♯20 こうして僕は終幕を迎える
刃を素手で……手の平で受け止めたと言うのに血の一滴も流れない。
刃の先端が皮膚に触れた所で止まり、身に刺さっていないのだ。
ナイフを覆う黒の魔力も僕には通じない。
この様子だと、心臓を突き刺されて死ぬってのも不可能そうだ。
……まあ、無傷の代わりに、寿命の包帯が少し燃え尽きたけど。
「おいおい坊主よぉ、どうしてここに来た? ……いや、そもそも何故来れた?」
蛇の悪魔は、舞台に乱入して来た僕を訝しむ様な目を。
予定を狂わされたせいで面白くないのか、先程までの不快なテンションも静まっている。
……しかし何故来たかだって?
そんな事は僕も知らない。
もしかしたら、今飛び出せばさっさと死ねるかもと思ったのかもしかれない。
ただ言えるのは、じっとしていられなかったと言う事だけだった。
マルティーニさんの時に似ている。
無意識に、いつの間にか、気がついたら走り出していた。
ただ観ているだけで何も出来ない自分がも恨めしくて、このまま起きる最悪を観たくなくて。
詰まる所、いくら冷めた振りをしようが無関心装おうとも……僕は弱いのだ。
目の前で起きる死を、自分のエゴで見捨てる事が出来ない。
死を許容出来ず、怖くて不安で、観ていられかった。
今逃げたら一生後悔すると、そしてそんな自分を責めながら死んでいくのだと……頭で誰かが囁いて止まなかった。
そんな中僕は、色々な思考を全て放り出し舞台に駆け込んだ。
……要するに何も考えていなかった訳だ。
だから今は自分の行動と決断にちょっぴり、かなり後悔。
胸はバクバクと破裂しそうで、膝はガタガタと崩れそうで、情けないったらありゃしない。
けどそんな情けない僕でも、一人の死を防げたのならば……ほんのちょっと救われる。
僕の死は無駄にはならないのだ……と。
「……なあ、悪魔。お前は何故人を殺す?」
いつか言った僕の言葉。
『真実に意味は無く、真実は求めるべきではない』
真実を知ってしまえば、目を逸らせなくなる。
例え逸らせたとしても、真実の重みを背負う事は避けられない。
真実を知らなければ、余計な苦悩も、余計な決断をしなくても済むと言うのにも関わらず。
「ひゃはは、そんな事を知る為にわざわざ死に来たのか? いひひ、おもしれぇ」
……だと言うのに、僕は今余計な質問をし、余計な真実を知ろうとしている。
「い~ぜ、教えてやる。まぁず、オレは今まで人間を殺した事はねぇ」
調子の言い感じで応える悪魔。
「……なんだと?」
これに反論したのは僕ではなく天宮寺さん。
僕の後ろで血を流しながら痺れた様に身体を動かせずにいる。
マルティーニさん同様。
もっとも、マルティーニさんが発言も許されていないのに対し口は動かせるようだ。
……おそらくこれは悪魔の仕業だろう。
だからこそ僕の乱入にも驚いた。
ホント……不愉快だ。
「オレは今までも何度か喚び出されているがなぁ、オレは何もしていねえ。今回だって殺したのは全部祐治だしな。いっひひひ」
「何が何もしていないよ……全部キサマら悪魔が唆し操っているんでしょうが!」
動けぬ身体で叫ぶ天宮寺さん。
今まで見たことのない目。
冷静さを失い怒りの……感情の篭った目。
「いひひ、だからそれは勘違いだって。オレは望まれたから力を与えただけぇ。これは祐治が望んだ事ぉ。この世にのさばっている悪人を全てて殺してやりたいってなぁ」
「な……」
「ついでだから面白い話してやらぁ、いひひ。昔々ある所に正義感溢れる少年がいましたぁ。その少年は警察官だった父に憧れ、日々勉強や体力作りり勤しんみ十五に成った。そしてその冬……少年の父親は死にました。突然家に押し入ってきた何者かに殺された。いぃや、父親だけでなく母親も妹も皆少年を除き殺された。命からがらに助かった少年はその犯人を捕まえてくれと警察官に懇願した。するとその警察官はなんて言った思う?」
「ひゃははは、『この事件は父親の起こした一家心中として処理される』だってよぉ。いひひ、少年は犯人を見てるってのによぉ。人間ってのはつくづく愚かで愉快な生物だ。ひゃっはっは」
「……黙れ」
暗く、冷たく、殺意の声。
「ちなみに事の真相はこうだ。一家を殺したのは、父親が捜査していた組織の一員。しかもその組織は警察と繋がりがあってなぁ、逮捕出来ず関わるなと上から命令されていた。それでも正義を信じる父親はマスコミにそれを流そうとしら。んで、目障りだから殺された。母親や妹は口封じとして巻き込まれた。そして警察は事件を闇に葬り去り、見事に少年は正義に失望したって訳だぁ」
「黙れって言ってるでしょ!」
死神の叫び。
けれど悪魔は語りをやめない。
嗤いながら愉快そうに続ける。
「そして時は流れ今から約一カ月前、他人を信じないまま十年以上を生きた少年は、偶然家族を殺した犯人を見つけた。のうのうと笑って生きていた仇をなぁ」
