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ライアー・ファイアー・ドライヤー  作者: 安里真裕
第4章「歪み」 - 序
29/74

――投、I was a javelin. and now is!!!

 自動ドアが開く。入り込む生ぬるい風。五月の湿った夜が、今日もまた訪れようとしている。

 手に持ったビニールの買い物袋いっぱいに入った肉や野菜や牛乳や調味料や小麦粉やインスタントフード、その他諸々を眺める。これだけあれば一ヶ月は戦えるはずだ。きっと。


 問題なのは、あのボロ自転車がこれを吊り下げて走れるのかということ。体感米袋ほどの重さの袋を両側に提げたら、ハンドルがへにょりと曲がりかねないんじゃないか。

 ……まあ、買ってしまったものは仕方ないので、とりあえず試してみよう。せめてもう少し家の近くで買い物をすべきだったかな。


 袋の中身のうちのいくらかはカバンに詰め込めるんじゃないかと思ったところで、カバンには既にアレがぎっしり入っていることに気付いた。




「お、案外いけるか?」


 ぎしぃ、と軋む音は聞こえたものの、さすがにハンドルが曲がったりフレームがへし折れたりタイヤが潰れたりはしなかった。

 よく考えたら、自転車って二人乗りくらいの重量には耐えられるように設計されてるんだよな。違法者のことも考えてやらないといけないなんて、大人の世界は大変だ。


 ゆっくりと自転車を漕ぎ出す。やっぱりハンドルはふらふらする。おまけに、重量が増したことでスピードが乗りやすくなっている。なるだけ人や車の通りの少ない道を選んで行くことにしよう。




 家に着く頃には、すっかり日が暮れていた。

 それにしても、疲れたな。荷物が重い上に遠回りをしたため、ここまで帰ってくるのにいつもの二倍くらいかかった気がする。

 こういう時に車があれば便利なんだろうなぁ、とか思ったり。いっそ本気で免許でも取ってみるか? と思ったけど、自転車ですらままならないというのに、車の整備なんて俺にはできないだろうと悟った。

 もしくは車検やら免許やらの更新を忘れたまま公道に出て逮捕されるとか、そういうオチが待っていそうだ。


「よ……っと。ふぅ。ただいま」


 ふらふらと階段を上り、一苦労してドアを開け、やっとのことで部屋に上がる。もう一人暮らしを始めてから三年近くが経つというのに、未だに癖で「ただいま」と言ってしまうのがなんとも悲しい。むざむざ独り身の寂しさを感じたくはないんだけどな。


 洗面所で手を洗い、それから顔を洗う。と、案の定前髪が濡れる。嗚呼、邪魔だ。近いうちに髪を切らなくちゃな。


 学ランを脱ぎ捨て、ソファに倒れこむ。このまま夜が更けるまで寝てしまいたい。だけど、寝て待ったところで果報(メシ)がひとりでにやってくるはずもなく。ひっきりなしに唸り続ける腹の虫をキ……鎮めるためには、自分でなんとかするしかないのだ。まずは買い物袋から肉やら卵やらを冷蔵庫に移さなくては。


 台所に置きっぱなしにしていた買い物袋。改めて見ると、とても一人暮らしの家庭の量ではない。そもそも一人暮らしなら、これが入りきるだけの大きさの冷蔵庫なんて使っていないんだろうな。

 一番大きいドアを開けると、すっかり空になった三百リットルの冷蔵スペース。野菜以外は全部ここに収まるだろう。野菜室もたっぷり百リットル。

 ……どういう未来を想定してこれを買ったんだ、三佳さん。四人家族でも十分にやっていけるモデルじゃないのか、これ。


 買った食品を冷蔵庫やその他収納にがむしゃらに突っ込む。全てしまい終えたところで、体力が尽きる。これから夕飯を作るのはちょっとキツい。


 で、こんな時のためのインスタント食品。いちおしはノンフライ麺が売りのカップラーメン、「ホールインワン軒」みそ味。

 並のラーメン屋レベルの麺がたった四分で出来上がるとは、末恐ろしい。我が国の技術力は世界一だと思う。わりと本気で。


 さて、食った食った。あれだけ腹を空かしていたはずなのに、カップ麺一杯で食欲が満たされてしまった。「腹にnの異次元(フィールド)を持つ男」とうたわれた俺も、もう引退時か。……モノローグでユーモアを吐き出してしまうと、無性に鬱になる。はぁ。


 『学校はつまらない! 寝ていた方が有益だ!』――そうおっしゃっていた過去の俺様に問いたい。家で独りで居るのは、楽しいか?

 手遅れだった。

 もはや、今の俺は誰もいない暗い部屋での機械の箱とのじゃれ合いを楽しい/有益、と思うことができなくなってしまった。

 目を閉じると思い出される光景。静寂の中で聞こえる楽しげな声たち。眩しすぎるあの世界の一端に、俺はすっかり魅せられてしまったようだ。


 四年前のあの日から、全てが変わってしまった。

 俺の周りの世界は前触れも無く崩れ落ち、一切合切、全壊、半壊。

 良くて、面影を残しているだけ。変わらないモノは無かった。

 俺だけは変わらないでいるつもりだった。あの日のことはとても悲しかったけれど、全壊した残骸を見て、誓った。瓦礫をいつか建て直すために、俺だけは変わらないでいようと。


 だけど、結局挫折した。

 俺が望まずとも「俺」に合わせて変わっていく世界に、俺は耐えられなかった。「外」(さま)が思い思い勝手に描く虚像の「俺」に合わせてぎこちなく歪んでいく世界に、吐き気がした。

 やめろ。それは俺じゃない。俺は以前と何も変わっちゃいない。

 せめて「周りの周りの世界」には変わってほしくないんだ。そこが変わってしまったら、「周りの世界」が描けないじゃないか――!


