――舎、予感は続いている。
「――高……さんは――――。……の出張で、――――――」
――誰かが皆に向かって語りかけているのが聞こえる。
ええと、この声は、福住先生、か?
眠い。きっと俺が眠りに就いてから一時間も経っていない。とすると、これはホームルームだろうか?
ホームルームで先生からの連絡があるなんて、珍しい。いったい何の話だろう。
「――……二組でも一人、――――」
途切れ途切れに脳に届く単語から、話の内容を推測しようと試みる。が、出来そうにない。
ホームルームで先生が連絡。ああ、きっと転校生の話だ。あれ、今うちのクラスに空席はあったっけ。
――逆だ。ここを出て行った生徒の話。高峰、そして布施。彼らが連絡を寄越してから去ることができるはずがない。“後処理”だ。
「――というわけで、二人の……に、――――を…………ませんか?」
だんだんと頭が言葉を捕まえられるようになってきた。まったく、中途半端で眠りを妨げられるのは苦痛だ。
「――先生。私と名執クンがやります」
突如として、別の声。ああ、俺がよく知る声。凛とした、甘い声。俺の脳味噌を蕩かし、俺の頭を急激に覚醒させる声。
……今、なんて言った?
教室が僅かにざわめく。――ああ、またあいつが誤解を招くような発言をしたってわけか。
今度という今度は色々とマズい気がする。早く誤解を解かねば。
体を起こそうとする。重い。上半身を持ち上げようとする。枕にした腕が痺れている。ああもう、煩わしい。自由の効かない体への苛立を堪え、立ち上がって言い放つ。
「……イズミ! 故意に誤解を招く発言をするの、やめろって言ったろ」
途端、教室がどよめく。
「――イズミ? 呼び捨て?」
「おいおい」
「立松さんと名執くんってそういう仲だったの?」
「うっそ、そんなはずないって」
――なんてヘマ。
馬鹿か俺は! 誤解だ、誤解。ああ、もう。ジョークだって、ジョーク。漫才だよ、ツッコミの彼女が機能しなかっただけの、ただの漫才だ。ほら、面白いだろ? ちょっとだけ面白かっただろ? だからもう流せ、軽く流してくれって!
何よりもまず弁明すべきなのに、頭が混乱して打開策が浮かばない。さっきから頭の中で繰り返されてる言い訳をそのまま垂れ流すだけでも、今よりきっとマシなはずだ。
だってのに、それができない。このアウェーな状況下に於いて釈明の言葉を捻り出すには、俺の喉はあまりにも乾ききっていた。
イズミを見る。当然とも言えるがこちらと見ていた彼女と目が合う。すると、
「ぁ……ぇ、と、由利也クン……?」
向こうも混乱しているようだ。俺の発言の意図が読めない。そんな顔をしている。意図なんて無いっていうのに。寝ぼけた頭が状況判断を誤っただけだ。
「えー……と……。名執くん、起きたみたいですね。というわけで、どうですか? やってくれますか?」
福住先生の声で、クラスが再び静けさを取り戻す。ナイスタイミング。おかげでなんとか助かった。
「――おはようございます。……というわけで、全然話聞いてなかったです。やるって何をですか?」
あきれたような、それでいて可笑しいというような笑顔を浮かべる福住先生。
「この学年の生徒が二人転校したのは聞きましたか?」
「ええ、まあ」
平静を装う。無関係の生徒はそんなことで動揺を見せたりはしない。
「そうですか。それで、運が悪いことに二人とも体育祭の実行委員だったんです」
なるほど。彼らは表向きカップルとして振舞っていたようだし、二人でそういうことを請け負っていても仕方ない。
で、俺に実行委員をやれ、と。ああ、イズミが言い出したんだっけ。
体育祭を楽しみにしている生徒は少なくないはずなのに、実行委員をやりたがる生徒は稀だ。いや、楽しみにしているからこそと言うべきか。
体育祭実行委員はこれから二週間弱の準備期間中、数回の呼び出しがかかる。それは主に放課後。一応付け加えておくと、「貴重な部活動時間である」放課後だ。
部活動に参加している生徒と体育祭を楽しみにしている生徒とは大きく層が被る。そういうわけで、実行委員をやりたがる変わり者はなかなかいないのだ。
だから先週委員決めが行われた際、今年も例年のように難航すると思われたのだが、高峰があっさりそれに名乗り出たのだった。
残念ながら、その高峰(とその下僕)は今日の第一回委員会の前にいなくなってしまったのだが。
「――というわけです。やってくれますか?」
福住先生は俺一人の為に一からわかりやすく状況を説明してくれた。と言っても新しい情報は一つだけ。基本的に委員は一クラス一人なのだが、何せ今日集まりがあるということもあり、全クラスから二人という形で募集しているということだった。それでイズミが自身と俺の二人を立候補させたわけだ。
で、だ。何故イズミは俺を推薦したのだろう?
