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第九一話 宋桀

 合従軍の楚も、南側より宋へ侵攻する。

 その頃秦では秦王が、近い将来に宋同様に滅ぼされるであろう田氏の斉国を、嘲笑っていた。

 合従軍の中で唯一、宋の南側から侵攻する楚軍。その軍を率いるのは、将軍淖歯であった。

「北方の友軍より報告! 燕、趙、魏、韓の軍が敵の襲来に遭うも、いずれも撃退したとのことです!」

「分かった。戻れ」

「御意!」

 行軍中、淖歯は、一度たりとも敵軍の攻撃に遭わず、目的地の商丘まで、最も早く接近していた。

「妙だな……なに故、斉だけが襲われておらぬ。まさか対秦合従軍よろしく、これも茶番か?」

 その問いに答えたのは、配下の季良だった。

「それはないでしょう」

「此度の合従軍は、宰相の(くつ)(げん)様も賛同しておられました。あの方は、先を見通せる真の賢人。先の懐王様が秦へ向かったおりも、初めから罠と疑っており、果たして懐王様は秦の地で薨去されました。そして先の対秦合従軍を否定して、果たして、合従軍は蘇秦の解散宣言で呆気なく解散しました」

「使った軍費は、全くの無駄であった。十年のあいだに幾度も七雄が合従し、天下の均衡が乱れている今、宮廷は、屈原様の王佐の才に頼る形で、ようやくまとまりを見せてきた。その屈原が参加を強調したということは、この戦には旨味があると見て良い……ということだな」

「左様でございます。令尹(れいいん)として、屈原様は当に当代きっての知者にございます」

「この戦で結果を残し、地団駄を踏んだ時間を払拭するしかないな。地方の有力者による下らない権力争いなど、飽き飽きだ」

 そういって淖歯は、自らの太い指で、毛が一本もない頭を叩いた。

「日差しが強いな。北方の日差しは、楚国の首都たる(えい)程暑くわないと思っていたのだがな」

 淖歯をはじめ、楚の兵は皆、南方の出身。顔の堀が深くて色黒であった。

 季良は、淖歯の頭を眺めた。髪がない人を、見たことはある。しかし将軍という高官がそういう髪型だというのを、はじめて見た。

「将軍のその髪型は……特例なのですか。普通は、孝行の一環として、親から貰ったこの身体から自然と生える髪も、親同様に大切にし、自然の赴くままに伸ばすものです。髪を切るというのは、自身の体を傷つけることになるからです」

「私とて、髪を伸ばせるものなら伸ばしたい。日差しが暑いからな」

「失礼しました……」



 秦 咸陽


 秦王は宮殿の中で、丞相魏冄、国尉白起と茶を啜りながら、宋の地へ思いを馳せていた。

「今頃、大多数の宋の地は、我が合従軍の手に落ちたのではないか、丞相」

「きっとそうでしょう。宋は人心が離れており、風前の灯火でした。民も王の為に戦わず、合従軍に味方するでしょう」

「良い良い。実に良いぞ。宋王の戴偃(たいえん)は暴君である夏の桀に(なぞら)えて、宋桀と呼ばれるほどの暴君だ。悪人を成敗してやるのだから、民が我らに味方せぬはずがない。……それにしても、斉王田地(でんち)は愚か者よのう。夏の暴君と同じく(てい)を号し、軍を発するとは……」

「秦王様は賢明にも、位を王に戻されました故、天下の物笑いとはならずに済みました」

「そうだ。西帝として合従軍に参加したが、その後すぐに秦王として、武具兵糧を各国に提供する旨を伝えた。夏の帝桀や東帝とは違い、余は帝ではないからなぁ! はぁ……暴君がいた夏を滅ぼした殷も、暴君が即位し周に滅ぼされた。そしてその周も、周より九鼎を受け継ぎ、德が高まった正当なる我が秦国に、いずれ滅ぼされる」

「宋王を手に掛け、周の真似事をする(でん)(せい)は、夏や殷、周と同じく、次の強者に滅ぼされる運命にあるのです。東帝は自ら、その死地に足を踏み入れているのです」

 魏冄の悪趣味な冗談に、秦王は高笑をした。酒が入っているのかと疑うほど、陽気に笑う秦王に、魏冄は恐れをなした。

屈原(生:前343年1月21日頃〜没:前278年5月5日頃)……中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。楚の王族で、戦国時代を代表する詩人。

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