――舎、奴の妹がこんなに可愛いわけがない。
「――由利也クン、まだ寝てるの?」
悪かったな。
「――まったく。ほんとよく寝るわね」
すっかり習慣になってるんだ。そう簡単にやめられるものじゃない。
「――そう思わない?」
誰に聞いてるんだ。
「ふぇ!? え、と、あの、その、そう……ですね」
上擦った女の子の声。……誰だ?
「――ほら、起こしてあげなよ、――子ちゃん」
角さん? いや、まさか。
「お、起こすって言ったってどうやって……」
「――んー……デコピン?」
「そ、それはちょっと……」
うん、デコピンで起きる俺ではないな。
「――じゃあ、デコペン」
「もっとダメですっ!」
やたら懐かしい響きだな、それ。
「――うーん、じゃあ……ごにょごにょ」
得意の耳打ち。アレ、慣れてないと相当ゾクっとするからやめてほしい。
「……ほんとにやるんですか?」
む、何をだ? 妙なことはやめてほしい。
女の子の声が少し近くなる。
「先輩……今のうちに起きてくださいよぉ」
先輩? 悪い、俺は後輩を作った覚えはない。
「――ほーら、早く。由利也クン、きっと喜ぶよ?」
「……はぁ」
溜め息が、だらしなく垂れた俺の長い髪を揺らす。って、近い!?
「……お、お昼だよ、起きて――――お兄ちゃん」
「っっ……………!!!!????」
「あ、起きた。おはよ、由利也クン」
体が出しうる最速のスピードで上半身を跳ね上げた俺。そしてその前に立っているイズミと――、
「――――ケロちゃん」
「えと……おはようございます、名執先輩」
ふんわりとしたパーマのかかった、地毛とは思えないくらい明るいベージュの髪の少女。
和輝の妹、遠東 香早生。数ヶ月ぶりの、馴染んだ顔がそこに居た。
「ほんとに古宮に入学してたんだ、ケロちゃん」
一年生のケロちゃんは、イズミや他の三年生と違い、きちんと制服を着ている。
なんとわが校の女子制服は、数年前に人気のガールズファッションデザイナーがデザインしたものだったりする。袖や襟にラインの装飾が施された黒基調のブレザー。胸元の赤いリボン、そして赤と黒のチェックのスカート。「制服風ファッション」をそのまま制服にしてしまったような感じだ。
実際この制服のおかげで、凋落の一途を辿っていた古宮の人気は再び盛り返したとか。なぜイズミをはじめほとんどの二、三年の女子生徒がカーディガンを着たりワイシャツとスカートだけで済ませているのか、男の俺には全く理解できない。
俺の知っているケロちゃんは中学生で、いつもセーラー服を着ていた。目の前で立っている、可愛らしいブレザーに身を包んだその姿が、とても新鮮で眩しい。
「はい。――って、ケロ子って呼ぶの、やめてくださいっ」
頬を膨らまして抗議してくる。久しぶりに見た元気そうな顔。わけもなく安心する。
「俺は呼んでない。ケロ子って呼んでるのはイズミだろ」
「……う」
ばつの悪そうな顔をするイズミ。二人が並んで立っているのを見て気付いたが、身長はケロちゃんの方が幾分高いようだ。
「でも、それを教えたのは先輩でしょう?」
「……う」
的確なツッコミを入れられ、ぐうの音も出ない。
「本当にやめてください。……まだこの学校では認知されていないんですから」
……ああ、聞いたことがある。中学では兄であるOB和輝の仕業で「ケロ子」は全学年に浸透し、女子バスケ部のエースとして類稀な跳躍力を武器にしていたケロちゃんは、二年以上もの間ずっと悲しい思いをし続けたんだとか。
でも、参ったな。「香早生ちゃん」と呼ぶのは何だか照れくさい。……さっきのは聞き流すことにしよう。
「――それで、ケロちゃんはなんでここに?」
全男子からの高い人気を誇る(芳邦 談)イズミに加え、贔屓目に見ずとも抜群に可愛らしいケロちゃんが俺の前に並び立っていることで、教室のあちこちから俺への懐疑の視線を感じる。それも仕方ない。俺はこの四年間浮いた話とはまるで別次元に居る人間だったからだ。
「お弁当食べよ? 由利也クン」
「……は」
俺の質問への返答が、それを宛てたケロちゃんからでなく、その隣で満面の笑みを浮かべるイズミからなされる。
「……ケロちゃんも、それで?」
恥ずかしげに こくり、と頷く。……周囲から、更に鋭くなった視線が突き刺さる。俺が悪いんじゃない……よな?
