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ライアー・ファイアー・ドライヤー  作者: 安里真裕
第4章「歪み」 - 序
27/74

――投、threw、throw!

「由利也クン、行くよー!」


「おー、来い!――――って、うおっ、いてぇ」


 痺れるような痛みが、牛革(かわ)皮革(かわ)皮膚(かわ)を抜けて、神経の(かわ)に伝わる。グローブ越しの手のひらに感じる、野球ボールの感触だ。


Nice catch(ないきゃー)!」


 イズミとの距離はわずか十五メートル。いくら肩が温まったからって、この距離で思いっきり投げるやつがあるか!


「っし、行くぞー!」


「来ーーい!」


 グローブの中で握りを確かめる。昔っからだが、俺は縫い目に指を掛けるとボールのコントロールが下手になる。だから赤い縫い糸を避け、V字に固定した人差し指と中指で白球をしっかりと握り締める。

 体を大きく使い、対して肩はやや狭めに回す。そしてリリースの段階で手首と指の振り(スナップ)を最大限に使い、小手先だけに全力を込めてボールを放つ。これこそが小学生時代の俺が身につけたオリジナル(・・・・・)の投球フォーム。当時、球を投げることだけには自信があった俺の、最大の武器だ。


「って、ああー……」


 その自信も脆くも崩れ去る。俺がイズミに向かって投げたボールは、その小さな身長の遥か高みへとすっぽ抜けて行った。


All right(おーらい),all right(おーらい)!」


 と思いきや、イズミの方はというと俺の指からボールが離れるやいなやというタイミングで既に後ろへ向かって駆け出していて、さらに驚くべき跳躍力で約一メートル程の高さまで斜め後ろに反りつつ跳ね上がり、見事に俺の暴投球をキャッチしてみせたのだった。


「ナイキャ! ……常人離れしてるなぁ」


 あの夜以来普通の女の子にしか見えなかったイズミの、超人的な部分を垣間見てしまった。


「んー? 何か言ったー?」


 とことことこちらに向かって駆けてくる。


「いやー? 何もー」


挿絵(By みてみん)



 そんなわけで結局俺はイズミに促されるまま、野球部(あるじ)不在のグラウンドを使って2人でキャッチボールをしているのだった。

 ここは校庭の端、野球部の練習場所(グラウンド)。いくらわが校の校庭が広いとは言っても、外野の深みは完全にサッカー部の持ち場と干渉してしまっている。土の状態はなかなかに悪い。どうやら、今朝の練習の後トンボ掛けを怠ったようだ。


 イズミが駆け寄ってきて、俺と彼女の間の距離が先ほどの十五メートルよりもさらに短くなる。十メートル、五メートル、二メートル。


「由利也クン、今のすごく良い球だったわ!」


 満面の笑みを浮かべているのは、体操着に着替えたイズミ。そのほぼ平坦な胸にはマジックで「立松」と達筆な字で書かれている。


「……どこが。情けないほどの暴投。よく捕ってくれたよ」


 一応野球経験者の俺だが、その小学生当時使っていたのはゴム製でサイズも小さい「軟球」と呼ばれるもの。対して今使用しているいわゆる「硬球」はプロ野球にも使用されているもので、牛革製のため重く、大きさも「軟球」よりも二回りほど大きい。そういう差異もあって、さっきからどうにも昔のように上手く投球ができないでいる。


「高さはそうだけど……なんていうんだっけ、えーと、球が駆ける?」


「球が走る」


「それそれ。なんだかすごく球が走ってたわ」


 まあ、確かに自分でもコントロール以外はそれほど悪くはないと思っていたりする。ただ、なんだ……目の前のスポーツ万能少女の投げるボールがあまりにも完璧すぎて、掻き消えてしまいそうなほど霞んでいるわけだけど。

 イズミの投げる球は、寸分狂わずグローブに向かってくる上、球速や球威だってとても捕りやすく納まっている。


「よし。さっきよりもうちょっと離した距離で、軽く投げさせてくれ。まずは()らしが優先だ」


「わかった。熟れたら思いっきり投げてね?」


「了解」


 思いっきり、か。あさっての方向へ飛んでいく未来視(ビジョン)しか想像できないな。まあいい、まずは熟らそう。凝り固まった体、肩、感覚を。そして慣れよう。小学生が握った真っ白なゴム球とは違う、赤ラインの入った革の白球に。




