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第六一話 白起、李冰を説得する

 李冰を説得する白起。成都で川を御する術を教えることに協力してくれれば、二度と谷から徴兵や徴税は行わないことを蜀候に約束させると伝える。

 李冰が、沈黙を破った。

「国尉白起殿、此度の誘いを断れば、故郷を消すつもりですか。地図からではなく、この地から。一番偉い人が来たということは、そういう威圧をしに来たということでしょう?」

「私がここに来たのはそういう意味ではありません。国尉が来たことに意味はないのです。ただ、白起が来たことに意味があるのです。それはあなたを丁重に成都へ迎える為です」

 李冰はため息をこぼし、眉間に皺を寄せた。

「嫌です。私はこの谷を水害から守る力があるのです。それ見知らぬ蜀の人の為に使って、この谷を疎かにしたくはありません」

「疎かにはさせません。お約束しましょう。兵に、李冰殿から灌漑の術を学ばせます。成都で治水の指導をしていただければ、その後はここへ帰れるように手配いたします。そしてその後、この谷から税の徴収や徴兵は行わぬと、約束いたします」

「どうしてそこまで、約束するのですか」

「巴蜀という地はそれほどまでに、水害に苦しめられているのです。それを助けていただくということは、この谷から得られる税や兵よりも、遥かに価値のあるものなのです。いかがでしょう。それなら悪いお話ではありますまい」

「あなたにそれを、約束できるのですか? 司馬錯大将軍が直接ここまで来るとハッタリをいっていた兵とは違うと、どう証明するのですか」

「私は遣いの新兵ではなく、国尉です。大将軍に免税を命じて、蜀候に承諾していただくことができます」

 李冰は、検討しているようだった。

「李冰殿、この谷を含む巴蜀の敵は、水害だけではありません。隣の大国楚は、虎視眈々とこの地を侵略しようと狙っています。それに抗う為にも、この巴蜀を、豊かな天然の要害にする必要があります。この巴蜀が天賦(てんぷ)の国となれば、必ずやこの谷も発展します。李冰殿、あなたが我らに知恵を貸すということは、谷や巴蜀を守ることに非ず。それは戦を防ぎ秦人や楚人(そひと)の命や財産を守るということです。水が人を争いから守り、その命を育むのです」

 その言葉に李冰は目を丸くした。そして意を決したようであった。

「参りましょう。成都へ」



 数ヶ月後


 白起は兵士や罪人が力を合わせて灌漑作業を行う姿を、不思議そうに眺めていた。日々訓練に勤しむ兵士も、物を盗み罰を受ける罪人も、傍から見れば同じ人夫として仕事をしている。それが、滑稽に思えたのだ。

「齕よ、そろそろ成都へ戻ろうか」

「はい。今日は大将軍と軍事や灌漑作業の件で会合の予定です」

「そうか、相分かった」

 戦で磨いた武は、国尉となってからは活かす機会がなくなっていた。机の上で竹簡に目を通しては、筆を手に取り、竹簡に書く。そういう文官のような仕事が多かった。

 この日の会合もすぐに終わった。巴蜀の軍は、常に活発に動いていた。罪人が多く流されてくるこの地は、反乱を未然に防ぐ為に、そういった罪人を監視する役目があったのだ。

「軍の報告も、特段変わったことはありませんでしたな、白起殿。灌漑作業も滞りなく進んでおり、李冰殿も、ここ成都で教鞭を執ることにやり甲斐を見出しておられる様子です」

「今日は時間が余りましたな。どうでしょう司馬錯殿、たまには酒でもいかがですか?」

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