俺だけを他薦したのであれば、もしかすると単なる嫌がらせっていう線も無くは無い。哀しすぎるが。
だけど、イズミ自身が貴重な部活動の(監視の)時間である放課後を使ってまでやろうとすることだ。何か重大な意図があるのだろう。
まったく。事前に相談してくれたらよかったのに。……って、俺は朝からぐーぴーに寝ていたんだっけ。
「あー、じゃあ、まあ、やります。他薦受けちゃいましたし」
「ほんとですか? ありがとう、由利也くん」
「……先生、冗談きついです」
ホームルームが終わり、一時間目までの自由時間。生徒たちは各々思うように行動を始める。
勉強を始める人間が半数ほどいる。彼らは今から放課まで、昼食中を除きひたすら自前の勉強道具で受験対策の勉強を休みなく続ける。
もう半数の生徒――総じて部活動に参加していて、総じて体育祭を楽しみにしている側に分類される彼らは、基本的にはフツーの高校生と何ら変わりはない。比較的、ほんの少しだけ人間関係が築かれにくいだけだ。
そんな彼ら彼女らの中での、今一番の衝撃的なニュース。
「高峰さんって、軽音楽部に入ってたよね?」
「ああ。割と熱心だったらしい」
「そだよー。真美ちゃん、バンドも組んでたしねー」
「三年からだというのにか。軽音部も惜しい人を失ったようだな」
「それでそれで! カレシの……布施くん、だっけ。彼もバスケ部の部員なんだって!」
「なっ、そうなのか?」
「私も知らなかったー。そのうち『部活やってる子は転校しない』も通用しなくなるのかなぁ」
「うーん……」
単に彼らが普通の転校と違っただけ。「大丈夫、そんなことない」と言ってやりたい。
でも、根拠を喋ることはできない。上手い言い訳も思いつかない。ついでに度胸も無い。
そういえば、イズミはどこへ行ったんだろう? 休み時間になったら真っ先に話がしたかったのに。
「でもさあ、結構堂々と付き合ってたんでしょ?」
「部活の後二人で仲良く歩いてるところはよく見たよー」
「……ああ、貴女の言いたいことは解った。つまり――」
「そ、愛の逃避行ってやつじゃないのってね」
「あー! ありそー!」
「まさか。無い無い。あるとしたら真逆、痴話喧嘩の縺れだろう」
「杉ちゃんは夢が無いなぁ」
「だからモテないのよね」
「……五月蝿い。余計なお世話だ」
布施と高峰のその後を思う。布施は高峰と過ごした期間の、曖昧な記憶を抱えながらどこか別の場所で全てをやり直す。高峰は――――。
「――よ、色男」
突然、坊主頭の男子生徒が視界を占有する。
「……っ。なんだ、何か用か? えーと、…………えーと」
……名前が出てこない。
「ヨシクニ。はっ。彼女は下の名前で呼ぶくせにクラスメイトは顔と名前の一致すらまだってかい」
ったく、案の定面倒臭いことになった。姿勢を起こす。
ヨシクニと名乗った坊主頭も、屈んだ姿勢から立ち上がる。身長は百六十センチ台前半といったところ。小柄な部類。丸刈りの頭だけで、こいつが野球部員だというのがわかる。
「失敬な、顔は大体知ってるぞ。ただ名前の方を覚える気がさらさら無いだけだ」
「うおっ。言うねえ」
ヨシクニが、いかにも表裏の無さそうな笑顔でカラカラと笑う。まったく、ひしひしと感じられる。こいつは人に好かれる人間だってことが。
「んで、ヨシクニ」
「おう」
やはりヨシクニが名前で合っているようだ。
「俺はあまり人を名前で呼ぶ質じゃない。苗字を教えてくれると助かる」
「おいおい、さっきはイズ……モガ」
咄嗟にヨシクニの口を塞ぐ。……って、何やってんだか、俺。
