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ライアー・ファイアー・ドライヤー  作者: 安里真裕
第4章「歪み」 - 序
25/74

――係、泥濘がキミに濡れ、君は独り。

 古宮高校の敷地の隅にある、今の季節には誰にも使われていない、古ぼけた競泳用プール。その陰、湿った土の上。緑色の、「学校」と「外」を仕切るフェンスに(もた)れかかって、俺は校舎から聞こえる遠い“静かな”喧騒を聞いていた。


 このプール周りのフェンスの外側には青いトタンの板が置かれており、さらにその外側にはフェンス沿いにずっと並木が植えられている。それらのおかげで、ここは「外」から全く見えない。

 元々は水泳の授業中の生徒を如何わしい目線から守る為に整えられた環境なのだろうが、それ以上にサボりの生徒を庇ってしまっている気がする。


 ここを利用するのは初めてだが、ここがサボりの名所らしいということは一目でわかった。どこかへ行くのにプール付近を通る生徒は稀だし、しっかり建物の陰に入り込んでいれば校舎からも、少し離れたところにある三階建ての部室棟からも、視認することはほぼ不可能だろう。

 辺りを見回すと、泥に(まみ)れたタバコ――古いものから新しいものまで数本――、それから濁った色の液体が入った半透明のゴムの筒なんかも散乱している。……なるほど、サボりの名所。




 イズミがここを発ってから、五分ほどの時間が経過した。おそらくは、現在全学年の教室で帰りのHR(ホームルーム)が行われているはずだ。この「プール裏」付近にも、もちろん人影は無い。……だけど、誰かの気配を感じる。気のせいではなさそうだ。


「――くすくす」


「だ、誰だっ!?」


 思わず声を荒げる。


「くすくす、こっちこっち」


 声は、どうやら俺の頭上より高い位置から発せられている。プールの中? まさか。


「だからこっちですって、なっちゃん(・・・・・)


 なっちゃん、だって? 声のする方向を振り向く。と、そこにいたのはもちろん――、


「角さん!? 何やってるんだ? そんなところで……」


「あなたたち(・・)とおんなじですよ。サボりです」


 昼休みと変わらぬワインレッドのジャージ姿の背の高い少女が、たいへんリラックスした格好で寝そべっている。――――青々とした葉を付けた、木の枝の上で。


「今降りますね。――よっと」


 プールと部室棟の間に何本か植えられているうちの、一番こちら側のイチョウの木から、角さんが飛び降りる。彼女が寝ていた枝は二メートル以上の高さだが、それを物ともせず、音一つ立てず着地する。ボリュームのある黒いポニーテールが、体の動きに合わせて大きく揺れた。


「サボりとは関心しないな」


 服に付いた木の葉を落としながらこちらへ歩いてくる角さんに、軽く挨拶。


「……あの、それギャグっすか?」


 む。俺のはいわゆる不可抗力だ。サボりなんて無意味なことさ。授業中寝ていればそれで済む。


「なーんか、角さんは常習っぽい印象が拭えなくてなあ」


「そりゃ、常習ですもん」


 ふふん、と胸を張ってみせる角さん。張られた胸は……ええと……その……イズミよりは。


「いつもあの木に登ってるのか?」


 わりと高いぞ、さっきの位置は。落ちたら大変だろう、というのが小さい頃から木登りの苦手な俺の感想。


「まあ、大体は。ここじゃ寝れはしないですからね」


 そう言って、キョロキョロと辺りを見回す角さんの目に映るのは、荒れたコンクリートとジメジメとした泥濘(ぬかるみ)


「確かにな。でもさ、寝るなら教室で机に突っ伏して寝ればいいんじゃないのか?」


 俺にとっては学校に来る=単位確保なわけで、授業に出ないのはもったいない、という一見優等生チックな価値観が拭えない。


「わかってないですねぇ。サボりっていうのは、独りになれるからいいんですよ」


「ほう?」


 ちょっと興味が沸く意見だ。


「いいですか? なっちゃんやイズミみたいに一人暮らししてる人間以外は、独りになれる時間なんてそうそう無いんですよ。いつでも半径五十メートル以内に誰かがいるんです」


「あー……それは窮屈そうだ」


 確かに俺も、三佳さんとの二人暮らしから今の生活に変わった時、色々と解放された感じがしたっけ。ま、一人暮らしは一人暮らしで大変なんだけど、それはこの場でぐちぐち言う話でもないだろう。


「こんな天気の良い午後には、授業を抜けだして、色々物思いに耽って、それからぐっすり眠るのがとっても気持ちいいんですよ。ストレスなんてもう、一瞬で吹き飛ぶくらい」


 時間を無駄に、それでいて有意義に消費したい。そんな一種の一生懸命さ、彼女の生き方みたいなものが感じられる。……そんな大袈裟なものではないのかもしれないけど、ただ時間を「スキップ」したいだけの俺の時間の消費、もとい浪費と比べると、立派だなぁと思う。


