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第三十話 函谷関の戦い 一

 孟嘗君が組織した合従軍を率いる趙将匡章は、函谷関まで迫った。

 秦王は朝廷の主導権争いに勝つため、魏冄の息がかかっていない新米の将軍に主力軍を任せ、自らが総帥として敵を迎え撃つ。

 函谷関 内 秦軍


 斉、韓、魏による合従軍が秦の国門である函谷関に迫ったとき、秦王は函谷関の内側で軍を整列させ、迎え撃つ準備を固めていた。ここまでいくつかの城を奪われ、秦は函谷関以東の領地を放棄し、反撃の機会を伺っていたのである。

「余が総帥となって正解であった。敵がかように少数ならば、余でも討てる。副将として左翼に布陣した司馬昌に期待している。大将軍の嫡子ちゃくしとして、この戦に貢献してくれるであろう」

「報告! 敵数約二万、我が軍の四分の一にございます!」

「よろしい。函谷関の外にて布陣は済んでいる。戦は今日、始まる……! 余の号令を待て!」



 函谷関 外 合従軍


 合従軍総帥の斉将、匡章きょうしょうは、函谷関に広がる王旗を見て、意図せず鼻で笑ってしまった。

「あの若き王は、有能な将軍をさておき、己が軍を率いておるぞ……! 国門を素人に守らせるとは、秦の本質はやはり猿にも劣る蛮族なのか」

 趙将の匡章きょうしょう同様に馬上で甲冑を身につけた大勢の兵士らが、笑いだした。

「この私は、恐れ多くも薛公殿より此度の戦の総帥に任じられた。すなわちそれは、過去の戦にて功を立て、数多いる各国の名将を束ねうると判断されたということだ」

 副官は笑いが収まったあと、いった。

「匡章様と渡り合えるのは、今は亡き樗里子贏疾ちょりしえいしつ右丞相のみ。この戦、抜かりなく戦えば、秦を討てます……!」

「各々、抜かるな。此度の戦は、並の戦ではないぞ」 



 函谷関 外 秦軍


 陣太鼓が鳴り響いた。主力の中央軍を率いる司馬昌は、左翼の任鄙、右翼の羋戎に指示を出し、騎馬兵を出した。騎馬兵はここ数十年で世界全域へ広まり、その高い機動力は戦局を変える主戦力となっていた。

 騎馬兵主力部隊を率いる羋戎軍は高い練度で、相対する敵左翼の韓将、暴鳶ぼうえんの厚い壁を破り、匡章の本陣をめがけ突撃した。

 最も厚い壁同士であった中央軍は、未だに戦力が拮抗していた。中央の敵を右側から挟み撃ちにするのではなく、直接本陣を狙いに行った羋戎に、秦王は怒りを顕にした。

「余が任じた主将の司馬昌をも出し抜くとは……どこまで強欲なのだ貴様! どこまで余を軽んじる!」

「報告! 主力軍が押されております! 左翼の任鄙軍から戦車部隊、弓兵部隊、一部歩兵部隊が援護に入っています。騎馬兵部隊や一部歩兵が敵本陣へ向かい、右翼と合わせ敵本陣を挟み撃ちにする模様!」

「流石は勇将、任鄙将軍だ。判断が適切だな!」


 任鄙軍歩兵部隊の百将となっていた公孫起は、歩兵部隊二千の内の約百名を率いていた。彼は歩兵部隊の一員として、騎馬兵部隊二千を率いている将軍、公孫奭こうそんせきの指示で、騎馬兵部隊と連動して敵を包囲していた。

「軍の部隊編成とは臨機応変に動くものなのだな。通常は一部隊の頭でしかないが、このように軍勢が別れれば、最も階級が高く経験が多い将軍が、事実上の指揮官となる。このように瞬時に判断し適切な指示を出す。それこそが人の上に立つ将たる者の資質であり、武勇よりも優先される才覚だ……!」

 公孫起は公孫奭の働きに将としての器を感じていた。そして、放たれる矢が甲冑に刺さり傷を負いながらも、旗を掲げさせ味方を鼓舞しながら、包囲を作るため敵を斬り、部下に指示を出しつづけた。

 徐々に、魏将の公孫犀武こうそんさいぶ率いる敵主力が包囲の中で、圧縮される力に耐えられず崩壊。主力の司馬昌軍の兵士の顔が認識できるくらいに、包囲の枠が狭まった。

 公孫奭が「敵主力を破れ!」と檄を飛ばすと、遠くの司馬昌の配下も歓声をあげ、敵を斬り、応える。

「敵を殺せぇぇ!」

 叫ぶ兵士の顔が見えた。その尖った目と大きな体には見覚えがあった。それは巴蜀で会った剛腕の男、ごうだった。彼の側の兵士は屯長の旗を翻らせていた。驁は前線で戟を振りまわし、敵を投げ倒していた。

 邂逅かいこうに喜ぶ公孫起だったが、その顔に笑みはなかった。誰よりも先に、緊急事態を察知したからである。

「匡章の旗が……函谷関の前に……。あの本陣は囮か……!」

匡章(生没年不詳)……戦国時代の斉の武将。匡子、章子、田章とも呼ばれる。三代の斉王に仕えた。

燕の首都である薊を陥落させ、合従軍として楚の垂沙や秦の函谷関を攻めるなどして戦功を立てた。


暴鳶(生没年不詳)……戦国時代の韓に仕えた将軍。

韓軍を率い、合従軍として垂沙の戦いに参戦した。


公孫犀武(生没年不詳)……戦国時代の魏の将軍。姓は姫、氏は公孫。別名公孫喜。

魏軍を率い、合従軍として垂沙の戦いに参戦した。

また紀元前293年、伊闕の戦いにて秦の白起に惨敗した。


公孫奭(生没年不詳)……戦国時代の秦の政治家。武王、昭襄王の二代に仕えた。

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