人見知りの俺に初対面でここまでさせるとは。やはり侮れない男だ。
何か言いたそうにしてるので手を離してやる。
「ぶはっ。わりぃわりぃ、チョーシ乗った。んで、何だって? 苗字?」
「ああ」
ポケットのハンカチで手を拭く。
「それなんだが、悪いね、芳邦が苗字だ。ヨシクニが嫌なら健って呼んでくれて構わないぜ」
なんだ、俺の早とちりだったのか。
「へえ、変わった苗字だな。それじゃまぁ、芳邦って呼ばせてもらうかな」
「オーケー」
ふとイズミの席の方に目線を移す。イズミは未だ帰っていないし、先程まで居た賑やかな3人組もどこかへ行ってしまったようだ。
「んでよー」
やたら下品な顔をしている芳邦。聞かずとも言わんとすることがわかる。
「お前、立松とどういう関係なんよ。金曜はあんなだったじゃねーか」
「……覚えてたのか、あれ」
「そりゃ、目の前でやられちゃあなあ」
ニヤニヤとした笑い。下品さはだいぶ和らいだ気がする。きっとおちょくり方面へ移行したからだ。
「目の前、ね」
「ヨ」シクニ。出席番号順の席の並びでは一番最後らしい。
「で、やっぱ付き合ってんのか?」
心底愉しそうな顔で聞いてくる芳邦。
「そんなわけなかろうよ」
これ見よがしに溜め息を吐いてやる。
「んじゃあ、どんな関係なんだよ。下の名前で呼ぶってよぉ」
「んー……」
友達以上かな? それも少し違うか。
……冗談はさておき、確かイズミと俺の間柄は「共闘関係」だったはず。共闘、ね。戦った覚えもなければ、未だに戦える気なんてしないな。
「ああ、黙んなよ。じゃあ、質問を変える。この週末でお前らの間に何が起こった?」
週末。そういや四六時中ずっとイズミと一緒に居たな。
「ええと、土曜は飯食って、日曜は飯食ってボウリングして飯食って……」
「飯食いすぎだろ! つーかボウリングって何だよ! 完全にデートじゃねーか!」
「そうとも言う、かも?」
うーん、あれが真っ当なデートだとはどうしても思えない。
「はぁ……。いやー、お前、マジでわけわかんねーヤツだな」
「褒めてんのか?」
「褒めてんのよ。――なるほど、あの立松嬢がこういうのに惚れるたぁな」
……褒めてたのか。って、何かだいぶひっかかる言い回しがあったぞ。
「あの立松“嬢”って何だよ?」
ニヤニヤ笑いの芳邦が、一瞬真顔に戻る。
「お前、立松がどれだけモテるのか知らんで付き合ってんのか?」
「……付き合ってない。ああ、どうせ俺は他人に興味持たん人間だよ」
ふーむ、と何やら唸っている芳邦。
「あの嬢さんの鉄壁伝説は語ると放課後までかかりかねんぜ」
「それは面倒だな。三行以内で済ませてくれ」
「オーケー。ちょいと待て」
――鉄壁伝説。なんて魅惑のネーミング。これはノーカット版を聞くべきだったのかもしれない。
「整いました」
「頼む」
再び目線をイズミの席へ移す。いない。3人組の1人だけが自分の席で次の授業の準備をしている。時計を見る。あと5分弱で始業のチャイムが鳴る。
「あるところに謎の転校生がいました。とても美人で可愛くて小柄で柔らかそうな髪と細い指が幼さを感じさせながらもどこか艶やかな雰囲気を漂わせていて見る者全てを魅了するような黒々とした潤んだ瞳が――」
「……話を進めてくれ」
聞いてるこっちが恥ずかしくなる。……というかやっぱりイズミには皆そういう印象を抱くのか。
「はは、わりぃ。んで、彼女は転入早々いろんな部の女子と仲良くし始めて、部活にも顔を出したりしだしたわけだ」
「ほうほう」
それは怪しさ全開な気がするんだが……本人は気にしなかったんだろうか?
