――人、猫、鼠。
えーと……、こういう場合なんて返したらいいんだろう?
返しづらいメールって苦手だ。どんな返信を求めてるんだ、この子。
ま、明日会うんだから長いメールを打つ必要も無いだろう……多分。
「明日、楽しみにしてる、と」
しかし――「あれ」を見られたのか……。何を言われても聞こえないフリをしよう。
このことには今後一切触れてくれない優しいイズミさんであることを願う。
俺は強烈なニンニクの匂いの中、大盛りの麺を一気に平らげることにした。≒ヤケ食い。
「さて――」
腹は満たされた。明日に備えて早く寝たい。風呂を沸かすのも面倒なのでシャワーで済ませよう。
いや、もっとも一人暮らしを始めてから冬以外に風呂を沸かしたことなどほとんど無いけども。
狭い浴室の中で三十五度のぬるま湯に身体を打たれる。目の下まで伸びた前髪が、寝る時とこの時だけ気になる。
顔に張り付く髪、不快だ。だけど、前に一度短髪にした際、顔を水滴が流れていく感覚がこれよりももっと不快だったので、長い方がまだマシだと思う。
――一体俺はどれだけの時間こうしているのだろう。
ボディーソープとシャンプーを流すだけならば一分も必要としない。だけど、三分は経っていると思うし、ひょっとしたらもう一時間はこうしてシャワーを浴び続けていたかもしれない。
一人暮らしの人間が風呂を沸かさずシャワーで済ますのって、水道代ガス代の節約のためっていう理由が多いらしい。
一度浴槽を満たすのと同じだけの量の水をシャワーで垂れ流すのには、どれくらいの時間が必要なのだろう。
俺はもしかしたら、とっくにその時間を超えて?
気がつくと、俺はシャツとトランクスだけを身につけた姿で浴室のドアの前で寝ていたようだった。
時刻は……十時半。結局、浴室にどれだけの時間居て、ここでどれだけの時間寝ていたのかわからなかった。
とにかく、寝よう。歯を磨いて、ベッドに入り、明日も目覚まし時計の喧騒に叩き起されよう――――。
……、…………。
どうやら、ソイツよりも早く起きてしまったらしい。
時刻は九時。一時間半のフライングだ。
それも仕方のないこと。昨日はいつもからしたら特段早く眠りについたんだ。長く眠るのが苦手な俺からしたら、あまりにも眠り過ぎた。
頭痛がする。喉が乾く。手足が震える。
さて、今日もいい日でありますように。
早く起きた朝くらいはまともな朝食を作ろう、と意気込んだはいいが、冷蔵庫の中身がそれに付いてきてくれなかった。
肉・魚が無い。野菜が萎びたキュウリしかない。トドメにまたも飯を炊くのを忘れた。
パンは八枚切りの食パンが残り一切れ。パスタはスパゲティーを昨日で切らし、マカロニのみ。ホットケーキは……重曹が無い。
あるものだけで神秘の創作料理でも錬金してみようかと考えたが、おそらくそれは到底まともなものではない。
……お手上げだ。どうしたものか。
と、ここでまだ軽く頭痛のする俺のブレインが、なにやら妙案を捻り出した。
「アル・フィーネ……」
そうだ。どうせ昼に待ち合わせで行くのならば、朝から居た方が楽でいい。
それに、そうすればイズミが約束の時間よりどれだけ早く到着している人間なのかを探ることができる。
そうと決まれば、早く午後の準備を済ませよう。動きやすく――みすぼらしくなく――カジュアルな服。それがベストだろう。
はたして、この俺がそんな衣類を持っていただろうか?
