――君、before。
お互いがしばし沈黙し、やがて険悪とも言えるムードが漂い始めた。
あれだけ饒舌に話をしてくれていた立松は、俺と目を合わせないままキュウリをかじっている。
はっきり言って、とてつもなく居辛い。
「――話を脱線させちゃって悪かったな。今度はこっちから質問、いいか?」
とりあえず、この雰囲気をなんとかしよう。俺が話の腰を折ったんだから、責任持たないと。
「……なに?」
立松がぐでーっとテーブルに倒れ込む。
「もちろん、“大人”と“溺者”について。まだ聞いてないことがいくつかあったからさ。いいかな?」
こくん、と立松が頷く。当然上半身を倒したまま。さっきまでとの落差が酷い。
「じゃ、まず一つ目。さっき、“溺者”は“大人”の言いなりなんだって言ってたよな。それってどういうことなんだ? ただの上下関係ってわけじゃなさそうだけど」
立松が顎をテーブルに付けたまま話し始める。
「“溺者”はね、摂取したEPDに付着していた体液の持ち主に絶対服従なの。彼らは主人の命令なら何でも聞くどころか、操り人形にすることすらできるわ。ま、そんなことをしたなんて例は聞いたことないけど。……第一、そんなことしたら“溺者”が覚醒して暗示が解けた時にコロされかねないだろうし。理屈を聞かれても私にもわかんない。だけど、それがEPDの中毒症状だって考えられてるわ」
立松はそのままの姿勢で新しくキュウリをかじり始めた。エネルギー補給なのだろうか?
「ふむ……」
素っ頓狂な話。だけど、それで逆にある予測がほぼ確信へと変化した。
「二つ目だ。そのEPDっていうのは、単なるクスリじゃないな? もちろん自然由来の何かでもなければ、真っ当な薬品ですらない。――違うか?」
「――そうよ」
キュウリを飲み込んで、立松が姿勢を起こす。
「EPDは元々軍事利用の為に造られたドーピング薬のようなものだったって聞かされてるわ。一般人を使い捨ての兵士とするためのね。摂取した人間の潜在的な身体能力を引き出し、更に暗示を効きやすくさせるものだった。
でもね、それは失敗だった。投薬から二週間経過した人間が変貌を遂げたの」
「変貌?」
これまで用いられなかった表現だ。
「そう。“それら”は人間の形を保っていなかった。薬の製作に使われた動物由来の成分がよからぬ作用を起こしたとかでね。EPDは完全に失敗作だった。
だけど――全て廃棄されたはずのEPDの変質体が、何者かの手によって広められた」
「……それが今のEPDの正体か」
「そうよ。投薬二週間以内の挙動も安定し、二週間経過後もヒトの形を保てるようになっていた。初めはそれがEPDであるということが確認されていなかったから、県警の薬物・銃器取締課がその事件を追っていた。今のEPD対策チームの前身ね」
「EPD対策チーム? 立松はそこに所属してるのか?」
「まさか。私はただ警察と協力関係にあるフツーの女子高生よ」
うーん、なんて怪しい肩書き。
「でも、私が直接会ったことがあるのはその責任者の植草って人だけ。彼らも公の組織でない以上、外部協力者である私には必要な情報以外提供できないそうなの。……ごめんね」
「……いや、ごめんって言われてもな」
なにやら胡散臭いヤツらがバックにいることはわかった。
そして立松も持っている情報全てを俺に教えてくれるってわけではないようで、話し方もどこかぎこちない。
まぁ、当然か。まだ協力するかどうかわからない人間に対してなんだから。
そう考えると、今まででこれだけの情報が貰えているのは信用されてる証なんだろうか。
「じゃ、次だ。……俺が遭遇した“大人”――高峰について詳しい話が聞きたい」
立松の目が鋭くなり、ある種の冷たさを帯びる。
