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プロローグ

 白起の死後すぐに、秦の将兵が上奏した鮮明な戦況報告にて、邯鄲包囲戦で鄭安平は降伏し、秦の兵力を著しく低下させたことが明らかとなった。

秦王は張禄が自分を騙したことを悟った。そして秦王は自身を騙り武安君を陥れた罪で、張禄、王稽を処断した。


 隆盛を誇った秦軍は、衰退していた。

 しかし七雄には、秦を襲う余力はなかった。


 燕、斉、魏、韓、楚は未だに回復していなかった。

 趙では宰相栗腹が謀反を起こし内乱が起こり、その結果、名将廉頗が魏へ亡命し、後に楚へ亡命することとなり、力を失った。


 紀元前251年に秦王嬴稷は薨去し、昭襄王と諡された。新たに即位した孝文王、荘襄王は短命でその在位期間は、二人合わせても三年にも満たず、秦国内は安定を失った。

 続けて、僅か十二歳で即位した秦王嬴政、またの名を始皇帝は、荘襄王の即位を助けた丞相呂不韋の力を借り、秦国内を安定させた。


 前241年(始皇6年)には七雄による合従軍を将軍蒙驁が退け、前238年(始皇9年)に起きた呂不韋が首謀する嫪毐の乱は、嬴政に忠誠を誓う昌文君、昌平君により鎮圧された。

 そして曾祖父昭襄王の天下統一事業を再開し、天下へ躍り出る。王翦とその子王賁、蒙恬を含む秦将の力を借り、六国全てを滅ぼした。

前221年(始皇26年)、昭襄王や白起が夢見た天下統一がなされ、五百年に渡る戦乱の時代に幕が降ろされた。



本作を最後まで楽しんで頂き、心より感謝申し上げます。初めての歴史長編作品でしたが、多くの方に読んで頂くことができ、そればかりか多数のコメント、いいね、ブックマークまで頂き、感無量です。

本作では大秦ローマや架空の政治的なやり取り、蚊取り線香代わりにヨモギを焼いたり、疫病で苦しんだりなど、より作品に個性と面白みを与える要素を加えようと思っていました。しかし「本紀」と銘打っている以上、可能な限り史実に沿った作品にしようと心がけ、作品をかきかき書き上げました。


今後の励みとなりますので、宜しければ、いいねやコメント、ブクマやレビューをして頂けますと幸いです。

繰り返しになりますが、最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  まずはお疲れ様でした。  このように壮大で、史実に基づいた長編物語を最後まで書き切った事に感服いたしました。  ありがとうございます。  最終話の白起の最期の心情描写には、感情移入しす…
[良い点] 完結、お疲れ様でした。 [一言] 白起、自裁しても己の意志を貫き通す。 秦の民も白起を慕っていたからこそ、廟を自発的に建立したのです。 蒙驁をはじめとした蒙氏、その後の悲劇がね。
[良い点] 執お疲れ様でした 完結おめでとうございます [一言] 張禄(范雎)は白起の事を抜いても秦にとっては 功より罪が多い人物ですね と言うかなんか小物臭いんですよねw 百万の屍を築いた白起が戦…
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