悪魔は悲劇を喜劇のように面白おかしく嗤いながら語る。
「そして心の中で叫んだ。殺してやりたい。父が母が妹が……家族が死んで、何故奴が生きているんだ。法で裁けぬなら、警察が正義でないなら、自分がこの手で殺してやるとなぁ!」
誰でも分かる事だ。
この少年が何者で誰なのか。
「そうして、オレはその声に応えた。力を与えた。そうして祐治は望み通り仇を殺し、その後も法で裁かれていない悪を殺し続けた。まあ、今は魔力にやられて正気を失ってるがな。もう、祐治の目には悪しか映らない。悪だけを見て、悪だけを殺す。これが祐治の望んだ事だ。感謝をされはしても恨まれる筋合いはねぇ」
「キサマ……」
「いひひ、このくらいにしておくかぁ。お前達のおかげでそれに楽しめたしなぁ。祐治一人では嬢ちゃんには適わないと思ってメヒィストをつけてやったが、まさか吸収するとは思わなかった。さすがは似た者通しだ。最高に楽しめたぜぇ」
殺人鬼を生み出した張本人。
悲劇を嗤う悪魔。
「ひゃははは、今度こそ本当にヒィナーレだ、祐治ぃ!」
悪魔の声で、動きを止めていた殺人鬼が再び動き出し――止まる。
「おいおい何してやがる祐治」
殺人鬼は動かない。
悪を裁く断罪者は動けない。
「……僕が断罪の対象外だって言ったのはお前だぞ、悪魔」
震えた声で挑発するように言う僕。
自分でもこんな状況で、こんな事を言える事に驚きだ。
……まあ、痛みも何も感じないせいかもしれないけど。
それに事実だ。
殺人鬼は断罪者であり、それ以外は殺さないと。
悪しか見えないだって?
それが望みだって?
僕は殺人鬼を見る。
焦点の合わない目、生気の無い目。
殺す為だけに、悪意だけが存在する世界に身に置き、狂って尚生きる殺人鬼。
これが……こんなモノが――
「すいません。少し――退いてください」
僕はナイフの刃を持つ方とは逆の手で拳を作り振り構えた。
素人の無茶苦茶な構え。
普通ならこんな鍛えてもいない素人の拳なんて作るだけ無駄だ。
効くはずがないし、逆にこちらが怪我を負うかもしれない。
だけど――今は普通じゃない。
僕も普通じゃない。
僕は目一杯の力を込め殺人鬼を殴り飛ばす。
その身を守る黒い魔力の壁も関係なく、問答無用に。
どこに当たったのかは分からないが、殺人鬼はナイフを落として倒れた。
そして動かない。
「……はぃ? ちょっと待て、何が起きた? 何故ただの拳が利く? 今の祐治はメフィストの純粋な魔力を纏っているんだぞ?」
ついさっきまで余裕にしていた悪魔が取り乱す。
純粋な魔力であろうと何だろうと僕には利きはしない。
……包帯は一周ほど燃えたけど。
残りは三周とちょっと。
身体の崩壊を告げる頭痛がまた襲ってくる。
それでも……僕は倒れない。
蛇の悪魔を睨んで、足を向ける。
「……何をする気?」
そして、一歩踏み出そうとした時に静止する声が聞こえた。
僕は黙って立ち止まる。
「あなた……理屈は分からないけど魔力とかを打ち消せるんでしょ? なら私を動けるようにして。そして下がりなさい」
実際は打ち消すのでは吸収。
確かに僕が天宮寺さんに触れでもしたら、彼女を悩ませている麻痺も解けるかもしれない。
でも――
「……今動いたら傷が悪化する」
天宮寺さんは未だに止血をしていない。
ナイフに……しかも魔力を纏った刃で刺されて無事なはずがない。
無理してしなれたんじゃ、僕が出てきた意味が無くなる。
そうなったら死んでも死に切れない。
「馬鹿なのあなた!? そうしないとあなたが死ぬって言ってるの! あなた死ぬのが怖くないの!?」
「はは……死神にそれを言われるとわね」
死を司るはずの死神に、死を恐れず悪魔に立ち向かう死神に。
「怖くない訳なんてある分けないよ。怖くて不安で、本当なら全てを投げ出してにげたい気分」
「なら……!」
「……でも出来なかった。僕は誰かが死ぬのを見てみぬ振りなんて……」
それなら、もうすぐ死ぬ僕がその役割を請け負う。
ぼくは傷なんて負わないし、ダメージは喰らわないから。
「それに……僕は――あいつが気にいらない」
僕の視線の先にいる蛇の悪魔。
殺人鬼を生み出し、悲劇を嗤う不快な悪魔。
「じゃあね、天宮寺さん、マルティーニさん」
後ろの天宮寺さんと、少し離れて痺れて動けずにいるマルティーニさんに挨拶をして僕は歩き出す。
精一杯格好をつけてみたけど、声は震え裏返り台無しだった。
手と足が同時に出たり、全体的に動きが強張っていたり。
情けな過ぎて泣けてくる。
「はは……ただじゃ死んでやるものか。お前も道連れにしてやる」
「ひゃはは、お前に何が出来る。祐治に一撃喰らわせられたのは偶々だ。そうでなきゃ有り得ねぇ!」
蛇の悪魔は余裕そうに振舞うが、何かに怯えてるようにも見える。
怯えるって何にだ?
