心の解れ
私はレオ殿に手を引かれるまま出された椅子に座らされ、レオ殿は棚を漁って薬瓶をいくつか取り出している。冷え込んだ身体に暖炉の温かさが染みる。
私は手に息を吐きながら擦り合わせ、彼の支度を待つ。
「手を出せ」
と向かい合って置かれた椅子に座ったレオ殿は、手のひらを上に向けて差し出す。私はおずおずとその上に右手を向き合わせておくと、瓶から取り出した軟膏を私の手に塗る。
「部屋の掃除も、ナイフの手入れもものすごく助かっている。ありがとう」
彼は薬を塗りながらそんなことを言った。私は傷に染みるのを手に感じながら、何か会話せねばと…いや、別に無理に話す必要も無いのだが、自分のやったことを褒められた私はひとり舞い上がっていた。
「レオ殿は私と同じくらいの歳の頃に見えるが、この家に一人で住んでいるのか?」
「今年で20になる。一人暮らしだし、こんな僻地では滅多に人と会わないからな。お前に聞かれるまで歳なんて忘れていた」
「では私のひとつ上になるのだな。私の兄上と同い年だ」
「兄がいるのか?」
「あぁ、異母兄弟だが、兄上はお優しい方だった」
「そうか…」
そこですっと無音の間ができてしまった。しまった、調子に乗ったと思った。出会ったばかりの私の兄上の話などつまらないだろう…。
レオ殿はどちらかというと無口な方だ。自分から話し出すことがあまりない。夢の中で見たレオ殿と私はもう少しにこやかで、会話も楽しんでいるように見えた。
(私は話すのが下手だな…)
「───別に無理に話そうなんて思わなくていい」
驚いた。彼は私の考えていたことを言い当てた。
「レオ殿は心が読めるのか!?」
「違う、顔に出ていたから…そう思っただけだ。お前は顔に出やすい」
「それは…すまない、その、レオ殿が嫌いな訳では無いのだ。ただ…」
「分かっている。俺もそうは思っていない。俺が会話下手なのは自分でも分かっているからな。親父殿には『お前は無愛想だな』とよく言われたものだ」
レオ殿は私のもう片方の手を向いてくいと顔を少し上げ、薬を塗っていないもう片方の手を差し出せと合図する。私もそれに従って、左手を差し出した。レオ殿は再び瓶から指で軟膏をすくって塗り出す。
「失礼でなければ、親父様はどちらに?」
「5年前に病で死んだ。と言っても血は繋がっていない。生まれてすぐ森に捨子にされた俺を拾って育ててくれたのが親父殿だった」
「…すまない」
「何を謝ることがある。親父殿の事はさほど気にしていない。俺を拾った時で既に60歳を過ぎていたから、天寿だろうと俺は思っている。捨子のことも、親父殿が死んで1人になった時は恨んだこともあったが今は分別もついてるし、思うことはあまりない」
そう語るレオ殿の顔は、ナイフを見つめていた時より増して懐かしむような、悲しいような、そんな顔をしている。本人は大丈夫と言っているが、私もつくづく気の利かない人間だと嫌になる。
掃除している時に見つけた家具も、ナイフのJのイニシャルのものも彼と親父様の2人の思い出だったのだろう。だから家具には埃も被っていなかったし、ナイフを見つけた時に懐かしんだのだろう。
「…よい親父殿だったのだな」
「そう言ってくれるとあの人も草葉の陰で喜ぶ。──ほら、塗り終わった。夕食は俺が作るから、今晩はお前はもう水に触らずそっとしておけ」
レオ殿はそう言って席を立ち上がって、暗くなってきた部屋に蝋燭を灯し、料理の支度を始めた。
───私は今日一日の彼の行動と発言を通じて、彼を仲間にすることを半ば諦めかけていた。彼はこの家での暮らしに満足しているし、家にも土地にも暮らしにも愛着があるのだ。無理にその暮らしから引き剥がすようなことは無粋だと感じた。
人には人の生きるべき道と場所がある。
あの夢は神のお告げなどではなく、単に私の生み出した妄想だったのだろう。
そうして小一時間ほどで、レオ殿が持ち帰ってきた穴兎のシチューが出来上がった。私は席に座ったまま料理をする彼の背中を見ていた。暖炉の影に照らされた背中はしっかりして見えて、私などより遥かに人として逞しく生きているように思えた。
私たちは食卓を囲み、私が神に祈りを捧げている間、彼も黙って待っていてくれる。一応洗礼は親父様から受けているらしいが、祈りを食前後の祈りを強制されたことは無いのだという。
「そういえばレオ殿、この辺りに魔物は出ないのか?」
「出ることは出る。西の山には入り組んだ洞窟があって、そこから湧き出る魔物が時折この辺りにも降りてくる。なぜそんなことを聞く?」
「いや、料理が下手な私が出来る恩返しは、魔物を倒して素材をレオ殿に渡すことくらいのものだ。何か出来ることをしたいのだ。それか、私の身体を……」
「……いや、その先はいい。そういうつもりはハナから無い」
ハナから無いなどと言われて、安堵を感じると共に、女としての尊厳も傷つけられた気もする。私を異性として見れないのだろうか?実際、女が流れ着いて、何もしないなんてことがあるのか?それとも、単なる強がりなのだろうか?
