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第五七話 秦王、魏冄を罷免す

 将軍白起は、一向に手紙を返さない故郷の義両親の許へ、従者の齕を遣わせる。


 咸陽 白起の屋敷


 将軍白起は、朝議に参内しては秦軍の国尉として発言をしらよく分からない政の話を聞くという日々を送っていた。それは酷く退屈であり、彼は、雍や郿県という育ちの故郷へ想いを馳せることが多くなっていた。

 そんな頃であった。

「白起将軍、遅くなりました」

「おお戻ったか齕よ。我が公孫の家はどうだった。義両親は息災であったか?」

 未だ届かぬ便りを待てなくなった白起は、従者の齕を遣わせて、故郷へ帰省させた。義息子が元気であると、伝えたかったのである。しかし齕の表情は暗かった。

「将軍……義両親は既に鬼籍に入られていました。家の中や庭は荒れていましたが、幸い、将軍を慕う周辺のご友人らによって、浮浪者が寄り付かぬよう定期的な掃除や供養が行われていました」

「な……なんと……!」

 唖然とした。そして吐息混じりのほとんど声とも呼べぬ声で、彼は、「嘘であろう」と呟いた。

 しかし齕はそれが真実であることを伝えた。

「供養行う者は、面識のある者のみならず、将軍の名声に尊敬の念を表した婦女子も多くいました。また恬と名乗る……」

 言葉を続ける齕であったが、白起は上の空であった。

 齕はら一礼し部屋を出た。

「なんのための凱旋か……なんの為の勝利か……。伝えたい人は既に亡く……帰る故郷を、いつの間にかまた失っていた」

 白起は涙を流した。

 しかし、部屋を去った齕の言葉を思い出し、ハッとした。

「恬殿は生きておられるのか……。まだ帰る場所が潰えた訳ではない。そうだ……私が知らずとも、私を慕い、帰りを待ってくれている人がいるのだ。我が故郷は……生まれ故郷の白家村のように潰えることはない。帰りを待つ民草がいる限り、我が故郷は残り続けるのだ。我が故郷を守り抜く為にも、私は戦い抜くしかないのだ……!」


 白起はここ咸陽も、自らが在る所として、故郷と同じだと感じた。自らをここまで引き立てた恩人、丞相魏冄の息災を祈り、彼は竹簡に筆を走らせた。



 紀元前292年(昭襄王15年) 咸陽宮


 斉に放っていた秦の間者が、報告を持ち帰った。その竹簡に目を通した宣太后は絶句し、逡巡した後、秦王の許へ竹簡を届けた。

 その竹簡には、斉の地で斉王に離間の計をしかける丞相魏冄の配下がこぼした、魏冄の密約について記されていたのである。

 目を通した秦王は、憤慨した。

「斉王は魏冄の目論見通り、孟嘗君を疎んじて遠ざけだした……。そして縦横家の蘇秦が掲げる無謀な宋攻めを後押しし、斉を傾けそうになっている。そして斉王は……宋の大城である陶邑を、魏冄が接収する密約を交わしただと!」

 秦王は机を叩き、机の上に積まれた竹簡を投げ飛ばした。

「どこまで余を軽んじるのだ魏冄よ! !」

 秦王は宣太后を睨みつけた。

「我が叔父は、秦王の位を簒奪したも同然の振る舞いだ。肥沃な土地を有する大城をそのまま懐に入れるなど……これは……この密約は、君主を軽んじた謀反ともいえようぞ!」

「魏冄は野心が強い……でもこれはやりすぎだわ。稷よ、私はあなたの味方よ。だからこうして、あなたに魏冄が不利になる竹簡を持ってきたのよ!」

 宣太后は秦王の服の裾を掴み、心に寄り添おうとした。しかし秦王はそれを跳ね除け、重たい間を空けた後、静かに告げた。

「余は決めた。丞相魏冄を罷免し穣へ蟄居とする。変心はせぬ。明日の朝議で通達する」


 翌日の朝議で、秦王は竹簡を根拠にし、丞相魏冄を罷免した。

 白起は、動揺した。

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