 そうして創り出した、嘘のセカイ。どうってことはない。自分だけしか存在しないセカイを思い描いただけだ。

 周りの世界も、周りの周りの世界も触れてくれるな。ここは俺だけのセカイ。一生ここから出る気は無い。だから、俺に構っても無駄だ。


 上手くいったかどうかなんて、聞くまでも無いだろう。第一、その時の俺は本気で孤独に浸りたいなんて思っちゃいなかったんだから。

 そもそも出発点からして元居た「崩れた世界」の残骸に依存したものだったのだから、誰にも依存しないセカイなど創り出せるはずがない。

 結局俺が選んだのは、歪な虚像を創り出して世界に溶けこみ、心の底で世界を嗤っているだけの愚かしい生活だった。


 そのちゃんちゃら可笑しい生活も長くはもたず、彼女によって簡単に瓦解してしまった。

 誤算だったのは、その裏切り。そのおかげで、俺は願ってもない孤独なセカイを手に入れてしまったのだ。


 奴と一緒にいることは、孤独と同義だった。奴は世界とは違う場所に居て、それに触れていている間も、俺は孤独でしかなかった。

 その孤独(・・・・)は案外心地が良かった。世界とのおかしな距離感が可笑しかった。このままここに溺れていてもいい。本気でそう思っていた。


 が、そう思っていたのは俺だけだった。結局またしても俺は裏切りによって居場所を失った。行く宛は無し。そうして俺はこの切り離された孤独(・・・・・・・・)へと沈んだ。はっきり言って、生きた心地がしないセカイだった。



 立松 泉との交際(というと語弊があるが……)が始まった時、俺は彼女のことを新たな孤独(・・・・・)とののりしろ(・・・・)としか思わなかった。要するに、奴――遠東 和輝の代替であると。

 だけど違った。彼女は孤独でこそあるが、世界と深く関わりを持っていた。自分のセカイに生きながらも、同時にこの世界でも生きようとしている。

 ――ああ、間怠っこしい。要するに、ふつーとは違う生き方をしているのにオトモダチが居るってことだ。

 それが大きな誤算だった。オトモダチのいない孤独な俺はそのオトモダチと接触したことで人恋しさを爆発させた。――よし、だいぶ簡潔だ。


 ま、それだけの話。所詮『孤独大好きな俺』、そこからワンステップ踏んだ『“孤独を寂しいと思っている”風の俺』なんか、虚像でしかなかったってわけだ。嘘で自分を塗り固めて自分を形作るなんて、俺には無理だったらしい。


     ――勝手にそう思っていろ。その方が楽でいい。


 立松 泉――イズミのことを考える。彼女は望まぬ孤独の中に居る。彼女が強固すぎるのか、俺が柔すぎるのか。どちらにしろ、俺がそのセカイを壊してやることはできない。

 だから介入してやる。どれだけの深みかわからない、彼女が居るそのセカイへと。非現実――すなわち世界と明らかにかけ離れたそのセカイへと。

 俺が体験した(ぬく)い非現実とは一線を画す、世界の綻びに等しいその非現実。所詮ただの一般人でしかないはずの俺とは接点が無いはずのセカイ。なのに、自分でも驚くほどの早さで適応してしまった。


 イズミは化け物と戦う。俺も化け物と戦う。

 非現実。当然リアリティは微塵も感じない。リアリティは感じないが、拒絶反応も無い。

 俺と少し離れた場所に、あって当然。アフリカで黒人が内戦をしている。感じたのはそれくらいの距離感だった。







 気付くと、俺は近所を流れる川の土手にいた。――熱い。

 辺りは暗い。今は何時だろう。家を出たのは何時だろう。いつからここにいるんだろう。ああ、熱い。

 なんで熱いんだろう。辺りはこんなにも暗く涼しいのに。

 汗をかいている。おかしい。俺は暑さでは汗をかかないのに。なにより、辺りは涼しい。


 そして気付く。蒸し暑いはずの辺り(・・)を涼しく感じるほどに、俺の体温が上がっているのだと。




 視線を上げると、「夕麻川(ゆうあさがわ)」と書かれた木の看板。

 いや、違う。“(おびただ)しい数の螺子(ネジ)が突き刺さり辛うじて原型を留めている”「夕麻川」と書かれた木の看板。


 それも違う。“夥しい数の螺子が突き刺さり辛うじて原型を留めている”『周囲に凄まじい数の螺子が散乱した』「夕麻川」と書かれた木の看板。

 それが、俺がいる場所から十五メートルほど離れた場所に立っている。


 ――なんだよ、あれ。


 そして気付く。足元に落ちている通学用のカバン。そこに詰めてあったはずの、直方体のプラスチックケースいっぱいのネジが、一つ残らず無くなっていることに。


「俺が……ここから投げたのか?」


 あれだけの量を、無意識のうちに? おまけに、あんな明らかな公共物に向けて。


 体に残る、立つことさえままならないほどの疲労感が、『お前がやったんだよ』と語りかけてくる。

 頭が痛い。一刻も早く、帰らなくては。体を、休ませないと……。

 看板に刺さった無数の螺子。刺さり損ね辺りに散らばった螺子。片付けないと。ああ、でもごめんなさい。ちょっと、それは……無理、そう。






 次に気づいた時、俺は居間のソファで横になっていた。

 照明が点いている。


 今はいつだ? いや、そんなことはどうでもいい。疲労が限界に達している。

 ……早く眠りに就かないと。


 ベッドに移動する。

 電気を消す。

 座る。

 横になる。

 頭を枕に乗せる。


 瞬間、俺の意識はブレーカーが落ちたように







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