 しばらく緩やかなキャッチボールを続けるうちに、だんだんと感覚が掴めてきた。暴投はめっきり減ったし、調子付いてある程度スピードの乗ったボールを投げられるようにもなった。

 俺の投げたボールが速度を持つにつれて、一つの不安が浮かんだ。俺の球を万が一イズミが取りこぼした際、怪我をさせてしまうんじゃないかと。実際、プロ野球選手が硬球のデッドボールで骨折をするのは珍しいことではない。

 結局その不安を拭うことはできず、俺の投球は「いかに捕りやすいボールをイズミのグローブ目がけて投げることができるか」を意識したものへとシフトしていった。




「うんうん、いい感じ」


 二十往復ほど球のやり取りをした後、イズミが再びこちらに戻ってきた。


「どうも。だいぶ感覚が戻ってきたよ」


 思ったようにボールが投げられるということは、なかなかどうして快感だったりする。


「みたいね。その調子ならきっと大丈夫だわ」


 ん? 何が大丈夫だって? そう尋ねるより早く、イズミは自らのカバンを置いたベンチへと走って行ってしまった。

 そして戻ってきた時手にしていた物。それは先ほどまでイズミが使っていたものより大きく歪な形をしたグローブ。俗に「ミット」と呼ばれるそのグローブは、一塁手(ファースト)、そして捕手(キャッチャー)が使用するものだ。

 ……嫌な予感がする。さっき廊下でイズミに話した、小学生時代の野球経験についての話を反芻(はんすう)する。


『地域の少年野球チームで、一時期だけど投手(ピッチャー)をやっていたことがあって――』




「さ、由利也クン。遠慮せず、全力で投げてきて」


 気付けば、イズミは本塁(ホーム)の位置で腰を落として構えていた。形こそなっていないとはいえ、あれは誰がどうみても捕手の構えだ。しかし、そこに本来捕手が身に付けているべき防具は影も形もなく、マスクさえも見当たらない。

 少し真剣な表情を灯した顔は、剥き出し。上半身を守るは薄い一枚の体操着。その袖は肩まで捲られている。下半身を守るは面積の小さいナイロン製の紺の布。そして膝下までの厚手のソックスと運動靴。捕手としてはあまりにも貧相過ぎる装備と言わざるを得ない。


「冗談だろ? 怪我なんてさせたら責任取れないぞ」


「大丈夫だから。まず一球、ここ目がけてまっすぐ投げてきて」


 そう言って、ミットを正面に構えた。まったく。困ったものだ。仕方がないので、俺もマウント――投手の立ち位置へと移動する。


「ふぅ……」


 十九メートル先のイズミを見る。彼女が構える、黄色いキャッチャーミットを。

 構えられた高さは、高校生の打者のストライクゾーンのやや低めといった位置。先ほどまでイズミの胸の高さに向けて投げていたことを考えると、その高低差は大したものだ。

 そうなれば当然角度が付くし、角度が付けば少しの制球の乱れがボールを地面へバウンドさせる。

 中でも最悪なのが、捕手の手前に球が着地する「ショートバウンド」。それを捕球するのは慣れていても難しいため、確実にイズミを怪我させてしまうだろう。

 絶対に、バウンドはさせてはならない。


「はぁ……」


 再び溜め息をつく。はっきり言って、自信は無い。自信に似た古い何かが、小学生の頃という遠すぎるいつかの曖昧な記憶と経験に、発酵したヘドロのように絡み付いているに過ぎない。

 俺を支えているのは、彼女に失望されたくないという、出所の分からない感情。それだけ。


 もう一度、イズミを見据える。小学生時代よりも二メートル長くなった、俺と彼女の距離。そんなもの、取るに足らない僅かな差だ。恐れる必要は無い。今はただ、「今」の俺の全力を賭すだけでいい。