「これ借りていいよねー?」
俺の斜め前、高峰が座っていた空席の元でイズミが尋ねる。
「いいんじゃないか? でも、汚してやるなよ」
「もう、わかってるわよ」
その席には、ただの空席とは違う意味合いを感じてしまう。花瓶が置かれていないのに違和感があるくらい。
俺の席は、縦に並んだ七列のうち廊下から三列目、そしてその最後尾、前から六番目の席だ。全部の列に六つ席があるわけではなく、実際俺の両隣には席が無い。
「――よっと。重いわねこれ。何をそんなに詰め込んでるんだか」
イズミが運んでいるのは高峰の席――ではなく、もう一方の「斜め前」こと芳邦の席である。
「それ、本人に許可は貰ったのか?」
「ううん? 彼、休み時間になるなりすぐ飛び出して行っちゃったから。大丈夫でしょ、事後申告で」
使われてない高峰の席の使用については俺の一応の許可を仰いだくせに。完全に舐められてるな、芳邦は。
「さてさて」
机の準備が終わり、俺の席に(元)高峰の机と芳邦の机がくっつけられ、それぞれにイズミとケロちゃんが着席している。
「時間もあまり無いし、そろそろいただきますしましょう」
「『いただきます する』って。久しぶりに聞いたぞ、その表現」
「そう? まあ、気にしない気にしない」
「ま、そうだな」
さて、いただきます。
俺の弁当は、朝食と一緒にスーパーで買った幕の内弁当。当然冷めているし、見た目からして味には期待しない方がよさそうだ。
「……あ」
「ん? どうした、イズミ――。……あ」
俺とイズミが毛を刈り取られた羊のような情けない声を上げるのも仕方ない。イズミの前に置かれたプラスチックの弁当容器。「30%OFF」のシール、そして「幕の内弁当」と書かれたラベルが貼られたそれは、俺が今手をつけようとしたそれと丸っきり同じものだったからだ。
「あー、えーと……」
何故だかわからないが微妙に気まずい空気が漂う。
「うむ……いいご趣味で」
「ありがとう。…………」
くたびれた黄色のシールに書かれた『30%OFF』の赤字が眩しい。
ふと視線を逸らすと、弁当を開きすらせず俺たちのよくわからんやりとりをじっと見ているケロちゃんを見つける。それはイズミも同時だったようだ。
「ケロ……香早生ちゃんは、手作りなんだ?」
「あ、いえ。普段はそうなんですけど、今日はお兄ちゃんが作ってくれたんです」
ケロちゃんの前には小ぶりの弁当箱が、「鳥獣戯画」柄の風呂敷に包まれている。
「へえ、あの和輝がか……。もしかして今日は何か特別な日だったり?」
「いえ、特には……。朝お弁当を作りに起きたらお兄ちゃんがいて、『気が向いたから作ってやる』って」
「ふむ……」
いや、一見すると妹思いにいい兄貴の行為なんだが……主体がヤツだと聞くと何か裏がある気がしてならない。
「いい鰹が手に入ったとか?」
「お前はちょっと発想が飛びすぎだ」
「お兄ちゃんは釣りはしますけど、さすがに漁には……」
あはは……と苦笑を漏らすケロちゃん。
「むぅ、そっか。――ね、早く開けてみてよ」
「あいつ、意外と面白みのないフツーの弁当作るぜ?」
言うまでもなく、和輝は高校の3年間自分で自分で食べる分の弁当を作っていた。確か中学の頃からの習慣だとかで、味もかなり仕上がったものだった。
「どさくさに紛れてお兄ちゃんを貶してません?」
そう呟きながら風呂敷を解くケロちゃん。で、そこから姿を現したのが――、
「…………」
「……はぁ」
「…………あー」
黄緑色の、可愛らしいカエルの形をした弁当箱だった。
……和輝はきっとウケると思ってやったのだろう。実際、彼女が何も知らないクラスメイトと弁当を食べるシーンであったなら、双方共にもうちょっと良いリアクションをしたと思う。
「……スプーンとフォークまでお揃いのが入ってますね。よくもまぁこんなくだらないことを……」
ケロちゃんのこの反応の冷たさには、さすがにちょっと和輝を同情したくなる俺だった。
