――朝、昼、クスリ。
「昨日も言ったけれども、貴方が遭遇したのは“大人”。簡単に言えば人外よ」
――人外。なんて、重い言葉。
元気で明るくクラスのムードメーカーにも成り得た小柄な女子生徒は、たった一言でその存在を否定されてしまった。
「……詳しく教えてくれ。“大人”とはなんなのか。高峰は、初めから怪物だったのか? それとも……」
「がっつかないで。……高峰さんは、おそらく半年程前に人じゃなくなった」
……俺が知った時、彼女は既に人じゃなかったってことか。
「……なるほど。それじゃ、“大人”ってのについて説明頼む。時間はあるんだし、このバカの俺でもちゃんとわかるようにな」
「名執クンは全然バカなんかじゃないと思うけど……わかった。それじゃ、段階を追って」
――さて、ここからきっと魔法やら魔物やらが登場するトンデモ話が展開されるに違いない。
よくある「信じられないが、見てしまったんだから信じるわけにはいかない」ってシチュエーションだ。
どんな話でも受け入れよう。例えば俺が実は黒龍族の末裔で魔法が使えるんだと言われてもな。
ん、わかったぞ! 立松の正体はドライヤーを媒介にして炎の魔法を行使する魔法使いで――、
「……名執クン? 大丈夫?」
「――っ!……コホン。大丈夫です」
「じゃ、説明するわね」
ごそごそとカバンを漁る立松。……自分で言うのも何だが、カバンの中身を軽く済ませている俺とは対照的に、なにやら色々詰め込まれたカバンのようだ。
やがて一枚の写真が取り出され、テーブルの上に置かれる。
「これ、何かわかる?」
写真に写っているのはなにやら透き通った宝石か水晶のような緑色の結晶。
一つ付け加えるとそれは細長く、両端が鋭く尖っている。
形容すると針だ。その針のような結晶が白い紙の上に数本置かれている。
「えっと……、ちょっとわからないな」
「これ、クスリなの」
「クスリ!?」
クスリってもちろん風邪薬とか漢方薬じゃなくて……、
「そう。ドラッグよ」
「……そういうのって、てっきり錠剤みたいな形をしてるのかと」
「確かに、世界全体で見ればまだまだ主流は錠剤タイプだと思う。でもね、“この辺り一帯”で流行ってるのはこのタイプなの」
――――。信じたくなかったけど、“この辺り一帯”にクスリが蔓延してるって、単なる悪い噂じゃなかったんだな。
「それで、このクスリと化物とどんな関係が? まさか、ヤクチューは人じゃないとかいう極論じゃないよな?」
「……実際、それに近いけど。このクスリ、通称EPDは人を狂わせるの。尋常じゃないレベルでね」
だんだん話が見えてきた気がする。
「このクスリを打った人間が“大人”ってことか?」
あ、でもそれじゃライヤーの意味がわからないな。わかったように口を出して、後悔。
「かなり近い認識よ。でも、ちょっと違うわ。このクスリは、摂取して二週間以内は普通のクスリと似た挙動をするの。つまり、摂取した人を重い中毒症状に陥らせるってこと」
「したくてしたくて我慢できない……とかいうやつ?」
「それがいわゆる“普通の薬物”の中毒症状、依存ね。EPDの場合、そういった単純な症状に留まらないんだけど、それはまた後ほど」
ふむ……。単純ではない中毒ってなんだろう? たかが薬品が自律行動を起こすとでもいうのだろうか?
「クスリを摂取した身体は、二週間以内なら条件を満たせばいつでもトリップできるの。……その条件っていうのはわかっていないんだけど。でも確かなのは、その度にクスリを摂取する必要が無いってこと。つまり、一度摂取するだけで身体そのものを変質させてしまうのよ」
「要するに、食べ合わせみたいなものでトリップできる身体になれる魔法の薬ってことか」
立松が驚いたような顔をしている。
「食べ合わせ……。言い得て妙ね。さすが名執クンだわ」
“さすが名執クン”って。言われたことないぞ、そんなこと。
「そう。その食べ合わせでトリップできるようになった人たち。しかも、トリップは一定時間ですっぱり止まるらしく、加えて他のクスリにあるような身体的な依存は無いとされてる。あるのは精神的な依存だけ。普通の人なら意思で欲望を制御できるわ。
さて、聡明な名執クンに質問。そんな人たちが一番恐れていることって何だと思う?」
む、いつの間にかハードルが上げられている。
「そうだな……。そんな人たちだって結局はヤクチューだ。始めて二週間以内といったら、まだ負い目もあるはずだろう。だとしたら、その人たちが恐れるのは自分がクスリに依存していると他人に知られること……じゃないか?」
目の前の少女が目を輝かせている。ほっ。どうやら正解のようだ。
話の合間に飲んでいたのか、いつの間にか立松のカップの中身は半分程減っていた。俺も、冷めないうちに飲んでおこう。
「90点! そう。彼らは自分がクスリに依存していることを他人に知られたがらない。当たり前のことだけど、すごく重要なことなの。彼らは徹底してそれを隠すわ。まず第一に、いくらキモチイイことだからって、他人にバレるような場所でトリップしたりしない。家の中だとしても家族が居たらしないっていう中毒者も多いと思う。彼らは『どこかトリップできる場所』を見つけてしているようなの。例えるなら……その……性欲の処理、みたいな感じかな」
ッッ……!! ゲホッ、ゴホッ!
