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第九二話 宋軍、斉軍を襲う

 城を陥しながら進む斉軍は、宋軍に奇襲される。

 秦王は笑い疲れると、茶を啜った。それから白起へ問うた。

「そういえば、諸国へいくら分武具兵糧を送ったのだ。朝議でもいっておったが、もう一度聞かせてくれ」

「趙、燕へ税一年分。その他へ六ヶ月分、計三年分です」

「高いのう。されど……兵を出さぬなら、そういうものか。そなたは国尉として、軍費の管理も抜かりなく行っている。此度の出費は、秦人の命を一つとして失うことなく、宋の陶邑を含む各地を割譲を要求するという目的がある。つまりは政だ」

 秦王は白起を見ながらいった。

「白起は将兵とは心を一つにしているが、その他の人とは、人付き合いが苦手と聞く。相手の腹の(うち)を探ることなく、優しくされればそれに報いようとする」

 これは、魏冄への当て付けであった。魏冄が白起を懐柔していることに対しての、不満や憎しみを言葉にしたのである。魏冄は茶を濁した。口を開いたのは、白起であった。

「私は政は苦手です。言葉の裏など、どうでも良く、いいたいことがあるならば、端的に分かりやすく伝えるべきです。政は、それをしないので嫌いです。しかしこれは、刃を振るわぬだけで、戦には変わりありません。相手に打ち勝つ為、適切な量の武具兵糧を送るだけです。多すぎれば余計な損害が増え、少なければ命が失われます」

 白起の言葉を聞いた秦王は、「当にそうだ。ハッキリといえば良いのだ」といって、魏冄を凝視した。魏冄は白くなった髭を撫でながら、目を逸らした。

 秦王は、陶邑を手にしたあと魏冄が、更なる欲を満たす為に自分を蔑ろにするだろうと、見抜いていたのだった。



 宋 斉軍


 合従軍の中で最も大軍である斉は、城を陥しながら着々と商丘へ近づいていた。

 合従軍総帥で斉軍総帥でもある韓珉(かんびん)は、軍が快進撃を続けるほどに、不安の色を見せるようになっていった。

「血筋と政治的功績から今回の抜擢を受けたが、私は軍を率いるのは初めてだ。なぜだ……なぜ敵はこんなにも弱いのだ……?」

 韓珉は勘繰っていた。しかし、その勘繰りは、次第に不要なものだと気づき始めた。

「そうか……民が戦を拒んでいるのだな。王の為に命をかけることを拒んでいる。つまり……王の求心力のなさが、国を分解しているのだな……」

 前線から帰ってきた兵の中にいる名も無き少年兵を見て、韓珉は思った。

「我が軍の少年兵は、全身を敵の血に染めてまで戦う勇敢さを持っている。一方宋の少年捕虜は、老いた両親とともに、命あることに感謝し、泣きながら城を出てきた。これが王の違いが生んだ、二つの異なる民の姿というものか」


 返り血を浴びた少年兵の王孫賈は、仲間とともに、戦功を立てられたことを喜んでいた。その時だった。

「敵襲だ!」

「防御陣系を敷け!」

 上官の叫び声が飛び交う。王孫賈は仲間に指示を出し、弓を手に取って、大盾部隊の裏に入った。

「弓兵構え!」

 突然の事態に応じた数百の弓兵が弓を構え、上空へ構える。

「放て!」

 その号令に合わせ、一斉に弓を放つ。放たれた矢は弧を描きながら、重力に従って落下し、襲撃してきた宋兵へ刺さっていく。

 他方でも弓矢による攻撃が行われ、徐々に宋兵を包囲していく。宋兵の逃げ道を防ぐと、開かれた大盾部隊の壁から騎馬兵が走り出し、逃げ惑う宋兵を倒していった。

 少しづつ逃げ出していく宋兵に対し、弓兵はなおも矢を放ち続けた。やがて射程圏外に出た頃、韓珉将軍は「深追い無用!」と叫んだ。斉軍は、華という旗を捨てて一心不乱に戦線離脱を図る敵逃亡兵を、見逃す判断をした。

「あの方角には燕軍がいる。奴らが蹴散らしてくれるだろう」

 韓珉は笑いながら、野営地の幕舎の中へと戻っていった。

韓珉(生没年不詳)……戦国時代の韓の人物。別名は公仲珉、韓聶、韓量。

紀元前286年、斉軍を率いて宋を滅ぼした。

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