「遠東さん、バイト代こんなところに使ってたのね」
「出てるのか? バイト代」
ヤツの話を聞く限り、給料が出るまで続いたバイトは無さそうだが……ま、あれは冗談だったのかもしれない。
「イズミー! お弁当ー! ――って、あれ?」
教室の真ん中にあるイズミの席に向かって廊下から元気良く声をかけたのは、臙脂色のジャージ姿の、セミロングの髪を後ろで一つに縛った長身の女子生徒。バスケットボール部 部長、角 寧子さんだ。当然、彼女が見つめる席にイズミはいない。
「……こっちよ、寧子」
イズミが恥ずかしげに少しだけ顔を伏せながら角さんに声をかける。
「あ、いたいた。って、名執先輩。それにケロ子までいるじゃない」
「や、角さん」
「だからケロ子はやめてくださいっ」
「お邪魔じゃなかったら私も混ざっていいですか? 名執先輩」
そう言いながらも既に混ざる気まんまんのようで、俺の返事を待つまでもなく弁当やその他諸々が入ったビニール袋を俺の机に置いている。って、角さんも俺を「先輩」呼ばわりだったか、まったく。
そして、ケロちゃんの悲痛な叫びはこれまた華麗にスルーされるのだった。
「ああ、もちろん構わないよ」
「あ、席は私のを使って」
「りょーかい」
教室の中をひょいひょいと歩いていく角さん。その軽やかな足取りと靭やかな長駆のこなしからは、確かに猫が連想される。
「こんにちは、寧子ちゃん」
声をかけたのは、イズミの席を囲うような配置で席に着いているテニス部の三人娘の一人――木戸 つばめだ。少しボリュームのある焦げ茶の髪をボブカットにしていて、そのせいで俺は何となく彼女が文化部であるというイメージを抱いていた。
「うぃっす。元気?」
「元気だよー」
「相変わらず、そちらは聞く迄も無く元気な様だな」
「ほんと。その元気さをちょっとでも杉ちゃんに分けてあげてよ」
髪を明るい茶色に染めた、人当たりの良さそうな彼女が久留米 珠月。
「またそう云う方向に持って行くか……」
「杉ちゃん」と呼ばれた、眼鏡をかけた細身の少女――杉山 零は、やれやれといった様子。
「相変わらず仲良しだねえ、テニス部は」
さすがの角さんも、笑顔ながらちょっとたじろいでいるようだ。
「バスケット部は男子が多くて大変だそうだな。部長ともなれば男女其々のチームを管理しなくてはならないと聞く」
「そそ。これでも結構大変なのよ」
「その点ウチは楽よね。ほとんど女子だし、個人競技だし」
「たまに羨ましくなるなぁ」
「だいじょぶ、寧子ちゃんならきっとやり遂げられるよ」
「ありがと、木戸さん。それと私、『やすこ』ね?」
「やすこ……? って、だれ?」
「あー、角さん。つっ子のそれは故意だから言っても多分無駄よ」
「そう云う所で得体が知れないからな、つばめは」
「ほぇ? えへへー」
「いや、褒めてないから」
そんなほんわかした(?)やりとりを、俺は自分の席からぽけーっと眺めていた。
「んじゃ、この席貰っていきますねー」
「どーぞぉ」
「いや、あれ、つっ子の席じゃないし」
イズミの席を机ごとひょいと持ち上げて、角さんがこちらに戻ってくる。
「お疲れ様、寧子」
三人娘とは付き合い慣れてるらしいイズミが、労いの言葉をかける。
「ん? あー、別に疲れやしないよ。ウチの男子を相手にする方がよっぽど。ね、ケロ子」
机は俺の正面に置かれ、角さんが行儀良く席に着く。
「むぐっ!? は、はぁ……まぁ、そうですね……」
角さんが話を振ったのは、柄にカエルの形の装飾が付いたフォークを使い、幸せそうな顔をしてハンバーグをもぐもぐと食べていたケロちゃん。
「そういえば、ケロちゃんはマネージャーやってるんだっけ。プレーはしないの?」
「はい。お兄ちゃんの付き合いで、高校の女子バスケがレベルがとても高いのは既に見て知っていたので」
再びハンバーグを口に含み、リラックスした表情で目を細めるケロちゃん。うう、可愛い。