「……そっか、ごめん」


「へ? なんでなっちゃんが謝るんですか?」


 なんで謝るのか、よく聞かれる。それだけ俺が独り頭の中で自己解決してしまう傾向にあるということだ。でも、必要なこと以外はあまり口には出したくないんだよなあ。


「ほら、さっき『サボりはよくない』とか偉そうなこと言ったじゃないか」


「あー、結局あれギャグじゃなかったんですね」


 言われた当人は気にも留めていなかったようだ。はは、ただの自己満足だな、ほんと。


「――んで、ですよ」


「ん?」


 『で、』と話を切り替えること・切り替えられることが多いってことに、最近になって気付いた。もしかして会話がグダるのは俺のせいなのか……?


「イズミとふたりでこんな所で、何してたんですかぁ? くすくす」


「な、何って……ッ」


 その言い振りじゃ、まるでふたりでコッソリ如何わしいことでもしてたみたいじゃないか! と、不意に泳がせた視線がさっきのゴムの筒を捕らえる。マ、マズい! 咄嗟にそれを足で踏んづけて引きずり、すぐ近くのマンホールの穴に落とす。


「ナ、ナニもしてないぞッ!?」


「……くすくす」


「し、してないって! さっきのは違う! ほんとに!」


 いや、もう、ほんとにそれだけはマズい! それだけは誤解しないでくれ! さすがのイズミだって、もしそんな噂が流れてしまったらどれだけ傷付くことか。


「そんなに慌てなくても分かってますよぅ。くすくすくす」


 『分かってますよ、したんでしょう?』ってことじゃあ、ないよな?


「でも、イズミがサボりかぁ。私が誘ってそれに乗ってくれたことはあったけど……ふぅむ」


「あ、そうか。角さんは四組の教室で別れた時からずっとここにいたんだな」


「です」


 となると、イズミがここに来て、その後しばらくして俺が来て、話をして―――― 一部始終をずっと見ていたってことになるのか。あの木が高くて助かった。会話の内容は聞こえていなかったようだから。


「最初にイズミが来た時に声をかけようかとも思ったんですけど、そわそわしてて明らかに待ち合わせ風を吹かせていたんで、面白そうだからしばらく見ていたんです。まさかオトコじゃないだろうかとね。もしもなっちゃん以外の男が来ていたら、私ぁきっとあの木のてっぺんから男に飛び蹴りを食らわしていたことでしょう」


「死ぬぞ、諸共(もろとも)……」


 イチョウの木の高さを舐めてはいけない。


「って、なんで俺はいいんだ?」


 聞いてる限り、「イズミに男が寄り付くのは許さねえ!」って気概を感じるんだけども。


「んー……なんででしょう? ま、長い付き合いですしね」


「……え?」


 何か、そう、何かがさらっと言われた気がする。


「え? って。何か引っかかるとこありました?」


「長い付き合い、だって? 誰と、誰が?」


 文節からすると、角さんとイズミが、という話ではない。じゃあ……誰の話をしているんだ? まさか……?


「今はなっちゃんの話をしてるんじゃないですか。決まってるでしょう。私となっちゃんの話ですよ」


「……え?」


「もう、またっすか。なんなんですか?」


「いや、俺と君が初めて会ったのは……一昨日じゃ、ないのか?」


「……………………」


「…………えーと」


「……………………」


 それまでのにこやかな顔から一転、冷めた表情で俺を見つめてくる角さん。薄小麦色に焼けた、鼻の高い端正な顔立ちが強調される。その真っ黒の瞳は、俺の目線と一直線で繋がったまま微動だにしない。

 俺も彼女も何も口にしないままで、どれだけの時間が経ったのだろう? 「外」を照らす強い日差しとは無縁の、湿気ったこの沈黙の世界を破ったのは――――流れた、一滴の涙だった。


「す、角……さん……!?」


「あ、いや、ごめんなさい。アハハ、なんだこれ」


 まず一滴。すると、決壊した堤防(るいせん)から止めどなく涙が溢れる。


「いや、俺こそごめん。ええと、っと…………ごめん」


「いいんです、たいしたことじゃないですし。一昨日って、バイト先でですよね。印象に残ってくれて良かった。アハハ。あの制服、実は結構気に入ってるんです。アハハ。だから、ほんとに。気にしないでいいんですよ? こんなの。アハハ。なんでこんな……」


 「アル・フィーネ」の制服か。…………はぁ。俺は本当に何から何までダメな男だ。なんでかって、彼女が気に入っているといったその制服について、茶色ベースだったことしか覚えていないからだ。

