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――朝、独りの食事と一人の家族。

変わらないものは無い。

由利也自身も、それを取り巻く環境も。

少女も、少女との関係も。


変わっていく。

そして、悲しくも不可逆。



――第2章「変容」

 けたたましい目覚まし時計の悲鳴で目を覚ます。

 窓から差し込む日の光に思わずちょっと顔をしかめる。

 泣き虫の時計は、いつもより三時間遅い午前十時半を指している。


 泣き止まし、体を起こし、深呼吸。

 さあ、今日も気だるく心地良い一日が始まる――。


 洗面所に行き、まだ寝ぼけた様子の顔に活を入れる。

 顔をタオルで(ぬぐ)った後、就寝中ヘアバンドで後ろに追いやっていた前髪を下ろす。

 ……ちょっと伸びすぎな気もする。


 水で(ゆす)いだ歯ブラシを口に突っ込み、居間に戻りテレビを点ける。サッカー日本代表がW杯に向けての国際親善試合で惨敗とのニュース。

 ま、いつものことだ。それでも、前回あれだけの健闘を見せた以上、国民の大半は今回にも期待していることだろう。

 ――――。

 スポーツニュースの後の、「今日は日本全国どこも快晴でしょう」なんてテキトーすぎる天気予報を見ながら、ぼんやりと物思いに(ふけ)る。


 休日に出かけるなんて、いつ以来だろうな。

 四月までは和輝のやつと遊んでいたはずだから……それでも一ヶ月ぶりくらいか。

 昨日散々混乱させてくれた分、あの正体不明の少女にはしっかり色々と説明してもらわないとな。

 ……なんて言ってるが、彼女に会えるのが嬉しくて仕方なかったりする。しかしまあ、惚れっぽい俺とはいえ、いくらなんでもゾッコンすぎるだろう。相手は彼氏持ちだというのになぁ。

 それでも、うーん……楽しみなものは楽しみなのだ。



 今は朝とも昼とも言えない時間帯。そんでもって、昼には待ち合わせがある。ブランチは軽食で十分だろう。

 食パンにハムを乗せ、さらにスライスチーズをかぶせたものをオーブントースターに突っ込む。いわゆる一つのハムチーズトーストというやつだ。

 ……ん?チーズが上だからチーズハムトースト?

 それともチーズを乗せるなんてありふれてるし、これでやっとハムトーストと成るのか?


 ……なんてことを考えているうちに、チン、と景気の良い音が鳴った。



 そう、なにを隠そう俺は一人暮らしをしている。

 一応保護者は三佳さんなのだが……、おっと、昨日の連絡を三佳さんに入れなきゃならないんだったな。

  「チーズとハムを乗っけた食パンを焼いたもの」は空ききった腹にいとも容易く飲み込まれ、もう1枚同じものを作ろうと決めてから、俺は電話を手に取り、掛ける。



「もしもし、おはようございます。由利也です」


『わかってるよ。で、何の用?』


 相変わらずの様子で安心すると共に、この扱いの悪さにはやはり凹まされる。


「実はちょっと、昨日学校で問題を起こしてしまいましてですね……」


『まーたか。懲りないね、アンタ』


「面目ないデス……」


 この人が名執 三佳(みか)さん。俺の叔母であり、現在の保護者である。


『で、何しでかしたのさ』


「廊下で人とぶつかって、怪我させました。完全に事故なんで、保護者に連絡だけしておけと」


『ふむ。はいよ、了解しました。それくらいなら、まあよし。他に何か困ってることとか、あるか?』


「いえ、十分良くしてもらってますし」


 ふっ、と、受話器の向こう側で三佳さんがあきれたように笑うのが聞こえる。


『いい加減、一人暮らしには慣れたか?』


「やっと って感じですね。初めの一年は朝起きることすらままならなかったですよ」


『ははは、目に浮かぶよ。それを毎日叩き起してた私の努力も今更ながら買ってほしいものだ』


 高校に入学した当時、俺は三佳さんと二人で暮らしていた。

 その時から三佳さんに甘えきった生活をしていたのだが、その年の夏、俺がとんでもないことをしでかしてしまったせいであわや勘当という状況にまで発展。

 一人で勝手に生活しろ、という条件の元なんとか許されたのだった。


 実を言うと、今回の電話はそれから初めての三佳さんとの会話ということになる。


「お金も十分使わせてもらってますしね。今は何の不自由も無いです」


 光熱費や食費プラスその他諸々の出費は全額三佳さんの口座から勝手に頂戴している。

 元々は急に一人暮らしをさせられたことへのささやかな反抗のつもりで始めたことだったが、今はもう完全に習慣になってしまっている。……真性の穀潰(ごくつぶ)しだ。


 ふぅむ……、と三佳さんが唸る。


『それのことだが……アンタ、金使いすぎじゃないのか? 私自身あまり消費しない(たち)だから別に構わないんだが、何に使ってるんだ? あんな額』


 うっ。痛いところを突かれる。何って……自炊が面倒でやたら外食を繰り返したりとか……。

 「これは保護者から俺への小遣いなんだ」と自分に言い聞かせて毎月一定の(結構な)額を引き出して、テキトーに使ったり貯金したりして……そうそう、最近パソコンを買いました。