「もったいないなぁ。ケロ子だったら絶対通用するよ? 現役の私が言うんだから間違いない。もしゃもしゃ」
持参したビニール袋からメロンパンを取り出してかぶりつきながら、学校指定のジャージを着た少女が言う。背の高さで全てが決まるというわけではないが、彼女は百七十センチに届きそうなくらいの、女子にしてはかなりの長身を誇っている。
メロンパンを取り出されたビニール袋は、なおも起立している。そのフォルムは、そう――。
「私なんて、中学でも部長みたいな成績残せてないですし。それとケロ子はやめてください。怒りますよ?」
スプーンでグラタンを掬う手を止め、凄むケロちゃん。言うまでもなくそのスプーンの柄もファンシーなカエル。向かい合う角さんは、ビニール袋からデカい緑の半透明の瓶を取り出す。
「ふぅん……?」
当然だが、角さんがジロジロとその弁当一式を見つめ、嘲る。
「これはお兄ちゃんが!」
顔を赤くして声を荒げるケロちゃん。それを見ながら750mlの瓶を直で飲む角さんの姿は、さながら大酒飲みだ。
「へぇ、和輝が」
……へ?
「あれあれ? 寧子ちゃん? 今、なんて?」
にやにや笑いを浮かべながら角さんを肘で小突くイズミ。
「あ、いや、ほら、ケロ子も遠東でしょ? だからあの人のこと遠東って呼んだら紛らわしいかなーって、ね?」
あの角さんが珍しく取り乱している。これは……。
「――ふぅーーん?」
依然としてイズミはにやにやを止めない。
「あ、でも男子の中だとお兄ちゃんのことキングって呼ぶ人多いですよね」
……む。ケロちゃんには今の場の流れが若干伝わらなかった模様。命拾いしたな、角さん。
「ああ、あいつらは信者だもの。恥ずかしくないのかいね、あれ」
「カズキング……。まさか本人も実際に使われることになるとは思わなかっただろうな」
「――名執……、お前……」
廊下から窶れた男子の声が聞こえる。
「あ、芳邦クン。席借りてるわよ」
野球部のユニフォームを着た芳邦がそこに立っていた。
「え、ああ、それはいいが……って、まさかそれって……!!」
「えと、ヨシクニさん? ごめんなさい、お借りしてます」
立ち上がって、芳邦の方を向き丁寧にお辞儀をするケロちゃん。
「や、やっぱり、か、かかか、香早生ちゃん!?」
「あれ、ケロ子こいつと知り合い?」
「いえ……。野球部の方って顔が覚えられないんですよね……。」
断末魔さえ上げることが出来ずに崩れ落ちる芳邦の姿に、哀れみを覚えずにはいられなかった。
「やっぱり名前にちゃん付けってどうかと思うなぁ……」
俺の指している“ちゃん付け男”芳邦は、心を砕かれ再びどこかへ去っていってしまった。
「ん、名執先輩は呼び方とか気にするタイプっすか」
メロンパンを食べ終え、イズミが「いらない」と言った幕の内弁当の上で箸を泳がしている角さんが言う。
「ああ、特に“それ”だな、『名執先輩』。俺は後輩を作った覚えはないんだが」
「意外と小さいことを気にするのね」
弁当と引き換えに手に入れた━━─ ←こんなチョコスナックをぽりぽりと齧りながら呟くイズミ。
「悪かったな」
「それはばっかりは仕方ないですって。体育会系にとって年上=先輩っすからねぇ」
「あっ」
イズミの手元から同じ菓子の数本入った袋をひったくって、一本取り出し齧り始める角さん。
「そういうことですね。部長は名執先輩と同学年なんだから気を使ってあげていいとは思いますけど。あ、私にも一本ください」
「はいよー」
「ちょっと、それもう私ののはずよ!?」
「じゃあ俺も一本、いや二本」
「ういういー」
「もう!!」
やっぱりイズミはなんだかんだでこういうポジションに落ち着くようだ。
「で、ケロ子。気を使うって具体的にどんなさ?」
あ、てっきりスルーしたのかと思ってた。
「先輩は留年……こほん。特別な人とはいえ同じ学年として接してあげないと可哀想です」
