51、救出のメシア
憂鬱な朝がやってきた。アラームなしで体内時計に頼って起きた水瀬は、ベッドから降り、洗面台へ向かった。
歯ブラシをとり、歯を軽く磨いて寝巻きから私服に着替えて、髪を整える。洗濯機を回している間、朝食を作り、十五分で食べ終わる。
洗濯物を干し、弁当を詰め、ニュースをつけた。今日もいい天気である。
ほんの少し、体を動かして目を覚まさせてからまた洗面台へ向かう。洗面台の下の棚からコンタクトを取り出し、赤い瞳に黒いコンタクトを合わせる。
いつもの靴を履いて家の鍵をとり、玄関を出た。眩しい朝日が夏を彷彿とさせる。
気持ちの良い靴の音を立てながらすぐそこのホテルに入った。
「おはようございます!」
「おはようございます」
ホテルにはもう、石川がおり、元気よく水瀬に挨拶をした。今日の予定を確認し、ネクタイを締め、ロビーに出る。朝から暑い夏の日は水瀬は別に好きではない。広々としたロビーで困っている客を見つければ即座に対応をした。
客との話し相手もしばしば、いつもの仕事をこなしながらちょくちょく周りの整備もしていく。
三階に差し掛かったところで微かに高い女の子の声が聞こえた。聞こえる方へ小走りで行くとえんえんと泣く、小さな小学生くらいの女の子を発見した。
「お嬢さん、どうしました?」
水瀬が腰を蹲めて女の子に話しかける。一瞬水瀬の方を向いたがすぐにまた泣き出し、話が通じるような状態ではなかった。
しかし、ここは客室のある階ではない。
結婚式場や会議室など、正式な会場が揃う階である。こんなところに女の子一人ということはおそらく迷子だろうか。それとも、どこかの会議室に行こうとでもして何かあったのか、考えれば考えるほど、いろいろなパターンが組み上がってくる。
ここでこうも考えていても意味がない。今は、この女の子と意思疎通を図らなければならない。
「お嬢さん、私はこのホテルで働いている者です。何かお困りごとがあれば、私に教えてくださいませんか?」
女の子に怖がられないよう精一杯の笑顔を顔に浮かべ、女の子の顔を覗き込んだ。
するとどうだろう。大声で泣いていた女の子がパッと泣き止んだ。そして徐ろに水瀬の顔を涙で赤く腫れた目でじっと見つめてきた。一瞬困惑した水瀬だったが、宮河の娘の朝陽を前にしていると同じようなものと思い、笑顔をキープした。
「これが・・・ママのいういけめん・・・!」
「!?」
突拍子に女の子がつぶやいた。その女の子の目はキラキラと輝いており、本物の朝陽を目の前にしているかのようだった。
おそらく、水瀬の顔面がイケメンだということから泣き止んでくれたのだろう。これをどう対処すれば良いものかと水瀬は大いに困ったが、とにかく女の子に話しかけることにした。
「私は水瀬と言います。お名前を教えていただけますか?」
「・・・みか」
「みか様ですね。今日はお一人ですか?」
「ううん、パパとママと一緒」
「では、お母様とお父様は今、どちらに?」
「わかんない。・・・みかがバカだからまいごになっちゃったの。パパとママ、ゼッタイおこってる!」
うるっとみかの目から涙が溢れそうになる。
「大丈夫。お母様もお父様も怒ってはいらっしゃいませんよ。むしろみか様を心配されているかと」
「・・・ほんと?」
「はい。ですから私と一緒にお部屋へ戻りましょうか」
「・・・でも、みか、おへやの場所、わかんない・・・」
「では、お母様かお父様のお名前はわかりますか?」
「ママはちさこ。ちぃちゃんってよばれている。パパはけんたろうで、けんたっちってよばれてる」
「わかりました」
そして水瀬はみかを抱えてフロントへ降りていった。
フロントの人へ話を通し、三人家族の名前が書かれている名簿を片っ端から開き、けんたろう、ちさこ、みかの名前を探し出した。
「あ、ありました!!0612号室です!」
「ありがとうございます」
一応のため、館内にアナウンスをしてもらい、親には部屋で待つよう指示を言いつけた。万が一、親が部屋から離れて、娘を探し回っていたら入れ違いになる。そのための処置だ。
水瀬はみかを抱えたまま、急いで六階に駆け上がった。