 昔覚えた、ワインドアップの投球モーション。反則(ボーク)にならない程度にアレンジを加えたオリジナル(・・・・・)。ゆっくりと、俺の体が半ば自動的に動き出す。これこそが、俺の思う最良の動き(フォーム)

 見据えた目線は動かない。左足を上げて連動する体の動きを始動させる。肘、そして左手のグローブを目標に向けて差し伸ばすことで、軸を固定。同時にボールを握った右腕をゆっくり振り上げる。返した手首は、(きた)振り(スナップ)への布石。体を率いていた左足が地面につき、右足が地面を蹴る。腰が起動する。右腕の、肩――肘――手首――指。全力を込めて振り(スナップ)を効かせる。全ての力は、この手の球のために。この投球は、彼女のために。そして、自分のために。――――届け。




 ボールが指を離れた感覚から遅れて、ズバン、という快音が聞こえた。皮革(かわ)牛革(かわ)とがぶつかり合った音だ。もしかしたらイズミも今、その皮膚(かわ)を通じていくらかの痛みを味わったのかもしれない。ただ、そんなことは感じさせない、嬉しさを隠しきれないような声だけが上がる。


Nice ball(ナイスボール)!! さすが由利也クン!!」


 イズミのミットを見据えた俺の目線は、結局投球フォームの最後まで逸らされることはなく、つまるところ自分の投げたボールがミットへと収まるまでをしっかりと自分の目で見ることができたのだ。

 だから安心できる。俺はイズミに怪我をさせはしなかった。球に触れさせもしていない。

 ただミットまでを一直線矢の如く、飛ばすことができた。


 安堵で体の力がガクッと抜ける。安堵だけじゃない。体の持つ筋力やら持久力・体力やらというあらゆる力を大幅に消耗したかのような脱力感を覚える。

 こんな球が百球も投げられるわけがないので、俺は高校野球の投手などにはなれないだろうなとか、そんなことを考えた。


「――怪我、無いよな?」


 駆け寄ってくるイズミに、一応の確認。


「もちろん、大丈夫よ」


 その笑顔が、安堵をより一層刺激した。


「よかったぁー……」


 マウンドの上に大の字になる。自分が白いワイシャツを着ているのを思い出したが、そんなことはどうでもよかった。


「大袈裟ねえ。まるで何かのピンチを切り抜けたみたいに」


 きょとんとした表情を見せるイズミ。下から見上げるその顔は、やっぱり変わらず可愛らしい。


「実際ピンチみたいなものだったじゃないか。もしイズミに怪我でもさせたらって思ったら……」


「それは心配に及ばないわよ。たかだか百二十キロのボールなんて、対処できないなら私は今ここに生きてはいないと思うし。まあ、実際は百四十キロほどは出てたと思うし、ちょっとびっくりしたけど」