「そんなことしてたら当然男子の目にも付くよな。つーわけで、彼女にアタックを試みる野郎共が大勢いた」
「……ほう」
どこか癪に障る。
「で、オチ。だーれも相手にされませんでしたとさ。俺はもちろんのこと、トオルのヤツですらな」
「トオル?」
どこのどいつだ?
「ああ、わりぃ。三島だよ、三島 徹。生徒会長の。同じ中学なもんで、つい」
「……ああ、ヤツか」
いけ好かん野郎だ。あいつがイズミに告白していただって?
……はっきり言って、不快な話だった。聞いたことを少しだけ後悔する。
「――へえ。芳邦クン、三島と同じ中学なんだ」
突如会話に混ざってくる、もはや聴き馴染んだ声。
「うおっ!? 立松!?」
文字通り飛び上がる芳邦。
「おお、どこ行ってたんだ?」
「トイレよ。……途中でネコに捕まってね」
「なるほど」
芳邦が俺とイズミの会話を訝しげな表情で見つめている。やりづらいにも程がある。
「それで芳邦クン。仲良いの? 三島と」
「は、はい、まあまあ、ですかね……!! 中学の時三年間同じクラスで……」
肩肘をガチガチ張る芳邦。なるほど、未だ諦め切れてはいないって感じか。
「……ふぅん。中学どこだっけ?」
「塚中ッス」
ツカチュー。馴染みの無い響きだ。
「ツカチューって、どこだ?」
「由利也クン、貴方ほんとにこの辺りの人間? 『塚中』って言ったら桜塚中学しかないじゃない」
「ユ、ユリヤ、く……」
「いや、俺は中学は私立だったから。……なるほど。でも、桜塚高校は『桜塚』か『桜高』だよな?」
「うーん、そういえばそうね」
「あー、それには理由があるんだわ」
俺に対してという形なら平常心でいられるらしい芳邦。
「へえ? 理由って?」
「え、あ、と、その……ですね」
……わざとだろ、イズミ。
芳邦が深呼吸をしている。早いうちに慣れないと死にかねんぞー。
「桜塚っていうのは元々旧い地名で、ちょうど今桜塚高校が建ってる辺りが本当に旧桜塚町。桜塚小学校・桜塚中学校は高校の人気に肖って後から作られたもので、建ってる場所も旧桜塚町じゃないんだ」
「へえ」
「なるほど」
「この話にはもうちょっと続きがあるんだぜ」
得意気に続ける芳邦。
「その旧桜塚町の名前の由来。桜って言っても一面に咲いてたわけじゃないんだ。むしろ、広い桜塚に一本だけ、山の頂上に千年以上もの間桜の木が立っていた――って、伝説。その山っていうのが今桜高が建ってる山でな。だから擬物の桜塚小・中学校は塚小・塚中で、モノホンの桜塚高校だけが桜の名を冠した略称で呼ばれてるってわけよ」
「おおー」
「なるほどねぇ。――私、元桜高の生徒だけど、そんな話聞いたことなかったわ」
「「え?」」
俺と芳邦が声をダブらせる。だがヤツの方が明らかに動揺の色が強い。
「あー、えー。……ごめんなさい。後半は俺が作った話です」
「……やれやれね」
キーン、コーン、カーン、コーン。おなじみのチャイムが鳴る。
「っと、もう始業か」
一時間目は国語。ノートを用意する必要がある。
「あれ、名執。お前、授業受けるのか?」
「……何だその言い草は」
「皆からしたら由利也クンは寝てるイメージしかないのよ」
まぁ当然か。
「俺が授業中寝てられるのにはワケがある。ヒントは、国語教師は新任だってこと」
「――ああ、遠東さんの去年のノートがあるってことね」
う。一発で当てられるとは。
「一年分だけじゃないぞ。ヤツのおかげで俺は一年次|(2回目)から一度も授業を……」
「……はいはい。駄目人間自慢はいいから」
「遠東って、遠東 和輝?」
芳邦の口から、何気ない様子でその名が挙がる。
「なんだ、アイツのこと知ってるのか?」
「知ってるっつーか、塚中出身であの人を知らん人は多分いないぜ?」
「へえ、そんな有名なんだ?」
