♯08 悪魔が去ったこの街で
「……色々とすみませんでした。迷惑をかけてしまって」
あれから数日たったある日の事。
雨宮さんの体調も元通りとなり、元気に学校に通っている。
「別に良いよ……僕は何も出来なかったし」
あの時、雨宮さんが意識を取り戻したのが偶然なのか、僕の叫びのおかげなのかは結局所は分からない。
天宮寺さんは僕が何かをしたと言っていたが……今はそんな事どうでも良い。
誰も死ななかった……その事実に僕は安堵した。
「あの……天宮寺さんは?」
「分からない。あれから会えてない」
悪魔を追って病院に消えて以降、天宮寺さんは姿を消した。
学校に来ていなく、転校三日目にて不登校扱いとなった。
彼女は悪魔を追ってこの街に来たと言っていた。
ならば悪魔が消えた今、この街にはもういないのだろうか?
「……私が何か?」
そう思考を巡らしていた所で声。
相変わらず冷たく、その顔は無表情。
良い思い出など一つも無く、むしろ忘れたい位のその人物の顔を見て――何故だかほっとした。
◆
「……何をしている?」
悪魔を追って病室へと入った天宮寺は悪魔にそう尋ねた。
「……約束を果たしに来ただけじゃ」
悪魔の側には、一人の男性がベッドで眠っていた。
もう意識を取り戻す事はないだろうと思われていた雨宮由紀の父親。
そんな男に悪魔は腕か脚か分からないソレを伸ばす。
「殺すつもり?」
殺気と冷気を込めた声を天宮寺は悪魔へ突き刺す。
それと同時に鎌も。
「ふはは……殺してしまっては約束が違うじゃろうが」
力を失った悪魔にとって今の状況は絶対絶命のはず。
だと言うのに、悪魔は笑う。
「わざわざお主が手を下さぬとも、我は直に消える」
魔力の不足。
何故ならこの悪魔……ブエルには魔力を供給する為の契約者がいないのだから。
「……消える?」
その言葉に納得がいかなかった天宮寺が訝しむ声を発する。
「我は呼び出されただけで契約などしとらん。由紀との間にあるのはただの約束だけじゃ」
数日前、獅子の悪魔ブエルは雨宮由紀によってこの世界に呼び出された。
だが、本来ブエルは偶然召還出来る悪魔ではなく、儀式を用いて呼び出す上位に位置する強力な悪魔。
召還するには膨大なエネルギーを要し、そんなモノは身体の弱い由紀には無かった。
結果、呼び出す事が出来たのはブエルの意識だけ。要するに召還は失敗。
肉体の無い状態ではいくら強大な力を持つ悪魔でも満足に力を使えない。
由紀は父親を助ける為にブエルの声に応じた。
願いを聞いてやるから、自分を其方の世界に呼び出してくれ……その言葉に縋ったのだ。
だから由紀はブエルを実体化させる為にエネルギーを集める事にした。
エネルギーとは即ち気。
人だけでなく全ての生物を生かし動かす源。
それを意識だけのブエルにも召還出来る、魔力の少ない下級悪魔に大気中や植物から吸収させた。
生物……特に人間から集めるの方が効率が良いのだが、それは最悪死を招く。
そんな行為が出来なかった由紀は、ブエルを実体化させる為に地道に気を集めるしかなく、挙げ句自らの気を何度も費やした。
気を消費し過ぎて身体が限界に達しても尚、由紀は諦めず気を集め続けた。
そしてこの日無意識の内に吸収した佐伯望の気により、ようやく此方の世界と悪魔の世界……二つの世界の壁に穴が空き、そこから魔力が由紀に流れ込んだのだ。
そうして魔法陣が浮かび、正式にブエルの召還を果たした――が、強引な召還の為、ブエルは理性を失い暴走した状態で姿を現し、あの始末となった訳だ。
「……契約をしていない?」
契約とは魔力を供給する為の道筋を固定する事だ。
召還した時点では、瞬間的に悪魔の世界と繋がっただけで時が経てばその繋がりは消えてしまう。
先程までは召還した際に出来た一瞬の繋がりにより魔力を供給していただけ。
なんせブエルが真の意味で召還されたのはついさっき。
契約など結べる訳が無いし、そもそもブエルにもそんな気は無い。
何故ならブエルはこの世界の様子をただ見たかっただけなのだから。
留まる意味など無く、目的が成された今ここにはもう用は無い。
後は自分を呼び出してくれた少女との約束を果たすだけ。
そうブエルは突きつけられた鎌を気にする事無く、一人の人間を救う為に、少女の願いを叶える為に自らに残された魔力全てを用いて力を使う。
ソロモン72柱の一柱ブエル……その力は治癒。
あらゆる病気をも治して癒す。
ブエルの手足から放たれる光が眠る男を包み込み、身体を癒やしていく。
それに伴いブエルの身体は粒子となり、霧散していく。
「さらばじゃ……人間よ」
そして魔力を使い切ったブエルはこの世界から姿を消した。
それを天宮寺は動けず見送った。
行きどころを失った鎌は仕舞われる。
理解不能。
悪魔を憎み悪魔を殺す為だけに生きる死神には、ブエルの行動が理解出来ない。
人を破滅に導く悪魔がどうして人を救うのかと。
あの忌まわしき存在が……絶対悪が――何故。
その時、彼女の中にあった確固たる意志がほんの少し揺れ、病室の窓から姿を消した。
◆
いつもの屋上。
まあ、いつもと言っても三度目だけど。
授業と授業の合間の昼休み。
数日ぶりに登校してきた天宮寺さんは相変わらず孤立していた。
暗く冷たい空気を纏う彼女には誰も近寄ろうとせず、目をそらす。
正直なところ、彼女の不登校にほっとしている人も何人かいたんだ。
それぐらい彼女は異質だった。
そんな異質な存在は常に僕の後ろにて、今は屋上で目の前にいる。
「あなたも消えて欲しかった?」
「……さあ、どうなんだろ?」
生きていて欲しいとは思ったけど、いざ実際に会うと二度と現れて欲しくなかった気もする。
「まあ、悪魔がこの街でいなくなっただけで取り敢えずは眠れる様にはなったよ」
それでも自分の周りだけは取り敢えず大丈夫なんだと誤魔化して日々を過ごしている。
いつまた悪魔が現れるか分からないけど、さすがにそう何度も現れなだろうと……そうやって無理やり以前通りに生きようとしている。
「……勘違いしているようだけど」
けれど――狂った歯車は戻らない。
世界が異常だという事実は変わらない。
「この街の悪魔は消えてないわよ」
僕の日常は戻ってこない。
彼女は悪魔を殺す死神。
数時間前彼女を見てほっとした自分は馬鹿だ。
彼女がいる限り悪魔は――異常はすぐそこにあり続けるのだから。