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第八七話 蒙武、公孫綰を討つ

 司馬錯は公孫綰へ降伏勧告をする。司馬錯は公孫綰に死んで欲しくはなかったが、秦将として、尚も降らない公孫綰を打ち取る為に攻撃命令を下す。

 司馬錯は成都に籠城する蜀候を前に、難儀していた。

 ともに巴蜀の統治に悪戦苦闘していた為、蜀候の言葉は痛いほどに理解ができる。しかし、それ以前に秦将として、謀反人は問答無用で討伐する必要がある。

「秦の法では、降伏勧告に応じない謀反人には、死あるのみです。再度お聞きします。降伏なさいませぬか。命だけは、助けとうございます」

「断る……! 巴蜀の民の為、巴蜀の兵の為、私はここを退かぬ!」

 司馬錯は自分に寄り添ってくれる秦王に報いる為、無情な決断を下した。

「成都を攻めよ! 謀反人公孫綰を殺せ!」


 大将軍司馬錯の命令で、秦兵は城壁へ押し寄せた。圧倒的な数量で波のように押し寄せる秦兵の攻撃も、城壁という地の利を得る反乱軍にとっては、まだ抵抗できる波だった。

 しかし、名将という評価は、軍の力の強さだけで下された評価ではない。単純な力同士の衝突では拮抗する戦力だったが、司馬錯の用意周到な武具兵糧の兵站線により、秦軍は遠征軍でありながら長期戦に挑めた。時間が経過しても秦軍は弱まらず、逆に城内の兵は、孤立無援の中で包囲されているという事実に、諦めの気持ちが芽生えていった。

 天下の名将大将軍司馬錯が作り上げた堅牢な大城成都も、司馬錯の手によって、遂にその城門が破られる時が来た。


 城門を破ったのは漢中軍の精鋭であった。その先鋒部隊の一員として騎馬し街へ雪崩混んだ摎や蒙武は、武器を持って抵抗してくる民草へも、容赦なく刃を向けた。

「そこをどけぇ! 貴様らに殺される俺ではないわ!」

「蒙武よ! 隊列を乱すな! 隊で戦うのだ!」

「摎殿! 街中で騎馬は狙われます! 小回りが効く一騎で宮殿を目指すべきです!」

「適切な判断だ……! 百人隊! 散り散りになって、各々宮殿を目指せ!」

 蒙武は血眼になって、敵を斬っていった。ここは戦場、女も子供も、武器を手にして抗うなら、それは全て敵なのである。攻められるとは、こういうことだ。奪われる前に、敵を攻めるしかないのである。

 蒙武の目の前に、見覚えのある男が現れた。それは変装した、公孫綰であった。

「貴様ァ! 仲間たちに余計な血を流させよって!」

「気づかれたか……剣を寄越せ!」

 徒歩で路地裏を抜けようとしていた公孫綰目掛け、蒙武は馬上から戟を構え、突撃した。

「顔を晒してタラタラと話した自分を呪うのだな!」

「黙れ! 来るなら来い秦の兵士よ!」

「ドリャァァァァ!」

 蒙武の一撃は、公孫綰の剣を弾き飛ばし、公孫綰を貫いた。

 取り巻きたちは武器を捨てて逃げ去り、蒙武は公孫綰の亡骸を見つめた後、天を見上げ叫んだ。

「謀反人討ち取ったり!」


 司馬錯は間もなく成都を制圧した。公孫綰が民の為に反乱を起こしたこと秦王へ伝える為、秦王へ使者を送った。秦王は司馬錯を自分の勢力に加えたい思惑もあり、公孫綰の亡骸を丁重に葬り、その名をしっかりと秦の歴史書に記載させることを約束した。

 そして、自らの治世に二度も反乱が起きたことを重く受け止め、次の蜀候は司馬錯に任命した。それは、要害の流刑地を豊かな地に作り替えた司馬錯なら、安定した統治を行えると、彼を評価しての人選であった。

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