案の定、無かった。上は柄もののTシャツに黒いベストを羽織り、下は黒めの――色の落ちた――ジーンズ。
数年前に流行した格好だ。当時はこれにキザなハットなんかをかぶって街に出る若者が多かったが、ブームが過ぎてやっと彼らは自分たちの格好がオモシロイものだと気づいたらしく、そんな格好をしているのは、もはや流行を追うことができないファッションに鈍いヤツだけだ。
――そう、まさしくこの名執 由利也のような。……いや、まぁ、さすがにハットはかぶらないけども。
そうこうしているうちに、十時。これじゃ朝食とは言えないな。いつもと同じブランチだ。
あとは、「荷物は特にいらない」「最低限の金」か。
最低限……わからん。そもそもどこに何をしに行くのかすらわからない。
とりあえず、有り金を全て財布に突っ込もう。諭吉ストリームアタック。インアザワード、フォーチュンリバー三兄弟。
とにかく早く食い物にありつきたいので、今日は徒歩でなく自転車。高1の時に買ったというのに既にオンボロの風格を漂わす愛車を軋ませて走る。
何故だか、俺が乗った自転車は長持ちしない。悪い乗り方はしていないはずだ。二人乗りさえしていない、というかできない。
古宮高校の駐輪場は屋根が無く運が悪いと数日間雨に打たれっぱなしになってしまうので、高一の春からはわざわざ屋根付きの駐輪場を定期利用している。家でもしっかり雨の当たらない場所に停めている。
……だのに、何故錆びる?
キィキィと悲鳴を上げる我が友(のチェーン)。この間556を吹いてやったばかりだろうに、軟弱者。
そんなこんなで、駅前到着。やはり自転車って便利だ。バイク・自動車の免許を取るなんて馬鹿馬鹿しい。
唯一の難点は、治安が悪めな“この辺り一帯”では駐輪場に停めないとほぼ確実に頂戴されてしまうということだが、場代だってバイク・自動車に比べて格安で済む。
というわけで、この辺りで一番安い駐輪場に停めに行くことにしよう。
アル・フィーネ到着。十時半前だ。
昨日は何故だか客が少なかったようだが、さすがにこの時間ならいくらか賑わっているはずだ。ほら、店の前にバイクなんて停まってて――。
「うわぁ……」
ものっそいイカツいバイクだ。なんてったって赤い。もうそれだけでイカツく見える。あれだ、なんか変形して飛びそうな。
サイズだってそれなりに大きい気がする。といっても、こんなにまじまじとバイクを眺めたのなんて、他には和輝の新聞配達用みたいなスクーターだけなんだが。
これが世に言う「すぽーてぃ」ってヤツか。「かぶ」だかなんだかとは風格が違うな。
と、アタマの辺りに何か文字を発見。なになに、「Stre○t Fighter」。
ははーん。なるほど、わかっちゃいました。
イカツいバイクに書かれたメジャーな格闘ゲームの名前。要するにこれは、一時期オタクの間でブームになった「痛車」ってヤツだ。
まったく、まだこんなことをやってるヤツがいるとは。やれやれだ。
ん、もう一個なにやら文字が。
……んー、デュカチ? ちょっとよくわからない。大方キャラクターの名前だろう。
まぁいい。こんなもの無視して、とっとと店に入ろう。
カラン、という鐘。「いらっしゃいませー」、という角さん。
……角さん?
「……はいはい、お二人様ですね。勝手にどうぞー」
見回してみると、今日も店員は角さんしか見当たらない。もしかしたらもしかするのだろうか。
それにしても、なんつー接客。俺が同学年といえど一個上だっていうのは君が一番意識しているべきことなんじゃなかろうか?
というか、
「悪い、二人じゃない。待ち合わせの昼までにブランチを摂っておこうと思って来たんだ」
不思議そうに首をかしげる角さん。
「ふぅん。じゃあ、朝から居座ってるあそこのイズミも、待ち合わせの前に朝食を摂りに来ただけなんですね」
「え?」
昨日と同じ席に、イズミは居た。
が、違う。肩を出した白基調モノクロのシャツ。焦げ茶のミニスカート。そしてなにより、長い後ろ髪を二つに束ねている。
至福……もとい私服。そりゃそうだ。今日は日曜。制服を着ている理由は無い。
しかし、これは酷だ。遠くからではっきり見えるわけじゃないが、俺には眩しすぎる。
雑誌のモデルをやってるとか、そんなレベルでは済まないほどの着こなし。まるで漫画か何かから現れたかのよう。
……まぁ、それにしてもなんだ、あのデカいヘッドホンは。数年前何かの拍子で流行ったヤツに似ている。あれって、確か開放型なのに構わず公共の場で使って音を駄々漏れにさせる事件を頻発させていたよな。
……彼女、大丈夫だろうか?
