏡の前に立つ。

 鏡に映っているのは――――前髪を切りすぎた、十九歳の俺だ。

 時は流れている。



 この二日間で何度目になるだろう、床に就く。天井は変わらぬ表情を見せる。

 枕元の目覚まし時計を再び平日の時間設定へと戻す。明日から始まるのは、一昨日までと変わらぬ日常か、――――それとも。


 どちらにせよ、この二日間とは何もかもが違う。急な風邪によりもたらされた、奇妙にも穏やかだったこの二日間。それがもう、終わろうとしている。


 僅か数時間で区切られた二つの時間。俺は今、眠りに就くことでその境界を超える。


 願わくば、穏やかな風の先に、別の穏やかな風が待っていますよう――――。

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