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ライアー・ファイアー・ドライヤー  作者: 安里真裕
第4章「歪み」 - 序
28/74

――投、slapdash!!

「つっ……かれたぁ……」


 異様なまでの疲労感に困惑する。昨日の今日で体を酷使しすぎたようだ。廊下の壁に(もた)れかかっているだけで、ふいに足が体を支えられなくなりそうになる。座ろうにも、床が汚いので気が引ける。って、さっき土の上に倒れこんだんだから今更気にすることでもないか。


 座ろうとしたところで、イズミが教室から出てきた。


「お待たせ。はい、カバン」


「お、サンキュ」


 中身からっぽのボロっちいカバンを受け取る。イズミがもう片方の手に提げている彼女のカバンはそれと対照的にぱんぱんに膨れている。……グローブ三つは今も入っているのか? いやはや謎が多い。いつかひっくり返して中身を全て確認してみたい。

 カバンを持つ肩には巾着タイプのカバンがかかっている。さっきまで着ていた体操着が入っているようだ。


「じゃあ、行こっか」


 少しシワが増えたブラウスの上で、焦げ茶の長い髪が踊る。


「お、おう」


 運動後で少し上気したイズミの仄かに赤い顔が、何故だか俺を当惑させた。




 おかげさまで、廊下を並んで歩いているだけなのに気恥ずかしくてたまらない。


「あっつー……。由利也クン、よく学ランなんか着てられるわね」


 そう言いながら、第二ボタンまで開けたブラウスの襟をぱたぱたと浮かしている。首元から赤みの透けた白い肌と、健康そうな鎖骨が顔を覗せる。……俺も健全な男子高校生なわけでありまして、そういう刺激物は勘弁願いたい。


「そんなに暑いか? 気温は普通だし、体動かしたのだってもう二十分も前だろ」


 俺は上はワイシャツ+学ラン、下は長ズボンという格好だが、汗をかくような暑さはまるで感じない。「もしかして暑いかも」という感覚を持ってしまっているのは、傍らのイズミがブラウス+スカートという軽装でありながら額に汗を浮かべているからだ。


「体を動かしてから体温が平熱に戻るまで、ちょっと時間がかかるのよ」


「へえ……大変だな」


「慣れたけどね」


 そう言って、ふふん、と軽く鼻息を鳴らすイズミ。何故得意気なんだ?

 かと思えば、じーっ、と俺の首の辺りを見つめてくる。


「由利也クン、もしかして体温低い?」


 首元の汗でも観察していたんだろうか。一滴たりともかいてないけど。


「え? ……どうだろ。もう何年も気にしたことなかったな」


 ギリギリ中学の頃までは水泳の授業の前にしぶしぶ計っていた気がする。


「風邪の時とかは?」


「風邪は引いてないな。小さい頃に一度(こじ)らせたのと、小中で1回ずつくらいか」


 小学生の時の風邪はちょっと長引いてキツかったっけ。一週間ほど学校に行けなくなって、寂しくて泣いてた気がする。

 中学時代の風邪はあまり記憶に無い。一度か二度学校を休んだ覚えがあるってだけだ。


「へえ、健康優良児なのね」


「……それはどうだか。いつも貧血気味でふらふらだぞ」


 倒れそうになった時は校内の自販機でトマトジュースを買って飲む。大体はそれで済んだりする。


「ふぅん……。まあいいわ。由利也クン、ちょっと(かが)んで」


「ん? こうか?」


 両腕をポケットに突っ込んで背中を丸める。出来の悪いお辞儀のような姿勢だ。


「……ちょっと、下向かないで」


 やけに近くから聞こえるイズミの声に応じて、首を起こす。と、目の前には顔を赤くしたイズミの顔があった。


「お、おい。何やってるんだよ」


「……いいから、目(つむ)ってて」


 いや、待て待て! 何をするつもりだ! ……とか言いつつも従ってしまう弱い俺であった。


「動かないでよ……?」


 真っ暗な視界の中で、すぐ近くからイズミの声がする。視覚を切ると、今度は別の感覚が鋭くなる。微かな息遣いが聞こえ、そして肌にかかる。その感触からわかる。イズミが段々と俺に近づいて来ていると。


 イズミの熱っぽい息が、とうとう俺の唇にかかる。喉は乾いている。だけど、唇が乾いているのか湿っているのか、わからない。顔はみっともなく赤いだろうな。耳まで真っ赤に違いない。どこだったかも忘れてしまった校舎の片隅で、俺は視界を失ったまま、指の一つも動かせなくなってしまっている。


 そして――――イズミの熱が伝わる。




「あつっ……」


「あは、やっぱり冷たい」


 触れてしまいそうな距離で、愉しそうにイズミは言った。


「……もういいか? 目、開けるぞ?」


「ちょ、ちょっと待って。……はい、いいわよ」


 額から、イズミの熱が離れていく。しばらくぶりに(ひら)けた視界に、イズミの悪戯な笑みが映る。


「お前、もうちょっとやり方ってものが――」


「……こんなところでなーにやってんだ、君たち」


 不意に背後から声をかけられ、飛び上がりそうになる。


「な、ななな、ナニって……!?」


「あー……イチャつくのは構わんけど、昼間っから下駄箱付近ですることでもないだろうよ。せめて人のいない場所でやってくれ」


「あ、国語の」


 彼の話す内容をまるで無視して、イズミが言った。もしかして、自分たちが今どんな疑いをかけられているかわかっていないんだろうか?