「あのー、もしもし? この店今日も今日とてガラガラですけど、お二人様なら一緒の席でお願いしますね。それじゃごゆっくりぃ」
あきれた、というような仕草を残して去る角さん。多分お二人様ってことでイズミも異存は無いだろう。それより早く食事にありつきたい――。
「おはよう。早いな、イズミ」
挨拶と同時に向かいの席に座る。……あれ? なんだ、この馴れ馴れしいチャラ男(死語)は?
「――あれ? ……由利也クン!?」
ヘッドホンを外すイズミ。外したヘッドホンからジャカジャカと騒がしいギターに加えドコドコと激しいバスドラムさえ聞こえてくる。
……うーん?
「……イズミ、そういう音楽聞くんだ?」
ちょっと意外、と思っただけだったのだが、俺の内なる「うわぁ……」が漏れ、突き放したような調子になってしまった。
「あ……いや、これは寧子の趣味で!! あの子パンカーなのよ。それで私も巻き込まれて……こんなの全然興味無いから!」
案の定こんな反応。
「いや、別に否定するつもりじゃないから。ちょっと意外だなって思っただけだよ」
そう。これが本音。これこそが本音。そうだ、俺は別に引いてなんかいないぞ。うん。
「……そっか。でも、ほんとに私はこういうの趣味じゃないからね?」
大丈夫。わかってます。それにしても――、
「……角さんがそういう趣味なのか。意外な気もするしぴったりな気もするな……」
「あの子の痛々しい私服を見れば前者は消え失せると思うわ……。あ、思わずネコって言っちゃったけど、通じた?」
そりゃあ、まあ。
「向こうはイズミのこと“ネズ子”言ってたな。……君らは、なんだ、その、サイモン&ガーファンクルなのか?」
「それをいうなら……って、まぁいいわ。先にあだ名が付いたのは向こう。私のは寧子の苦し紛れの後付け」
「ほうほう?」
ちょっと興味が湧いてきた。と、ここでそのネコさん登場。
「ご注文ー?」
もはや文ですらない。
「えーと、シーザーサラダとエビドリア、あとカプチーノ一つ」
「あ、それ私も」
見ると、イズミの前には泡が少し残ったカップが置かれていた。どうやら朝食後に注文したもののようだ。
「シーザーサラダ二つエビドリア二つカプチーノ二つ」
「あんた……馬鹿にしてんの?」
「いえいえ、当方今の発言をそうとしか受け取れないバカでして……くすくす」
双方笑みに似つつ断じて非なる表情を浮かべ睨み合うネコとネズミ。
……ほんっとくだらない喧嘩をするなぁ、この子ら。
「わかってるならそれでよろしく、ウエイトレスさん。腹減ってるんで早くね」
はっきり言って、それがこの場の最重要事項。
「了解っす。しばし」
さすがはネコと言われるだけあり、キャラがまっったく掴めん。角さんはイズミに笑みらしきものを向けた後、厨房へと去っていった。
「早くね、って言いつつエビドリアを、ねぇ……」
「へ?」
(宿敵が去った安堵から昨日に引き続きテーブルの上でぐてーっとしている)イズミさんから不吉なツッコミ。
なんだ、俺は何かしでかしてしまったのか?
「あれ作るの、早くても四十分はかかるわよ。もっと簡単なもの頼めばいいのに……」
「え……? 冷凍とかじゃないのか?」
よく考えたら、ここはファミレスではない。
「アル・フィーネは注文を聞いてから料理を作り出す、作り置きなんかもしない店よ」
「そんなんで間に合わせられるものなのか?」
って、ここのメインは料理じゃなくてコーヒーだったな。
とはいえ、人気がある店なら飯時ならそれ目当ての客が集まるはずだ。
「間に合うわよ。だってここ、客いないし」
「――カプチーノお待ち」
イズミの目の前に乱暴に置かれるカップ。そのせいで泡が飛び、イズミの頬に付着する。
「ちょっ、……もう。本当のことでしょ?」
起き上がって、頬に付いた泡を指で掬って舐めるイズミ。
「……数少ないお得意様に貶されるようじゃ、この店もいよいよ雲行き怪しね」
先ほどとうって変わって覇気の無い様子を見せる角さん。
「きっと大丈夫よ。表通りのあれらの流行が終わった暁には、元居た客はこっちにもどってくると思うわ」
あれら? 何のことだろう。
「それまで持ちますかねえ、この店。もう何ヶ月連続で赤字出してるか検討も付かないくらいなのに」
「だ、大丈夫よ、きっと……」
こういう状況でも押されるのはイズミの方なんだな。
「……根拠は?」
「こん、きょ? そうね……私と由利也クンがお得意様として毎週1回は顔を出すわ」
あれ、俺含まれてる? まぁ構わないけど。
「はぁ。大した助力ね」
これ以上無いまでにブルーを見せる角さん。話の内容からしてこちらも気の毒になってくる。
「…………むぅ」
言葉に詰まるイズミ。もうちょっと頑張っていただきたかった。
と、
「よっし!! 『むぅ』頂きました! 星みっっつッ!!」
……は? 振り返ると、イズミが「しまった」という様子で口をバッテンに塞いでいる。
「堕ちたわねぇ、イズミ。まさかあんたをこんな簡単に論破できるなんて」
……論破? これは論破といっていいものだろうか?