不意打ちはやめてくれ! 目からカプチーノが出るところだった!
「あ……例え、おかしかったかな……?」
しおらしくなる立松。くっ……卑怯だ、反則だ。
「いやいやいや! ぜんっぜん! というか、しっくり来すぎてびっくりしたんだよ」
実際、立松のその例えはこれ以上無いくらいわかりやすかった。
「そう……? なら、いいんだけど……。――続けるわね。次に、EPDは普通注射のように身体に直接刺して摂取するんだけど、摂取した箇所は緑色に爛れて、すごく目立つの。彼らはそれを忌み嫌う。だから、それを執拗なまでに隠す。個人差はあるけどね」
――――。頭の中でパズルが組み上がっていく。
「そして第三。一見リスクの無いように思える彼らの、最大の問題点。彼らはね――その二週間、“大人”の“従者”なのよ」
――retainer。保持する者。別の意味は従者、か。
「え……? 名執クン、今なにか……」
「――へ? いや、何も言ってないけど……『考えてたことを無意識に口走ってた』ってやつか?」
たまにあるらしい、俺の良くない癖だ。
「……ううん、多分気のせい。ごめん、これについては“大人”のことを話してからにするわね。今まで話した、EPDを摂取してから二週間以内の人々は“溺者”と呼ばれているわ。この状態にある人は“まだ人間だから”元に戻すことができる。でもね、摂取から二週間経過すると、もう人ではなくなってしまう」
それは、文字通りの意味でだろうか。
「通称“覚醒者”。ヒトの身体能力を最大限まで引き出したモノ。EPD――潜在能力啓発薬 の由来ね。彼らは血流の活性化に始まる肉体の変質で常人を遥かに上回る怪力を持つわ。当然酷使された身体は通常より長くもたないんだけど、見た目上の老化は停止する。もちろん彼らは人間としての思考を持っているし、さらに自らが超越者だという自覚を持っているわ。そして、自分より劣る人間を支配しようとするの。巷で起きている凶悪犯罪のほとんどはこの“覚醒者”によって引き起こされている。もっとも、事件が起こったということは報道されていないけどね」
クスリが引き起こす凶悪犯罪。まとめるとそうなるが、そう単純な話ではない気がする。
「“この辺り一帯”にEPDが広まりだしたのは、実に十五年前まで遡るわ。その頃はまだ単発の凶悪犯罪がポツポツと起こる程度で、EPDの存在も確認されていなかった。だけどね。六年位前から“覚醒者”たちが何者かによって統率され始めた。その中で、見た目の老化が止まっているということを利用して学校に潜りこみEPDを広め出した者たちがいたの。
それが“大人”。子供の皮をかぶった大人がEPDを広めるために生徒に混じっているのよ」
……にわかには信じがたい話だ。だけど、疑う材料も特に見当たらない。
ふむ……だけど、他の横文字に比べてやっぱり“大人”だけ浮いている気がするのは気のせいだろうか?
「でも、高峰が“大人”になったのは半年前だって言ってたよな。どういうことなんだ?」
立松がカップを置く。
「彼女は駆け出しの“大人”だったのよ。つまり、彼女を“覚醒者”にした、大本の“大人”が古宮高校に潜り込んでるってこと」
なるほど、理解できた。ちょっと脱線かもしれないけど、気になっていたことを聞いてみる。
「それで、あの時『それを排除するのが私たちの役目』って言ってたっけ。私“たち”ってことはつまり、学校には立松の他に、えと、“掃除屋”?がいるのか?」
……あれ? なんか、あからさまな溜め息をつかれた。
「あのねえ……。そういう古典的なボケ、やめてくれない?
――私がそのセリフを言った時、その場に誰が居た?」
そんなの思い出すまでもない。立松と、倒れた高峰と――、
「……俺?」
「そう。『独りで“大人”を退けた』名執クン」
いや、確かにそれはそうだけど、ちょっと待ってくれ!
「あれは死にもの狂いで抵抗したからなんとかなっただけであってだな!」
「いいのよ、それで」
立松がキュウリスティックをつまんでかじり始める。
「普段の名執クンが鈍いことは私も知ってる。だからこそ、非常時にあそこまで力を引き出せるのが稀有な才能と言えるのよ。いい? “覚醒者”と戦うのは非常時。その時だけ彼らと五分にやりあえるような力を引き出せれば十分なの。その点で言えば、名執クンはこれ以上無い適材よ」
半分かじられたキュウリが皿に戻される。くそっ。簡単に言ってくれやがって。
「そんなこと言われたって、そんなんじゃいつ死ぬかわからないだろ!」
「私は、今だっていつ死ぬかわからない状況にいるわ」
――――。
そうだ、この少女は既にそういう世界に居るんだ。
「それを……やめることは、できないのかよ」
「できない」
わかってはいたが、即答だった。
「誰に強制されているわけでもない。けじめとして、彼らを根絶するまでやめるわけにはいかないの」
「けじめって……何のだ?」
「……教えてあげない」
拗ねてみせる立松。追求しない方がよさそうだ。
しかし、参った。非現実的な話を聞きすぎたせいで頭が混乱している。
――彼女の力になりたい。俺は確かにそう思う。
ただ、――俺が割り込んでしまったからだが――まだ彼女の敵についてわからないことがいくつかある。
まずはそれを聞いてみることにしよう。答えを出すのはそれからでも遅くないだろう。