♯19 舞台で踊る黒と黒
魔力を身体から溢れ出す異形の悪魔。
その黒い竜の姿をし二の足で立つ悪魔は、耳を塞ぎたくなる様な激しい雄叫びを上げ街へ響き渡った――気がした。
大気が震えるのを肌で感じはしたものの音は聞こえない。
「いひひ……安心しな。コレが聞こえないって事は、お前は裁きの対象外ってことだからよぉ」
不快な声。
不穏な言葉。
本能がこの蛇の悪魔を拒絶し、僕は耳を塞ぐ。
そんな事をしている間も、事態は進んで行く。
ブエルをも超える巨体の黒い竜は、腕を振り上げ天宮寺へと叩き落とす。
その一撃は、研ぎ澄まされた様に速く重い。
天宮寺が咄嗟に反応し鎌で防御しても――呆気なく破られ、鎌ごと地に叩きつけられた。
アスファルトで出来た地面がひび割れ、辺りが揺れる。
吼える竜を前に死神は有無も言えずに地に伏っした。
それを見たマルティーニさんは、叫びながら右手の短剣から光の筋を放つ。
その光に黒い竜は一瞬ぐらつき――足で大地を踏みつけ揺らす。
この黒い竜の悪魔は、以前この街に現れた緑の熊や犬の騎士の様な下級の悪魔とは明らかに格が違う。
その上、黒い竜は始終目を血走らせ喉を唸らせている。
つまり召喚されたばかりの時のブエルと同じ理性を失った暴れるだけの獣。
ブエルに適わなかった天宮寺さん。
その天宮寺さんに、命を賭けなければ勝てなかったマルティーニさん。
勝ち目は薄い。
現に押されている。
ホント……死にたがりだ。
理解出来ない。
そもそも、二人は確か敵対していたはずなのにいつの間に共闘する仲になったんだか。
そう言えば折原も二人セットで探していたし、僕が目を逸らしている内に何かあったのかもしれない。
……まあ、僕にはどうでも良いけど。
どうせ僕は二三日もすれば、この世にいないんだからさ。
この異常な世界で勝手に戦い死ねばいい。
髪から水滴が滴ってくる。
……全く気にもしてなかったけど、雨が降ってたんだな。
光を遮る様に空を覆う雲。
そこから零れ落ちる無数の水の雫。
それが身体を、地面を打ち付ける。
それでも僕は何も感じない、
水の冷たさも、雨に打たれる感触も。
全て僕は呑み込み無かった事にする。
そんな異常な僕は冷めた目で物語を観劇する。
雨が降る中も黒い竜は炎を吐き、二人を攻めている。
水をも蒸気に変える炎……それを僕が喰らったら死ぬんだろうか?
それともやはり生きてしまうんだろうか?
腕に巻かれた四周半の包帯。
これが全て燃え尽きた時、僕は死ぬ。
逆に言えば、この包帯が燃え尽きるまでは死ねない。
一抹の希望として、心臓を貫かれるってのはあるが、実際の所これも上手くいくかはわからない。
……そう言えば、あの殺人鬼はどこへ行ったのだろう。
蛇の悪魔に話しかけられたせいで見失ってしまった。
「……なあ、悪魔。お前は殺人鬼を知っているのか?」
さっきの口振りからするとその様に感じた。
そして、その事に違和感を感じた。
何故悪魔が殺人鬼と言えど、一人間の行動を理解しているのかと。
「いひひ……そりゃあ知ってるぜぇ。なんせオレはあいつに喚ばれてこの世界に来たんだからなぁ」
パチリと何かが嵌る音が聞こえた。
バラバラに散らばっていたピースが一つ繋がり大きな絵と成っていく。
あの殺人鬼が召還者?
全て異常が悪魔で繋がっている。
「……じゃあ、あの黒い竜は?」
「アレはオレが呼び寄せた。人間の言う使い魔ってやつだ」
僕の問に答えると悪魔は再び不快に笑い出す。
あれが使い魔?
以前の熊や犬と同じ?