まぁ、された側が「不覚ー」とか言いながら倒れてるし、本人たちがそう思っているならいいんだろう、多分。
この子らの関係が少しわかってきたなぁ、としみじみ。
「これで勝ち星三つ。ジュース奢りの約束、忘れてないわよねぇ?」
「う……。何よ、ジュースなんてせいぜい百五十円でしょ」
「緑瓶。ライム。750ml」
「ちょ……! それってジュースじゃ……」
「シャぁラぁップ! 死人に口なし!」
あれ、イズミさん、いつの間に死んだんだ? 確かに死んだようなカッコしてたけど。今まさに立ち上がってたが。
「くっ……!この借りは必ず三倍にして返すわ」
「そう? じゃあ次はジュース三本ってことで」
「の、望むところよ!」
イズミさん、買わない方がいい喧嘩もあります。負け戦からは逃げるのも勇気です。
「オーケー。じゃあ、勝負は明日から。先に勝ち星を三つ得た方が勝者。敗者は勝者にジュース三本。異存はない?」
頷くイズミ。部外者もBET出来たりしないのかな? 俺、イズミの負けにジュース三本で。
「くすくす……いいカモ」
「何か言った? 寧子」
忘れていた。本名はヤスコさんだったな。
「ふっ。そんな安い挑発には乗らないって。どこかのネズ公と違ってね」
「なんですって!?」
完全におもちゃだなぁ、イズミ。「窮鼠 猫を噛む」とは言うが、「窮鼠の反撃 三度までも」とまではさすがに聞いたことがない。この調子じゃネコを三度負かすなんてことは不可能だろう。
にしても、俺、完全に蚊帳の外ですね。
「今回の賞品は、明日学校に持って来といて。それじゃ」
敗者に背を向ける勝者。と、振り返り、
「そうそう。さっきの話だけど、宝くじで幾億当てたマスターが需要無視で道楽で作ったこの店が潰れるわけないでしょ? 昔はそれなりに儲かってたんだしね」
この店にそんな誕生秘話が。
むぅぅ、と唸っているイズミ。あの人が引き出してくれるこのイズミはすごく可愛い。
彼女とは早いうちに協力関係を結びたいところだ。再びこちらに背を向け厨房へ戻っていく角さん。
――それで、俺のカプチーノは?
「イズミー、大丈夫かー(棒読み)」
「……っさい……」
うーむ。八つ当たりは良くない。このままの調子でいられると困るので、強引に話を振る。
「さっきの話だけど、『表通りのあれら』って何だ?」
もそもそと動きだすイズミ。いいぞ、その調子。もうすぐさなぎが破れる。
「あれらはあれらよ。有名チェーン店。あるでしょ? スタダとかタタール」
なるほど、スターダストコーヒーにタタールコーヒーか。前者は言わずと知れた米国発祥大型チェーン。
後者は謎のモンゴリアンコーヒー店で、何故人気があるのか、入ったことの無い俺には理解できない。
「それらって、確かこの駅の需要が発掘され出した時に出来たよな。その頃から苦戦を強いられてるってことか」
……そんな事情、全然知らなかったな。
「そういうこと。ここには客もいないし、店員もマスターとネコだけよ」
「――シーザーサラダお待ち」
またも叩きつけられる皿。そしてまたもそのホワイトドレッシングがイズミの頬に飛ぶ。……なんのサービスシーンだ、これは。
「つーか、意味もなく料理を乱暴に扱うな! っつーか、俺の分のカプチーノ!」
先ほど完全にいない者扱いされた分、ここぞとばかりに出て行く俺。
「つーかつーかって、先輩なんか世代が感じられますよ?」
「余計なお世話だ! つーか一歳差だろ!」
いかん。意識してなかったが、確かに「つーか」を使い過ぎだ。
「くすくす。あ、カプチーノも一緒に持ってきてますよ。さっきは忘れてすいません」
角さんが後ろに隠していたカプチーノのカップがテーブルに置かれる。
「あ、ああ。どうも……」
勢いを失う俺。あれ? これってさっきのイズミと同レベル……?