「みか!!」
「ママ!パパ!」
廊下には涙を浮かべたみかの母親と父親がいた。水瀬から降りたみかをぎゅっと抱きしめ、みかを抱き上げた。
「ホテリエさん、本当にありがとうございました・・・!」
「いえ、これも仕事ですから」
ぺこりと父親に頭を下げた水瀬は、安心したのか一気に緊張が解けた。
さぁ帰ろうと足を動かそうとしたとき、急に頭痛が走った。ピタッと動きを止めた水瀬を見た父親は水瀬の異変に気がついた。
「大丈夫ですか?」
そう話しかける。
「あ・・・いえ、大丈夫です・・・」
苦し紛れに歯切れの悪い言葉がポツリと水瀬の口から出た。
痛い
水瀬は健康に悪いような生活をとっていないつもりだった。本当に十分すぎるくらいの健康体の生活をしている。風邪なんて最後にひいたのがいつかわからないほどだ。
父親が何やらやっているので母親とみかも寄ってきた。
体を縮めて激しく波打つ鼓動。頬をつたっていく汗。水瀬も流石に自分の容態がわかってきたが、考える余裕もないほどに苦しい。
「ホテリエさん!呼吸、深呼吸をしてください!」
父親が水瀬に言うが伝わらない。頭がクラクラとしてきて壁に手がついた。父親が支えようとしてくれたが、壁にもたれかかるようにズルズルと力が抜けて崩れ落ちていく。
「千紗子!フロントに電話!!」
「もうしてるわ!」
母親がフロントに電話をかけた。
すぐに数人が駆けつけ、事の状態を把握し、横たわる水瀬を起こした。
「熱はありません。ただ、頭痛と眩暈、動悸が激しいです。風邪の類ではないと思います。症状から見るに、原因はストレスにあるかと。となれば、精神疾患か、疲労・過労の可能性が高いのではないかと」
駆けつけたホテリエたちに父親がスラスラと水瀬の症状を言っていく。
「もし、持病をお持ちであればわかりませんが、知っておられますか?救急車も呼んでおいたので救急隊員に話していただけると助かります」
「水瀬さんは持病は持っておられないと思いますが、一応、詳しい方に聞いた方が良さそうですか?」
駆けつけたホテリエの中に白井もおり、水瀬を心配そうに見つめながら父親と話している。
「そうですね、それがいいと思います」
「わかりました」
ここで、白井の脳裏に浮かんだのは宮河だった。白井はポケットの中からスマホを取り出した。
連絡帳から宮河恭介を探し出し、すぐに宮河に電話をかけた。
『もしもし』
宮河はすぐに電話に出てくれた。
「宮河さん!!助けてください!」
『夏希ちゃん!?』
白井が電話をしている最中、水瀬は客に知られないよう、こっそりと一階へ運ばれていった。
『暁が倒れた!?まじかよ・・・』
「それで、水瀬さんが倒れた原因とかってわかりますか?」
『いや、あいつ、健康体だし、持病もない。持ってたことだってない。食中毒でもないようだし・・・あるとしたらストレスだろうな』
「やっぱりストレスなんですか?」
『・・・まぁ、昔、いろいろあったしなぁ・・・』
「?」
よくわからないが、宮河がこうも濁した発言をしたのだ。何か大きなストレスを感じるような過去でもあったのだろう。
『とにかく、すぐ俺も行くから、病院に行くんならその病院、教えてくれないか?』
「ホテルから一番近い病院のはずです!」
『わかった』
しかし、そこで電話は切られなかった。少しの沈黙の後、宮河が白井に言った。
『あいつの付き添いは、夏希ちゃんだけにしてもらえないかな』
「どうしてですか?」
『・・・あいつのためなんだ』
何だかよくわからなかったが、宮河らしくないひどく暗い声だった。これ以上、足を踏み入れてはいけないのだと白井は察した。
「・・・わかりました」
そこで、プツッと電話が途切れた。
ホテルの裏口に停まった救急車に駆け寄り、白井があの三人家族の父親と共に救急車に乗った。あとのことは詳しく倉橋に伝えてある。担架の上で浅い呼吸を繰り返しながら目を瞑る水瀬に白井が話しかけた。
「大丈夫ですよ、宮河さんも私もいますから」
三人家族の父親、健太郎はただ、その状況を静かに見ていた。
メシアって救世主ですよね!?
これで四章を終わります。五章に続きます!!




