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第百三十話 秦国の白い怪物

 鄢を水没させた白起を、屈原は罵りながら、涙する。

 また咸陽に届けられた戦況の報告を受け取った秦王は、歓喜し、顔を赤くし高笑をする。

 蛮河付近 白起


「項叔、私が勝ったぞ」

 白起は、水没した鄢を遠目に眺め、思わず笑みがこぼれた。これ程までの大勝利が、未だ嘗てあったであろうか。白起は総帥として完膚無きまで敵を叩きのめしたことに、この上なく高揚していた。


 満面の笑みを浮かべる白起であったが、横に立つ李冰の顔を見ると、李冰は良心の呵責を起こし、暗い顔をしていた。

「李冰殿」

「はい」

「これでそなたの地位も、名も無き教官から上げられ、褒賞も出るだろう」

 李冰は拱手をし、無言で感謝の意を表した。眉間には深くシワが刻まれており、苦悩する、強く閉じられた瞼からは、涙が零れ出た。

 白起は、李冰が素直に喜べていないということを感じとり、言葉を続けた。

「李冰よ……我々はこうして人を殺め、それを功績としてきたのだ。天下の全ての人間が等しく天寿を全うできる程、天下は生易しいものではない。我らは我らの仲間を助ける為、敵を打ち倒すだけである。その果てに、我らが秦王様が志す、秦国の太平が広がっているのだ」

 李冰は静かに頷き、現実から目を背けるように、その場を離れていった。



 郢 屈原


 鄢周辺にて一進一退の攻防戦を繰り広げているという報を受けた屈原は、大将軍項叔を労う為、鄢へ向かおうとしていた。道中、都の郢に入った時、巨大な濁流が鄢を飲み込んだと騒ぐ兵の姿が見えた。

 慌てて城壁へ上がると、遠くの方、そこにある筈の鄢の姿はなく、あるはずのない海のようなものが見えた。

 屈原は、これが秦軍によるものであると察した。

 雪が舞降る冷たい城壁の上で、屈原は膝から崩れ落ちた。

 その脳裏には、雪が降る陣営から、鄢を眺めて高笑をする白起の姿が浮かんでいた。楚の地にて、白地に黒い文字で「白」と書かれた旗を、我が物顔で翻らせているであろう白起に、この上ない憎悪の念が湧き上がった。

「おのれ秦国……この残虐無比な虎狼めが! ! おのれ白起……! 秦国の白い怪物めぇぇぇ! !」

 屈原は乱心し、長い髪を振り乱しながら、泣き喚いた。



 咸陽 秦王


 数日後、魏冄や羋戎ら重臣と共に酒を呑み、会合をしていた秦王の許へ、戦況が届けられた。

「報告を読みあげよ。叔父上達にも聞かせるのだ確か前回の報告では、巴蜀の李冰を、呼び寄せていたな」

「李冰をですか?」

「そうだ丞相。白起は前回の報告で、鄢は難攻不落の城だが、李冰という戦の素人を用いて、鄢を陥す算段を立てたと申しておったのだ」

 全く理解ができていない魏冄、羋戎を他所に、兵士は報告を読み上げた。

「国尉白起は、鄢を幾度となく攻撃するも届かず、周辺の川を利用した攻撃を行うべく、李冰に鄢周辺の地形を変えさせ、鄢を攻撃しました。結果、鄢は水没し、楚軍総帥項叔並びに城内にいた全ての民を、沈めました」

 兵士の報告を聞き、魏冄は血の気が引いていた。歴史ある大都市を水攻めにし、そこに住む全ての人間を殺すという蛮行に、開いた口が塞がらなかった。

 羋戎の方へ目を向けると、羋戎は、おかしなものでも見るような目で、秦王を見ていた。

 魏冄は秦王を見た。すると秦王は、声を殺して笑っていた。顔を赤くし、窒息しそうな程、笑っていた。次第に掠れた笑い声になり、それはやがて甲高い高笑になった。

「愉快だ! 鄢に住む南方の猿どもを、皆殺しにしたのたか! こちらの死傷者はなん人なのだ?」

「十名余りです」

「良いぞ! ! 聞いたか叔父上達よ! 白起は十人余りの犠牲で、数十万の敵国人を殺したのだ! かような大戦果は古の将にも、立てた者はいまい!」

 魏冄は初めて、秦王に恐ろしさを感じた。それは政敵としての恐ろしさではなく、秦王という人間そのものが持つ恐ろしさである。

 魏冄は手が震えた。持っていた銅爵を落としたが、拾うことはできず、ただ目の前で歓喜する秦王を凝視することしか、できなかった。

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