♯01 この世界には神も仏もいるらしい
日が照る朝。
窓から差し込む光がいつも以上に眩しい気がする。
そんな窓を通して僕は外をぼんやりと眺める。
八塚高校の校舎の三階。
そこに存在する教室の内の一室の窓から見える景色はいつも通り。
誰もいないグラウンドがあるだけ。
そんな何も無い景色を眺める理由は全く無い。
敢えて言うなら、授業が始まるまでの暇潰しなのだろうか。
一分かはたまたそれ以上の時間を潰した後は、またなんとなく教室の中に目をやる。
そこに広がるのはやはりいつもと変わらない当たり前の風景。
一人で読者をする者もいれば、友人との会話を楽しんでいる者もいる。
そんな何の変哲も無い日常。
昨日の出来事は、やはり夢だったんだと主張するには十分な程にいつも通りだ。
あんな異常は有り得ない。
有ってはいけない。
そう思いながらも、何度も頭を過ぎる昨日の記憶がやけにリアルで嫌になる。
あの鎌に貫かれて意識を失い再び目を覚ました時、僕は何も無い公園で倒れていた。
頼りない蛍光灯と嫌に明るい月が僕を照らす中、そこには鎌を持った彼女の姿も、悪魔な熊も見当たらなかった。
幻の様に跡形も無く。
その事実に、あれは夢だったのだろうかと自分を納得させようと脳が処理を始めて――すぐにあの光景が脳裏に浮かぶ。
鮮明に、焼き付けられた様に。
脳はあの異常な出来事を忘れさせてくれない。
悪魔と呼ばれた緑の熊の化け物と、それを斬り殺した死神と名乗る少女。
そんなファンタジーなモノを否定する事を拒絶する。
あんなモノは有り得ないと……アレは夢なんだと。
理性がアレを否定しても尚。
でも僕はそんな記憶認めない。
アレは夢。
そうに違いない。
記憶が否定しても僕はそう思い込む。
現にあの死神の彼女自身も夢だと言っていたんだ。
夢の登場人物が、自ら夢だと告げるのというのも奇妙な話だとも思うが、そこはあまり深く考えないのが正解だと思う。
合理的に考えろ。
常識に囚われろ。
現実を見ろ。
そう自分に言い聞かせて無理やり納得する。
つくづく人間ってのは、自分に都合の良いように解釈出来る便利な生き物だなとちょっぴり自嘲気味。
けれどこれが正常な思考だと思う。
あんなファンタジーな記憶を信じる様な奴は素直に病院に行けばいい。
「なに、ボーとしてんの?」
思考にすっかり浸っていたせいで五感を機能させる事を忘れていた僕の耳に聞きなれた声。
ハッと意識を戻し、声の聞こえた方に首を向け目を向ける。
そこにいたのは隣の席の友人、折原。
「……ちょっと、今日見た夢のことを思いだしてただけ」
言葉にする事で真実なのだと思い込む手法。
僕はその夢の中身を軽く語ってみた。
面白おかしく、荒唐無稽な話しを。
「へぇ、面白い夢だね。漫画とかでよくありそう」
ああ、ホント冷静に考えれば考える程にフィクションだ。
しかも、ベタすぎて漫画で出ても売れなさそうな位陳腐だし。
「どうしてこんな夢を見たのかさっぱり。疲れてたのかな?」
それでいきなり倒れておかしな夢を見た。
「夢は記憶の整理だって言うから、多分漫画とかアニメで見たものが混ざったんじゃないかな? 偶にそう言う事ってあるらしいよ」
「なるほど、納得」
うん、やはり折原に話してみて正解だった。
折原はいつも冷静に物事を分析してくれる。
知識も豊富で頼りになる、さすがは生徒会副会長と言った所。
「あ、そうそう。そう言えば佐伯は聞いた?」
「聞いたって何を?」
いつに無く意味真そうに言う折原。
こう言う時はいつだって何が有る時だ。
ちょっと気になる。
「それがさ……二年に転校生が来るんだって」
「転校生?」
二年と言ったら、うちの学年。
全部で五クラスだから、もし転校生が来るとしたら五分の一の確率。
「うん、職員室の前を通りかかったら、木村先生と曾根田先生がそんな感じの話をしてたよ。もしかしたらボクらのクラスかも」
確かに学年主任の木村とうちの担任である曾根田がそんな会話をしていたのなら、可能性は高くなるな。
そして何よりも折原の『もしかしたら』は良く当たる。
しかし転校生か……。
今は五月の中旬。
そもそも高校で転校生自体少ない上に、少々中途半端な時期の転校生に珍しさと好奇心を覚える……が、同時に脳の片隅で警鐘が鳴っている。
所謂、嫌な予感。
例えば……そう例えばだ。
これが漫画やアニメ等の創作ならば、あの彼女が転校して来るみたいな出来過ぎたご都合主義な事態が起きる所だ。
物語が始まるプロローグ辺りで、そこから僕はその物語に巻き込まれてしまう。
……まあ、あくまで創作だったならだけど。
現実では、そんな事は有り得ない。
この世には、神も仏いやしないんだから。
そんな都合良く都合の悪いことは起きやしない。
「……あ、チャイム鳴ったし席に着かないと」
チャイムの音が鳴り響き、折原は席へと戻る。
……隣だけど。
チャイムが鳴り終えると、入れ替わるように扉がガラッと開く音。
いつも通りの始まり。
担任の曾根田はいつも時間調度に教室に入ってくる。
チャイムが鳴る寸前まで扉の前で待機でもしてるのではないかと疑う程、一秒たりとも遅れたことがない。
これは八塚高校七不思議の一つとして密かに噂されていたりもする。
他の六つは知らないけど。
まあ、何はともあれ僕は正直一安心。
いつも通り、教室に入ってきたのは曾根田一人。
つまり転校生はいない……もしくは別のクラス。
どうやら杞憂ですんだらしい。 折原の『もしかしたら』が外れるとは珍しい。
ほっと胸を密かに撫で下ろそうとする僕を他所に曾根田は難しい顔をして立ち止まった後、廊下に足を戻す。
そして――『おお、こっちだ』と叫ぶ。
すると『すいません、道に迷いました』と廊下から女生徒の声。
どこかで聞き覚えのある声。
何故か額から流れ落ちる冷たい汗。
そして教室に、曾根田と共に女生徒が姿を現す。
「はは……」
僕は誰にも聞こえない小さな声で笑う。
どうやらこの世には神も仏もいたらしい。
そしていつの間にか陳腐な物語が僕の知らぬ所で始まっていた。
……出来過ぎだ。
これもまた夢なのだろうか?