 まあ、おかげで俺も冷静になることができた。そこに立っていたのは眼鏡をかけた若い男。俺たちのクラスの国語を担当している新任の教師だった。勇気を出して注意をしたにもかかわらず軽くスルーされ、まいったというような感じでぼさぼさの黒髪をぽりぽりと掻いている。


「……好きにしてくれ。見なかったことにしてやるから。ああ、そうだ。僕はこれからテニス部の練習を見に行かなきゃいけないんだ。残念ながら君たちに構っている時間は無いんだよ」


 ぶっきらぼうに捲くし立て、この場を去ろうとする国語教師。いや、こっちもあんたの事情なんてどうでもいいんだが。

 って、待てよ? テニス部を見に行く? ……怪しい。

 やれやれ近年のロリコンはペドフィリア化しているのだとばかり思っていたが。


「お目当ては三年の三人ですか?」


 なんて、おちょくってみる。あの美少女三人組が体を動かしているともなれば、それを目当てに練習を見物に行く変態教師の一人や二人、居てもおかしくはない。


「あ? 知らんよ。でも次の大会の主役は三年なんだろ。じゃあ三年を見に行くようなもんじゃないかな。そんなんどうでもいいから僕に構うなよ。じゃあな」


 そう言い残し、とても教師とは思えない口調の猫背の男は中庭へと去っていった。

 ……ん? なんか話が噛みあってないぞ?


「由利也クン。何か勘違いしているようだけど、あの先生はテニス部の顧問よ」


「……へ?」


「正顧問の星野先生が忙しい時には練習を見ているらしいわ」


「あ、ああ! わかってるよもちろん! 顧問でもなきゃ部活の練習なんて見ないだろ!」


 (いぶか)しげ、というよりは(さげす)むような表情で俺の顔を見つめるイズミ。


「へぇ……、由利也クンのお目当ては三人娘ですかぁ。それはそれは……」


「ち、違う! 断じて違う! 俺は神聖なるスポーツを如何わしい目で見たりなんてことは……」


「もしかして遠東さんと一緒にバスケ部の活動場所に来てたのは、寧子の体を見るのが目的だったりして?」


「違うって言ってるだろ!! さすがの俺も怒るぞ!」


「もう怒ってるように見えるけど。ははぁ。図星ですかぁ」


「ああ、もう!! はいはい、そうですよ。俺は角さん目当てでバスケ部に行ってましたよー」


 吹っ切れた。そうそう、イズミのからかいには抗うだけ無駄なんだった。だいぶオーバーなジェスチャーも付けて、おどけてみせる。


「――え?」


「これで満足したか? イズミ――――って、あ」


 正面を向いた俺の視界に映ったのは、未だにやにや笑いを止めないイズミと、下駄箱で靴を履き替えている――――


「す……角さん」


「ぇ?」


 イズミが慌てて下駄箱の方を向く。そこに立ち尽くしている角さんは、唖然とした表情。


「あ、いや、寧子、これは、その……」


 さすがにこの状況はマズいと思ったのか、イズミが懸命に弁明に努める。……賢明だ。だって、事態は彼女の思っている以上に深刻なのだから。


「え? な、何の話? よく聞こえなかったよ。だから大丈夫、アハハ……」


 そう言ったと思えば、角さんは靴を履き替えないまま再び外へと駆け出して行ってしまった。


「もう。どうしたっていうのよ、あのネコは」


 マズい。ひじょーーにマズい。……俺はどうしたらいいんだ? 追っかけて行っても、面と向かって上手く言い訳できるかわからないし、向こうが取り乱してしまうかもしれない。

 そうしたら、とりあえず電話かメールだろうか。それにしたって、文面が思い浮かばない。ええと、落ち着いて状況整理……。

 ――と、携帯が振動する。まさか?


[新着メールあり:角 寧子(neiko-and-basket-and...@a...)]


「す、角さんからだ……」


 昼に向こうのアドレスを教えて貰った後、俺は確認用のメールを送っていない。つまり、俺のアドレスを角さんにはまだ知らせていないはずなのだが……。


「ああ、ごめん。この間あの子が『教えてほしい』って言ってきたから教えちゃったの。ダメだった?」


 …………。と、なると、なんだ。俺がアドレスを教えてほしいと言ったのを、彼女はどう思ったんだ? 思考が絡まってわけがわからなくなる。


「とりあえず、メール見ない?」


「あ、ああ」


 冷静なイズミの一言で、若干だが気が落ち着く。


 ─────────────

 [件名]大丈夫です

 [本文]冗談だってわかってますから〓

      返信もいらないです

      また明日〓

 ─────────────


「えっと……」


 これは……従うのがベストだろうか?