「ケロちゃん、その扱いがお兄ちゃん一番悲しいよ」
あと、「名執さん」から「名執先輩」への降格が。
「なるほど。じゃあ、タメ口聞いてやりゃばいいのね?」
「こっち向いて喋れ、ニャン公」
っつっても、確かにそれが一番気が楽な気もする。
「別に敬語がどうこうとかははっきり言ってどうでもいいよ。『~~っす』を敬語とも思ってないし」
「うわ、今この人体育会系の矜持を貶しましたよー。芳邦ー?」
「ええい、呼ぶな呼ぶな」
またややこしい事になるのは目に見えている。
「じゃあ名執先輩は、部長が先輩を『先輩』と呼ぶのをやめてほしいだけなんですね?」
「文がやたら分かりづらくなってるけど、つまりそういうこと。あと、できれば君にもやめてもらいたい」
何だか妙な距離感を感じるんだよな。
「いえ、私は学年下ですし。先輩は先輩です」
うう、そうもきっぱりと。
「オーケーオーケー。んじゃあ私に何て呼ばれたいですか?」
「何て呼ばれたい、か。特に希望は無いな」
「“由利也クン”」
「それは足りてます」
俺をそう呼ぶイズミはというと、せっかくの菓子を全て盗られたことを引きずって、さっきからずっといじけているようだ。
「オーケー。それじゃ『なっちゃん』ですね。決まり」
「いや、待て。何の前触れも無しに議論を集結させるな」
「じゃあ、『なとぅーりお』と『なっちゃん』だったらどっちがいいですか?」
何故にアジアの壁?
「いや、それは『なっちゃん』だけど……」
「なら決まりじゃないですか。これにて閉廷です」
「待てって! おかしいだろ、『なっちゃん』は!」
「まったく、ワガママですねえ、なっちゃんは」
「ねー」とケロちゃんに同意を求める角さん。
「ここぞとばかりに『使用例』みたいな感じで使うな!」
「『なとぅーりお』も捨てがたいですけど、可愛いと思いますよ、『なっちゃん』」
ああもう! そういえばこの子はペットにドラゴンと名付けるなかなかにぶっ飛んだセンスの持ち主だった。血は争えないってやつか。
「私は『なとぅーりお』気に入ったけどなぁ……。今度からそう呼ぼっかなぁ……」
いつのまにか机にぐてーっと伏しているイズミが怠そうに流れに乗る。
「――ほれ、イズミ」
さっき二本貰っておいたチョコスナックのうちの一本を差し出す。
「『なとぅーりお』は無いわね。ぽりぽり」
即座に復活を遂げるイズミ。って、否定するのはそこじゃない!
「というわけで、満場一致であんたは『なっちゃん』です!」
「勝手にしろ!」
昼休み終了五分前、予鈴が鳴る。
「あ、私この後家庭科なんでちょっと急ぎます。お先に失礼しますね」
「ああ、そか。気を付けて」
(このメンツでは比較的)生真面目なケロちゃんが慌てた様子で三年四組の教室を出て行った。間に合うといいな。
「私もぼちぼち去りますかねえ」
棒キャンディーを咥えたジャージの女子生徒が言う。
「ちょああああ!! 香早生ちゃんがいない!!」
「騒がしいのが戻ってきたな」
見ると、ワイシャツと黒いスラックスという順制服姿に加え、黒いベストを羽織り、気取ったハットをかぶっている。
「……いや、その格好はちょっと」
「坊主頭のおとこの人って……」に対するアンサーがこれか。
帽子をかぶったところで坊主は坊主。普段野球帽をかぶってるんだからわかってることだろうに。
「ジレは無いわね」
「無いね。数年前の流行って感じ」
はは、言われてら。ところで、ジレって何だ? 多分帽子のことだと思うけど。
「くっ……。だがこんなこと俺はめげない! 香早生ちゃんはきっと俺に優しい言葉をかけてくれるはず!」
「どうでもいいけどお前、イズミに惚れてるんじゃなかったのか?」
今イズミを「こんな」呼ばわりしてたが。
「立松に惚れてる期間は二年半、香早生ちゃんに惚れてる期間は彼女が小学生の頃からの五年間だ!」
「うわ、さいってー」
「本人の前で言いますかねえ、ふつー」
