72、戸惑い
昼時のホテルの女性スッタフ用トイレで白井は寿沙彩からかかってきた電話に出た。
「ご、合コン!?」
『そ。うちの職場の女性社員が誘ってきて、私行きたく無いから夏希行かない?』
「な、なんで私・・・!?」
『なんでって・・・夏希、まだ悩んでるでしょ。もうそろそろ忘れなさいよ。自分のためにも相手のためにもならないよ。なんでも期間は有限なんだから』
「うぅ・・・」
まさか合コンに誘われるとは思っていなかった。この前、水瀬が合コンに行くと聞いてモヤモヤしていたのに、今度は自分になるとは。正直、行きたくはない。せっかく寿が誘ってくれたのに、彼氏が欲しいのに、行く気になれなのは水瀬に気持ちが向いているから。
『・・・行きたく無いんでしょ、わかってるよ』
「沙彩・・・」
『でもね、私たちもう二十六だよ。あんたなんか数日後には二十七。三十路も遠くないの。わかってる?』
「わかってるよ・・・でも・・・」
『・・・まぁ、そう急がなくていいから考えておいて。日時は十月十九日だか』
「・・・うん、わかった」
まさかの話に驚きながらも悲しみが込み上げてくる。合コンに行きたくない理由なんて自分が一番わかっている。それでも水瀬に告白ができないのは自分が意気地なしだから。つくづく水瀬に告白したあの女性が羨ましい。
「・・・馬鹿みたい」
今にも泣き出しそうな腫れた目が鏡に映る。ハッとした白井は指で無理やり口角を上げた。こんな姿を誰にも見られるわけにはいかない。ホテリエのプライドにかけて、悲しい表情など白井の顔にあってはならないのだ。
仕事モードに切り替えた白井はトイレを出て、いつもの仕事に戻った。
* * *
その頃、午後勤務の水瀬は少し早めに来て支配人部屋に来ていた。
「支配人、ソムリエの試験に全て合格し、資格を取得いたしました」
「・・・まじか」
「はい」
実は水瀬は密かにソムリエの資格取得のための試験をしていたのだ。そして最近、そのすべての試験に合格し、ついに協会から認定されたソムリエの資格を取得したのである。
「証拠です」
証拠と言って水瀬が出したのはソムリエ認定証とブドウの形をあしらった金色のバッジだった。聶園もこれと同じ認定証とバッジを持っている。
「これでうちにはソムリエが二人いるのか・・・」
「そういうことになりますね」
ソムリエの試験というのはとても難しいものである。とはいえ医師国家試験や司法試験に比べれば簡単なものである。しかし、仕事をしながら膨大な範囲を詰め込むなど並大抵ではできない。水瀬がソムリエの試験を受けると水瀬がホテルに就職してすぐに言い出した時には支配人鈴木は正気の沙汰かと疑ったほどだ。だが今になると「取得して当然だな」と呆れてくる。なんせ水瀬は元々空港税関になろうとしていた男だ。法律もいくつか知っているのだろう。
「まぁ、これで堂々とワインセラーの管理ができるな」
「はい」
水瀬がソムリエの資格を取得した、というのは喜ぶべきことなのだが、鈴木はどうも水瀬が心配でならなかった。これ以上、水瀬の仕事が増えるのか、と不安でならない。また倒れられても困る。
「水瀬、資格を取ったのならもう宿泊業務はしなくていいんだぞ。ソムリエとして雇われればいいだろう」
確かにそうである。
このホテルには晴れてソムリエとなった水瀬とバーテンダー兼ソムリエの聶園がいる。つまり、ソムリエを本業としている者がいないのだ。普通ならソムリエはソムリエとしてソムリエの仕事だけをすれば良い。それがホテルである。
「いえ、現在の仕事もこのまま続けさせていただきます」
「・・・ならバーでのバイトはせめて・・・」
「いえ、やめません」
この堅物は!と思いながら水瀬の動かない表情に鈴木は困った顔をした。
「ただな、業務時間が・・・」
「心配いらないでしょう。ちゃんと八時間労働に収まっています」
「・・・それは知っている。が、休みが・・・」
「一週間に一度丸々休暇があります」
「・・・そうだな・・・」
完全に敗北した支配人鈴木。しかも一年前と比べ、新人もたくさん入った。業務の負担は前に比べて軽減されたのだ。
「まぁお前のことだ。支配人の俺であっても誰が言おうとすべての仕事をこなすんだろうな」
「・・・」
「ただな、わかっているとは思うが、頑張りすぎるなよ。また倒れるぞ」
「はい。承知しております」
「頑張る限度を見極めろ」
「承知しました」
ぺこりと会釈をした水瀬は支配人部屋を出た。
「・・・バイト禁止って最初に言えばよかったかなぁ・・・」
昔の自分に言うように後悔をする支配人鈴木であった。
ついに・・・ついに水瀬がソムリエの資格を取得しました!!すごいです!!