「んー……。大丈夫だと思う。あの子、例え落ち込んでも次の日になれば立ち直ってるから」


「あ、ああ、そか。それでもし駄目だったら俺が何とかするよ」


 最悪のタイミングでやらかしてしまった。……大丈夫なのかな。


「そうね。…………ごめん」


「気にしてないから謝らないでくれ」


 イズミにまで沈まれてしまうと、なんかこう、俺の方が立ち直れなくなってしまいそうだ。



「なんだなんだ? やけに陰気な痴話喧嘩だな?」


「いや、痴話喧嘩なのが前提かよ!」


 っと。誰だ、思わずツッコミを入れたくなるような茶々を入れてくるのは。


「よっ。お二人さん。まだ帰ってなかったんだな」


「芳邦。お前の方こそとっくに帰ったはずだろ」


 部活が休みなのに忙しいというのだから、何か用事があったのかと思っていたが。目の前の芳邦は制服を着ていて――見ると、手に買い物袋を持っている。


「ああ、今日は練習が休みだから買出しにな。ロージンとかの消耗品はわりと頻繁に買わなきゃならんのよ。そんで、思いのほか早く済んだからこれから自主練ってわけだ」


「おい、ヨシ! 早く行くぞ!」


 廊下の先で、芳邦と同じような坊主頭をしたガタイの良い男子生徒が声を荒らげている。


「わり! 今行く! じゃあな、名執。彼女には優しくしろよー?」


「だから痴話喧嘩じゃねえっての。まったく……」


 もう一人の野球部員の元へ走っていく芳邦には聞こえないようなボリュームで、愚痴を漏らす。


「今日の午後のこともあったし、もう皆からはそういう風にしか見られてないかもね?」


 あながちまんざらでもなさそうな顔をしたイズミが、にやにやしながら言う。


「まったく……」


 今日はいろんなことが起こりすぎた。そう、平穏な日常が乱されすぎた。今からじゃ修復不可能と見える。なら、明日だ。(ほつ)れた縫い目を直して回ろう。明日ならまだ間に合うはずだ。


「帰るか」


「そうね」






「ねえ、由利也クンは今の関係、どう思う?」


 共通の駐輪場へ向かう、朝と逆向きの登校路で、唐突にイズミがそんなことを言い出した。


「今の関係って、どういう。クラスの皆からカップルだって誤解されている関係か?」


 言ってから、自分が喋った内容の恥ずかしさに気付く。


「あはは。まあ、それについてでもいいかな」


 イズミは、ごくたまに無邪気で照れ屋といった風な顔を見せる。今がちょうどそんな感じ。


「うーん……。別に今のままでもいいけど、何かもやもやするな」


 煮え切らないというか。


「そっか。私もほとんど同じ。今に不満は無いの。……だけど、ずっとこのままは嫌」


「え?」


 それって……。


「だから――――全てが終わったら、変わろう?」


「全て?」


「そ、全て。EPDの事とか、進路の事とか、ややこしい事全部」


「はは、前途多難」


「そうだけど! でも、いつかは全て終わるでしょ?」


「いつか……か」


「そ。いつか。全てが終わったその時に、私たち、変わろうよ」


 その言葉が指すであろう一番明確な意味が、頭に浮かんで――――すぐに消えた。


「そうだな。その時になったら、変わろう」


 だから、抽象的な『変わろう』だけを繰り返す。


「約束だよ? 忘れちゃダメだよ?」


 イズミの表情に微かに見えるもの。必死さ。焦り。そのせいか、いつもよりも彼女が幼く見える。


「忘れない。約束だ」


 指は切らない。この年になってすることじゃないと思うのはもちろん、その行為は――――いつかと同じ忘却を引き起こしそうで、怖いから。


「……ありがと」




 それから先に、会話は無かった。お互い何も口に出さず、駐輪場を目指し、並んで歩いた。まるで、偶然目的地が一致しただけかのような錯覚を覚えるほど。


 駐輪場に着いて、比較的入り口に近い駐輪スペースから俺が自転車を取り出し終え、イズミを待つ。少しだけ間を置いて、イズミが赤いバイクを引き連れて奥の方から歩いてきた。既にヘルメットを被っている。相変わらず手袋は付けていない。


 そのまま何も言わずに去ってしまうかもしれない、という危惧は、数秒で掻き消えた。


「それじゃ、また明日。ここで待ってるね」


「え? ああ。また明日」


 喋るために上げていたフルフェイスのシールドを下げ、エンジンを吹かし、イズミは道路を走り去っていく。だんだんとその姿は小さくなり、やがて完全に見えなくなった。


「また、明日」


 着実に去りつつある今日に、惜しみの挨拶を告げる。

 さて、俺も帰ろう。途中で買い物をしなければ。明日と、さらにその先にある『いつか』までの長い期間を生きるために、備えが必要だ。


 まずは食料。ぐー。

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