「彼女が“大人”じゃないかって、しばらく前から目星は付けていた。バスケ部の幽霊部員の布施。そいつが高峰と交際を始めてから急に部活に顔を出すようになったという情報は私の耳に届いていたの」
各部活内に友人を作っているのはそういう理由からだったのか。それを聞いてしまうと少し複雑な気分になる。
「主人である高峰の暗示で、ってことか」
「そ。そして、そいつが偶然名執クンと遭遇してしまい、始末された」
「……人聞きが悪いな」
何から何まで事故だ、アレは。
「布施、EPDの接種痕を見られた途端変貌したんだが、“溺者”ってみんなああなのか?」
「それは高峰がそういう暗示をかけていたのね。きっと『バレたら殺せ』、みたいな単純なものだったんだと思う。……はぁ。部活に顔を出させたのもただ貪欲にEPDを広めたかったってだけな気がするわ。若い“大人”はリスクを顧みずに思うまま行動するから時に大惨事を引き起こしたりするの。逆に、古宮に巣食ってる大本の“大人”みたいに狡猾なヤツはもっと厄介なんだけどね」
「その大本は穏健派なのか?」
「穏健派、ねえ……。そんなことあり得ると思う? ただ慎重なだけよ。“溺者”は着実に増やされてるわ」
さらりと物騒なことを言ってくれる。
「“溺者”は二週間したら“覚醒者”に変わるんだろ? その数が増え続けてるってことはつまり……」
「勘違いしないで。確認できた個体は全て“溺者”のうちに私が処理してるわ」
処理。そういえば高峰もそんな言葉を使っていた。
「その処理、っていうのは具体的にどういうことなんだ?」
「さっきも言ったと思うけど、“溺者”は人間に戻せるの。処理っていうのはそういうこと。彼らは“溺者”でいた期間の記憶が曖昧になっているから、大抵はそのまま転校させておしまいよ」
ふむ。つまり、布施はあの後その胡散臭い警察の特殊チームだかに即回収されたから病院には行きすらしなかったってことなんだろうか。
いくらなんでも仕事が早過ぎる気がするが、この学校に張り付いているならおかしくはない。
というか、うちの学校から転校していく生徒が多いことにそんな理由があったとは。なかなかに突拍子も無い話なのだが、合点が行ってしまう。
「“溺者”が元に戻せるのはわかった。……高峰、いや、“覚醒者”はどうなるんだ?」
「……“覚醒者”はもう人間ではないわ。特別収容施設でその短い一生を終えるの」
…………っ。尋ねたことを後悔する。聞くんじゃなかった。
「話、戻していい?」
「あ、ああ。」
立松だって、あまり考えたくないのだろう。
「しばらくして布施が機能していないことに気づいた彼女は『別の“従者”』を動かしたわ。そして、布施が消された場所に向かわせた。その時間に布施が居るはずの、三年二組の教室ね。だけど“従者”は四組の教室に入った。そこで私が名執クンのカバンを『洗浄』していたから」
べっとり付いてしまった布施の血を落としてたってことか。カバンをあの場所から教室に運んだのは立松だったんだな。
「廊下のも全部立松が『洗浄』したのか? 夥しい量だったと記憶してるが……」
「廊下は福住先生が雑巾掛けで、ね……。その割にすごく綺麗になっていたけど、所詮見た目だけ。彼らの嗅覚にはさすがに感づかれる。私がその場に到着したのは事が起こってからだいぶ後で、その時には既に先生が廊下を掃除し終えてたの。バスケ部に顔を出したら、布施が忘れ物を取りに行ったきり帰ってこないって話になってて、それで。
あ、それで二人目の“従者”の話だったわね。私の姿を見るなり襲ってくるもんだから、かるーくいなしてやったわ」
細い手首をぷらぷらと振ってみせる立松。
「軽くいなすって……。“溺者”も“大人”並の身体能力を持ってるんだよな?」
「“大人”が恐ろしいのはその頭脳から来る戦闘センスがあるからよ。それを持たない“溺者”は大した脅威ではないわ」
……う、うーん。そうなんだろうか?