イズミも興味深そうにしている。……ただ、その輝く瞳の奥に「私に寧子の弱みを!」との色が見て伺えるのが非常に虚しい。
「おう。バスケはすげえいいところまで行ったそうだし、なにより塚中に舞い降りた天使こと遠東 香早生ちゃんの……」
ガラッ、っという音と共に国語教師が教室に入ってくる。20代半ばといった感じの、眼鏡をかけた若い教師だ。新任でありながら、誰よりもやる気がない。
だからって、席についている俺、そしてすぐ近くに席がある芳邦と違い、席が離れたイズミが今ここにいるのはちょっとマズい。
「あ、すみません……」
そう言って頭を下げながら早足で自分の席に戻るイズミ。
「……ああ、構わんよ」
いかにもやる気の無い様子で応える国語教師。――だけど、眼鏡の反対側、その細く開かれた瞼の内の両眼の、そのまた奥の何かが、鋭くイズミの姿を睨みつけている。……そんな印象を持った。
カツカツと、黒板に「今日の授業」が書き込まれる。この教師の授業は、黒板に書かれた内容をただノートに写すだけでいい。非常に楽で助かる。
黒板に今日の分を書き終えると、教師は廊下に出て隣の古宮小学校を眺め始める。もはや習慣になっているようだ。……そのせいで自身にロリコン疑惑が掛かっていることを彼は知らない。
今日の授業はいつもより内容が少なめだ。5分もしないうちに写し終えてしまった。することもないので、ふと無意識に廊下の国語教師の方へ視線を動かす。
と、てっきり小学校を眺めているものだとばかり思っていたそいつが、真逆を向き、俺たちの居る教室を眺めている。――って、まずその先入観がおかしい。
「よ、終わったか?」
いつの間にか芳邦が席を立って俺のすぐ横まで来ていた。
「立ち歩くなよ。先生見てるぞ」
「え? マジで?」
芳邦が廊下へ振り返り、俺も合わせて視線をそちらへ移す。
「……って、いねーじゃん」
そこにあの眼鏡の国語教師の姿は無かった。どうやら数秒目を離した隙にどこかへ行ってしまったようだ。
「あ、ほんとだ」
「つーわけで、さっきの続きしようぜ」
「さっきの続き?」
さっきとは……ああ、話をしてたっけ。続き……確か和輝の話で終わってたんだったな。
でも、さっきの続きというなら――。
イズミを見る。彼女の席は教室のちょうど真ん中辺りに位置している。ここからよく見えるのは、斜め前の高峰の席が空席になっているからだ。
で、イズミは朝騒がしかった三人組と話をしているようだった。
「――テニス部三人娘だな」
「テニス部、なのか」
こちらに呼ぼうと思ったイズミが仲良さそうに談笑している三人組。
内二人の風貌から、てっきり文化系、美術部や吹奏楽部かと思っていた。
「お前、ほんと何も知らないんだな……。席順に、木戸 つばめ、久留米 珠月、杉山 零。古宮テニス部三年、ここに集うって感じだな」
要するに、三年生はあの三人しかいないってことらしい。
「ほう。テニス部って人気無いのか?」
「んー、ウチとバスケ部以外はどこもそんなもんじゃないのか? 他の部の事情は詳しくは知らんけど、部活やってる生徒自体そんなにいるもんでもないしな」
「なるほど」
さすがにイズミのように全ての部活動の情報を網羅していたりはしないようだが、クラスメイトの事情はある程度知っている、という感じか。
「じゃあ……ほら、転校して行った高峰だっけ。その人の話でもしてくれよ」
俺はイズミと違い高峰のことを何も知らない。あれから、以前の彼女について気になっていた。
「高峰 真美か。そうだな……じゃあ、なんで高峰の席がそこだったかの話」
タカミネの席はタテマツよりも後ろにある。今まで何の疑問も抱かなかったが、確かに妙な話だ。
「ったく、これだから人の名前を覚えようとしないヤツは……。彼女な、親が離婚して苗字が変わったんだよ」