もしかして……僕?
はは……もし本当にそうなら笑えるな。
こんな情けない僕に悪魔が怯えるなんて。
そんな風に考えていると――蛇がこちらを睨んだ。
悪魔の右手に存在する蛇。
その蛇が口を開き、そこから紫の煙が筒状となって放ってきた。
「いひひ、ひゃっはっは……少しでも触れれば死に至る毒の霧。それを喰らえばどんな奴でもひとたまりも――」
凝縮された毒の煙。
それを僕は一身に受け止める。
普通なら目は染み、咳で咽せ、とっくに死んでいるのだろうけど……僕は平然と立っていた。
まるで何事も無かったかの様に。
……まあ、その代わり包帯が二周半燃えたけど。
残りはほんの半周。
いよいよ死はすぐそこ。
「……おいおい、どうなってやがる? 何で効いてねぇんだ! 何で死んでねぇんだよぉ!」
「……さあ?」
どうしてこんな力が僕にあるのかは分からない。
単なる不幸なのかもしれない。
今まで僕は普通の人生を歩んできた。
……いや、歩んでいたつもりだった。
ただ気づいていなかっただけ。
どうせなら一生気づきたくはなかった。
何も知らないまま普通に生きて、普通に死にたかった。
けれど、現実はそうもいかなくて――こうして異常な状況で異常に死のうとしている。
「ひゃはは、ふざけるなよぉ。祐治! オレが命じる! こいつを殺せ!」
悪魔が叫ぶ。
そして、その叫びに呼応する様に、倒れていた殺人鬼が立ち上がる。
ゆらゆらと、黒の魔力を纏い、落ちたナイフを拾って。
そして一直線に走り――刺した。
「……はぁ? おい、何してやがる祐治!?」
殺人鬼が刺したのは僕ではなく悪魔。
当の悪魔は訳が分からず喚いている。
「……簡単な話だ、悪魔。断罪者はお前を罪人とみなしたんだよ」
人の不幸を嗤い、今はまさに僕を殺そうとしている。
そんな『悪』を殺人鬼は許さなかった。
殺人鬼はその『悪』に屈せず、自らの信念を貫いた。
「ひゃはは、何だよこれ。こんなはずじゃ……こんなはずじゃあ――」
僕は拳を今一度作り――
「じゃあな……悪魔!」
全力を――僕の全てを拳に乗せる。
そして悪魔を――殴り伏せた。
悪魔に触れた瞬間、悪魔を構成する魔力が身体に流れ込んでくる。
腕に巻かれた包帯はもう燃え尽き灰と成った。
身体が――自分が崩壊していくのが分かる。
蛇の悪魔の断末魔が聞こえる中、僕は身体から光を漏らす。
溜まりに溜まった気を漏らし、それでも尚僕の身体は魔力を吸収し続ける。
悪魔を構成する魔力全てを呑み込もうとしているかの様だ。
悪魔はやがて粒子となり、僕の身体へと溶け込んでいく。
……殺人鬼がそうした様に。
「はは……どうしてこうなったんだろうな」
悪魔の姿が消え去ると同時び内に凝縮された気が溢れて――弾けた。
光が辺り一面を覆おうと広がって行く。
それは純粋な光。
ダメージなど誰にも与えず、世界をただ照らす。
そうして僕は――観劇を終えた。
どうも、ここまで読んでいただきありがとうございます。
この話で第三章が終わりです。
長くかかりましたがようやくここまで書くことが出来ました。
実は、この第三章まではまだプロローグの様なもので、次話からが本編のつもりです。
投稿までは、もう少し時間がかかるかもしれませんがよろしくお願いします。
あと、次からはタイトル通り主人公にスポットライトを当てたいと思います。
佐伯望はここまでの導入役お疲れ様でした。