「…………顔に出てるぞ」
「……そんなことない」
大きなため息が聞こえる。私ではない、レオ殿の。
「身体を大事にしろと言っただけだ。別にひとり山奥に暮らしているからと言って街の獣たちと俺とを一緒にするな」
全てバレていた。
レオ殿は続ける。
「───魔物を狩るのなら好きにして構わない。魔物と言っても大抵ゴーレムのなり損ないやゴブリン程度のものだ」
「承知した。……そう言えば今、初めて会話の中で名を呼んでくれたな。これからも私のことはお前ではなくアシュリーンと呼んでくれ」
私がそう言うとレオ殿は少し困ったような顔をする。曰く、人を名前で呼んだことはほとんどないと言う。それでも呼んでくれと言うと、アシュリーン、と少し小さな声で気恥しそうに呼ぶ。仏頂面ばかりしているイメージだが、こういう所は可愛いところもあるのだなと意外に思う。
こほん、と咳払いをしてレオ殿が間を区切る。
「……それと、魔物の出る場所を教える代わりにふたつ条件がある」
少しだけ真剣な顔をしたレオ殿が私の目を見る。
「なんだ?」
「そう難しいことではない。ひとつ、魔物狩りに俺も連れていくこと。ふたつ、俺に文字を教えてくれ。多分、お前は元は高貴な身の生まれだろう」
その言葉に私はぴくっと反応する。まずい、と思った。レオ殿を信用はしているが、貴族を捕まえて身代金を要求したり身ぐるみを剥がして殺してしまう山賊も多い。例えそうでなくとも、単身では犯罪に巻き込まれることも───
「そう恐れるな。殺すつもりならとっくに殺してしまっている。元よりそのつもりもない。」
レオ殿がそう言うので、私はほっとして話に耳を傾ける。シチューの湯気が舞立つ。
「貴族に会ったことは無いが、俺の親父殿も元はそういう身分崩れだったと聞いた。お前の食事や言葉遣いの所作は親父殿によく似ている。だからアシュリーンもそうだと思った。
───部屋を掃除してくれたアシュリーンは気付いただろうが、棚の中の本は親父殿の遺品だ。親父殿は生前『文字が人を不幸にする』と言って終ぞ文字を教えてくれなかった。どころか、本にすら触れさせて貰えなかった…。親父殿の過去に何があったのかは分からない。義理の親父殿でも、亡くなってしまった今、俺は唯一の家族のことを知りたい」
話し終わったレオ殿はコップの水を一気に飲み干すと、頭をわしわしと搔いた。
「文字を読めない俺が言えることではないが、難しいことでは無いと思う。どうしてもと言うなら無理にとは言わん。金が必要なら払う。頼む…」
そう言って机に手をついて頭を下げるレオ殿を見て、私は慌てて静止する。命を助けられて、ただで養ってもらっている私が頭を下げられるのでは本末転倒だ。むしろ頭を下げるのは私の方だ。
「やめてくれレオ殿!文字ぐらいいくらでも教える!文字を高価なものかなにかかと勘違いしておられないか?」
「……違うのか?」
「あぁ、貴族の子なら2才から習う者もいる。よほど貧しくない限りは農民の子でさえ、教会で10の頃には教わるのだ」
「そうなのか…。親父殿が毛嫌いしていたから、文字は禁術や特権の類だと思っていた」
「そんな事は無い。世界に共有すべき人類の叡智だ」
「しかし2才か…ふふ、では俺は大きな2才児だな」
2人して笑う。レオ殿は肩の荷が降りたように、シチューをひとくち掬って口へ運ぶ。
「ん、冷めてしまったか」
「話し込んでいたのだから仕方あるまい。私は冷めたのも好きだぞ」
「そういう問題ではない。客人にそんなもの出せるか」と、私の皿を半ば強引に取り、熱々のものと入れ替える。
私がスプーンでそれを掬おうとしたところ、シチューの表面が揺らいだ。次の瞬間、家中の家具やものがカタカタと音を立てて微かに揺れ始めた。それ以上は大きくならなかったが、体感にして10息刻程だろうか。継続して微細に揺れていた。
「レオ殿、今、揺れが…」
「ここ数週間ずっとこんな感じだ。たまに揺れる。だがそれ以上大きくもならんし、すぐに収まる。気にしなくていい」
「そういうものなのか…?」
「この辺りは地盤が強いから、地震なるものが起きても耐えられると親父殿は言っていた」
レオ殿の説明に一抹の不安を抱えないでもなかったが、鼻に香るシチューの美味しそうな匂いとその見た目に食欲が負けて、私の腹の虫が鳴った。昨日に続いて恥ずかしい。レオ殿にはしたないと思われていないだろうか。そうは言ってもお腹は空くので、食事をいただいた。
レオ殿は「早速明日から授業、を頼めるか」と言ってきたので、私は快く承諾した。もとよりやることは無いし時間だけは有り余っているのだ。
そうして寝る頃にはすっかり揺れのことなど忘れて、明日の授業は何を教えようかなどと色々考えているうちに、意識が遠くなっていった。
「よい夜を。アシュリーン」というレオ殿の声が聞こえた気がした。




