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第二七話 秦王、孟嘗君を推挙する

 秦王は朝廷における自らの権威を高め実権を掌握するため、賢人を迎え、新たに丞相を据えることにする。

 戦の果て、生き残った者は戦いの中で傷を負い、五体満足ではなくなっていたり、片目や聴覚を失う者もいた。いずれも二度と徴兵こそされないが、日常を生きていくことも難しくなり、貧困を招き自死する者もいる。戦いは刃を交えたあとも終わらないのだと、公孫起は体感していた。

「お前の活躍は死ぬまで忘れぬ。ご両親に誇っていい名誉の傷だ、馮勝よ」

「ありがとうございます。清潔に保ち、完治するのを待ちます。指をなくし、二度と左手で物は持てませんが、腕はあるので見栄えは悪くないです」

「傷は男の勲章だ。男が増したな」

「屯長殿には負けますよ」

 冗談をいいあい、公孫起は彼の家を出た。



 紀元前298年(昭襄王9年)


 秦は楚への侵攻をおこない、八つの城を奪った。かつても漢中を秦に奪われていた楚は怒り狂い、秦へ返還を求めた。秦王は宣太后の提言を()れて楚王の熊槐(ゆうかい)を咸陽に招き、返還交渉を行うこととなった。楚王は宣太后羋八子の親類であり、彼女の提案ということで、安心しきっていた。だがこれは宣太后の罠であり、強大な楚を混乱させるため、宣太后は楚王を咸陽に幽閉したのである。



 同年


 昭襄王は二七歳となり、王として宮廷内で権力を掌握しようと行動していた。かねてより、彼は母親である宣太后羋八子や、その弟である大将軍魏冄に権力を掌握されていることに、不満があった。なにもかもを彼らの提言を容れる形で王の名の下に行動させてしまっていることに、嫌気がさしたのである。相次いで兄弟に反乱を起こされたことで、彼は己が王として相応しい存在になろうと躍起になっていた。

「母上、魏冄よ。以前話した通り、余は新たに丞相を迎える。そなたは大将軍として戦に関わり、政にまで手が回らんようであるしな」

「私は領地の統治にも精を出しております。賢人を迎え、丞相として政に専念させることに異論はありませぬが──」

 魏冄はいいにくそうにし、俯いた。眉毛の間に深いシワが刻まれており、彼が秦王への諫言に苦慮していることが、姉の宣太后には分かった。 

「稷よ丞相をあなたの一存で決めたいのね。それはいかに王といえども、強引すぎるわ」

「余はそうは思わぬ。余が燕から秦へ来る際、中間地の趙では、趙王が我らに護衛を付け通行を支援してくれたな。その趙王も、強引に北方の蛮夷の騎馬戦法を軍に取り入れ、趙を強国にした。我が祖父孝公も、周囲の反対を押し切り公孫鞅を登用し、富国強兵を成し遂げた彼には商の地を与えもした」

「王とは強引で然るべきといいたいのだろうけど、あなたは彼らとは違い若すぎる。経験も少ないわ」

「経験を積み、王として周囲に権威を示すためにも、賢人を迎えねばならぬのです。誰かの手を借りていては、いつまでも王位継承権を有する兄弟が、位を狙うではありませんか。母上は、余がすべての兄弟、臣下に反乱を起こされることをお望みなのですか!」

 彼の意見に、宣太后は反論できなかった。言葉を失いうなだれていると、魏冄が口を開いた。

「秦王様は、いったい誰を丞相に推挙なさるのですか?」

「斉の孟嘗君、薛公(せつこう)殿だ。清貧を尊び、彼を慕う食客は三千人を越すと言われている。かような人格者とあらば、文武百官も従うであろう」

 秦王の意思は固く、彼は半ば独断で、孟嘗君へ招待の使者を送った。

孟嘗君(生年不詳〜没:紀元前279年)……戦国時代、斉の王族であり政治家。姓は嬀、氏は田、諱は文。封地の薛に由来し、薛公とも呼ばれる。戦国四君の一人。


懐王(生年不詳〜没:紀元前296年)……戦国時代の楚の王。姓は羋、氏は熊。諱は槐。

秦に騙され漢中をはじめとした地を多く奪われ、また自身も捕虜となるなどし、楚の国力低下の原因を作った喑君。


武霊王(生没年不詳)……戦国時代、趙の第6代君主であり初代趙王。姓は嬴、氏は趙、諱は雍。

王として即位するも、紀元前318年(武霊王8年)楚、韓、魏、燕とともに、合従軍として秦の函谷関を攻め、敗戦。すぐに王号を廃する。

しかし後に胡服騎射を取り入れて趙を軍事大国としたことで、没後に王号を冠した武霊王と諡された。

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