「エビドリアはもう少々お待ちくださいねー」
再び厨房へと向かう角さん。唯一の店員だったのか。客が少ないとはいえ、確かに見るからに忙しそうだ。
「で」
ホワイトドレッシングをやはり指で掬って舐めるイズミ。だから、これは誰に向けてのサービスだ?
「何の話してたんだっけ?」
「あー……っと?」
この店の話はとりあえず決着が付いたはずだ。そしたらその前は、
「あだ名の話だな」
「……ああ、それね」
露骨に嫌そうな顔をするイズミ。何故そんな顔をするのかも、ようやくわかってきた。
「あの子の本名が寧子ってことは話したよね? あの子、中学時代バスケ部の鬼キャプテンとして有名だったらしくて、大変不名誉なあだ名が付けられたらしいの」
「……どんな?」
おそるおそる聞いてみる。と、イズミがそれに乗って俺の耳元で囁く。
「――ヤーさん」
「……っ」
これには吹き出さざるを得ない。
――角さん、厨房の影から笑みに似た邪悪な表情を向けるのはやめてください。
「それで、高校入学時『私は今日から寧子だ!』って言い出して、クラスや部の自己紹介でわざわざ『ねいこって呼んでください』って言って回ってたんだって」
「ほうほう」
……オチが見えてきたぞ。ヤツか。やはりヤツの仕業だったのか。
「で、部の自己紹介の時、遅れてやってきた生徒がいてね。それが当時二年生の、前キャプテン遠東さん。そしたらそこは目立ちたがりの寧子。また全員の前で『角 寧子です! ねいこって呼んでください!』って高らかに宣言したの」
ああ、終わったな。
「それを聞いた遠東さんの返答が、『あ? ネコ? 了解。ネコっぽいもんな、お前。ほれ、タマだぞ、ネコ』。そして手に持ったボールを寧子に……」
「……悲惨だなぁ」
ヤツの凶器がそんなところでも被害者を生み出していたのか……。
「……で、次。私のネズミね。これは単純。先輩たちにネコネコ呼ばれていた寧子が逆恨みで私に付けたの。『イズミだからネズミーッ』って。はぁ。幸い寧子以外誰も使ってないけど」
ふぅむ。女の子に付けるあだ名としちゃちょっと質が悪い。これも憎しみの連鎖というやつか。いかん、遺憾、よろしくない。
ただ、ネコのおもちゃで、かつ体躯が小さいという点では確かにネズミはぴったりかもしれない。
実際、イズミは小柄だ。比較対象が「ちびっ子」という形容のよく合う高峰ではなく、女子にしてはそれなりの背丈を持つ角さんとなると、それがよくわかる。
「まぁ、なんだ、その。……角さんは幸せだったかもしれない。……ネコで済んで」
「へ?」
つい口を挟んでしまった。まごつく間に、イズミが興味有りげな顔でこちらを見てくる。
これはあの子の名誉のためにもいたずらに言いふらしてやる話ではないのだが……。
「俺、そのバスケ部前キャプテンと知り合いでさ。……ヤツのあだ名付けのレベルはそれで済むものじゃないんだ」
「ご、ごくり」
大げさに唾を飲み込むイズミ。ノリがいい子、大好きです。
「……で、その最もヒドい例ってどんなの……?」
おそるおそる尋ねてくるイズミ。さっきのお返しに耳元で囁いてやろうかと思ったが、さすがにセクハラなのでやめておこう。
「その最たる例が……」
「その最たる例が……?」
「……『ケロ子』だ」