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第九九話 灯篭を思い出して

 斉へ向け東へと進む秦軍。垣邑に立ち寄った蒙武は、麗華の許へ向かう。

 同年 咸陽


 秦王は遂に勅を下した。これは彼の大志の第一歩であり、秦王は興奮を隠しきれなかった。

「遂に機は熟した。数年に渡る平和により、民は安泰となった。軍は整い、血に飢えている。よって余は、我が秦軍へ命を下す。国尉白起の指揮に従い、斉を平定せよ!」


 秦王の命令が下ったことで、秦国内の各軍は東へ進んだ。

 宋侵攻の際に武具兵糧や多額の金銭的援助を行ったこと、そして大国の楚や、趙の取り成しもあって、韓と魏は、秦軍の侵攻の為の越境を許可した。

 漢中軍所属の蒙武も、父の蒙驁とともに東へ進んでいた。摎は、公孫綰を討った功績で昇進し、蒙驁同様に五百主となっていた。更に姓を下賜され、楊摎(ようきょう)と名乗っていた。

「蒙武! お前も早く私や父上の所まで昇ってこい! 上で待っているからな!」

「すぐに辿りついてみせます 楊摎殿!」

 軍は秦国東部の駐屯拠点である垣邑で補給をする数日のあいだ、ここで足止めとなった。

 蒙武は部隊の規律を正し、父の蒙驁や楊摎に誇ってもらえるように励んだ。それから、街へ出た。目的地は彼女の店である。灯篭を見たあの日から、彼女のことを一途に想いつづけていた。

 店の中に入ると、あの日と同じように掃除をする彼女がいた。

「蒙武さん……! やっぱり来てくれたのね!」

「当たり前だ……!」

 店の奥から店主が現れた。突然大声で喜ぶ麗華の声に驚いたようだが、入口に立つ蒙武の姿を見て、全てを察した。

 蒙武は、「店主、うるさくして申し訳ない」と詫びを入れた。店主は笑顔で「気にしないでくださいな」といって、麗華へ外で過ごすように促した。麗華は屈託のない笑みを浮かべ、手に持った箒を卓に掛けて、足早に蒙武とともに店を出た。

 それから二人は、積もりに積もった話をした。向かう先は、あの日と同じく、灯篭がある高台である。

「以前ここへ来た時、私はそなたの名前を知った」

「沢山褒めてくれたよね……」

「あぁ。あれからそなたのことを考えない日はなかった。そなたがくれた手紙を読みたくて、字も覚えたのだ。父上に教わって……。私は誇ってほしい一心で奮起し、今は秦の百将となった。異国の文字が読めるほど放浪をした我が蒙家も、もう根無し草ではない」

 だから、私の家に来て欲しい。そういおうと思った蒙武だったが、その言葉だけは、喉で詰まって口まで上って来なかった。

 急に黙り込む蒙武を、横を歩きながら麗華は、覗き込むように見上げた。

 それに気づいた蒙武は、慌てて話題を変えた。

「そなたはなに故、読み書きができるのだろうか。麗華という名を聞いた時もいったが、知性を感じるのだ。もしかしてそなたは……高貴な家の出なのか?」

「私の母は、高貴な家の血を引くみたいです。遠方から命からがら逃げてきた根無し草……。やがてこの地に流れついて、父と出会い結ばれた。大地に根を張って健気に生きているツクシのような父に惹かれたんだって話してくれたわ」

「やはりそうだったのか……」

「母からそんな話を聞いていたから、私も、立派に秦の地で根を張る蒙武さんを……」

 そこまで聞き、蒙武は足を止めた。

「もう日が落ちてきたな……」

「そろそろ戻らなきゃ……?」

「あぁ……」

「そう……」

 この期に及んで、蒙武はまだ、いうことができなかった。

「必ず戻ってくる。そなたに伝えたいことがある故……必ず」

「分かった……。でも……私なんかでいいの……? ってなにいってるんだろ私」

 麗華はなにかを察したようだったが、恥ずかしさからオドオドとした。

 そんな麗華を見下ろしながら蒙武はいった。

「そなたが良いのだ」

「ありがとう」

楊摎(生没年不詳)……戦国時代、天下統一後の秦の将軍。

前257年に西周を滅ぼした。また始皇帝による天下統一後に行われた巡幸に付き従った。

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