 依然、彼女の真っ赤に腫らした眼からはボロボロと大粒の涙が流れ続けている。

 俺は……どうすればいいのかわからず、立ち尽くしていた。


「――名執せんぱい」


「あ、ああ」


 一瞬ドキッとする。昼からだっていうのに、俺はすっかり『なっちゃん』に慣れてしまっていたようだ。


「せんぱい、和輝せんぱいが部活を終えるのを待って、体育館の外で待っていたこと、何度もありましたよね?」


「――ああ」


 俺と角さんが接触していたとなると、やはりそこでというのが自然だ。


「その時、私が何度か話しかけたこと……覚えてますか?」


「……ああ」


 そういえば、そんなこともあったかもしれない。


「じゃあ、覚えてますか? ………………一年生の時、同じクラスだったこと」


「――っ」


 ……なんだって?


「……そんな分かりやすい表情、しないでくださいよ。ああもう、ほら。アハハ」


 そう言って、角さんの眼から流れる涙がその勢いを増した。


「せんぱいが他人(・・)に興味無いことくらい、私知ってますから。そうなんだって、和輝せんぱいに聞いたんです。だから、全然大丈夫です。ほんとに。ほんとに」


 頭の中をひっくり返して探しても、かける言葉がどこにも見当たらない。同時に、彼女との記憶も。


「私、バカだから、名執くん(・・)はもしかして私を見に来てるんじゃないかって。思い込んでた。アハハ。ほんとバカ。同じクラスになったくらいで。名執くん(・・)、いや、名執先輩(・・)にとっては二度目の一年生のクラスメイトなんて、どうでもいいに決まってるのに。なんで、私。アハハ。自意識過剰。笑えないね! まったく!」


 無理やり作られた笑顔。“いつも”と同じ(に似せた)、その笑顔。違っているのは真っ赤な眼と鼻、そして未だ収まりを見せない涙。――収まらないのは当然じゃないか。なんで、俺は傍観者を気取っている。お前が泣かしたんだ。責任を持て。男らしく。さあ。

 ……どうしたものか、まったく。

 仕舞い込んでいたのであろういくつもの言葉を搾り出し終えた角さんは(うつむ)き、ひっく、ひっくと肩を震わせている。


「――――ありがとう」


「あ…………」


 『ごめん』じゃ、そこから先へは進めない。だから、『ありがとう』。その言葉をかけると同時に、俺は涙を滴らせている彼女の(しな)やかな黒い髪を撫でた。ポケットで携帯が振動している。今は、そんなことを気にしている場合じゃない。




「ほんと、ごめんなさい、なっちゃん」


「角さんが謝ることじゃないよ。本当に」


 しばらくして、角さんは落ち着きを取り戻してくれた。泣かせておいてなんだけど、やっぱり彼女には笑顔が似合っている。


「いやはやまったくその通り。くすくす」


「ですよねぇ……」


 それにしても、知らなかった。一見何事にも負けない強さを持っていそうな彼女が、きっかけさえあればこうも崩れてしまうなんて。


「あのさ、角さん」


「はい?」


「携帯の番号とアドレス、教えてくれないかな?」


「はいぃ?」


 ちょ、何だ、その反応は。俺だって、自分からそんなの聞くのなんて、初めてなんだよ!


「だ、駄目ならいいんだよ、別に……」


「駄目ってことはないですけど。そっちこそいいんですか?」


「えと、何が?」


 そんな風に言われるような心当たりは、特にない。


「……はぁ。ま、いいですよ。赤外線でいいですか?」


「ああ。オーケー。そっちから送ってくれるかな」


 ポケットから携帯を取り出し、開く。


[新着メールあり:イズミ(dont.wait.up.4.hit-.a.cheek@...)]


 ん? イズミから……?


「準備できました?」


「あ、いや、今準備する」


 多少後回しでも構わないだろう。急ぎの用事だったら電話を寄越しているはずだ。




「じゃあ、あとで俺から電話番号を書いたメールを送ればいいんだよな」


「うぃ、お願いします」


 この機能、実は使ったのは初めてだったりする。一度に相互交換できれば便利だと思うのだが、そこは赤外線の性質ゆえの限界なのだろうか。


「それじゃ、私は部活に行きますね。ああもう、遅刻遅刻」


「――あのさ、角さん」


「はい?」


 呼び止める。後ろを向いて駆け出そうとした角さんが立ち止まってこちらを振り返り、少々怪訝(けげん)そうな顔を向けてくる。


「敬語、やめてくれるかな。それで、さっきのことはお互い忘れよう」


 角さんはうーん、と唸ったあと、


「――ん。考えとく」


 そう言い残し、駆け足で部室棟へと向かっていった。

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