「おそらく定時のメール連絡が無かったとかで、布施に続きスペアまでもが消されたことを彼女は知った。それで彼女は忍び込んだ夜の学校で布施の血の匂いが残った名執クンのカバンを見つけ、『今来るか』『翌朝早く来るか』の二択しかない名執クンを待ち伏せすることにした」
「で、そこにまんまと現れてしまったのが俺か」
「そう。……ごめん、私が高峰がそういう行動を取るだろうってことにもう少し早く気付けていれば……」
「そんなの立松が謝ることじゃないだろ?」
はっきり言って、そんなことで勝手に責任感に苛まれてもらわれても、困るだけだ。
「実際のところ、高峰から自分の身を守るくらいは俺独りの力で出来たんだしさ」
「――そうね。本当に驚いたわ。あの時の名執クン、完全に高峰を子供扱いしてた」
必死で己を守っていただけな気がしたが……正直、あまり記憶にない。何せ一瞬でも油断したら死んでいたかもしれない状況だったんだ。
「だけど、立松が来てくれなきゃそのうち追いつめられて殺されてたに違いないよ。本当に助かった。立松は俺の命の恩人だよ」
心からのお礼に対し、腑に落ちないといったような顔で返される。
「……どうだか。名執クン、あのまま彼女をコロしちゃいそうな勢いだったけどな。ま、その『女子供にも容赦しない』名執クンに素質を感じてこうしてスカウトしてるわけだけど」
そうだった。
正直なところ、戦うなんて無理だと思ってる。俺は立松が言うような非情さとは全く正反対の人間だ。
そしてなにより、俺にヤツらと対等に戦える程の力があるとは到底思えない。
……だけど。目の前の少女だってそれは同じだ。非力な女の子が「非常時」だけその力をなんとか最大限に発揮してギリギリで戦ってるんだって、さっき聞いてしまった。
もう、答えは1つしかないだろう。でも、最後に悪あがき。
「その、EPD絡みの事件を学校側になんとかしてもらったりはできないのか? この学校内で流行っているのは明らかなんだろ?」
自分で喋っていて白々しい。そんなものに頼れるなら初めから頼ってるに決まってるだろう。
「無駄よ。数年前、生徒からEPD 関連の相談を受けた教師が見せしめに『派手に』殺された。“この辺り一帯”の学校はそれで完全に身を引いたわ」
だからって、こんな華奢な少女が生身で戦わなきゃならないなんて。
だけど、既にそれを見てしまった。知ってしまった。だからもう――、
「そんな危ないヤツらと独りで戦うなんて危険すぎる。……俺でよかったら協力させてくれ」
――見て見ぬふりなんて、できない。
立松の顔が一気に明るくなる。照れくさくて直視できない。
「ほんとう!? ――名執クンが力になってくれるなら私、恐いものなんてないよ!」
……買い被られっぱなしなのはもう諦めた方がよさそうだ。
こんなに喜ばれるとは思っていなかったので、さすがにちょっとたじろぐ。話を逸らそう。
「立松はあのドライヤーで戦うんだろ?」
……ドライヤー、だったよな? と、立松がぎゅうぎゅうに物が詰まったカバンの中から昨夜のそれを取り出した。
「これね。Fire-Drier、私はFDって呼んでる。EPDは高熱に弱いの。“溺者”の体内のEPDはこれで死滅させることができるし、“覚醒者”も気絶させられるわ」
……今、すごーくあっさり敵の最大の弱点が語られていた気がする。
「そしたら、俺は何をしたらいいんだ? 同じようにそれを使って戦うのか?」
「ダメ。敵の攻撃は1撃食らっただけで命は無いのよ? 名執クンをそんな危険に晒すわけにはいかないわ」
「それは立松だって同じだろ?」
というか、普通は女の子が守られるべきだと思うが……。
「私は慣れてるから大丈夫なの。名執クンには後方支援をしてもらうわ」
「後方支援?」
「そ。名執クン、遠距離から飛び道具か何かで私を支援して」
立松嬢、後方支援ってそういう言葉じゃない。
「飛び道具って言われてもな……」
はっきり言って、現実味がなさ過ぎる。言葉だけが宙に浮いている。
飛び道具で支援? そんな戦い方が現実に於いて成立するんだろうか? ましてやただの喧嘩やエンターテイメントじゃない、ヒトの限界を振りきった化け物との、命の奪い合いで?
「大丈夫」
目の前の少女があっけらかんと笑う。
「名執クンならできるって、私“確信し”てる」
だから、その「なら」っていうのをやめてくれ。俺なんて――、
「私と名執クンなら、できないことなんて何も無いよ、きっと」
――――。その告白じみた発言に、思わず息を飲む。
俺はいつの間にこの少女からこんなにも信頼を得てしまったのか。
……なんだよ、それ。根拠は? 俺のことなんて、何も知らないだろうに。
ただ、不思議と安心する。俺もこの少女に心を惹かれている。もう、離れられないくらいに。
「――そうだな。きっと、そうだ」
少女の言う「確信」が、俺にも伝わってくる。俺はこの少女となら、何だってやっていける。
そんな、気がした。