「離婚?」
「ああ。詳しい事情はもちろん俺も知らない。だけど彼女自身の何かが原因だったらしい」
“溺者”と化した際の奇行、だろうか? 気の毒なことだ。
「前の苗字は寺井。だから政と輝本の間ってわけだ」
「なるほど」
それにしても今日一日でかなりの量のクラスメイトの名前を押し付けられた。きっと明日になればすっかり忘れていることだろう。
「……ねみい」
そういえば、朝は満足に眠れなかったんだった。急に眠気が出てくる。
「おいおい。まさか今寝て昼休みまで起きないっつーんじゃないだろうな」
「……まさかも何もそれ以外ないだろ。国語終わったし……」
「そんなんだから誰とも仲良くなれないんだぜ? ――って、こいつ立松と付き合ってんだっけか」
「だから違うって言ってんだろ、しつこいな……」
机にうつ伏せになる。
「寝んなって! まだ授業時間残ってるぞ。せめてこの時間が終わるまで起きてろよ」
「なんでだよ……」
そもそも、なんでこいつはここまで俺に構ってくるんだ? ここらで確かめておく必要がありそうだ。
「――お前さ」
「ん?」
「俺がダブりなのはもちろん知ってるよな?」
そういう話は、知らず知らずのうちに周知の事実と化しているのがほとんどだ。
「ああ、もちろん」
あれだけクラスメイトの事情に詳しいこいつが知らないはずもないか。
「じゃあ聞く。――なんでお前は俺に構うんだ?」
「……は?」
芳邦は「何を言ってるんだこいつは」という顔で俺を見ている……気がする。確認のために顔を上げるのも面倒だ。
「そりゃ、クラスメイトだし。お前、金曜の今日ので何やら面白そうなことしでかしたしな」
カラカラと笑う。そういうことではなくて――。
「……なんというか、特別視みたいなことしないのか?」
というか、はっきり言うと差別ってこと。
「特別視? してほしいのか?」
「いや、そうじゃなくて……」
再び、さっきよりも大きくカラカラと芳邦が笑う。
「いやいや、お前の言いたいことはわかるよ。だけど、あいにく俺には高校で二留したバカ兄貴持ちでな。今じゃ俺より学年下。笑っちまうだろ? そういうわけで、俺はお前を特別視できない。悪いね!」
呆気にとられる。そんな顔を見られたくないのでやっぱり伏せたまま。
「……わかった。さっきのことは忘れてくれ」
「特別視か?」
「……それだ」
「了解。――おい、寝るなよ?」
無茶言うな。もう限界だ。
「寝るなって。ちったぁお前の身の上話でも聞かせてくれよ。お前、面白いヤツなんだろ?」
なんつーレッテル。そんなモン貼られちゃ身の上話なんかできるわけないだろう。
「寝るなよー。あ、立松呼んできてビンタでもしてもらうか」
「……呼べんのか?」
「…………」
黙りこくる芳邦。それでいい。
「マジで寝るのか? 昼まで?」
「ああ……」
「ったく。しゃーねえな。俺は昼も放課後も暇じゃねえから、また明日時間がある時話しようぜ」
こいつ、本当に俺を「面白いヤツ」だと思ってここまで構ってくれているんだろうか。
まったく、おせっかいなヤツだ。
「――芳邦」
「おう?」
「……名執 由利也だ。……よろしくな」
「おう」
それだけ言い残し、俺の意識は落ちる。
「……おーい」
「マジで寝ちまったのかー?」
「次体育だぞー?」
「どうしたの? 芳邦クン」
「お、あ、た、立松。いや、名執が起きなくてさ」
「あー、ほんとだ。まあいいんじゃない? 由利也クンどうせ運動できないし」
「ほー。こいつ運動できないんだ」
「からっきしダメダメ。そっか、普段は体育見学ばっか?」
「だな。まともに動いてるところを見たことがない」
「うーん、まともにはどうやっても動かないかもね」
「え?」
俺の意識には届かない。