……こいつ、面白いヤツだな。
「そうだ、芳邦くん。今日って野球部休みだよね?」
「ああ、月曜は定休」
へえ、初耳だ。
「ウチの学校には日曜っていう共通の定休があるっていうのにねえ」
確かにそうだ。ただでさえ貴重な部活時間を使わないのはもったいなくないだろうか。
「バーカ。俺らは日曜は外でグラウンド借りて一日練習してんだよ。スケ部と一緒にすんなや」
うーん、どうやら芳邦と角さんは犬猿の仲――もとい犬猫の仲らしい。それとも単純に野球部とバスケ部の対立の構図だろうか。向かい合うと芳邦の方が明らかに身長が低く、迫力に欠ける構図だ。
キーン、コーン……と、そこで二度目のチャイムが鳴る。
「おっと、それじゃ帰ります。じゃね、イズミ、なっちゃん、それから健も!」
「おーおー、二度と来るな」
面白いくらい啀み合ってるな、この二人。……どこか引っかかったが気のせいだろう。
「由利也クン、次って授業なんだっけ?」
「情報科だな。無意味なパソコン弄り」
「やっぱり移動教室じゃない。どうりで人がいないと思ったわ」
いつの間にか教室には俺たち三人しか残っていなかった。俺が高峰の席を、イズミと芳邦がそれぞれ自分の席を元の場所に戻す。
「じゃあ二人とも、お先」
イズミが駆け足で教室を出て行く。
「……今、立松、手ぶらじゃなかったか?」
情報科の教科書と分厚いエクセルのマニュアルを抱えた芳邦がツッコミを入れる。
「情報なんて真面目に受けるわけないだろ。ほら、行くぞ」
「……お前ら、どうかしてるぜ」
芳邦と二人で廊下を歩く。もう既に遅刻は避けられないので、無駄な体力を使いたくはない。
「にしても……マジでお前は底が知れん」
「何の話だ?」
そう簡単に底など知られてたまるか、と思ったり。
「昼のあの状況だよ。立松 泉に加え、運動部女子のカリスマ角 寧子、そしてあろうことか聖バスケ天使こと遠東 香早生ちゃんまで侍らすとはな……」
「勝手にケロちゃんに変な肩書きを付けるな」
「立松 泉に遠東 香早生と言えばこの学校の誇る美少女トップ2じゃねーか……なんなんだよ……」
ったく、無視しやがった。
「そんな人気があるのか。まぁ納得。でもそれを言うなら、角さんも二人に並ぶくらい可愛いと思うけど」
二人とはまた違ったタイプの、快活少女的な可愛さというか。スポーツ選手だけあって健康的な焼け方をしているし、顔も特徴的な猫目を含めて魅力的だと思う。
「はぁ……モテるヤツの言うことは違うねぇ」
馬鹿にしてるとしか思えない態度。って、こいつは何故か角さんを嫌ってるみたいなんだったっけ。
「そういやお前、角さんとどういう――――悪い、タンマ」
「おう」
ポケットの中の携帯が振動している。この振動パターンは電話の着信だ。
「電話だ。先に行っててくれ」
「おう。サボんなよ?」
「多分な」
軽い駆け足でPC教室へと向かっていく芳邦の背中を確認し、携帯を手に取る。と、そこでバイブレーションが止まる。
「ああ、誰だこれ。知らない番号だ。間違い電話か?」
どうして今の時代でも間違い電話というものは絶えないのだろう?
かけ直すのを躊躇していると、もう一度携帯が振動した。今度はメールのようだ。
「これでメールマガジンだったら泣くぞ……?」
自分の人間関係の乏しさに。
携帯を開き受信メールを確認する。そこには全く予想だにしなかった内容のメールが表示されていた。
[新着メールあり:イズミ(dont.wait.up.4.hit-.a.cheek@...)]
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[件名]サボろ?
[本文]さっきは賑やかだったでしょ?
だから、2人きりになりたくて
今、プールの裏にいるから
来てくれるよね?
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