 ほんっとダメなヤツだなぁ……俺って……。


「いやー……俺も育ち盛りの男子ですから食費がかさんでかさんで……」


『そうか。それはいいがプロバイダの月額の請求をこちらに回すのはやめてほしい。金は使っていいから支払いだけでも自分でやってくれ』


 はぅあッ!? 俺はそんな初歩的なミスを!!


「……スンマセン。……マジスンマセン……」


 三佳さんのあきれた様子のため息が耳元で吐かれる。


『いやいや。あの母にしてアンタ在りだ。慣れているさ』



 ――――。



「三佳さん。……母さんの具合は?」


『いいや、ダメダメだね。そりゃ、前よりはマシになったとはいえ、婆ちゃんと私でほぼ付きっきりさ。まだアンタとは会わせられそうにないね』


 今までの話の流れで勘違いされていたかもしれないが、俺の実の母親は死んだわけじゃない。

 ただ、四年前からずっと体調を崩していて、一向に善くなる兆しが見えないだけだ。

 ちなみに、父親は俺が小さい頃に出ていってしまったので、いない。名執姓なのもそういうわけだ。

 そんなわけで三佳さんは母さんの看病を婆ちゃんに任せ、家族のいなくなった俺と二人暮らしをしていた。


その後俺に一人暮らしをさせるようになった背景には、母さんの世話が婆ちゃん一人では間に合わなくなったという事情もあったようだった。


 話によると、今は母さんの具合も一応の落ち着きを見せ、三佳さんも日中は働きに出ているそうだ。

 ちなみに彼女は一流企業で働くバリバリのキャリアウーマンで、その収入の多さは共有している俺が一番よくわかっていたりする。

 しかしながら、仕事と母さんの看病の忙しさに追われて恋愛だなんだといった方面には全く手が伸ばせないようで、当時まだ三十歳になったばかりだったにも関わらず既に「一生独身」を覚悟していた。


 それが俺には心苦しくて、前に一度「卒業したら俺が一人で母さんを看病する」と言ったことがあった。そしたら三佳さんは、


 「若いキミが輝かしい未来をふいにすることはない」


 なんて、笑って済ましてくれた。まぁ、その優しさは三年前の出来事で失われてしまった気がする

が……。




『――なんにせよ、アンタが元気だってことがわかってよかったよ』


「え?」


 しばしの沈黙の後で、虚を突かれた。


『いくら喧嘩したからといって、二年以上も連絡を寄越さないってのはやりすぎだろう。伴侶も子供もいない私にとってアンタは三人しかいない大切な家族のうちの一人なんだ。たまに元気な声を聞かせてくれでもしないと、いくら私だって気が滅入るさ』


 ぐうの音も出ない。どうやら俺はまた知らないうちに家族に辛い思いをさせてしまっていたようだ。


「――ごめん、三佳さん。今度から、積もる話が雪崩にならないうちに連絡を入れるよ」


『ふっ。まあいいさ。というか、私なんかに構うより早くガールフレンドの一人でも作ったほうがいいんじゃないか? アンタのことだ、大方まだ独り身といったところだろう?』


 うっ。


『そういえば、キミのお姉さんはいつも『ユリヤくんのもとにはいつか必ず素敵な女の子がやってくるんだ』って言ってはばからなかったな。――――で、どうなんだ?』


 三佳さんはわりと楽しそうにくつくつと笑っている。そんな話をされて、ようやく思い出した。


「実はこの後、一時に駅前の喫茶店で女の子と待ち合わせてたり」


『……冗談だろ?』


 確実に語弊があるが、人を小馬鹿にするドSさんにはちょっと敗北を味わってもらったほうがいいだろう。

 勝ち誇る俺。受話器の向こうで ふむぅ、と唸ってばかりの三佳さん。


「っと、もう十二時前だ。支度しないと」


『そうだな。もし万が一その()との仲に進展があったらその話を聞かせてくれ』


「はっはっは。いいでしょう。それじゃ三佳さん、お元気で」


『キミもな』



 電話を切る。さて、急がないと本気で遅刻するかもしれない。

 俺はトースターにパンとチーズとハムをセットして、着替えを始めた。

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