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第六二話 夏の羿

 司馬錯は自分の屋敷で、白起と二人で酒を呑む。その中で彼は、巴蜀に伝わる伝説の話をする。

 二人は司馬錯の屋敷で酒を呑むことにした。羊を捌き、細切りにした新鮮な生肉を、酒の肴にした。

 縁もたけなわ。日々豊かになっていく巴蜀が、話題に上がった。

「李冰殿は、正に天が与えし才能。国の宝であると、そうは思いませぬか司馬錯殿。あれほど恐ろしかった川が、今や有益な用水路として、田畑(でんばた)を実らせる命の水となっています。川は永久に流れいくのでしょう。四季を眺めて、人や物を運んだ後、どこへたどり着くのでしょう」

「白起殿は、川の行く末を知らぬのですか。海という巨大な塩の水が満ちた場所があるのですぞ」

「海……従者から聞いたことがあります。塩の湖とは初めて知りました。もっと聞かせてください」

「海はどんな谷よりも深く、見たこともない魚が獲れるのだそうです。楚の海岸沿いでは、油で揚げた海の魚と米が、民の主食であると聞いています」

「米が主食というだけでも、楚がいかに富んだ国であるかが分かりますな……しかし川では見られぬ魚がいるとは、海というのはなんとも興味深い。司馬錯殿は、海をその目で見たことがあるのですか」

「敢えていおう……。ない……!」

 真剣な面持ちでそういうと、司馬錯は笑った。

 白起も、緊張と緩和から妙におかしく感じ、遂には一笑に伏した。

 司馬錯は、こういう冗談をよくいう。茶目っ気がある白髪の老人が、野蛮人の国である巴と蜀を征服した大将軍であると、にわかに信じられないと、白起は思った。

 だが、時折見せる尖った目には、まだこの老人が大将軍であることの面影があった。戦から離れて久しいこの老人にはまだ、底知れぬ力があるように感じられた。

「にわかに信じられる話を聞いた。海には、恐ろしく巨大な神がいるというのだ。その神というのは(さめ)という魚の姿をしているらしく、大きなヒレと尖った牙は船をも砕き、一度海面に姿を表せば、大きな渦が船を囲んでしまうのだそうだ」

「その海の先には、なにがあるのですか」

「斉から来たという商人の話では、蓬莱(ほうらい)という、仙人が住む島があるようです。この巴蜀にも、仙人が住むとされる山があります。世俗を離れて晴耕雨読な日々を送れば、そういう力も身につくものなのでしょうか」

「蓬莱のお話も、従者が話していました。しかし巴蜀にも、仙人が住む山があるとは……。しかし司馬錯殿。よもや、信じてはいますまい」

「にわかに信じられぬと前置きしたではありませんか」

「しかしその割に……口ぶりから、恐れを感じました」

「そうですな……私は鮫という魚がどんな魚か分からない。だがお話の中で、神の恐ろしさを体現する為に、その名前が出されている。つまり海を知る者が身震いするような、鮫という生き物は実在するということです。私はその鮫というのを、見てみたい。海というものを、見てみたいのです。どれほど恐ろしく、どれほど広い場所なのか……思いを馳せてしまうのです」

「伝説は尾ヒレが付くものですが、そうなるからには、元々の凄さがあるということですな」

「伝説といえば……ここ巴蜀には面白い伝説がある。武を好むそなたなら聞いておいても損はないでしょう」

 肉を頬張りながらそういった司馬錯に、白起は拱手をし、微笑みながら「お聞かせください」といった。


 それは巴蜀の伝承のひとつであった。

「夏の時代、天帝には地上を照らす炎の鳥の子供が十柱いた。彼らは数日おきに地上を照らす役目を負っていたのだが、ある時、十柱が同時に、地上を照らした。灼熱地獄となった地上を救う為、半神半人の英雄、羿は、弓矢で九つの太陽を射抜き、世界を救った」

 司馬錯は話しきると、酒を呷り「というお話です」と締めくくった。

「太陽を射抜く英雄というのは、なんとも憧れますな」

「そなたも神と呼ばれる将軍だ。そなたの活躍もいつか、伝説として代々語り継がれるのやもしれませぬな」

「私は左様な功績は残してはいません。ただ少し、犠牲と戦果が釣り合わぬだけなのです」

「今はそうだが、いつかは……。そなたはこの秦でもそなたを恐れる者が出るほどの大戦(おおいくさ)をしてみせるような……そんな気がするのです」

 司馬錯の言葉は戯言ではなく、どこか重みがある、不思議な印象だった。

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