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第三二話 函谷関の戦い 三

 魏冄は秦王に、もう一つの国門である武関での大事を語る。

 羋戎を睨みつける秦王を見て、ため息をつく人がいた。秦王が音の方を見たとき、そこには髭を撫でながら歩み寄る魏冄がいた。

「秦王様、私も我が弟羋戎の判断が正しいように思います」

「戻ったか大将軍。任鄙はしかと函谷関の外で警戒態勢を敷いておったか」

「はい。彼は有能な将ゆえ、抜かりなく対応しております。『力は任鄙、智は樗里疾』と称されるほどの勇者は、こと戦に於いては、(まさ)に名将といえるほどの逸材でしょう」

「ならばよい。そちは余と羋戎の話に口を挟むでない」

「そういう訳には参りませぬ。事態は急を……要します」

 急に重たい空気を放ちだした魏冄は、秦王の返答を待たずして、言葉をつづけた。

「任鄙将軍が森林を捜索したところ、大勢の足跡が、西の国門武関の方向へと向かっていたそうです。その足跡こそ伏兵がいたなによりの証拠です。そして武関には兵が配置されておらず、もぬけの殻。抜かれれば……ここ咸陽が攻められます」

「それは……誠か……!」

 慟哭する秦王に、拱手をしながら魏冄はいった。

「秦王様、今こうして話をしている時間すら惜しいのです。戦況は刻一刻と変わりますゆえ、迅速な対応をとるたにも、羋戎を総帥になさいませ!」

 羋戎もまた、片膝を突き拱手をした。外戚による専横を懸念する秦王の不安を晴らすため、最大限の臣従の意思を示したのである。

「私に兵符をお預けください。総帥として敵を撃退した折には、速やかに兵符をお返し致します。決して権利を乱用し、秦王様の地位を狙うなどの暴挙には出ませぬ!」

 秦王は、逡巡した。まばたき一つせず一点を見つめ、眉間のあいだには、深くシワが刻まれていった。

 席に腰掛けた秦王は、情けなさから涙を流した。

「咸陽は……遷都(せんと)以来一度も攻められたことがない国都だ。天然の城壁である山々に囲まれ、開けた交通路には、函谷関、武関、隴関(ろうかん)が設置されており、咸陽自体に城壁は……ない。関所を破られれば、咸陽は蹂躙され、()(びょう)も焼かれてしまうのだ……。魏冄よ……!」

 魏冄を見つめ、秦王は名を呼んだ。魏冄は改めてかしこまり、「ここに」と返事をした。

「もはや事態は余の手では負えぬ。余は即位して九年、齢二八にしてはじめて、この目で戦を見た。余は震えが止まらぬ……。余には……戦はできぬのだ……ゆえにそなたの諫言を受け容れる。羋戎!」

「ここに」

「そなたを秦軍総帥に任ずる。軍を率い、敵軍を退けよ……!」

「御意……!」



 紀元前297年(昭襄王10年)


 武関での匡章軍との戦いに咸陽の守備兵を動員し対応した

羋戎は、圧倒的少数でありながら、堅固な武関という壁によって、劣勢をはね返した。


 また魏将芒卯、韓将暴鳶率いる軍勢は、数度に渡り函谷関を攻めるも、任鄙率いる軍勢によって跳ね返されていた。秦軍総帥羋戎は、函谷関の中で後詰めとして待機していた軍勢の大半を前線の野営地、あるいは常に臨戦態勢にして出撃できるようにしていた。

 軍の内情に詳しい羋戎は、これまでの戦果や評判から、将来有望な者たちを多く前線に出していた。秦には、公孫起のような輝きを放つ原石が、多くちらばっていた。

武関……関中の南方にあったとされる関。南大門、少習門ともよばれていた。


隴関……隴西郡、現在の中華人民共和国甘粛省東部にあったとされる関。関中の西の国門。

※隴関は後の漢代に造られていますが、本作では秦の時代には既にあったとしています。

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