 ああ、なるほど。


「もしかして――――これも戦うための準備か?」


「そ。ボウリングで測れなかった由利也クンの身体能力を測らせてもらいましたっ」


 ……絶対ボウリング必要なかったろ。


「ほんと、由利也クンが野球経験者でよかったわ。違ったらまた別の測定方法を……こほん」


 ……やっぱり。


「一応の経験があったボウリングと野球との、この差は一体何から生まれてるんだ?」


 俺が今までの人生で、唯一まともにできたスポーツ、野球。……いや、打撃(バッティング)や守備がからっきし駄目でレギュラーにはなれなかったんだけどさ。


「この前も言ったように、貴方が『貴方の動き(フォーム)』を確立できているかどうかよ」


「ああ、この間のはそういうことを言っていたのか。今ならすごく納得できる」


 打撃ができなかったのも、そこに原因があったのだろう。……小学生の俺に伝えてやりたいなあ。


「由利也クンが人並みかそれ以上の能力を発揮するためには、それが必要不可欠なの。何故かは私にはわからないけど、そういう体質の人っているらしいのよね」


「へえ……」


  もし同じ境遇の人がいるなら同情する。互いに気が済むまで傷を舐め合いたい。


「今回で確定したことがそれと他にもう1つ。――――貴方の潜在能力は明らかに常人以上よ」


「……まさか、俺の正体が化け物だって言いたいんじゃないだろうな」


 あからさまに「あきれた」という仕草をされる。


「言うわけないでしょ、そんなこと。化け物と戦うのに十分な力があるって言いたいのよ」


「――っ。それはどうも」


 一瞬強まったイズミの声色に気圧される。それは、『軽々しく化け物などと言うな』という戒めにも思えた。


「でもやっぱり基礎身体能力は平均以下だし、どうやら持続力も無いようだから、前に行ったように後衛に回ってもらうわ」


「あー、飛び道具がどうこうって。まさか野球ボールを投げろと?」


 確かに武器として通用しそうな雰囲気はある。


「それは駄目。彼らをひるませるには出血させることが一番有効だから」


 ボールはあくまで鈍器にしか成り得ないもんな。だとしたら――


「まさか投げナイフとか?」


「それも駄目。この学校に明らかに武器とわかる物を持ち込むのは正体をバラしているも同然の行為だし、第一銃刀法違反で捕まるわよ、そんなの」


「……じゃあ、なんだって言うんだ」


 フォークやナイフとかの食器か? 大量にフォークを持っている時点で怪しさ全開だけど。


「ふふふ……私が思いついた妙案が、これよ!」


 妙案て。あまりに不安を煽る表現だが、おそるおそる彼女が手に握っていた何かに目をやる。


「これは…………ネジか?」


 得意気な顔をしているイズミ。EPD関連の話題の中でこれだけ気分を高揚させている彼女を俺は初めて見たかもしれない。


「そ。これなら大量に所持していても怪しくはないし、投擲(とうてき)で敵を出血させることができるわ」


 まあ、確かに。おまけに(STEEL)製だしな……って何を言ってるんだ俺は。


「じゃ、由利也クン。これ投げてみて。的は、そうね……あの木の幹で」


 そう言って、ここから十メートルほどの距離にある木を指差す。


「ぶっつけ本番かよ……」


「大丈夫、大丈夫」


 期待を隠せずやけにソワソワしているイズミがたまらなく可愛らしかったりするのだが、割愛。


「ネジを投げるって言ったって、一体どうやって」


「それを貴方自身が考えるのよ。最も効率の良い動き(フォーム)をね」


 最も効率の良い動き……難しいな。……とりあえず試しって形でいいかな? いいよな。


「よし……」


「わくわく」


 長さ十センチ程の長いネジを軽く三本の指で握ってみる。まあこんな感じか。これなら指や手首の振り(スナップ)をある程度活かして投げることができそうだ。

 次は腕。上から角度を付けて振り下ろすのではきっと長距離を飛ばすことはできないし、動く的に対して高度の調整ができないのは明らかにマズい。

 だからといってダーツのような投げ方ではスピードが出せない。なら横投げ(サイドスロー)か? それも左右の調整が困難な点が危うい。


 だとしたら――――下投げ(アンダースロー)か。

 高度の調整が難しいのは上投げ(オーバースロー)と同じだが、こちらは手首が柔軟に使える点で優れている。加えてスピードも乗るし狙いもつけやすい。

 決まりだ。とりあえず、まずは下投げでネジが投げられるのか。それだけを試すつもりで投げてみよう。


「ていっ!」


「おおっ!?」


 我ながら情けない腑抜けた掛け声と共に、下投げでネジを投擲する。

 確実に木に当たってくれなければその威力が測れないため、勢いを少し削りコントロールを重視してみた。長ネジは紙飛行機くらいのスピードで目標の木へと飛んでいった。


 と、「カコン」と音がした。どうやら木に刺さったようだ。あのスピードで? 重量があるせいだろうか。

 何はともあれ、ネジを下投げするという判断に間違いは無かったようだ。




 不敵な笑みを浮かべたイズミが言う。


「決まりね。由利也クンの武器は螺子(ネジ)。貴方は螺子(ネジ)を投げて戦うのよ」


 普通なら笑い飛ばしもしたくなるところだが、はっきり言って俺はまんざらでもなかった。これならイズミを支え、守ることができる。そんな確証を与えてくれる武器だったのだ。俺に与えられた、投擲螺子(ネジ)という武器は。

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