表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/194

第六七話 驁、秦王より姓を賜る

 秦の咸陽では、一年の締めくくりとして論功行賞が行なわれた。その結果は前線の将らにも届けられ、驁は遂に姓を賜る。

 大将軍司馬錯率いる漢中郡の兵は、多大なる戦果を残した。彼らは白起率いる巴蜀の兵とともに垣邑を中心にした前線に駐屯し、次なる命令を待っていた。


 同年の暮れ、咸陽では一年の総まとめとして、論功行賞を行った。

 白起や司馬錯の功績は高く評価された。

 両将軍の配下には昇進する者もおり、彼らは駐屯地の垣邑にある役所内にて、論功行賞の結果を伝えられていた。

 司馬錯率いる漢中軍所属の驁は、各攻城戦での活躍が評価され、五百主となった。爵位も上がったことにより、驁は秦王より姓名を与えられた。

「司馬錯大将軍の優れた戦術により、私も、かような身に余る待遇を受けられました。感謝申しあげます。そして、白起将軍とともに再度戦えること、嬉しく思います」

「驁よ、私がかつてそなたにいったことを覚えているか。それは蜀で反乱が起きた時のことだ。そなたは当時伍長であったが、屯長の器であると、私はいった。それは誤りだったようだな。そなたは五人部隊でも五十人部隊でもなく、五百人部隊の長になれる器であったのだ」

 白起はそういうと微笑んだ。

 その声に合わせ、司馬錯も笑った。

「そうか、そなたもあの場所にいたのか。これからは、三人で力を合わせ、秦の為に戦い抜こうぞ」

 驁は「御意!」と威勢よく叫び、それを聞いた司馬錯は、咸陽からの使者に、勅を中断させてしまったことを詫びた。使者はそれから勅を読みあげた。

「これより、五百主驁に、(もう)の姓を与える。またその由来は、巴蜀の逢蒙。丞相の提案によるものである」

 それを聞いた司馬錯は、呆気に取られた様子であった。

「丞相がなぜ、巴蜀の逢蒙を知っているのだ。それにあれは巴蜀に伝わる、九つの太陽を沈めた羿を殺した卑劣な男だぞ。勇敢な驁殿の名に、相応しくない……!」

「私が丞相へ、文を送ったのです。司馬錯殿から夏の羿の話を聞いた折り、巴蜀にはこんなにも不思議な話があるのだと、伝えたかったのです。そして……秦王様は、逢蒙のような人が好みなのです。どんな手を用いてでも、目的を達成し勝利を掴もうとする姿、それこそ秦人のあるべき姿だとお考えなのです」

「そうだったのか……」


 司馬錯はその話を聞き、こう思った。歴代の王より、今の王は確かに、卑劣で残虐なのを好む。それは勝利の為には、手段を選ばぬという事だったのかと、そう思った。

 咸陽から離れ、中央の影響があまり及ばない巴蜀の兵には、倫理観があった。だが今回の出兵で率いた漢中郡の兵は、降伏した敵兵を捕虜にせず、殺すのだ。

 今、蜀候を支えているのは、関中から派遣された将軍だ。巴蜀の兵に融通の効かない対応をし、罪人の人夫を怒らせ、騒乱が起こる姿が、目に浮かんだ。

 司馬錯は「巴蜀は大難に見舞われる……!」と嘆き、項垂れた。

蒙驁(生年不詳〜前240年没)……秦の将軍。

韓の成皋せいこうを奪取し、韓を滅ぼす直接的なキッカケを作り、後に秦が戦国七雄を滅ぼし天下統一を果たす勢いを作ることに貢献した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