……とてもじゃないがそうは見えない。
熊や犬を一斬りで殺した天宮寺さんも苦戦を強いられている。
黒の鎌鼬。
光の一閃。
それらを喰らっても尚、黒い竜は暴れ続ける。
ブエルの様に無傷な訳ではない。
むしろ、攻撃をいくつもまともに喰らったせいで傷だらけだ。
それでも黒い竜は雄叫びを上げ、二人に……いや、天宮寺さんに攻撃を振るう。
よく観察してみると狙いは天宮寺さんのみだ。
マルティーニさんは眼中に入っていない。
ひたすらに天宮寺さんだけに爪を、炎を放つ。
「いっひひ……あのメヒィストが裁きに失敗し、返り討ちか。笑えるなぁ」
いつの間にか僕の隣にいる蛇の悪魔が言葉通り笑う。
……嗤う。
馬鹿にする様に、面白がる様に。
舞台の外の観客席で嗤ってる。
そして舞台の上では、天宮寺さんが、マルティーニさんが黒い竜に斬り返し――黒い竜は背から地に倒れた。
天を仰ぐ黒い竜は、それでも聞こえぬ雄叫びを上げる。
「勝っ……た?」
息を切らすマルティーニさんさんが、ぐらつく天宮寺さんに尋ねる。
そうとうダメージを負ったのか、立っているのがやっとと言った感じだ。
「……まだよ」
そんな天宮寺さんは……死神は鎌を持って前に進む。
そして、黒い竜に向けてトドメをささんと振り下ろす。
「ひゃっはっは、坊主! よーく観とけよぉ。これからが本番だからなぁ」
黒い竜を葬らんと放たれた鎌は、目標まで達せず宙で止まる。
悪魔を殺す死神の鎌。
それを止めたのは――人を殺す殺人鬼だった。
「あなたが契約者?」
死神はそう問うが殺人鬼は答えない。
そして、殺人鬼は自ら助けた黒い竜にナイフを突き刺した。
予測不能で理解不能。
殺人鬼が何をしたいのか分からない。
……分かりたくもないけど。
見える殺人鬼は、暗く狂った目をしていた。
正しく狂人。
その狂人の刺したナイフで、黒い竜は灰となり身体を消失させていく。
何度か見た悪魔の最後。
だが、今回は――少しちがった。
黒い灰は未だ消えずに、殺人鬼の周囲を待っている。
そして――消えた。
殺人鬼に吸い込まれる様に。
溶け込む様に。
「悪魔を……取り込んだ?」
マルティーニさんが驚きの声をあげる。
目の前に立つ殺人鬼の成した狂気の沙汰に。
通常人は悪魔に触れる事は出来ない。
何故なら、その悪魔の持つ魔力に堪えられず身体が崩壊してしまうから。
だと言うのに、殺人鬼は立ち続けている。
契約者であるが故に魔力に耐性があるのかもしれないが、それでも殺人鬼の行動は正気とは思えなかった。
そして殺人鬼は――
「……コロス」
そうとだけ言って、死神にナイフを向けた。
殺人鬼と死神……黒と黒のぶつかり合い。
殺人鬼の身体は黒いオーラの様なモノで纏われており、死神の身体は黒いローブで纏われている。
共に魔力からなる黒。
その拮抗する黒を先に歪ませたのは殺人鬼。
血で輝きをとっくに失ったナイフを構えて一直線。
死神の心臓へと向かい、それを死神が防ごうと鎌を振るう。
「いひひ、片や悪魔を取り込んで全開、片やぼろぼろの瀕死。どんなショーを見せてくれるのかねぇ」
ナイフと鎌が打ち合いを始めるが、誰がどう見ても死神の劣勢。
このままではやられるのも時間の問題。
「ワタシを――忘れるな!」
黒と黒の間に光が割って入る。
光の双剣が殺人鬼を狙う――が、殺人鬼は気にも留めず死神と打ち合いを続ける。
黒の魔力が光を消し去る。
殺人鬼は止まらない。
「……コロス」
機械の様にそれだけを口にしながら。
――コロス
――コロス
――コロス
――コロス
その言葉が頭の中で何度も繰り返される。
やがてその言葉が――ナイフが死神を突き刺す。
赤い雫が雨に混じって零れ落ちるのが見えた。
赤い赤い人間の血だ。
殺人鬼はナイフを抜き、死神……天宮寺さんは膝から崩れる。
血を流しながらも地に倒れる事無く刺した殺人鬼を睨み上げる。
「て……天宮寺ぃぃぃ!」
マルティーニは叫び声をあげ、光の短剣を持って殺人鬼に立ち向かう。
しかし――魔力の壁に阻まれダメージを与えられない。
殺人鬼はやはりマルティーニさんなんていない様に、さっきの黒い竜の悪魔と同じく天宮寺さんのみを殺そうとしてる。
「いっひっひ、ようやくオレの出番だぁ。じゃあなぁ、坊主」
殺人鬼がトドメをさそうとしている中、蛇の悪魔が不快に嗤いながら……僕を馬鹿にしながら隣から消えた。
そして気づくと――舞台の上にいた。
「ひゃはは、久しぶりに面白い見世物だったよ。」
「悪魔がもう一体……」
「さてさて、せっかく観客もいる事だし、ネタばらしでもしようかねぇ」
蛇の悪魔はニタァと背筋の凍る笑みで僕を見る。
そして、悪魔が手の平で待てと命ずると、殺人鬼は停止した。
いつか聞いた悪魔の傀儡。
契約者は自我を失い、悪に操られる。
「まず気になってるだろう、何故こいつ……祐治やメフィストががこの子しか狙わなかったのかから始めようかぁ」
「この――」
べらべらと面白おかしく、挑発する様に喋る蛇の悪魔に斬りかかろうとしたマルティーニさんの動きが止まる。
そして痺れた様に声も出ない。
「まあまあ、話は最後まで聞こうよねぇ。……で、タネは簡単。祐治もメフィストも――断罪者だからだ。ね、天宮寺詩乃ちゃん?」
あの天宮寺さんを『ちゃん』づけ。
人をとことん小馬鹿にし、全てを見透かしたような目が天宮寺さんに向けられる。
「初めてお前が人を殺したのはいつだった? どんな気分だった? なあ、自分の父親をその手で殺してどう思った? いひひ、ひゃっはっは」
今まで以上に大声上げて嗤う悪魔。
不快で耳障りで耳を塞ぎたくなる。
けれど――悪の言った言葉が気になって出来なかった。
天宮寺さんが自分の父親を……殺した?
確かに天宮寺さんは非情な死神だ。
だが、彼女が殺すの対象はあくまで悪魔。
そして、道を踏み外してしまった契約者。
なら、彼女の父親も契約者だったんだろうか?
その時も非情で冷たい目をしていたんだろうか?
「さて、舞台もフィナーレといこうかぁ」
悪魔が手をかざすと、殺人鬼が再び動き出す。
マルティーニさんも、当の天宮寺さんも動けない。
動くのは殺人鬼だけ。
そして嗤うのは悪魔だけ。
「いっひっひ……復讐者も断罪者も結局は同じだな」
殺人鬼のナイフが死神の心臓目掛けて落とされ――それを防ぐ。
だれも動けないこの異常な舞台で……同じく異常な僕がナイフ手で受け止める。
「はは……」
痛みなんて感じはしない。