夢で誤魔化させてはくれないのだろうか?
試しに、縋るように頬抓ってみたけど成果は無し。
悪足掻きは何の意味も成さず、事態はどんどん進行して行く。
女生徒は曾根田に促され壇上に上がり自己紹介。
僕の両の目は、その女生徒の顔を捉えて離さない。
離れてくれない。
服装こそ違うが――間違い無く彼女。
見間違いではない。
昨日の夜公園で悪魔を殺した自称死神。
夢の中の登場人物でしかなかったのだと思い込もうとした彼女。
「天宮寺詩乃です。家庭の事情により、こんな時期の転校となってしまいました。趣味は読書です。以後よろしくお願いします」
当たり障りの無い挨拶。
軽く礼をすると、黒い髪が揺れた。
そして顔を起こした彼女は、あの暗く冷たい目で教室を見渡し――止まった。 その視線が捉えるのは僕。
その為、先程から彼女を見つめる事を止めれない僕の目とぴたりと合う。
その瞬間冷気が一層増し、昨日の記憶と重なる。
「うむ、天宮寺はあの窓側奥の空いた席に座ってくれ」
そうして、彼女――天宮寺さんは曾根田の指定する席……つまり僕の真後ろの席へと。
一歩一歩と近く足音が耳に響く。
僕は彼女が通り過ぎるのを、俯いて自分の机を見ながら待ち、後ろでガタガタと椅子を引いて座る音を聞く。
そして……沈黙。
音が消え去り、背後から感じる無言のプレッシャー。
心臓が無駄に鼓動し、胃には穴が空きそうな勢い。
落ち着かない。
不安だ。
少なくとも転校生が来てワクワク気分って感じではないのは確か。
「やあ、はじめまして。ボクは折原雅志」
そんな僕の隣に座る折原が天宮寺さんとコンタクトを取ろうと試みる。
……止めておけばいいのに。彼女に関わっても百害有って一理無しなだけだと思う。
「そう、よろしく」
淡々とした口調でそれだけを言うと再び沈黙。
「で、こっちは佐伯」
それを折原は良しとせず、僕を手を向ける感じで紹介。
その間も僕の視線の先は机。木目を数えだしそうだ。
「…………そう」
少々間があった上に、よろしくすら無い。
「うーん、もしかしたらなんだけどさ。天宮寺さんと佐伯って知り合いだったりする?」
その言葉に天宮寺さんがピクリと反応した……気がした。
見えないから分からないけど。
「どうして?」
突き刺す様に鋭い声。それだけで心臓が止まりそうだ。
だが、それでも折原は気にせず話を進める。
「いや、さっきから二人とも意識し合ってる気がしたからさ。ほら、自己紹介の時も見合ってたでしょ?」
相変わらずの鋭さ。
目が合ったのもほぼ一瞬だったと言うのに。
洞察力が優れているのか、勘が良いのか……まあ、両方だろうな。
今回だって見事に――
「気のせいよ。彼とは今が初対面だから」
「…………え?」
思わず振り向いた。
僕の視線は机から天宮寺さんへ。
僕の両の目はしっかりと天宮寺さんの姿を目視。
見た目も身に纏う雰囲気も全てが昨日の記憶のまま。
だと言うのに……気のせい?
「ハァ、ハァ……ぎりぎりセーフ」
混乱に陥った僕の脳を刺激する様に、無駄に勢い良く扉を開けて教室に入ってくる男が一人。正直煩い。
だけど、息が詰まりそうな緊張した空気が見事に吹き飛んだ事には少し感謝。
流石空気の読めない事に定評のある男だ。おまけに遅刻の常習犯でクラスのお騒がせ者。
ちにみにだが、確実に遅刻、アウトだ。
「おっはー、望……って誰だ?」
相変わらず陽気な雰囲気を纏った火野が僕の後に座る天宮寺さんを指差す。
「転校生の天宮寺さん」
「なにっ、転校生! マジか!」
「マジだって、現にいるんだし」
無駄に元気。
無駄にオーバーリアクション。
「俺は火野大地。よろしく」
火野は右手を天宮寺さんの前に差し出す。
「……よろしく」
対して天宮寺さんは、無表情で素っ気無く挨拶をするだけ。
差し出された手はスルー。
火野はしばらくその格好で固まった後、気まずそうにゆっくりと手を引いていった。
この空気をどうしてくれるんだと、火野に言いたい。
昨日の事は夢なのかどうかなんて聞ける感じではない。
シーンと言う音が聞こえそうだ。
……結局この空気はチャイムが鳴り、曾根田による科学の授業が始まるまで続いた。